02 ウサギ跳びのランクアップ
俺は2頭立ての幌付馬車を御者ごと借り、自身の愛馬である赤毛のセリカも引っ張り出して片道3日の行程で東のザイマール平原へと辿り着いていた。
この周辺はザイマール山脈に住まう竜の餌場として広く知られており、魔物や動物は生息しているが人の街は作られていない。
竜が取り分け人肉を好んでいるという訳でも無いが、気まぐれで「ちょっと街へ食事に行ってくる」とでも言われた日には、そこは老若男女が逃げ惑う阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまう。
巨体ゆえに大食であろうし、こちらの営業時間に関係なくバイキング形式の食べ放題を求めてくるのだ。食材にされるヒューマンはたまったものでは無い。
そんなところに街を作って子孫を食卓に載せる輩の遺伝子は、ザイマール平原においては200年ほど前に自然淘汰されたらしい。
(だが、そのおかげで素材は良く見つかるな)
今回俺が見つけた依頼は、疫病に対する治療薬の素材集めであった。
1件だけポツンと出ていたが、その意味するところは重大だ。ようするに在庫が不足してしまい、原材料の調達を冒険者ギルドへ依頼しなければならなくなった所が出たわけだ。
そもそもなぜ治療薬が必要なのかというと、それは転生竜の行動に端を発する。
今から2年前の1028年春前後から行われていたにリーザレム大山脈の転生竜討伐が失敗して竜が各地で大暴れした結果、かつてないほど大量の難民が各地で発生した。
その挙げ句、1029年9月頃には南側のリラング山脈へと移り住んでしまったためにリーザレム大山脈の東側からルーバント王国へと逃げていた難民が、今度はリラング山の南側からラシュタル王国へと逃げたのだ。
そして難民キャンプという最悪に近い衛生環境から、疫病に流行の兆しが現れた。
本来、都市内へ入れない難民の疫病が都市内の民にまで広がることは無い。
都市の防壁内に入るためには何らかの資格証を提示するか、それを持たない旅行者などならば入地税が必要となるために、資格証も金も持たない難民は都市の入り口で弾かれるのだ。
それに難民の流入を防ぐために、リグレイズ王国民に対する入地税は現在大きく引き上げられている。
短期労働証の期間は、最低半年間から最長3年間。
発行手数料は半年ごとに3万Gで、最短半年の3万Gから最長3年の18万G。
労働基準法では最低賃金が月1万5千G以上と定められており、雇用者側には毎月賃金の2割という税が掛かる。
但し1日3食と屋根のある住居を用意するのであれば、賃金は月1万Gまで下げても良い。
なお住所の届け出と7日間に1度休みを与える事は、法律で定められた雇用側の義務である。
入地税は、リグレイズ王国民が2週間の短期滞在で1万G。他はその10分の1ほど。
これは難民流入を防ぐために設定されているもので、リグレイズ王国民に関してはどんどん引き上げられている。
交易都市エイスニルではこのように定められているのだが、港や色街は正規国民に比べて格安で使える人手がいくらでも欲しいので、短期労働証を申請して使えそうな難民をどんどん都市内へ招き入れてしまう。
都市側としても経済的利益には抗しがたいので出入りを遮るような事はせず、現行法や現状では感染の拡大を防ぐ事は難しい。
(おそらく、これから流行は加速するだろうな)
前職の領地調査官という仕事柄、このようなケースは何度も見てきた。
リラング山脈の周囲で転生竜が暴れるたびに新たな難民が発生しているため、各地の難民は今も増加し続けている。そして時間の経過と共に衛生環境も悪化している。
疫病はこれから大流行するだろう。
すると各地の領主達は、自領を感染拡大から守るために他都市への薬の輸出を惜しみ始める。
それらによって国内での薬の調達が難しくなる事も分かり切っているが、国外から輸入するのでは時間が掛かりすぎて間に合わない。
そこで俺は今後大規模な調達依頼が掛けられるであろうと予想して、幌付馬車を御者ごと借り、護衛のDランク冒険者2人と雑用のEランク冒険者4人を雇ってこのザイマール平原へと素材集めにやってきたわけだ。
素材のうち魔物の肝などより上等な薬が作れる材料は能力的に集められないが、地面から掘り出すだけの上薬草ならば俺でも可能だ。
もしエイスニルで上薬草採取の追加依頼が出なくても、他の都市へ回して供給量を増やせば自然と他にも行き渡る事になるはずである。
「これより採取を開始する。今回採取する上薬草は、根元の土ごと採取してくれ。目標は1,000本だ」
「ういーっす」
「了解です」
「わかりましたー」
「頑張りますー」
草木の生い茂る水辺を前に、予め仕事内容と目的を説明した上で雇ったEランク冒険者4人が次々と動き始めた。
Dランクには専属で夜番をさせており、上薬草採取には参加させない。これは夜間の安全を確保するために必要な事である。
また御者も、馬車の管理と馬の世話が仕事なので炊事の手伝いくらいしか期待できない。こちらも俺が乗ってきた赤馬セリカの世話もしてくれるので、まあ仕方が無いと言えば仕方が無い。
往路に3日、採取に3日、復路に3日、予備日に1日。合わせて10日で1単位。
それ以前に3日掛けて馬車の調達と冒険者雇用を行っており、免許証の申請から13日後には街に帰り着いて荷を降ろし、その翌日である「2週間後」には予定通り免許を取りに行ける計算だ。
「さてと、俺も集めるか」
探している上薬草ならば1本でおよそ20人分の薬が作れるので、それが1,000本もあれば追加在庫としては相当の量となるだろう。
ちなみに20本でEランク1単位達成であり、今後依頼が順調に増加してくれれば1,000本で50単位達成と言う事になる。
点数で言えば200点で、成功させればEランクを飛ばしてDランクに昇格できる。
そもそもEランクはペーペーで、Dランクも数年程度の経験者でしか無い。他の職業の経験者がいきなりDランクに上がったとしても、決して不当な評価では無いのだ。
ちなみに雇用費は2頭立ての幌付き馬車と御者で20万G
Dランク冒険者が22万4,000G(10日/1単位)×2人=44万8,000G
Eランク冒険者が5万6,000G(10日/1単位)×4人=22万4,000G
食料や採取道具などの雑費で予算12万8000G
10日間の支出は100万Gで、俺がコツコツ貯めていた貯金が一気に吹き飛んでしまった。
残るは半年分の生活費と愛馬セリカの飼育費くらいだが、借家は今年一杯まで賃貸料を先払いしているので生きてはいける。
報酬はEランク50単位分で200万Gとなる見積もりで、仕事さえ済ませれば倍になって返ってくるはずだ。
(まあ、賭けだが)
何しろ依頼を受けてからの行動では無く、需要の先読みだ。
こういう自分の財産を削る行動は心的に消耗するので、いくら前職の経験で依頼が出される事に確信が持てたとしても多用は避けたい。
商人だって他と仕事が被れば損をするので、受注が確定するまでは先走りを避けるだろう。彼らにしてみればこの程度は大きな仕事でもないし、それほど実入りがあるわけでも無い。
だが俺にとっては、領地調査官としての引き継ぎを済ませたばかりの元後輩の動きが遅かった場合に備えるという、いわば最後のお勤めのようなものだ。
それから2日間、俺たちは黙々と上薬草掘りを続ける事となった。
そんな事態が変化したのは3日目、上薬草探し最終日の昼過ぎである。
俺たちは昼までに何度か場所を変えて集め周り、5人で964本の上薬草を集めた。あわよくば2,000本、3,000本と思っていたが、世の中そんなに上手くはいかなないようだ。
あるいは各自が無意識のうちに目標に届くように調整していたのだろうか。俺1人が採取ペースを上げ、他が次第に落ちているような気がしてならない。事前に採取量が増えたらボーナスを与えると約束していれば良かったかも知れない。
だが依頼がどれだけ発生するかは賭けであるし、そもそも最初に10日間の契約条件で人材を集めているので今更期間の延長も出来ない。
中々思うようにならないものだ…………と思っていた時、さらにままならない事態が発生した。
「あ、アミルラージだっ!」
「なんだとっ!?」
Eランク冒険者の1人が上擦った叫び声を上げたので慌てて振り向くと、十数羽のアミルラージが水辺のあるこちらへ飛び跳ねながらこちらの方へ向かってくるのが見えた。
アミルラージとは、成獣で体長70cmほどの巨大一角兎である。
他の生物に例えるならば超大型犬のセント・バーナードが65~90cmなので、アミルラージは大体それと同じくらいの大きさがある。
その最大の特徴として、額に1本の長い角が生えている。アミルラージは角で獲物を突き殺して喰らう事もある凶悪な生物である。
この際の彼らの昼食とは、水辺に屯する我々であろう。
なにしろ水と餌が揃っているのだ。鴨が葱を背負ってくるとは、まさにこのような時の事を言うに違いない。
「全員撤退しろ。馬車に駆け込め、採取道具は全部捨てろ、持っている袋も捨てろ。急げ」
「う、うわあああっ」
「お前達は先に逃げろ。俺は囮になって時間を稼ぐ。迂回してから合流するから早く行け」
既に最終日なので、薬草集めのために買った採取道具が無くなってもそれほど惜しくは無い。
それよりも、領地調査官時代と違って彼らに怪我をさせてしまった時の手当がまともに出してやれないのが困る。契約外でも不文律というものはあるのだ。
俺は慌てて採取道具を捨て、昼過ぎから集めていた薬草が入った袋も投げ捨て、愛馬セリカへと跨がった。
こちらは馬車の御者と俺以外の6人が冒険者であるが、アミルラージは天敵に対抗するために十数羽の群れを成して生息している。
Dランク2人とEランク4人ではなんとも心許ない。
これがCランク2人ならば、俺は偉そうにふんぞり返って「お前達、やっておしまい!」などと宣えば済んだのだが。
「セリカ、行くぞ」
ブルルルルンッ。と嘶きを上げた赤毛の愛馬セリカは、俺の華麗な馬術1技能に操られて大地を駆け出した。ちなみにこの子の購入価格は23万Gで、食費や馬検・納税はお高いが中々に速くて実に良い馬だ。
目的は馬車からアミルラージを引き離す事で、俺がセリカの単騎駆けで囮となる。
もちろん背中に何も乗せていないアミルラージ側はもっと速いので、こちらは魔法を使って迎撃する。
『水弾3』
「ギギィ?」「ギギギッ!」「ギギイッ!」
俺が生み出した水弾3が3つに分かれ、3羽のアミルラージへと突き進んだ。
水弾3は水弾1に比べて3倍の数を操作できて、分割せずに1つに束ねると9倍の威力になる。だが消費MPは3で、燃費が良い。
なお水弾2なら扱える数が2つになるか、威力が4倍になって消費MP2。
俺は使えないが、水弾4なら4つになるか威力16倍で消費MP4。水弾5なら数が5か威力25倍で消費MP5となる。
このように魔法の力は『扱える数が掛算』あるいは『威力が2乗』になるので、上げれば上げるだけ有利となる。
世間一般での目安としては「1=資格持ち、2=玄人、3=達人、4=名人、5=最高位」と言われており、俺は達人級の水魔法の力と、プロとして食べていけるだけの水弾の技を持っている。いわば水商売が出来る男、それが俺である。
そんな三十路の俺が放った水魔法は、跳び上がった70cmもの大きなウサギたちの身体をまとめて打ち据えた。
『水弾3』
「ギィイ」「ギギッ」「ギュイッ!」
第二弾のうち1発が跳ね上がったアミルラージを叩き落とした際、落ちたアミルラージが後続に角で貫かれた。
アミルラージは目の前に迫ってきた標的を咄嗟に貫く習性がある。
角はかなり鋭利なので大抵のものを貫けるが、長さもあるので勢いが付き過ぎていると深く突き刺さってしまう。
そして刺されたアミルラージが戦闘不能に、刺したアミルラージが移動不能に陥った。
(よし、行けるな)
どうやら犠牲者は、凶悪ウサギの先頭を走っていたリーダーのようである。
自ら陣頭に立つのは立派な心がけだが、指揮官がやられては統率が出来なくなるだろう。
『水弾3』
今やアミルラージの群れは、完全に俺を敵として認識していた。
それもそのはずで、3回の魔法攻撃によって6匹が地面に叩き落とされ、落ちたうちの2匹が仲間に貫かれ、1匹は仲間の角で毛皮を痛々しく裂かれているのだ。群れの半数が追撃から脱落である。
この間にEランク冒険者達を回収した幌馬車は音を立てて走り出していたが、そちらに向かっているアミルラージはおらず、改めてアミルラージが群れで行動する生物だと言う事が実感できた。
馬車の方にもDランク冒険者が乗っているため、数羽ならば流れて行っても大丈夫とは思うが。
「おいウサギちゃん、目標はこっちだ」
俺はアミルラージに挑発の声を掛け、セリカの馬上から矢を番えて素早く射た。
「MP節約」
俺のMPは24あるので、MP3を消費する魔法3ならば8回使用できる。
だが人間が大気などから取り込めるMP量は1時間に1程度なので、MPが尽きてしまえば魔法3を撃つまで3時間待たなければならない。
その例外は転生者が持つ祝福の『マナ回復1~5』で、噂によればMP回復量が基準値×(1+格)に増えるらしいが、そんな祝福は当然持っていない。
そんな俺のMPを節約しようという涙ぐましい試みから解き放たれた矢が、アミルラージの巨体へと吸い込まれるように突き進んでいき見事に命中した。
「ギギッ!」
近接戦闘にはまるで自信が無い俺だが、20年以上続けてきた弓術に関しては実戦にも充分耐え得ると自負している。
例え馬上からの騎射であろうとも、あんなに大きな的ならば9割方外すことは無い。
俺の矢に射貫かれたアミルラージが、後続の角に貫かれていないにも拘わらず追撃から脱落した。
こちらは鏃に揮発しないよう塗り込んでおいたモウドクフキヤガエルの毒が原因だ。
鏃が突き刺さった部分から毒が入って筋収縮による血管圧迫が起こり、血流障害が発生して動脈が攣縮する。それによって冠攣縮性狭心症など様々な症状が引き起こされ、やがて来世へと旅立ってしまうわけだ。
毒耐性が無ければ半数致死量は体重1kg辺り0.002mgで、体重70kgのアミルラージなら0.2mgも注入すれば充分な量となる。付け加えるなら人間も同じくらいである。
そして鏃に塗っているのは1mg程なので、これは明らかなオーバーキルだ。
モウドクフキヤガエルの毒は、毒物2のプロ資格保持ならば問題なく購入できる。持つべきものは、やはり取り扱い資格であろう。資格は上等校でちゃんと取れた。
毒のお値段は蛙一匹から摂れる約20mgで2万Gとなるのだが、飼育や繁殖が楽な蛙の割にお高くなるのは毒の取り扱い資格所持者がそれほど多くないからという事情がある。
だが俺にとっては便利なので、都市に帰ったらまとめて買っておこうと思う。
「どうやら上手くいきそうだな」
俺が騎射しやすいようにセリカが一定のリズムで走り続けてくれた。そして俺も、セリカの動作や癖を身体で覚えている。
2射……3射……。
俺が射た矢が次々と突出したアミルラージを抑え、さらに後続の足を鈍らせる。
距離がさほど縮められる前に発見できたことも大きかっただろうか。
雇用時にFランクではなくEランク冒険者を雇っておいて良かったと思う。俺が冒険者ギルドの職員になったとしたら、依頼主にも命に拘わる金は惜しまないように勧めるとしよう。
馬車が逃げ切ったことを確認した俺は、馬首を翻して迂回路を走らせ始めた。
「このまま戦えば倒し切れるかも知れないが、こいつらを倒したところでメリットなんて無いか」
アミルラージの毛皮を剥げば売れるし、肉は食用にもなる。
だが10日という期間を守らなければ、依頼が1単位から2単位になって料金が2倍掛かってしまう。
そんな違約金は払えないので、ちまちまと皮を剥ぐ余裕は全く無い。それに肉は毒を使った時点で食用にもならないだろう。
目的以外の副業では、そう易々とは稼げないというわけだ。
『水壁3』
『水壁3』
『水壁3』
『水壁3』
俺は水壁を立て続けに撃ち放ってアミルラージ達を正面と左右からまとめて押し流すと、愛馬セリカに跨がって水辺から颯爽と走り去った。
その後には、俺の華麗な水技でビショビショのグチョグチョに濡れたウサギちゃん達が揃って大地に横たわっていた。