05 冒険者は自己責任
16日目、俺たちはルーバント王国側となる東からのドザーク山登頂を果たした。
それからリグレイズ王国側となる西へと下り始めたのだが、既にその時点で嫌な予感はしていた。
そして17日目に入り、いよいよ本格的に雲行きが怪しくなってきた。
と言っても山の天候の事ではなく、西から来るはずの別働隊と合流できない件だ。
「おかしくないか。西から登ってくる奴らと合流できない」
無駄に熱意があるカトラルが言ったので無ければ、俺は素直に賛同しただろう。言っている事自体はその通りだからだ。
だが彼は調査範囲を余計に広げてしまう男なので、賛同してしまえば余計なリスクを抱えてしまう。
行程は半分を過ぎており、後は西側の山道に沿って山を下るだけだ。
山は登るよりも下る方が早くなるのは当然で、このまま進めば期間内に調査を終えてエイスニルへ帰る事が出来る。
リスクを抱えたくない。
そう言う思いから、俺は彼の発言を聞き流した。代わりに答えたのは彼と同じCランク冒険者で副隊長のクレランドである。
「大方、どこかですれ違ったのだろう」
「一本道でか?」
「あちらの隊が道を外れた野営地に居た間に、我々が通り過ぎたという可能性もある」
「馬鹿言うな。視界が悪い夜の移動を避けて、日中に行軍するだろう。どうやったらそんな事になるんだよ」
疑問を呈したカトラルとクレランドとがランクC同士で言い合いを始めた。
クレランドは「自分が仕事を達成できれば、他の隊など関係ない」と一貫したスタイルを取っているため、カトラルに応じる事はない。
「あちらの隊にトラブルがあって、途中で引き返した可能性もある。隊員の病気や荷を運ばせる馬のアクシデントなど。いずれにしてもエイスニルへ戻れば判明するだろう」
「俺たち調査隊のDランクには、自分の馬を守り切れない奴は一人も居ないだろ。ましてCやBまでいるんだぞ」
俺たちDランク3人が話題に上がった。
確かにドザーク山脈の魔物は弱いので、俺たちでもランクCやBが魔物を蹴散らす間に馬を守り切る事くらいは出来る。
当然Dランク同士でも力量差はあるが、下級貴族のバールケも結婚を控えたコルケットも、剣術3の認定を持っている。
技能の認定2を持っていればDランクの護衛依頼が務まると考えられるので、調査隊のDランクは弓術3と水魔法3を併せ持つ俺も含めて能力的には十二分と言えるのだ。
「馬にトラブルなんて有り得ないだろう」
カトラルが殆ど断定するような口調で言った。
あちらの隊も力量は同程度で、むざむざと馬を死なせてしまうような連中ではない。
仮に間違って1頭や2頭死なせてしまったところで、山道では騎乗するわけではないので移動に大幅な遅れが出る事はない。せいぜい街道に出た後に遅れるだけだ。
「病気の可能性はどうだ?」
クレランドは馬に関するそれ以上の議論を避け、もう一つの可能性を議題に乗せた。
「聖女ヴィクスが住むエイスニルで病気の冒険者なんているかよ」
カトラルが口にした聖女ヴィクスとは、都市エイスニルに住んでいる転生者ジルベット・ヴィクスの事だ。
父が人間の神官、母がハーフニンフの治癒師だった彼女は、初めての属性確認時には光属性3を持つ天才児だった。
後に娘の力で王都の神殿長にまで上り詰めた父と、MP量の多かった母の教えを受けたヴィクス嬢はメキメキと力を伸ばし、21歳の転生自覚時には光属性5とMP量60を持ち、創傷を治す創傷回復、魔傷を治す魔崩回復、病気を治す疾患回復、毒などの異常状態を治す状態回復の回復魔法4種類を全て認定5に上げていた。
さらに『マナ回復4』の祝福、人の倍の速度で疲労が回復し、美しい容姿、美声を兼ね備え、転生自覚後から年を取っていないという噂まである。
そんな彼女は、騎士や冒険者に対する治癒活動に極めて積極的だ。
彼女の建前では「これから民を守る未来ある人を」だそうだが、本音は人々の想像通りだ。
彼女を批判すると治癒して貰った王侯貴族や熱心な信者が敵に回るので公の場では誰も言わないが、彼女の所に行けば若い男性冒険者はサクッと、時にはじっくりと治してくれるのは周知の事実だ。
治療してくれる患者の数は1日に十数人。
午後の診察の最後となる男は、治療費が無料となる代わりに肉体労働で返さなければならない。
ちなみに「女性の治療は、王侯貴族以外すべて他の者が診ます」との事。その代わりにエイスニル在住の若い男性ならば、1回目は必ず治して貰える。
彼女の技量とMP量とマナ回復速度がオンリーワンすぎるので、それらは全て通っている。
…………俺も男女を逆にしてそうすれば良かった。
転生ptは絶対に足りていないだろうが。
「聖女ヴィクスが居るから持病なんて無い。これは魔物だろう」
「……ちっ」
カトラルの確信に基づく断定に、クレランドが舌打ちを返した。
俺もカトラルの想像が正しいのだろうとは思うが、Dランクの魔物達を一斉に追い払える奴となれば、それよりも圧倒的に格上の存在であろう。
最低でもBランク。あるいはAランクの魔物を相手に今のメンバーで勝てるのかと聞かれれば疑問に思わざるを得ない。
そもそも今回は、戦う事が目的ではなく山を調べる事が目的だ。
「俺たちは調査依頼だろ。どんな魔物か調べる必要があるんじゃないのか?」
「リスクがある。今の情報を持ち帰り、次はより戦闘力の高いパーティで来るべきだ」
「西から来た隊の生存者が居たら助けるべきだろう。あるいは遺体があれば確認すべきだな」
「その魔物との遭遇率が上がるぞ」
Cランク2人の意見が真っ向に対立してしまった。
いつまで経っても結論の出ない二人に、他のメンバーが口を挟んでいく。
最初に言い出したのは下級貴族のバールケだ。
「戦うか否かはともかくとして、遺体を調べればどんな魔物なのかが分かるかもしれない。既に西の隊が倒されているのならば、魔物もそこから去っているだろう」
バールケの言い分は間違いだとは言えなかった。そこまでやっておけばギルドや依頼主に対して充分な義理を果たしたと言えるだろう。
次に意見を出したのは最年少のコルケットだ。
「生存者が居るのでしたら、まだ助かるかも知れません。バンデラス侯から治癒薬を持たされていますし、あちらにもBランクが居ます」
正論であった。
負傷者を抱えて移動すれば当然時間が掛かるし、血の匂いが魔物を引きつけてしまうためにリスクも上がる。それに彼らは同じ隊ではなく、助ける義理もない。
だが彼の話を採用すれば、冒険者免許証の賞にあたる点数は貰えるかも知れない。
隊長のブロイルを見ると、彼は俺にも意見を言えと顎で指図してきた。
「…………東から登頂して西へと下るのが、俺たちに与えられた依頼内容だ。そこで西側から来た隊に遭遇すれば調べる。遭遇しなければ予定通り下山する。捜索範囲は無理に広げない。と言う辺りならば、ギルドにも依頼主にも説明できるだろう」
「ふん、良いだろう」
俺の妥協案をブロイルが肯定し、隊の方針が定まった。
やれやれとばかりに隊は下山を再開し、山道を西へと下り始める。
言い争いがどれだけ続いていたか定かではないが、このまま真っ直ぐに下っていくのならば予定より若干早く交易都市エイスニルへと帰り着けるだろう。
「まあ、全部探し回れって言ってるわけじゃ無いから良いけどさ」
「その言葉、守れよ」
積極派だったカトラルの賛同に、慎重派のクレランドが念を押した。
クルトはむすっとした表情のまま後に続き、コルケットは再びにやけ始めた。
下級貴族のクルトがどのように高貴な事を考えているのかは知らないが、コルケットの方は新婚生活を妄想し始めたのだろう。妄想を止めろというのも不可能なので、俺はそちらを放置してセリカを引いて山を下り始めた。
(……このまま無事に下山できれば良いけどな)
俺はそう願わずには居られなかった。
ウォッ……ウォッ…………
依頼開始から19日目。
西側からの下山を続ける俺たちパーティの前方から、まるで背筋が凍るかのような怪しげな鳴き声が聞こえてきた。
「何の鳴き声だ?」
渓谷に鳴き声が反響し、どこから聞こえてきているのか分からない。
頻りに周囲を見渡すが、周囲は視界不良の山中で、鳴き声自体も木霊するため声の発生源すら特定できない。
「警戒しろ。どこに潜んでいるか分からんぞ」
「くぞっ、一体何だと言うんだ」
慌てて各々が自分の武器を構える。
俺は魔法では無く短弓の方を手にしたが、水魔法を使った方が良い状況ならば弓を投げ捨てて直ぐに魔法へ切り替えるつもりだ。例えば相手が蜂のような多数の小型飛行生物であれば、水壁辺りを放って飛べなくする。魔法は使い方次第では強力な武器になる。
またカトラルも火属性2で火弾を使えるので、焚き火の着火から焼き討ちまで幅広く行う事が出来る。
俺も転生ptさえあれば火も欲しかったが、今更無い物ねだりをしても仕方がないのでそれについては仕方が無い。欲しいものはいくらでもある。それにブロイルが持っているという祝福の察知なんかは、こういう場合にとても有用だろう。
俺の額を一筋の汗が流れ落ちる、その刹那。
「避けろっ!」
ドゴオオオオンッ
警告の叫び声が聞こえた直後、まるで稲妻が真横に落ちたかと思うほど大きな衝撃音が空気を伝わって俺の身体を振るわせ、同時に発生した風圧に身体を押され倒された。
土埃が舞い、それを吸い込んで咳き込む。
「ゲホッゲホッ」
気管に入りそうになった土埃を咳き込んで吐き出し、横転しながら衝撃から逃れる。
このパーティの中では、身体能力に限れば俺が最弱だ。
弓と魔法とで冒険者になったが、やはり戦闘を行う冒険者には向いていないのだろう。俺は周囲にたった一撃を受けただけで、自分の力の無さを痛感させられた。
「馬がっ」
バールケが持ち込んでいた馬が強い衝撃を受けて横倒しとなった。倒れながらも必死に足掻いているが、右の太もも辺りを大きく抉られて明らかに立てなくなっている。
攻撃が放たれた側を見た俺は、渓谷の反対側に黒い巨体を見出した。
「あれは…………ゴリラか?」
距離が離れているので体長は大雑把にしか分からないが、通常のゴリラよりもかなり大きく見えるマウンテンゴリラらしき生物が佇んでいるのが見えた。
いや、佇むというのはおかしいだろうか。ゴリラは二足歩行しているわけでは無く、しっかりと両手両足を使って聳え立っている。
そしてその足下から1本の槍を掴み上げ、それをこちらに向かって構えた。
「おい。あのゴリラ、武器を持っているぞっ!」
どうせなら「武器を投げつけられて当たれば死ぬからどうしろ」とまで言ってくれ。
俺は冒険者が自己責任の仕事だとは理解しつつも、現状に至ってしまった事に激しく後悔した。
ブォオオンッ…………ドゴオオンッ。
「ぐあっ」
再び槍が飛来し、衝撃音に続いて副隊長のクレランドの悲鳴が上がった。
「クレランドっ!」
投擲された槍がクレランドの左足の踵を大きく抉り、バランスを崩した彼は地面へと倒れ伏した。
クレランドの身体能力は俺よりも遙かに高く、冒険者としての経験は無論、評価も彼の方が圧倒的に上だ。
だがそんな彼ですら、たった一撃でアッサリと倒されてしまう。
では俺の一般人程度しか無い身体能力であのゴリラが投擲する武器から避けるためには、一体どう立ち回れば良いというのだろうか。
「フランツ、弓で応戦しろっ!」
カトラルが俺に指示を下しながら、自らも火弾をゴリラに向かって撃ち放った。
『火弾2』
2つに分かれるのではなく威力を4倍に引き上げられた火の弾丸が、ゴリラに向かって飛んでいった。
俺も慌てて弓を撃ち放つ。現状では火弾の威力を削いでしまうため、俺の水弾は撃たない方が良いと判断した。俺の魔法を使うタイミングは、カトラルのMPが尽きた後だろう。
『火弾2』
『火弾2』
『火弾2』
力の限りに振り絞った矢が俺の手元から放たれ、ゴリラにスッと躱される。カトラルの火弾も次々と飛んではいるが、全て素早く避けられてしまった。
余裕のゴリラは、再び足下から武器を持ち上げた。
「しっかりしろ。コルケット、治癒薬だ」
「はいっ」
『火弾2』
牽制の魔法と弓が飛ぶ中、バールケが手早くクレランドの左足を縛って止血し、コルケットが治癒力を高めるための治癒薬を取り出した。
このまま撤退しては、クレランドが出血性ショックとなってしまう。せめて止血しなくては…………。
「おい、避けろっ!」
ブォオオンッ…………ズガアアンッ。
「うぎぁあっ」
クレランドに治癒薬を使おうとしていたコルケットの背中から槍が突き刺さり、脇腹から尖端が突き出たのが見えた。あれほどの衝撃であれば、おそらく内臓が破裂しているだろう。
人里離れた山中において、明らかな致命傷だ。
治癒薬というのは回復魔法などと違って、傷を回復させるような事は出来ない。
あくまで人間が本来持っている治癒力を高めて治癒を促すだけのもので、重傷を治せるような便利なものではない。だからこそ光属性の回復魔法が使える人々が重宝されており、聖女様が信者から崇め奉られているのだ。
ゴリラは武器を失ったのか、それ以上の投擲はしてこなかった。
その代わりにボコボコボコッと胸を叩き始める。
『威圧』
その瞬間にゾッと恐ろしい気配が押し寄せてきて、思わず俺の身体が震えた。
これは単に胸を叩いて威圧しているのではなく、闇属性の恐慌が込められた魔法の一形態なのだろう。
人間だろうと獣人だろうと、あるいは動物だろうと魔物だろうと、属性とMPさえあれば魔法を使える素質自体はある。属性は遺伝要因と環境要因で上がるのだし、MPは自然に身に付くものだからゴリラが持っていても何ら不思議は無い。
あとは魔法を覚えれば発動となるのだが、本来マウンテンゴリラは威圧を使う動物だ。ゴリラに闇属性さえあれば、普段使っている威圧に闇属性魔法の威圧を乗せて放つ事は出来る。
ゴリラの威圧を受け、クレランドやコルケットの馬が怯えながら次々と逃げていった。
逃げていないのは手綱を放していない隊長のブロイル、手早く繋ぎ止めたカトラル、伏せるように指示した俺の愛馬セリカの3頭だけだ。
「くそっ、魔物が街道へ逃げ出した原因はこれかっ!」
クレランドの足を縛ったバールケがそう言ったが、そのような分析は後にしてもらいたい。
俺は今すぐにでも逃げ出したいと思い、隊長からの撤退の指示を待ちかねた。このようなときに隊員がバラバラに動いては、組織的な対応が出来なくなってしまう。
隊長の指示を待つ間にゴリラは叫び声を上げ、なんと渓谷を迂回し始めた。
ゴリラの進む数百メートル先には、渓谷の幅がかなり狭まった地形が見て取れる。
「おい、あいつ迂回してこっちに来るんじゃ無いのかっ!?」
「ちっ」
警告に舌打ちしたブロイルは、素早く投剣を引き抜くと俺とカトラルの馬目掛けて投げつけた。
愛馬セリカに投剣が突き刺さったのを見た俺は、セリカと同じように悲鳴を上げた。
「な、何をするっ!?」
「てめぇっ!」
俺とカトラルが声を上げる間に、一手先んじたブロイルは自らの馬の馬首を翻し、それに跨がると山道を東へと駆け始めた。
そこへ至ってようやく、隊長のブロイルが俺たちを囮にして逃げ出したのだと理解した。
ブロイルは不遇の転生者で、この世界の民に不信感を持っている。見捨てる事に罪悪感など無く、それどころか馬を殺して足止めする事すら厭わないというわけだ。
今回それに巻き込まれた形だが、自分の命を最優先するというのは……悔しいが当然の行為だ。
俺は愛馬セリカに突き刺さった刀剣を引き抜き、それに毒が塗り込まれている事に絶望した。これではセリカは助からない。俺が使うような強毒では無いだろうが、対魔物用の毒が馬に効かないとは到底思えない。
「あの野郎!」
最悪の敵に、最悪の味方が重なった。
幸いな事はこれでもうあいつの言う事を聞かなくて済むという事だけだが、生き延びなければそれどころでは無い。
俺は熱血が空回りするブライアン、下級貴族なバールケ、そして左足の踵を半ば失ったクレランドと瀕死のコルケットを見渡し、苦渋の決断をした。
「勝てない。逃げるぞ。馬を囮にする。カトラル、バールケ、山道を一気に下って行くぞ!クレランドは山中へ逃げ込め、俺の治癒薬を渡す!」
俺はクレランドが助かるなんて思っていない。治癒薬を渡すのは、カトラルとバールケを引っ張っていくためだ。
ランクBで感知の祝福まで持っているブロイルなら兎も角、ランクDで接近戦も苦手な俺だけでは山中を10日以上も行軍しきる事は不可能だ。一夜でも寝たら、そのまま永遠に目覚めないだろう。
だから1人になって負傷もしているクレランドは、この場を乗り切れても間違いなく死ぬ。
それは分かっていたが、俺はクレランドに治癒薬を押しつけるように渡した。
「…………行け」
クレランドがそう言った事で、カトラルとバールケがようやく動き出した。
「あの野郎、絶対許さねぇ!」
「あれでランクBとは呆れる」
二人の憤りには俺も賛同だったが、差し当たって報復するためには生き延びなければならない。
せめてもの証拠にブロイルが投げつけた刀剣を掴みながら、二人に向かって最後通告を出す。
「さっさと逃げるぞ。報復はエイスニルへ帰ってからだ」
最後に後ろを振り返り、動けないままのコルケットと、逃げずに武器を構えるクレランドを視界に収めてから、俺は迂闊にも踏み込んでしまったゴリラのテリトリーから離脱した。