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07 想定外の事態

 散財してから10日後にようやく依頼を一つ達成した俺は、報酬を得てようやく一息吐く事が叶った。


「こちらがDランク護衛依頼1単位達成の16万Gとなります。では受け取りのサインをお願いしますね」

「ああ、分かった」


 俺が受けた内容は、ドザーク山脈麓の街カルピアまでの4日間の商隊護衛だ。

 と言っても、俺の依頼主が雇った冒険者は俺だけである。


 数日を掛ける魔物のエリアを移動する場合は、各商人が懇意な冒険者を雇い、さらに護衛費を節約するために複数で集まり、商隊を作って移動する。

 そんな隊へ参加したければ、自らも馬車1~2台数につき冒険者1名を雇い、さらに野営に参加させるなど役割を担わせる事が必要となる。

 護衛が6人集まれば出発可能と見なされるが、隊が大きくなり過ぎれば統制が取れなくなり、あるいは人数が逆に魔物を引き寄せてしまう等として参加を断られる事もある。

 依頼主は馬車2台で俺1人を雇い、移動する商隊へ加わった。


「お疲れ様でした。またのご利用をお待ちしております」

「近いうちにな」


 やはり金があるというのは素晴らしい。なにせこの依頼を受けるまでは、俺の貯金が1万Gしか残っていなかったのだ。

 これは借用書を買い取った日に1万8,000Gにまで下がった俺の貯金から8,000G分を、殆ど着の身着のままであった娘に最低限必要な衣服や私物などの購入費に充てさせたためだ。

 もちろん彼女には月1万Gずつの賃金を支払うわけだが、それとこれとはまた別である。


 娘の身なりを最低限整えさせた俺は、素直に金が殆ど無くなった事を説明した。

 そして手続きの際に預かったリグレイズ王国民証と治癒師免許を返し、新たな身分証明ともなる労働証と俺の予備の短剣を携帯させた上で、別枠の生活費を1ヵ月分だけ渡して俺が戻ってくるまで家で馬の世話をしながら暫く生活していろと指示した。

 そして大家さんには女を住ませた事を説明し、足早に護衛依頼に出発した。

 高度な放置プレイと言う奴である。

 英雄となられた読者様ならハーレムの一つや二つ、まるで空気を吸うかのように軽く作っているだろうに、俺は女性1人ですら四苦八苦するという不甲斐なさであった。

 実に羨ましい。本気で羨ましい。

 きっと善行を積んで貯めた転生ptを、冒険者活動に有利なように割り振ったのだろう。


(と言うか俺の場合は、信頼関係すら成立していないからなぁ)


 新たに買った馬の所有者証や借用書は、全て公証役場の保管部に預かって貰う形とした。

 ようするに俺自身が相手を信用していないわけだ。

 もしも逃げられた場合は、履行する気のない短期労働契約を結んで短期労働契約証を発行させたとして、ラシュタル王国内において彼女は詐欺罪となる。もちろん逃げるときに馬を盗んだら窃盗罪も成立する。

 またリグレイズ王国においては下級貴族が詐欺と借金の踏み倒しをして逃げた事を訴える事で、彼女は貴族の名誉を傷つけたとして下級貴族位を剥奪されて手配対象となる。以降は公務に就けなくなり、配偶者も借金を被るために結婚でも制約を受ける。


 と言った風に俺が出来る範囲で退路は塞いでおいたのだが、もちろんそれらを馬鹿正直に説明したりはしなかった。

 そんな事をすれば人間関係は破綻である。せっかく「あのオバサンから解放しました」と言う有意なアピールポイントがあるので、それだけは崩さずに残しておきたい。

 そのため短絡的に逃げられると非常に困ると思っていたのだが、昨日俺が家に帰り着いたところ、彼女は逃げずに留まっていた。

 曰く、難民キャンプでの生活よりもずっと幸せですよとの事だ。

 なるほど、その部分に関しては至極尤もである。


 内心でビクビクしていた小心者の俺はひとまず安心しつつ、それを必死に内心で収めながら依頼を達成した事を告げ、睡眠不足を解消するべく泥のように眠った。

 そして今日、冒険者ギルドで依頼達成の報酬16万Gを受け取り、懐に若干の余裕を取り戻してようやく彼女との間にまともな時間を取る事が出来た。


「待たせたな、アリス」

「はい」


 俺の呼びかけに、冒険者ギルドの前で待っていたアリスがフードを被ったまま返事を返した。


 アリス・フォン・バークレイ。

 1013年7月3日生まれで現在17歳。なお誕生日は、俺より2ヵ月遅いらしい。

 彼女は俺が256万Gの借用書を買い取ったリグレイズ王国の下級貴族の娘である。


 1029年9月までは故郷の都市ガランスで過ごし、当時16歳で上等女学生1年生。

 だが転生竜に故郷を襲われて実家が焼き落とされ、彼女は重症を負って両親もその時に他界した。

 人々が都市ツワロクへ逃げる際に一緒に運んで貰う事が出来て、以降はツワロクの叔父の元に身を寄せながら立て替えて貰った治療費を返すべく治癒師免許を取得して神殿で働いた。

 借用書は疾患回復4の費用256万Gという大金であったが、アリスが創傷回復ヒーリング2、魔崩回復ノーマライゼイション2、疾患回復キュア2、状態回復リカバリー2を使えるために返済期限は5年としたらしい。認定2なら本職として通用する。しかも彼女は神殿勤めの間に技量が向上し、回復魔法の格が全て1ずつ上がっている。


 1030年4月、逃げ延びた都市ツワロクも転生竜に滅ぼされてしまい、その時に唯一残っていた血縁の叔父も失った。そして難民生活の中で7月に17歳を迎えた。

 残った親戚は俺に借用書を売り渡した叔母とその息子だけで、元々破綻しかけていた両者との縁は叔母が俺に借用書を売った時点で完全に切れた。二人は彼女を置き去りにして、既に船でリグレイズ王国への帰路に就いている。


 彼女にとって取り分け不幸だったのは次の3点。

 1点目。転生竜に襲われて重症を負い、故郷と両親を失って借金まで抱えた事。

 2点目。理解者の叔父が亡くなり、話が通じない叔母に借用書を相続された事。

 3点目。借用書を買い取った俺に、彼女を働かせて借金を返させる気が無い事。


 彼女の立場としては俺に256万Gの借金があり、住み込み月1万Gという安月給で雇われる形となっている。

 労働証もその名目で発行しているため、彼女は俺が認めない限り兼業が出来ないのだ。

 しかも俺が先手を打って半年ではなく3年の労働契約で労働証を発行させた為、彼女は5年の期限のうち残る2年間で256万Gを貯めない限り返済期限を過ぎてしまう。

 いや、正確には短期労働証が3年間にあたる1030年8月初日~1033年8月末日まで。

 そして借用書が1029年5月末日付で返済期限が1034年10月末日まで。

 彼女に与えられている期間は実質1年2ヵ月しかない。

 その件に関してアリスはこう言った。


「フランツさん、私は治癒師の免許を持っています。エイスニルの神殿でアルバイトをする事をお認め頂けませんでしょうか。週1日ある休日の日だけで構いません。お金は全額きちんとお返しします」


 彼女は借金さえ返せば自由となる。


 ところで週1日の治癒活動と以後1年2ヵ月の正規労働だけで、256万Gもの大金を期限までに稼ぐのは無理だと思うだろうか。

 俺はそう思わなかった。

 1年2ヵ月で256万Gを稼ぎきる事が難しくとも、創傷回復ヒーリング3、魔崩回復ノーマライゼイション3、疾患回復キュア3、状態回復リカバリー3の魔法を持っている事を担保にして神殿なり先輩治癒師なりから借金をして、俺への債務を完済させる事は容易く出来る。事前に3年間も働いて信用を得ていれば、出来ない方がおかしい。

 それに上等女学校に在籍していた経歴と治癒師免許の裏に記されていた各種資格を鑑みるに、アリスは間違いなく俺よりも頭が優れている。この都市で10日も自由に活動できたのだから、当然神殿の下調べくらいしただろう。

 この都市は4種類の回復魔法を最高の5まで使えるジルベット・ヴィクスのお膝元なので彼女が気に入られなければ雇って貰えない可能性もあるが、そこさえ間違えなければアリスは神殿から歓迎されるに足る能力を持っている。

 だから俺は言った。


「アリス、俺は金を返して欲しい訳じゃない。お前に一目惚れしたから借用書を買い取って手元に置きたいと思ったんだ。金は1Gも返さなくて良いからずっと俺の傍に居てくれ」


 存在と立場の肯定、そして堕落の誘惑。

 問題は堕落させようとする悪魔側に魅力が足りない点であるが。


「…………お金、無いんですよね?」

「俺が稼ぐさ。お前と暮らすためにな」


 それを聞いたアリスは当然出会ったばかりの俺に返事をしなかった。

 だがそれ以上は神殿で働かせてくれとも言わなくなった。

 労働に関しては雇用者である俺が決定権を握っているので、これでアリスの退路を一旦封じた形だ。


 だが俺が調子に乗り過ぎれば、いずれ逃した魚は大きいなんて事になりかねない。

 それにアリスは下級貴族で俺は平民。

 あまりやり過ぎると、身分が低い俺の方が役人に捕まってしまう。

 俺がアリスの優位性を完全に封じ込める事が出来るのは、借用書の返済期限である1034年10月末日を過ぎて金が返済されなかった場合のみだ。


(…………さて、どうしよう)


 現状ではいくらでも心配事がある。

 その一つは、アリスがこれまで俺が人生で見た中でも一番の美人だという点だ。

 …………言い過ぎだろうか。

 だが美人とは各々の主観に基づく評価であって、「俺の主観で美人だ」と言うのであれば、俺以外の誰にも否定できないのではないだろうか。というかアリスはとても可愛い。いや落ち着け俺。


 それのどこが心配なのかというと、顔を隠していなければ街でナンパされてしまう点だ。これは日常生活を送る上で大きなマイナスだろう。

 アリスは短剣術2と護身術3を持っているらしいが、だからと言って声を掛けられた時点で相手に斬りかかるわけにも行かない。

 まずその点をクリアしなければ、俺自身がアリスを都市へ置き去って冒険者生活に専念する事が出来ない。


 これが奴隷という立場だったならば、腕の管理番号が見える服を着させて所有者を示す首輪でも付けておけば多少は安全となる。それは奴隷が『物』であり、それを傷つければ所有者に賠償金を請求されるからだ。

 だがアリスは奴隷では無いし、仮に奴隷にする手段があったからと言ってアリスを奴隷にする気も無い。一度奴隷になってしまえば、いくら金を積んでも他の身分へは上がれない。

 それに奴隷なんて金でいつでも買える。欲するものの価値を自ら貶めてどうするのか。


「これからどうするのですか?」


 俺の指示によってフードとマスクで顔を隠しているアリスが、そう問い掛けてきた。


「指輪を買おうと思ってな」

「指輪……ですか?」


 彼女は俺の意図を推し量るように訊ねてくる。

 ここで気の利いた言葉の一つでも掛けられれば良いのだろうが、単なる一般ピープルである俺にはちょっと難易度が高い。そして既に「一目惚れしたからずっと俺の傍に居てくれ」と言って返事が来ていない以上、現時点での催促は悪手だ。

 仕方がないので事務的に意図を説明した。


「指輪を薬指に付けておけば、ナンパ目的で声を掛けられる事も減るだろう。姦通罪は重罪だからな」


 我が国においては、薬指に指輪を嵌めて配偶者が居る事を示している相手に手を出せば、自動的に姦通罪が成立する。

 そして姦通罪は強姦罪と同じく重罪として裁かれ、刑としては局部を切り落とされるか、あるいは奴隷落ちとなるかのいずれかが一般的だ。

 なぜ我が国において姦通罪と強姦罪が同列に扱われるのかというと、それは「結婚しているので手を出さないでください」と拒否の意思表示をしていたにも拘わらず無理矢理手を出したと解釈されるためだ。


 但し、浮気相手と合意の元で不義を行えば夫には判明しないので、浮気という行為が存在しないわけでは無い。また奴隷はこれらの例外とされ、法的に物である彼ら彼女らには婚姻関係が認められないため賠償金で済まされる。


「…………結婚の偽装も罪に成り得るのではありませんか?」

「婚約指輪を嵌めるだけなら罪にはあたらない。また刑罰も婚姻関係に準じて科される。そっちで行こう」

「…………分かりました」


 我ながら何という自然な流れだろうか。まさに策士である。

 確かにアリスは俺より賢く、リグレイズ王国において言語3・教養2・作法2・魔法2・詩歌2など易々とは取れない認定をいくつも得ているが、社会に出た事が無い17歳ではそれほど酷い騙し合いなど経験すべくも無い。

 そんなアリスを追い詰めていく俺の背徳感たるや、いつの間にか見当たらなくなっていた俺の良心にまで響くものがある。


 だが手は抜きたくない。

 俺には道を削られたはずの彼女が優位性を失った様には全く見えず、俺が油断するかしないに拘わらず「気が付いたらいつの間にか逆転されていました」という状況に陥らされそうな、そんな言いしれぬ恐怖を微弱に感じてしまう。

 現状でそうなっていないのは、彼女にとって今の状況が難民生活や逃亡生活より遙かにマシだからだ。

 不満が無ければ、人はその状況を覆そうとは思わない。


 …………本題に戻そう

 彼女が嵌める婚約指輪についてである。


くだんの指輪だが、俺の属性は水3、光1、闇1、無2だ。どれでセンターストーンを作る?」


 女性が嵌める婚約指輪のセンターストーンには、相手男性が造り出した輝石を用いるのが基本だ。

 今回のケースで言えば俺が魔石に魔力を込めて作り出す水属性3か、光属性1か、闇属性1か、無属性2の輝石をアリスに選んで貰い、それを加工して婚約指輪に取り付ける形となる。選択肢が複数あるときに何を選ぶかは女性の自由である。

 もっとも女性側が付けたくない属性しかないとか、そもそも何の属性も発現していないとか言う場合は、全く関係ない輝石を選ぶ場合もある。


「それでは水3でお願いします」

「分かった」

「…………フランツさん、沢山の属性をお持ちなんですね」

「俺は合計7だが、アリスも同じくらいだろう?」


 アリスの治癒師免許の裏には火属性1、光属性3、闇属性2と記載されていた。


 火属性1は、女が料理で火を使い続ける事から不思議に思う奴は居ない。遺伝継承でもよくある話だ。


 光属性3は、発現した光1の才能を伸ばしたのだろう。

 それは俺に発現していた水1を伸ばした時のようなものだろうが、18歳で水3に上がった俺と、16歳で光3を持っていたアリスでは、アリスの方が才能で上らしい。


 闇属性2は、治癒師免許を取るまでの環境要因に因る事が明らかだ。

 転生竜に両親と実家と故郷を奪われ、自身も大怪我を負って256万Gもの借金を負って、闇が上がらない奴は中々居ないだろう。

 だが闇属性の麻痺パラライズ幻覚ハルシネーションは患者の手術にも有効なので、得て悪いわけでは無い。それを以て難民生活中に叔母から花を売らされる事を回避し続けられたのであれば、結果としては悪くなかった。


 治癒師免許を取った時点で闇属性2ならば、再び転生竜に襲われて叔父が死に、都市ツワロクを追われ難民生活を強いられた事に因って、闇属性が3に上がっている事はほぼ間違いない。闇魔法の力も3に上がっているのではないだろうか。

 アリスは「火1+光3+闇3=7」で、俺の「水3+光1+闇1+無2=7」と同じ数となる。


「そうですね」


 アリスから、あまり嬉しくなさそうな声が帰ってきた。

 闇が上がる過程が酷すぎたのだろう。


「これ以上は闇を上げる必要も無い。俺はお前を大切にする」

「…………」


 返事が無い。中々手強い娘である。


 各地でハーレムを作っておられる読者様には、是非とも女性の口説き方をご教示頂きたいものである。

 なお、奴隷を買ったら惚れられましたとかは勘弁願いたい。

 俺にそんな金は無い。


 そういう人生は、前世で転生ptをしっかり貯めた人だけが歩める道である。














 依頼を成功させて17万Gを使えるようになった俺は、まず婚約指輪を注文した。

 お値段は3万Gと高価であったが、これは小さくて硬い輝石を指輪に嵌まるように巧く加工して貰う技術料も含めるのだから仕方がない。

 3と言う数字が「割り切れない関係」を示しているらしく、相場は大抵3万Gだ。


 その後は家具を買った。

 俺が借りている家は、交易都市エイスニルでは独身男性向けとして平均的な『2LDK馬小屋付き』の借家なのだが、その2部屋の内1つを占めていた書斎を潰してアリス用の部屋とし、そこに彼女用の家具を入れていった。

 一番高かったのはセミダブルベッドの5万Gだったが、別に邪な事を考えていた訳では無い。人生の四分の一から三分の一は寝るのだから、惜しむべきでは無いだろうと個人的に思っているだけだ。

 他にもタンス、クローゼット、カーテンなどを2人で探し、荷車を取り付けたスカイラインに運ばせた。


 買い物でコミュニケーションを図ってみた訳だが、これは中々上手くいった。

 料理の時間が無くなったので二人で外食に行き、どうせだからと靴や服も買い、俺は自然な流れでアリス用に黒を基調としたレース、フリル、リボンが付いたロングドレスを買い与える事に成功した。

 木を隠すなら森の中。

 メイド服を着させたいなら買い物の流れで買う。

 我ながら実に策士な紳士である。


「…………フランツさん。どうしてそんなに見てくるんですか?」

「可愛いから、良いじゃないか」


 各地へ転生した読者様、俺もようやく成功者の末席に名を連ねられそうです。


 黒のロングドレスだけでは、白エプロンやヘッドレスが無いと思うだろう。

 だがそもそもメイド服とは、黒色の大人っぽく落ち着いたドレスに、白エプロンという清純で子供らしい愛らしさを加えた、ゴスロリのような危ういアンバランスさが魅力の装いである。

 と、上等校時代に親友たちと熱く語り合ったものである。


 つまりアリスの場合は、白の部分は本人がそのまま兼ねてくれるのだ。

 垂れ目の目尻で、眉もそんな目尻に合わせて下がり気味で、内気な童が親に何かを訴えかけるかのように愛らしい瞳。少女とも女とも言えない絶妙な童顔。白銀に淡い青い光を照らしたかのような青銀色の髪。

 本来エプロンでカバーする清純さや白の部分をアリスは必要としていない。


 逆に考えよう。白エプロンは脱がせたのだと。


「そんなに見られたら、流石に気になりますよ」

「仕方がない、スカイラインにリンゴでも与えてくるか。ここ数日はずっと頑張ってくれたからな」


 阻止された俺の発想の転換を、一体どこまで読まれたのだろうか。

 今にして思えば、家事をする時にエプロンを着けてくれない時点で俺の秘めたる野望は筒抜けだったのかも知れない。

 各地で販売されている成人男性向けの官能小説にメイド女性が多いのは、本屋に足を運んだ事のある知識層なら周知の事実である。


 俺は不利になった戦線を一先ず後退させ、後方に控える味方と合流を図る事にした。


「リンゴなら、先ほど私があげて来ましたよ」

「そうだったのか。ありがとう」

「いえ、私も馬は好きですから」


 既に我が軍の退路が、味方ごと相手に押さえられていたようだ。

 事前に退路を押さえ、中途半端に攻めさせてから一気に反撃する。なんとも高度な戦術である。


「そういえばリグレイズ王国で馬術2の認定を持っているのだったな。流石お嬢様」


 冗談めかして言ってみたが、実のところアリスは本当に優秀だ。

 治癒師免許の裏には冒険者免許の裏と同じように各種認定が記載されているのだが、アリスの免許に記載されていたのは知識7種類、技能6種類、属性3種類、魔法7種類と、まるで冒険者かと見間違うくらいの多芸振りであった。

 それにアリスが持っている知識の一般教養2は「人文科学・社会科学・自然科学の総合認定」で、専門性は高くないがそれ一つだけでも幅広い知識の総合認定2を持っているに等しい。


 同じ言語圏の我が国とリグレイズ王国では、知識系の一部を除いた各種の資格は互換可能と見なされる。

 例えばアリスの馬術2は、リグレイズ王国だけではなくラシュタル王国でも通用する。


「確かに家で飼っていた馬たちが居ました。でも馬は家族ですよ」

「……そうだな。スカイラインも可愛がってやってくれ」

「ええ。一緒に買われた身としては、他人のように思えません」

「ぶはっ」


 始めて自虐的な冗談を口にされ、その唐突さに対応できなかった俺の口から買い置きの安いコーヒーが吹き出した。


「汚れましたよ?」


 アリスは微笑と共に布巾を持ってきた。

 俺がそれを受け取って口元を拭う間に、アリスはテーブル拭きで手早くテーブルを拭いていく。


(……冗談を口に出来るようになったのは良い事だ。若干心を許したか、元来は明るい娘だったのかも知れないな)


 これは成功の類いだろう。

 アリスは借金を負って神殿で働くまでは、普通の上等女学生だった。

 今の立場は彼女にとって借金返済の足踏みであるはずだが、俺に返済しなくて良いと言われ、他に気を遣う相手も居ないので、焦る状況にはない。


 問題となるのは、アリス自身の身分や向上心だ。

 現状で甘んじると言う事は「下級貴族が平民で由とする」事であり、「頭の良い娘がそれ以下の俺相手で由とする」事である。

 それを受け入れる事でようやく借用書が結納金に変わるわけだが、果たしてアリスは一体どのような考えを持っているのだろうか。もしかすると現状は、俺に堕とされまいとする彼女が俺を油断させるために張った罠なのかも知れない。

 それを避けるには彼女が言及した『買った側』として、ご主人様の威厳を偽メイドに示し続ける必要がある。


「まずは俺たちの生活向上を目指すか。10万Gは使ったからな」


 不満が無ければ改善しようとは思わないものだ。

 釣った魚には餌をあげておけば良い。


「細かいとは思いますが、生活費を除いた残金は4万5,790Gです。それに生活費も補填がありませんから1ヵ月分減りました。こんなに立派な服を買って頂いて申し訳ないです」

「いや、その服は俺の趣味だから気にしなくて良い。金も俺が稼ぐ」

「こういう服が趣味なのですか?」


 アリスは舞うようにクルッと一回転して見せた。


(くっ、誘惑しやがって)


 俺は内心の動揺を必死に隠し、冷静な表情を保った。

 だがメイド服を嫌う男など居ないのは事実である。


「ああ。魅力的だ」

「どこがですか?」

「全てが」

「…………」


 アリスは時々無言になる。

 俺はこれがお互いにダメージを与えあったと言うわけでは無く、アリスが自分の内心を隠しているのだろうと踏んでいる。

 出自と思想信条は別物だ。まあアリスが何を考えていたとしても、手に入れてしまえばこっちのものなのだが。


 しかし冒険者は家を空ける事が多く、アリスに対する俺の心配の種は尽きない。

 冒険者になっていなければ定年後に飢えていたし借用書も買えなかったので、現状に至ったのはやむを得ざるところではあるが、こうなったら早々にCランクへ上げてギルド職員を目指すべきだろう。

 とは言っても、魔物を蹴散らして回る事も出来ない。老化軽減5で24,000ptも使った上にギルド職員用にもptを振りまくった俺としては、なけなしの400ptで得た弓術3で安全に倒せる魔物のエリアを活動範囲とするしかない。


「20倍で5を取ったのは痛かったな。もっと技能があれば…………」


 せめて10倍で済んでいればなぁと埒もない事を考えつつ、アリスが入れ直してくれたコーヒーを一口啜る。

 ズズズ……。


「…………フランツさんは、転生者だったのですね?」


 どうやらコーヒーを受け取るタイミングで、俺の愚痴が傍に寄ったアリスに聞かれてしまったらしい。

 さっきの愚痴だけで俺が転生者だと分かるのは、転生者がどんな存在なのか人々に知られているからだ。


 曰く、何かしらの世界を作っていた『作者』という存在と、その世界に評価を下していた『読者』という存在が、神にその善行を認められて転生を果たした。

 曰く、転生に際しては、各々が積み重ねた善行を転生ptという形に変えられ、それを新たな力として与えられた。


 そこまでが人々の周知する転生者である。

 若干違うような気もするが、俺だって前世の記憶は無いので正確な事は言えない。

 俺の転生に関しては冒険者ギルドや受付嬢のシンシアたちにも話しているとおり隠していないので、俺はコーヒーを啜りながら軽く頷いて肯定した。


「俺は転生者だ。前世での善行不足で、天才じゃなかったけどな」


 戦闘力に関しては、ドザーク山脈の調査依頼で隊長だったブロイルの2,500ptに遠く及ばない。知識も言語や算術を除けば2ばかりで、アリスの教養3には適わない。

 認定4を一つも持っていない時点で、明らかに凡人の範疇だ。


「祝福はいくつお持ちですか?」

「1つだけ」

「それは5まで上げたのですよね?」

「1つだけな」

「先ほど20倍と仰っておられましたよね?」

「…………1つだけだぞ」


 アリスは暫く言葉を選ぶような素振りを見せ、やがて自分の中で結論を出したのか静かに呟いた。


「私も転生者です」

「な……」


 俺はアリスの表情を伺ったが、その中に冗談の類いは見当たらなかった。

 突然発覚した事態に、俺の思考が全く付いていけない。


 俺が転生者だと言う事を明かしたのは、いずれ老化軽減で転生者だと事実が発覚すると目に見えていたからだ。

 最初に言っておけば隠すよりも信頼され、年齢と外見の整合性が取れなくなった時に冒険者免許証の更新などで様々に配慮して貰える。あるいは冒険者ギルドで勤める時にも理解が得られやすい。


(だが、アリスがそれを俺に説明する意味は何だ?)


 アリスが俺に説明する理由が分からない。

 俺が同じ転生の同郷者だと知って、懐かしさでも感じたのだろうか。

 だが転生者は1国だけでもかなりの数が居るので、遭遇したところで俺がブロイルに相対した時のように驚いて終わりだろう。隠していた優位性を失ってまで俺に教える意味は無い。


 では、同郷者だと説明して待遇改善を求めるという事はあるだろうか。

 これはあるかも知れない。

 なにしろアリスは転生者で『読者様』の可能性がある。

 つまり俺は、俺の作品にptを下さっていた女性読者様にメイド服を着させて喜んでいた可能性がある。


(ぐ、ぐあああぁ)


 心臓が痛い。

 異邦の地ではっちゃけていたら、ご近所さんもたまたま旅行で来ていて思いっきり見られてしまっていた感じだろうか。

 いや、そんな軽いものじゃ無い。

 歓楽街で流行中のガールズバーに入って酔っ払いながら店員さんに「お姉ちゃん可愛いね」と絡み、一緒に来ていた友達に「いやあ、最近売り上げ伸びなくてさぁ」と話していたら店員さんに「その作品、読んでいますよ?」と言われた時の気まずさ。


(ああ、もう死のう)


 こんな姿を女性読者様に見られたくなかった。

 男性なら良いんだ。男性ならメイド服が好きだと言っても分かって貰える。相手次第ではドロワーズのチラリズムの魅力まで酒を呑みながら熱く語り合える。

 だが女性はダメだ。アレは存在の成り立ちから男とは完全に異なる生き物だ。


「あの、大丈夫ですか?」

「…………大丈夫では無い」


 俺の今の心境を一言で表すなら「殺すなら殺せ」だろうか。

 だが俺は一縷の望みに賭けてアリスに確認した。


「アリスは作者だったのか、それとも読者だったのか?」

「私は作者でした」

「ああ、神よ」


 俺の命が繋がった。

 俺にptを与えて下さっていた読者様ではないのなら、人権など知らん。

 かつての女性作者だろうと、メイド服を着させて何が悪い。前世は前世、今世は今世。俺はこの女を囲って、他の読者様と同じ様にキャッキャウフフの道を征く。


 ようやく立ち直った俺に、アリスが先ほど俺に行った質問の意図を説明してきた。


「それでですね、私もフランツさんと同じ祝福を持っています」

「祝福で20倍のポイント消費は、1種類だけなのか?」

「はい。老化軽減だけです」


 どうやらアリスは俺と同じ祝福だと言う事を伝えたかったらしい。

 だが、自分がずっと若い姿のままだという俺に知られていない価値を伝えて、わざわざ手放されないようにした理由は一体何だろう。


 一つだけ思い付くのは、寿命が違うパートナーを看取るのは辛いという事だ。

 そんなところに有り金の殆どと引き替えに自分を選ぶという男が現れた。

 相手も自分と同じく不老で、借用書を買い取って叔母から解放してくれた上に転生者らしく価値観が近くて、待遇も世間に比べると悪くない。

 俺が逆の立場なら、そう易々とそんな優良物件を逃がすだろうか。


(ん、待てよ……?)


 俺は根本的に思い違いをしていたかも知れない。

 まず前提として、アリスは闇属性を3にまで上げた1年4ヵ月の悲惨な体験を経て、精神への過負荷が加わり過ぎていた。

 家族と故郷と生活基盤を残らず焼き尽くされ、回復4でなければ治らない重症を負い、僅か16歳にして256万Gの借金を背負い、再建した生活を最後の血縁者ごと奪われ、3ヵ月間の難民生活を過ごし、最後には血の繋がらない叔母に売り飛ばされた。

 そんなところへ借用書を買い取って甘い言葉を掛けた俺に、同じ不老という境遇まで見出した彼女は、ここに来てついに心が折れた。


(つまり今のアリスは、俺が少し引き寄せれば完全な依存状態になる程に心が折れている。いや、むしろ依存先を探していて、俺たちがお互いに不老だと理解した俺の出方を伺っている?)


 現状の俺は、上薬草の需要を予想して賭けに出た時にも勝るほどのチャンスなのでは無いだろうか。

 そしてこのタイミングを外せば、彼女には叶わない夢を見せられたくないという心理が働いて、早々に俺から離れるために借金を返す方向に動くのではないだろうか。

 これは俺の自分勝手な願望を含むものの、単なる妄想ではなくアリスの状況に基づいた心理状態の推察だ。


「アリス、あまり気の利いた事は言えないが、俺の寿命が尽きるまで俺の側からお前を捨てる事はない」


 アリスの瞳は迫ってくる俺を真っ直ぐに捉えていたが、やがてその瞳は閉じられた。

 どうやら俺は最高の機会を上手く掴めたらしく、その後も抵抗はなかった。

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第6巻=『由良の浜姫』 『金成太郎』 『太兵衛蟹』 巻末に付いています

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― 新着の感想 ―
精神への過負荷が加わり過ぎていた。 過負荷=負荷がかかり過ぎること。 頭痛が痛いと同じです。
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