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7/13

〇七、もしかすると……。



       ●



 母親が言った。


「そんなオジサンみたいなことやめなさい」


 父親が言った。


「お前はオッサンか」


 弟が言った。


「可愛げがない、全体的に」


 中学二年の時の担任。


「アホのくせに妙なところでマセてる」


 友人の一人。


「**は見た目悪くはないけど、ひねてるところがなー?」


 知人の一人。


「あんた、その無感動なとことか、ひねこびたとこ? 治したほうがいいよー」


 どうやって治すのだ、そんなもの。



 ──…………。


 ──…………おや。


 ──…………あれ?


 いつの間にか、目の前の景色が変わっていた。

 アスファルトの上、壊れた人形のようなものが転がっている。


 ――あ、これは……。


 人形などではなく本当の人間。交通事故の犠牲者だ。

 そして、これは……この状況は。

 空中を煙みたいになった自分自身と、地面に転がる自分の死体。

 ああ、そうかと思う。


 ――あたしだ。死んだ……。あたしは、死んだんだなあ……。



       ○



「――おい。何してんだ、こんなところで」


「ふぇい?」


 誰かの声で、ミクロカは夢の中から引きずり出された。

 日当たりの良い場所だったせいか、つい居眠りをしてしまったらしい。

 赤毛の青年が、呆れた表情でミクロカを見おろしていた。

 人通りの少ない、古びた建物の前である。

 最初はキリスト教の教会を連想したが、よく見ると構造はまるで別物だ。

 建物も庭も荒れており、人の気配がないので、空家だと思った。

 入り口には、文字の刻まれた金属板があったが、ミクロカには読めない。


「風邪引くぞ、こんなところで寝てると――」


「アハトさんじゃないッスか……。なんで、ここに」


 まだ半分眠ったままの頭で、ミクロカはボンヤリと言った。

 ミクロカを起こした赤毛の青年僧は、呆れた顔で頭を掻きつつ、


「なんでって……。ここは俺の住んでる寺院(てら)なんだが」


「え? おてら?」


 ミクロカは、後ろの建物を見返す。

 当たり前だが、日本の仏教寺院とはまるで別物である。


「……お前、まさか寺も見たことないのか?」


「あったかもしれませんが、今の記憶にはありませんです」


「そうか」


 アハトは少し視線をそらしてから、またミクロカを見て――


「で、お前は何でこんなとこで昼寝してんだ? まさか店を追い出されたのか?」


「失礼な。お使いの途中ですよ」


「じゃ、その大事なお使いの途中で、なんで昼寝してたんだ。それも、道ばたで」


「あ。それはですね……」


 ミクロカは言葉を濁し、ばつの悪そうな笑顔となる。


「道に迷ってしまいまして。ウロウロしているうちに、ここにきて――」


 つい、疲れで――と、するのがわかりやすい。

 が、ミクロカは確かに困ってはいたが、体力的には特に疲弊していなかった。

 けれど、久しぶりに一人になったためだろうか。

 気が抜けたのか、気がつけば睡魔にやられていたようなのだ。


「てへへへ」


「気楽なやつだな、お前は……」


 アハトは嘆息して、首を振った。


「それで? お使いってどこに用事なんだ」


「花摘み長屋って、とこなんでけど」


「――ああ。あそこか」


 名前を聞いて、アハトはうなずいた。 


「だけど、お前ホントにそこに行けって、言われたのか? 一人で?」


「そうですけど?」


 アハトの妙な表情に、ミクロカは首をかしげる。

 ちょいとお使いに行け――と、命じられたのは、朝食後間もない頃だった。


「花摘み長屋のバギラという人に、手紙を届けてきなさい。時間はかかってもいいから、必ず届けるように。届けないうちは帰らないくらいの気持ちでいなさい」


 と、先輩メイドから、えらく大仰なことを言われ、店を出たのだが……。

 簡単な地図はもらってきたのだが、いくら歩き回っても、場所がわからない。

 ガムラシャらに歩き回るうちに、いつの間にかこの寺の前に来ていて――


「で、居眠りしてしまったわけでして……」


「……その地図ってのを、見せてみろ」


 地図を受け取った、何度か紙面とミクロカの顔を見返し、


「なるほどな。わかった、何となくだが」


 またも、嘆息しながら言うのだった。


「???」


 これにミクロカは、頭上にいくつもの?マークを浮かべるばかり。


「花摘み長屋に行きたいなら、案内してやる。行くか?」


「そりゃもちろんですよ。助かります」


 アハトの提案に、ミクロカは一も二もなく飛びついた。

 このお使いを無事にすませないと、帰るに帰れない。


「そうか――じゃ、ついてこい」


 軽く空を仰ぎ見るように背伸びをしながら、アハトは言った。


 ──……? 何だろう?


 アハトの表情に、ミクロカは何か引っかかる気もした。

 かくして、男女二人は連れ立って歩き出すわけだが――


 ――ああ、そういえば……。


 もうある程度馴染んでしまった街並を進みながら、ミクロカは気づく。

 ここに来てから、ほとんど男性と話していないことに。

 浮き舟屋の使用人は女性ばかりで、男性はいないのだ。

 舟の櫓櫂(ろかい)を操る船頭は男性ばかりだが、彼らは住み込みではない。


 この理由としては……。


 男女の使用人を置く場合、寝起きする場所を男女で分ける必要性が出てくる。

 厳格なところでは、男女の寮に異性は立ち入り禁止。もしも破った場合はそれ相応のペナルティーが課せられるそうだ。

 なので、浮き舟屋は面倒臭い諸問題を最初からシャットアウトする意味で、住み込みは女性ばかりなのだという。

 もっとも、単に女将であるルザの〝趣味の問題〟ではないか、という声もあるが。


 こんなわけだから――

 まともな会話をした相手といえば、今隣にいる青年僧侶くらいのものだ。

 別に、だからどうだというわけでもないのだけれど。


「なあ。妙なことを聞くが」


 ミクロカの歩調に合わせて歩きながら、アハトはそう言ってきた。

 その顔は、前方を向いたままである。


「なんです?」


「お前、この前おかしなこと言ってたな? 人間死んだらどうなるとか、生まれ変わりがどうとか、そんなことを」


「え、ええ。まあ……」


「なんであんなこと聞いたんだ?」


「それは……何ででしょうね。あはは……」


 ミクロカはうまく言葉が出てこない。

 まさか、


「いやー、実はアテクシってば、前世の記憶があるんすよ。ヌハハハ」


 などと、迂闊(うかつ)にのたまうわけにもいくまい。

 どういう反応が返ってくるのか、知れたものものではないのだ。


「まさか、前世とのやらの記憶でも、あるのか?」


 アハトは一瞬だが、詰問するような表情で尋ねかけてきた。


「まさか――」


 ミクロカは、即答した。

 自分でも、よくやれたと感心するほどの速度とタイミングである。

 もう一度同じようにやれ、と言われても、多分できまい。


「そりゃまあ、そうか」


 アハトも、その後は追及してくることもなかった。


「でもアハトさん? なんでそんなようなことを?」


 逆にミクロカが問い返すと、アハトはいくらか考えるように間を置きながら、


「理由ってほどのものでもないが。どう話していいのやら……。困ったな」


 と、少しじれったくなるような口ぶりだったが、話してくれた。


「俺は、ガキの頃から変な夢を見ることが多かった。いや今でも見るんだが。その内容がいつも似たり寄ったりでな。おかしな風景が出てくるわけだ」


「……ほほー。それってどんな? 空を飛ぶとか、大きな山とかですか?」


「そうじゃない。こう……長四角の、やたらにでかい建物がいくつも並んでてな、そこにウジャウジャと人間がいて。見たこともない乗り物が街を行き交ってるんだ」


 アハトは暗闇で手探りでもするような、たどたどしい口調を語る。


「ながしかく? のりもの?」

 アハトの説明を聞いて、ミクロカが真っ先に思い浮かべたのは――

 高層ビルの立ち並ぶ、いわゆる近代的な都市の様相であった。

 同時に、先ほど居眠りしていた時の夢を思い出す。

 前世での思い出……とでも言うような光景と、〝自身〟の死亡直後の姿。


「……それで?」


「今までは、別に気にしちゃいなかったんだが、ついこの前、そうそうお前と知り合ってからなんだが。どうも、その夢を見ることが多くなった気がしてな」


「ははあ」


「でだ。先日知り合いと、そのことについて話をしたら……」


 それは多分前世の記憶、その残りカスみたいなものだ――


「こんなことを言われた」


「前世の、キオク?」


 この言葉に、ミクロカは思わず身を乗り出しそうになった。


「おい。顔が近い」


 アハトはひょいっと、野生動物みたいな動作で身を引いた。


「あ、すみません。つい」


 反射的に謝ってしまうミクロカ。


「そんなに、気になったのか? この話が」


「気になるっていうか……まあ……。何なんですかね?」


「俺が知るか、そんなこと」


 胡乱とさえ言えるミクロカの言動を、アハトは顔をしかめて切り捨てる。


「よくわからないけど、何となく気になってしまうんです。本能でしょうか?」


「今生きてる現世のこともわからんのに、前世なんか気にしてどーする」


「そりゃま、そうですけど。アハトさんがふってきた話題じゃないですか」


「あ、そうか。そうだったな……」


 ミクロカのツッコミにアハトは肩をすくめた後、何か考え直したようで、


「だが、お前がその前世をアレコレ気にするのも、もしかすると――」


「もしかすると……なんです?」


「ああ。もしかするとな? 記憶を取り戻すヒントになるかもしれん」


「マジですか?」


「そんなことを普段から気にしたり、話をする人間は多くないからなあ」


 そこで、アハトは歩きながら腕組みをして、


「少し前の話だが? 西区に住んでるどこぞの隠居が前世のことをおぼえてる子供の話を記録してたり、異境からきた人間を居候にしたとか、そんな話聞いたことがあるが」


「……………………ええ?」


「それで、お前が前世がどうこう言ってたことや、自分の見る夢を――」


「ちょ、あの、アハトさん!?」


 ミクロカは青年僧が話す途中、くぐもった声で割り込んだ。


「なんだよ」


 無理やり話を中断されたアハトは、少し不機嫌な声で返す。


「その――本当なんですか? 前世のことをおぼえてる子供って……!」


「俺もあくまで噂を聞いただけだから、真偽のほどは何とも言えんよ」


「…………」


「それに、こいつは結構前の話だそうだ。そうだな……二~三年くらい前か」


「はあ……」


 もしかすれば、自分の現状がもっとちゃんとわかるかもしれない――そんな希望が胸にあっただけに、ミクロカは本当にガッカリとした。

 ただ、ガッカリと――失望すると同時に、こんなことも考えたりした。

 仮に何かわかったところで、今の現状が変わるわけでもない、と。

 今さらその情報を知ったところで、前世の名前を思い出したところでどうなるのか。

 戻れもしない故郷を、戻ったところで、居場所のない家を深く考えてどうなるのか。

 居場所があるとすれば、それは墓の中しかないだろう。

 何故なら日本という【異世界】で生きていた少女は、すでに死者だからだ。

 どうせなら、この体での記憶を……を思い出したほうがまだ良いのかもしれない。


「でもなあ……?」


 思わず、ミクロカは口に出してしまう。

 あのおかしな場所で、おかしな状態でいたことを考慮するに、正直まともな経験をしていたとは考えにくいし、どんな嫌な過去があるのかわかったものではない。

 ならば、


「昔のこととか……思い出さないほうが、いいのかなあ?」


「何か急に消極的になったな、お前」


 アハトはミクロカの言葉をどう受け取ったのか、微妙な表情になった。

 ミクロカは、ただ小さな苦笑を返すばかり。

 それから、少し後。


「見えたぞ」


 アハトが指した方向に、建物の棟らしきものが見えてきた。

 いかにもなスラム街というわけでもなかったが、狭く小さく貧乏ったらしい場所だ。

 差し向かうような形状で計十軒ほどの、いわゆる長屋である。

 が、その近くにあるトイレ――おそらくは汲み取り式のもの──だが?

 こんなものは男女別々でも共用でも、せいぜい二つもあればいいのはずなのに、何故か長屋周辺には何戸も立てられているのだった。

 数えてみるのが、馬鹿らしくなるほどである。


「なんでこんなにトイレばっかり???」


 そのケッタイな光景に、ミクロカがつぶやくと――


「ここに住んでる連中は家賃の徴収が期待しにくいからなあ。その代わりだ」


「は?」


 ミクロカは、目を見開いてアハトを見返す。

 家賃を滞らせがち――それは別に良い。良いのだが……。


「それがなんで、トイレの数と関係すんですか」


「なんでって……。家賃が期待できんから、せめて肥料のほうで元を取ろうと、そういう考えなんだろうよ。数を用意しとけば、通りがかりの人も使ってくれるかもしれん」


「はあ……? 肥料って、その、ウンコとかオシッコとか?」


 アハトの説明を聞いても、やはりよくわからない。


「お前、そんなことも知らないのか? 良い肥やしになるからな。農家が良い値で買ってくれるんだ。わかるか、俺の言っていること」


「あ、なるほど。そういうわけだったんスか……」


 やっと合点がいくミクロカ。

 後でネスクなどに聞いて、わかることだが――

 花摘み長屋のような貧乏所帯はそうでもないが、いわゆる良家、お金持ちのトイレともなればそこに溜められるモノは、ちゃんと買取先が決まっているのだという。

 つまりは、買い取り先の農家と、


「あなたのおうちのウンチは私が買い取りますよ。他に売らないでください」


 というような契約がかわされているわけだ。

 もしも他の者が勝手に汲み出したたりすれば、袋叩きにされかねない。

 何しろ農家にとっては、貴重かつ重要な肥料なのだから。

 ことに富者の家ともなれば、そこで排泄されるものは栄養満点である。


「お花って綺麗そうな名前がついてるのに、すごいとこですね……」


 と、ミクロカが言うと、アハトは即座にこう言った。


「名前からしてわかるだろうに。花を摘む――って言葉、聞いたことないのか?」


「へ? ……ああっ。そういうことですか」


 言われて、ミクロカはポン手を打ってつぶやく。

 花を摘む。

 それはすなわち、トイレに行く――という意味の隠語だ。

 まあ、便所長屋とかトイレ長屋なんていう名称よりは、ずっと良いわけだが。


「にしても、お前みたいな頼りない新人に、ここまで使いに行かせるとはな。なかなかに凝った【可愛がり】をするもんだ」


「え? 何ですか、かわいがりって」


「わからないか? 慣れればどうってことないが、このへんの道はわかりづらくってな、迷いやすいんだ。大抵の人間は初めて来たら迷う。迷った挙句におんなじところを何度もグルグルと回ってヘトヘトになる。狐に化かされたみたいにな」


 言ってから、アハトは、よくあるこった、若干意地の悪い顔をした。


「なんですと? じゃあ……」


 ミクロカは懐中にしまった手紙に手をやる。


「別にニセモノってことはないだろうが、重要なもんでないことは確かだな」


「これをちゃんと届けるまで、帰るなって……」


「そういうのを含めての可愛がりだろ。本当に大事なものなら、お前に任せるものかよ。もっとちゃんとしたヤツが使いに行くだろうさ」


「ぐぬぬ……」


 騙された。おちょくられた。

 ミクロカは先輩メイドたちの顔を思い出しがら、憤怒の歯噛みをする。


「怒るなよ。お前だけじゃないし、浮き舟屋だけのことじゃない。どこの家だってなあ、みんな同じようなもんだ。新人のうちは誰でも一回は必ずやられる」


 新入りのための、儀式のようなもんだ――と、アハトは笑う。


「単なる新人いびりじゃないっスか!!」


 ミクロカはたまりかね、激昂のままに叫ぶ。


「俺に怒ったってしょうがないだろうが。諦めろ。まあ無事に到着できたわけだし」


 アハトがミクロカをなだめていると、騒ぎを聞いて長屋の住人が顔を出してくる。


「坊主とメイドの、痴話喧嘩か……?」


 住人のつぶやきは、幸いなことに二人には聞こえなかったようだ。

 ミクロカはふざけやがって、と手紙の封をといて中身を広げる。


「……? チラシみたいだけど、読めない……」


 ミクロカは歯がゆそうに首をかしげた。

 浮き舟屋に入ってから読み書きの勉強をしているものの、まだきちんと文章を読んだりできるレベルには達していない。


「チラシだなあ。『一見様も大歓迎、川遊びから急な用事の手助けまで』……か」


 アハトはチラシの文字を淡々読みあげる。


「……何それ! こんなモン届けさせるためにお使いに行かせたわけ!?」


 ミクロカが持たされた手紙の中身を知り、さらに激怒した。


「だから、そんなもんだって言ってるだろうに」


 その横で、アハトは疲れた顔でなだめている。

 長屋の住人は、このおかしなやり取りを半分面白そうに見物している。


「あー……! こんちくしょーーー!!」


 〝見世物〟は、しばらくは終わりそうにはなかった。



       ○



「あら。ミクロカさんは、どうしたのかしら?」


 部屋で帳面のチェックをしていたルザは、ふとそんな言葉を漏らした。

 窓の外から、ラオカとネスクの姿を見たからである。

 基本いつも三人で行動することの多いため、軽い疑問を抱いたのだ。


「花摘み長屋まで、使いに行かせています」


 そう応えたのは、メイド長のシーナだった。

 少しくせのあるブルネットの髪の毛を、後ろで綺麗にまとめている。

 全体的に、やや古風な印象の女性である。

 ブラウンの瞳は知的であると同時に、どこか冷たいものがなくもない。


「あそこに? そんな用事があったかしら」


「新しくできた宣伝用のチラシを持って行かせたそうです」


 はてな、と首をかしげるルザへ、シーナは淡々と告げる。


「――ふうん、そういうこと」


 ルザは察したらしく、苦笑をして首を振った。


「後で、誰か迎えに行かせたほうが良いわね」


「――奥様」


 わずかだが、シーナの声質が変化したようだった。


「ハッキリ言わせていただきますが、アレは普通ではありません」


「アレなんて呼びかたは、感心しないわね?」


「申し訳ありません。ですが――」


 ブラウンの瞳が、何かを訴えるようにルザを見つめている。


「確かに。変わっているのは真実だけど……。悪い子じゃないわ」


「そういう問題ですか? 本人はほとんど無自覚のようですが、彼女の身体能力は野生の獣並ですよ? 熊と相撲を取っても勝ちそうですね。冗談抜きで」


「それは頼もしいわ。何せうちは女所帯だから」


「失礼を承知で言わせていただきます。あの娘は何かしらトラブルを呼び込むような気がしてなりません。本人の正邪や、その意思に関わらず──です」


「それは困るわねえ」


 シーナの言葉には鉄のような重さがあったが、ルザは極めて淡白な反応だった。

 特に困っていない、どころか――どうでもいいとしか思えない態度。


「奥様……」


 わずかながら、シーナの眼光が鋭くなり、声音も大きくなったようだった。

 と、その背後へ、ルザはいつの間にか回り込んで――


「いざという時は、あなたを頼りにしてはイケナイ?」


 そっと白い指をシーナの這わせるように置くと、顔を近づけてささやいた。

 まるで、頬ずりでもするような格好で。


「使用人として、否とは、言えませんね」


 シーナは、視線を落として、嘆息するようにそう言った。

 どこか諦観のこもった声である。


「では、あなた個人の意見としてはどうなのかしら」


 艶やかな笑みをたたえ、ルザはさらにささやき続ける。

 蜜のように甘い――吐き出す息でさえ、甘く香るような声だった。


「それは少々ずるい質問ですね」


 シーナは、ルザの手をそっとはずしながら、


「でも、あえてお答えするのなら……やはり、否とは申せません」


「嬉しいわ」


 ルザは歌うに言って、後ろからシーナを抱きすくめるのだった。


「それと、一つだけよろしいですか、奥様」


「なにかしら」


「生憎ですが、わたくし、同性愛の趣味はございません」


「私だってないわよ」


 ルザはクスクスと笑う。

 その腕で、シーナを抱きしめたまま……ではあったが。


「無論承知していますが、奥様の言動は誤解を招きやすいと存じます」


 ルザの手を器用に外しながら、シーナはそう言うのだった。


「そうそう? 私は近々一日ほど店を留守にすると思うから、その時はよろしくね」


「かしこまりました」


 シーナは応えると、整理済みの書類などを手に部屋を後にするのだった。





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