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〇八、それはあまりな急展開



       ○



 ルザは一冊の本を広げ、食い入るように紙面の文字を追っていた。

 東区図書館――ドゥーエの東区、その内でも中央区に近い場所である。

 その二階の一室にルザはいた。

 個室――使用には許可が必要――へこもり、机上に本を広げている。

 何とも妙な本だった。古そうな外見だが、その紙面は完全な白紙であった。

 さらに鉛色の鎖がジャラジャラと伸びており、先端には鍵穴らしきものが──

 ルザは、そこに黄金に輝く円形の〝鍵〟のようなものを差し込む。

 と、何も書かれていなかった紙面に、変化が起こった。

 ユラユラと何かがボンヤリと、やがては明瞭なものとなったのだ。

 紙面に、無数の文字が浮き上がってきたのである。

 ルザはフッと安堵するように息をつくと、浮かんだ文を読み始めた。

 恐ろしく真剣で、怖い顔だった。

 普段の、柔和な彼女を知る者が見れば、別人ではないか、と疑うほどに……。



       □



 ――月――日。


 いよいよ、計画に乗り出す時が来た。

 それを記念し、また経過を記録する意味でも、日記をつけることにしよう。

 多くの先人が挑戦し、夢想のまま、不完全なまま、放棄されたもの。

 だが、私はあえてそれに挑戦をする。これは勝利を確信した挑戦でもある。 

 そうでなければ、挑戦する意味などあるはずもないのだから。

 恐らく道のりは困難だろう。

 挫折が時に甘い声でささやきかけるかもしれない。

 しかし私は必ずや頂上まで登りきり、偉大な勝者となってみせよう。


 

       ○



 浮き舟屋裏庭の軒下にて。


「ふわぁ……あ」


 陽射しを受けながら、ミクロカは小さくあくびをした。

 別に居眠りをしていたわけでないし、さぼっていたわけでもない。

 これでも立派に、仕事をしている最中である。

 軒下に置かれた白い長方形をした、箱のごときもの――ミクロカはその横に陣取って、箱についたレバーを回して続けていた。

 白い箱には水と大量の洗濯物が入っており、それがレバーの回転に合わせ、クルクルと踊るように動いている。

 これは何か? 一言で言うのなら、洗濯機だ。

 ミクロカの前世では電気で動き、ほぼ自動ですすぎから脱水までやってくれる洗濯機が当たり前のように使われていた、が……。

 ここでは、少なくともドゥーエにそんな便利なものはない。

 この洗濯機にも、似たような機能はついてはいるが、スイッチを押せば後は自動で全部やってくれるわけではなかった。

 手動なのだ――動かすには、横に着いたレバーを常時回し続けねばならない。

 ミクロカはあくびをしながら、適度に動かせてはいるが……これは例外。

 洗濯機のレバーは重く、洗濯物の量が多ければ多いほどそれは増していく。

 一度に多量を洗濯できて、かつ脱水までできる。

 洗ったものは、確かに手で洗うよりも綺麗に仕上りはする。

 性能だけ聞けば、いかにも便利そうだが実は恐ろしく使用者を選ぶ道具なのだった。

 大の男でも洗い・すすぎ・脱水と、最後まで動かし続ければ疲労で動けなくなる。


「多少時間がかかっても、手洗いをしたほうがずっとマシ」


 というのが、大方の意見である。

 身も蓋もない言い方をすれば失敗作であり、欠陥品だった。

 大きくて重たいから、気軽に動かすこともできない。

 また、使用する水もいちいち他から汲んでこなければならない。

 その手間を考えてしまうと、これはもう目も当てられなかった。

 だが、それをミクロカは苦もなく動かし続けている。

 水の汲み上げも持ち運びも、彼女には全くに苦にならない。適任だった。


 ――ただレバーだけ回してりゃいいんだから、気楽な仕事だよねえ……。


 細かい神経も使わないですむだけ、便所掃除や窓拭きよりもずっと楽だ。

 気楽な仕事であるが反面、余裕のできた脳みそは雑念を呼び込んでしまう。

 どうでもいいことや、普段忘れているようなことが、沸いては消えていった。

 例えば、それは漫画の1ページであったり、1コマであったり。


 ――そういえば、あの漫画の続きって、どうなったかなあ。


 例えば、それはネットで見た映画の予告編であったり。


 ――あ、観ようと思ってた映画、もう観れないんだなあ……。


 例えば、それは友人たちと行こうと約束していた、新しい店であったり。


 ――……もう、行けないんだよなあぁ……。


 ミクロカがこの世界で目覚め、今日で七日目である。

 しかし、ここでの自分が何者なのか、まるきりわからないまま。

 だから、前世のことに、思いを馳せてしまうのだろうか……。

 いつの間にか、レバーを回す手は緩慢になっていた。

 悲しいわけではないが、寂しい。でも我慢できないほどではない。

 部屋の中、わずかに開いた隙間から、風が吹き込んでくるようだった。

 身を切られるような冷たさではないが、ひどく心地の悪い風。


「はあ。やだなあ……」


 ミクロカは、何となく、そうつぶやいた。

 一体何が、どう嫌なのかは――本人にもよくわからなかったけど。


「アにがヤなんだね?」


 つい口に出した言葉に、反応した者がいた。


「へ――」


 振り返るミクロカの瞳に、アマガエルみたいなメイド……ラオカが映る。


「いや、ひとりごと……」


「そうかぃ。でも、あんまりノンビリしとって、叱られっぞ。女将さんがいねーからって気ぃ抜いてっとよー」


「え? 女将さん、いないの?」


「そだよ。なーんかご用がおありとかで、朝から出かけてらい」


「言われてみれば、姿を見かけなかったような……」


「のんきだねぇ。言っておくけどよ、留守を預かるメイド長はな、女将さんよりずーっとおっかねーんだぞ? わかってっか?」


「それは、わかる」


 ミクロカはうなずいた。

 メイドの長シーナ。

 役職名の示すとおり、メイドたちを統括するリーダーでもあるが――

 ルザの補佐役のような立場であり、事実上浮き舟屋のナンバー2である。

 そして、皆が恐れる存在でもあった。

 別に、言葉遣いが荒いわけでもないし、暴力を振るうわけでもない。

 その所作は穏やかであり、言葉も聞き取りやすく、めったに大きな声は出さない。

 だが、他のメイドたちを叱責する時の声、その視線は、


「まるで、刃物で突かれるみたい……」


 と、メイドたちは語り合っている。


「ちょっと前に小用で店を離れたけどよ。あの人のこった、すぐに帰ってくるぞ」


 そしたら、また店の中、お見回りだい――と、ラオカがおどけるように言う。

 メイド長は、忙しく働く傍ら、店の中で問題がないか常にチェックしている。

 その眼光の鋭さ、まるで得物を狙う猛禽類のごとし、と言ったのは誰だったか。


「……あ。いけね、なんでもいーけどよ。おめェに、客が見えとるでよ」


 自分から駄話をしていたラオカ、いけね、いけねと舌を出す。


「お客? ……あたしに? 誰?」


「しらね。ともかく、早く客間に行ったがいいな」


 ラオカは首を振る。


 ――……。誰だろう?


 心当たりと言えば、あの青年僧侶・アハトくらいのものである。

 昨日もミクロカがどうしているかと、顔を見にきてくれたばかりだが……。


 ――でも、それだったら、あの人だって言うよね?


 ラオカとアハトが親しい関係であることは、知っている。

 それは、最初に見た両者のやり取りからも、推測できたことだが。

 ラオカ曰く、


「お互いに、ドゥーエに出てきた時期がおんなじだったからよ」 


 と、いうことらしい。

 どうやら、アハトも地方からこの都会に出てきた口のようだ。


 ――あの人じゃない、とするなら……誰?


 ミクロカは歩きながら考えていたが、店内の様子がおかしいことに気づいた。

 ひどく落ちつかない雰囲気で、やたらに人の視線を感じるような。

 妙に感じているうちに、ミクロカは客間についてしまった。


「失礼いたします――」


 ミクロカはシーナに厳しく指導された作法どおりに声をかけ、部屋に入った。


「お呼びでございましょうか」


 まずは、ゆっくりと低頭してから、ミクロカは顔を上げる。


 客間には、一人の少女が座っていた。

 年は、多分ミクロカより一つ、二つほど上くらいだろうか。

 真っ黒い、喪服みたいなドレスを着ている。

 一見地味なそのドレスは、細部まで丁寧に造りこまれたものらしい。

 上質の布地を使っているのがそれとなく理解できる、立派なものだった。

 またそれが、その少女には良く似合っている。

 少女は、瞳も髪も黒かった。

 その特徴はミクロカと同じだが、そこにあるのは黒薔薇のような美貌。

 またあどけなさを残す少女でありながら――

 あのルザにも負けない、妖しく蠱惑的な色香が匂い立たせていた。


 ――え。誰、これ。


 顔を確認したものの、ミクロカはこの少女を知らない。

 部屋にはメイドが三人ほどいたが、みんな対応に困っているようだった。

 みんなして、居心地悪そうに顔を見合わせているばかり。

 黒薔薇の少女はミクロカを一目見るなり、桜色の唇をほころばせた。


「まぁあ…………! 無事だったのね、スクピディア」


 そう叫ぶなり、少女はミクロカに抱きついてきた。


「え? え? え……?」


 ミクロカは、ただ混乱するだけだった。

 客の対応をしていたメイドたちも、同じような反応をしている。


「あの、もしかして? それが、あたしの、名前、ですか?」


「やっぱり、何もおぼえていないの?」


 少女は、ミクロカの肩に手をやりながら、ひどく悲しそうな顔で尋ねかける。

 ミクロカからすると、少女の感情表現は少々大げさに感じられたが。


「はい。恥ずかしながら……」


 とりあえず、できる限り低い物腰で、丁寧な態度を取り続けた。


「そう……。きっと、つらい目にあったのね?」


 痛ましそうな顔で、黒衣の少女は目を伏せる。

 そう言われても、ミクロカは何一つおぼえていないのだから答えようがない。

 確かに記憶がないというのは、落ちつかないものだ。

 しかし、それがもしもトラウマもののロクでもない記憶なら、


 ――いっそ、永久に思い出したかないよ……。


 と、いうのがミクロカの正直な気持ちでもある。


「あの、失礼ですけれども、あなた一体どなた? あたしのことをご存知で?」


「もちろんよ! だって、あなたはわたくしのたった一人の妹ですもの!」


 少女は両腕を広げ、これまた大仰な態度でそう言った。

 その仕草はまさに大輪の黒薔薇が咲き誇ったようだ。

 洒落ではないが、まさに〝華〟がある。


「い、いもうと???」


 ミクロカは目を見開き、少女を凝視する。

 このお姫様みたいな、気品のある美少女と自分が姉妹? 信じられない。

 ――なんか、しょーもないジョークとかじゃないの? ドッキリみたいな。

 混乱する中、心の片隅でミクロカは冷笑してしまう。

 嘘臭い。あまりにも、嘘臭すぎるのだ。


「ええ、そうよ。あなたはわたくしの妹、スクピディア・バイラ……」


 感嘆の声をあげながら、黒薔薇はミクロカの手を取る。

 ミクロカの手を包むその白い指は、まるで上等の絹のような肌触りだった。


「そして、わたくしはあなたの姉、アシエ・バイラ」


「あしえ……さま、ですか」


「そうよ。思い出した?」


「いえ。それがさっぱり」


 ミクロカ――この少女の言葉を信じるなら、スクピディア――は、首を振った。


「そう……」


 ミクロカのそっけない返事に、黒薔薇の少女・アシエはうつむいてしまう。


「あの……」


 よくわからないが、その仕草に何となく罪悪感のようなものを感じ、ミクロカは何かを言おうとするのだが、気のきいた言葉は出てこない。

 少女からすると、自分の妹であるらしいのだが――?

 ミクロカの感覚としては、生まれて初めて出会った見も知らぬ相手である。

 こういう場合どう対応していいのやら、ちっともわからない。

 お互いに知らない同士ならいいのだが、相手がこっちを一方的に知っている状況では、これまたどうしていいものやら。


「わかりました。それはきっと仕方のないことだもの。家でゆっくり静養すればそのうち思い出してくれるはずよ?」


 アシエは優しく語りかけながら、頬を優しく撫でる。


「……はあ。え、家?」

「そうよ。わたくしたちの家。一緒に、帰りましょうね?」


 小さな子供に言い聞かせるように、アシエは言うのだった。


 唐突なその提案に、ミクロカは警戒せずにはいられなかった。

 あまりにも、突然すぎる。


 ――なんか知らないけど、これでいいのだろーか……?


 いきなり自分の関係者……どころか、姉妹であるという相手がやって来た。

 素直に信じるのなら、これで万事が解決、というのではないが、宙ぶらりんの状況から逃れることはできるだろう。


 ――でも、信じていいの?


 ミクロカは戸惑い、躊躇する。

 何もわからないため、相手を信じる信じないの判断はできなかった。

 メイドたちを見ても、みんなオロオロするばかりで、間に入ってくれそうにはない。

 こうなると、もうしょうがなかった。


「じゃあ、あなたはあの変な部屋の相手と関係が?」


「――何のこと? あなた、どこかに閉じ込められていたの……?」


 ミクロカの質問に、アシエは表情を曇らせる。


「いや、実はコレコレの、こうしたワケでして……」


 ミクロカはとりえあえず、最初に目覚めた時の状況を語ってみる。


「そう……。あなたはたちの悪い魔法使いにもで、さらわれたのね。きっと魔術の実験か何かの生贄にでもしようとしたんだわ。ああ、恐ろしい……!」


 自分で言いながらアシエは自分で自分の肩を抱き、身を震わせる。

 しかし変なお芝居みたいな仕草で、ミクロカは余計にさめてしまう。


「そうなのですかネ?」


 つい口からこぼれた言葉は、皮肉に満ちたものだった。


「ええ、そうよ。その通りなのよ!」


 アシエは叫び、両腕を開いて、天上を仰ぎ見る。


 ――この人は何でいちいちオーゲサな動作をするのかしらン……? クセなの?


「そういうわけですから、この子は連れて帰ります。よろしいです? よろしいですね? ここのご主人には、また日を改めてましてお礼にうかがいますので」


 と、アシエは一方的にまくしたてて、ミクロカの手を引き部屋を出る。

 部屋の外には、いつの間にか二人のメイドが待機していた。

 服装が違う。知らない顔……店のメイドではない。

 どうやら、アシエの連れてきたメイドのようである。

 二人とも顔立ちは非常に美しいのだが、表情がというものがまるでなかった。

 アシエが何か命じると、二人は機械じみた動きで何やら行動を開始する。


「いえ? あの、ちょっと?」


 あまりにも性急過ぎる、とミクロカは抗議したかったが、気がついた時には、店の前に連れ出されていた。 


「さあ、乗って」


 と、アシエがミクロカに促したのは、大きな馬車だった。

 大きな白い馬と顔を伏せた御者が身じろぎもせずに、待機している。

 西部劇に出てくるような幌馬車ではない。

 ヴィクトリア朝のイギリスに走っていたようないわゆる、箱馬車タイプである。

 造りも装飾も豪奢であり、また非常に頑丈そうだった。

 馬車の座席は前後に分かれており、ミクロカとアシエが後部に座ると、続いて乗り込むメイド二人が前部席に座った。

 メイドの一人は、腕に革製と思われるバックを抱えている。


「あなたの荷物は、ここにまとめさせてあるから」


 そう言って、アシエはメイドの持つバックを指した。


「は、はあ……」


 ミクロカは曖昧な返事をするが、アシエはそれを無視するように、


「では、ご主人によろしく。お世話になりました――」


 窓を開き、外に向かって、そう声をかけるだった。

 店の前には、他のメイドたちが狐に包まれたような顔で並んでいる。

 あ……! と、ミクロカは声をあげる。

 その中に、ラオカやネスクの姿も見えたからだ。

 ミクロカは二人に何か言おうとして、腰を浮かせかけるが、


「お行儀よくして――」


 アシエが、横からそれを制した。

 そうこうしているうちに、御者がドアを閉めてしまう。

 ゆっくりと馬車が動き出し、外の景色が流れるように通り過ぎ始める。

 せめて窓から見ようとしたが、位置が反対にあるために見えにくい。


「落ちつきなさい。はしたないわ――」


 腰を浮かしたままのミクロカを、アシエは静かにたしなめた。


 ――なんなのだ、コレって……。


 揺られながら、ミクロカはうつむいて嘆息する。


 ――いきなり、自分を知るという人間が出てきて、馬車に乗せられて……。


 これでは、まるで堂々とした誘拐ではないのか。


「あの、あたしって、一体どういう人間だったん……ですか?」


 うつむいた姿勢から、ミクロカはゆっくりとアシエを見上げる。


「――そうね。それは、家に戻ればわかるわ」


 アシエの声は優しそうではあるが、反面まるで突き放すようでもあった。


「……そうですか」


 ミクロカは体を硬くしながら、またも嘆息。


 このアシエという美少女を見るに、自分はどうやらけっこうな【お金持ちの家の子】であったのであろうか。

 それなら、手の綺麗さや、色の白さは納得できないこともない。

 白い、というよりも、ほとんど灰色なのだが……。

 きっと、力仕事、野良仕事なんか、したことはなかっただろうから。

 それが【悪い魔法使い】にさらわれて、何かの実験体にされたのか。

 もしかすると――?

 記憶にある前世というのも、その時に植えつけられたものではないのか。

 ミクロカは自分の心身がぼやけていくような、不安定な感覚に襲われる。

 グルグルと、頭の中をスプーンでかき回されるような気分だった。

 前世でも今でも、飲酒の経験はないミクロカだが、


 ――最悪の二日酔いって、こんな感じかもしれない……。


 加速度的に気分が悪くなり、一瞬吐きそうになる。

 それを誤魔化すように、ミクロカは窓から外の様子を見た。

 馬車が進んでいるのはかなり大きな道で、舗装もしっかりとされている。

 道には他の馬車の姿や、昔の日本みたいな人力車のようなものも走っていた。

 他にも、荷を引いた牛や、ロバなどもいる。

 この街に来て最初に見た大通りには、馬車は走っていなかった。

 代わりに、この道では物売りの姿や露店などが見当たらない。

 おそらく、ここではそういうものは規制されているのだろう。 

 その代わりに、馬車なども走れる道が決まっているのかもしれない。


 ――前に、荷車が出入りできない通りや道があるって、聞いたし……。


 情報源は、ネスクから聞いた話だ。

 次第に目に映る人も建物も減っていき、郊外へ移っていく。

 そこから、馬車はさらに人気のない、未舗装の道へと入っていった。

 やがて、広い野原の横を進み始める。

 にぎやかなドゥーエの街とは正反対の、寂しく荒涼とした風景だった。


 ――なんだ、ここ……。


 その景色に、ミクロカは不安をおぼえずにいられない。

 このまま人の世ならぬ場所、冥界にでも連れて行かれるのではないか。

 そんな気分にさえ、なってくる。


 ――まあ、アタシャ一回死んでるンだけど……。


 それにしても、ここはどういう場所なのか。


 ――ガズス原だ。


 ミクロカはその名称を思い出した。窓から景色をようく見てみると、


 ――ああ、やっぱり……。


 遠目にだが、台とその横に立札が立っているのが確認できた。

 台の上に、何か丸いものが載っているようだ。

 メイドたちが噂していたのを、チラリと聞いたことがある。

 ドゥーエの郊外には、ガズス原という原っぱがあるという。

 そこは処刑場であり、斬首された罪人の首が高台の上に載せられるのだと。


「つい最近も凶悪な盗賊が捕まり、斬首されたばかり」


「原の入り口あたりに、その首が見せしめとしてさらされている」


 噂の内容は、こんなものだったか。

 そんな場所だから人は気味悪がって近寄らないし、不気味な話、恐ろしい話がいくつも語られているそうだ。

 古い時代には、死んだ人間をそのまま投げ捨てていく場所でもあったという。

 そんなことを思い出すうち、ミクロカはまたも気分が悪くなってくる。

 ミクロカの意識がそれているうちに、馬車はさらに奥へ、奥へと。

 次にミクロカが顔をあげた時に、馬車は木々の間を進んでいた。

 森の近くではなく、鬱蒼と木々に覆われた森の中なのだ。


「……あの、なんで、こんなところ通るんですか?」


「あら、だってうちはこの奥にあるんですもの。当然でしょう?」

 ミクロカの疑問に、アシエはすました顔で髪を軽くかき上げて見せた。


 ――こんな、森の中に? 熊や狼じゃあるまいし……。


 街や村ではなく、森や山、河原に住む人々がいる――と、聞いたことはある。

 ルザやラオカ、メドゥチといったトロルの系統は、源流をたどれば川の民。

 また、マミ系にしても、源流は山の民だという。

 ちなみに、これもネスクより聞いたことだが――

 マミ系の屋敷にはどんな家でも、地下室や秘密の抜け穴というものがそうだ。

 それは元々、山中で地下に穴を掘って生活していた名残らしい。

 ミクロカがそんなこと思い出す間にも、馬車は森の中を進み続け……。



       ○ 



 浮き舟屋には、静かな空気が流れていた。

 誰も彼も口数少なく、黙々とそれぞれの仕事に専念している……ように見える。

 だが、それは表面上のこと。ほとんど惰性でやっているようなものだった。

 店を包む空気は、穏やか――というのではなく、いわば倦怠感である。


「なんかよお、あっちゅー間だったよなァ……?」


「うん……」


 ラオカとネスクは、ミクロカが残していった洗濯仕事を片づけていた。

 二人には、〝手動〟の洗濯機が扱えないので、普通に手洗いである。


「あいつがいたのってよ、十日もねえよなァ……?」


「うん……」


 メイド二人は、仕事の合間合間にボソボソと会話を続けている。

 おしゃべりというには、華やかさもなく、楽しそうでもない。


「戻ってこねえかなあ。こねえよなあ、あんないいとこの出じゃあよう」


 ネスクは、無言になった。


「あんまり、育ちが良さそうにも見えなかったけンど、昔のこと忘れちまったせいだったのかねえ? どう思うよ?」


「わからない」


「そうかい?」


 ラオカはどこか疲れたようなため息を吐き出してて、空を見た。


「変なヤツだったよな」


「それは、否定しない」


「難しい言葉使うなよう」


 ちょん、とラオカはネスクを肘でつつく。

 ネスクは無反応で下を見ているだけだ。蟻が一匹、その足元を通り過ぎていく。


「……」


「……」


「おらよあ、あいつのこと、なんか好きだったなあ」


「うん。私も――」


 そして、二人は黙り込んでしまった。

 まるでそれに入れ替わるように、鋭い叫び声が響いたのは、その直後だ。


「それは一体どういうことなの!?」


 ラオカとネスクは同時に顔を上げる。


「……奥様や、私のいない間に、どうしてそんな勝手な判断をしたの!」


 それがメイド長シーナの声だと、すぐに気がつかなかった。

 何故なら、彼女がここまで声を荒げたことなど一度もなかったからだ。


「……なあ」


「……うん」


 二人はうなずき合うと、声の飛んでいるほうへと小走りに走っていく。

 店では並んだメイドたちの前で、シーナが厳しい表情をしていた。

 メイドたちはみんな真っ青になり、今にも気絶するか、泣き出しそうな顔だ。

 一歩間違えば、首でもくくりそうな危険さすら感じる。

 しかし二人がのぞいた時には、シーナはもういつもの彼女に戻っていた。


「――もういいわ。この事は奥様と私で対処します。あなたがたはいつもどおりに仕事をこなしてください。ミスなど起こさないように――」


 そう言い置くと、冷厳なメイド長はその場から立ち去っていく。


「あ、やべ……!」


 これに、ラオカはあわてて身を隠そうとしたが、


「メイド長――」


 ネスクは逆に、シーナの前に進み出ていった。

 仕事を勝手に中断して持ち場を離れるなど、見つかれば叱責を免れない。


「なに?」


 シーナは余裕の感じられない冷たい視線で、ネスクを見る。


「あの子は、ミクロカは戻ってくるんでしょう……か? ここに」


 ネスクは、意を決したようにそんな質問をしたのだった。

 表情は乏しいが、シーナの視線におびえているのがよくわかる。

 それでも、なお尋ねたかった質問だったのか。


「あんにゃろう……」


 影で見つめるラオカは、ある種嫉妬めいたものを感じてしまった。

 それとも、引け目――のようなものだろうか。

 気がつけばネスクの横に並び、シーナと対峙していた。

 二人の様子を見ても、シーナの表情はピクリとも変わらない。

 ただ、その内側から発していた剣呑なものが、薄らいでいくようではあった。


「……そう願えると、いいわね」


 二人に対する返答は、彼女には珍しい曖昧な言い回しだった。


「さあ、あなたたちも仕事に戻りなさい。ちょっと変わったことがあったからって仕事がなくなるわけではないのだから」


 シーナはスイッチを切り替えたように、二人を促した。

 その一喝で、二人は背筋を伸ばして、無言で仕事場へ走り戻っていく。

 少女たちの背中を見ながら、ほんの一瞬、フッとシーナの表情が緩まった。

 しかし、彼女は即座に表情を引き締め、二階の一室へと足を運んだ。

 そこは主人であるルザの個室――の一つで、中は植木鉢が並べられている。

 大小のたくさんの鉢からは、それぞれ色々の草花が顔をのぞかせていた。

 部屋中に花や草木の香りが満ちて、室内であるのに森の中にいるようだ。

 そんな部屋の中、ただ一つ植木鉢ではないものが、窓の近くにある。

 大きめの鳥かごだ――中には、青いスズメほどの小鳥が一羽入っていた。

 ただ、奇妙なことに人が入ってきても、小鳥は身じろぎもせず、鳴きもしない。

 生きた小鳥ではなく、作り物ではないか? と、疑いたくなるほどだ。

 シーナは部屋の窓を開くと、鳥かごをそこに向けて、開いた。

 途端に、鳥は力強く羽ばたき、窓から飛び出していく。


「――してやられた……。私としたことが…………」


 小鳥を見送った後、シーナはこめかみを押さえ、搾り出すようにつぶやいた。



       □



 ――月――日。

 また失敗だった。

 理論はまったく完璧であり、脳も臓器も、何もかも、全ても問題はなかった。

 様々な手法で覚醒を促したが、目覚めることはなかった。間違いはゼロのはずなのに。

 眠ってさえいないのだ。生きている。生きているのはずなのに!

 未だ意識を持つことがない。どうしてなのだ……。


 ――月――日。

 失敗だった。知る限りのあらゆる人種を試した。独自のかけあわせで作り出した新種も三十を超えている。だが、いずれも同じ結果に終わってしまった。

 幾度も繰り返し、挫折しそうになりながらも、ここまで来たのに。

 肉体そのものには不備はないはずなのだ。動作確認のために施した処置の結果も完璧なものだった。

 しかし、どうしてもその先に進めない。

 どれだけ完璧に、完全に仕上がっていても、目標まで届かない。

 私が目指すべきものにはほど遠い。


 ――月――日。

 結果は同じくだった。

 失敗だ。

 やはり、問題は内部にあるのか。

 肉体はそれのみで完結しているのではないのか。

 これまでの成果を成功とみなして良いのか、満足してよいのか。

 否である。断じて否である。

 それはただの妥協であり、哀れな逃避にすぎないのだ。

 私は、私が定めたものに妥協はしない。



 【中略】



 ――月――日。

 失敗。



 ――月――日。

 ………………………………。



 ――月――日。

 成功した。

 ついに我が事は成った。

 祝杯をあげたい。

 朝までダンスを踊っていたい気分だ。

 私は、今幸福の絶頂にあるのだ。

 今はまだ静かに眠っている愛しい娘に永遠の祝福を与えたい。

 私は勝利した。

 私は今、頂の上に到達したのだ!



  【中略】



 ――月――日。

 全ては思い違いだった。

 成功と確信したものは、愚かな道化の勘違いでしかなかったのだ。

 結局はこれまでのことも、勘違いと徒労の積み重ねにすぎなかったのである。

 天上にいるかも知れぬ偉大な存在よ、この暗愚を嘲り、悦楽の美酒をあおるのか。

 もはや全ての気力は消え去った。私は全てを捨てることにする。

 もう成す術は何一つない。永遠に呪われるがいい。

 私は挫折したのだ…………。

 私は敗北者である…………。





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