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〇六、風呂場の魔法使い



       ○



 気がつけば、三日が過ぎていた。

 でも、ミクロカの現状に変化らしい変化はない。

 変化といえば、ある程度ここでの暮らしに慣れ始めたというくらいである。

 東の国クガワート、その中にある大都市ドゥーエ。

 都会と称されるこの街だが、生前に生きた現代日本と比べると大きく違う。

 ただ、ミクロカが極端に不便だと感じることもなかった。

 確かに、蛇口をひねればお湯でも水でもすぐ出てくるような設備はない。

 コンビニも、携帯電話も、当然インターネットだってない。

 しかし人間は何事にも順応するものであり、そういったものが無ければ無いで、さほど不便を感じるわけでもなかった。


 何やかんやで三日目も終わり、そろそろ夕暮れに差しかかろうとしていた。

 普通の家なら日没となれば、そろそろ一日の仕事も終わりになるのだろうが……。

 浮き舟屋の場合は、むしろ夕暮れ時から本格的に忙しくなる。

 この周辺、昼間は閑散とした雰囲気さえあるが、夜ともなれば夜舟で遊ぼうとか、川を眺めながら騒ごうとかいう客がやってくる。

 午前中や昼にも客はくるが、それらのほとんどは舟を利用するだけ場合が多い。

 浮き舟屋が『飲み食いをさせる店』としての、本領を発揮するのは、ここからである。

 ミクロカがある仕事を命じられたのは、夕暮れ前ちょうど四時すぎくらいだった。


「女将さんのお伴?」


 と、ミクロカは命じられた内容を、そのまま繰り返す。


「そう。女将さんがお風呂に行かれるから、そのお伴」


 命令を伝えたのは先輩メイドの誰かではなく、ネスクだ。

 彼女らもミクロカからすれば先輩には違いないけれど。

 これはミクロカ個人への命令ではなく、ラオカとネスク、そしてミクロカの、三人への命令ということらしい。


「女将さんって、ここのお風呂使わないの?」


 この店にも浴場設備というものはあるが、基本使用人は使うことができない。

 なので使用人は毎日、近所の風呂屋に行くのである。

 当然一度に全員が行くわけにもいかないので、時間をずらしながら交代で行くのだ。

 しかし……。使用人は仕方ないにしても、


「女将さんは店で一番えらいんだから、堂々とお風呂使えばいいのに」


 誰も文句は言うまいに、とミクロカは不思議に思ったが――


「女将さんは、風呂屋の大きな湯船が好きみたい」


 と、ネスクは小さな笑みをこぼした。



 しばらく後――

 浮き舟屋から四人の女性が連れ立って歩き出していた。

 主人であるルザを先頭に、そのお供としてミクロカたちの三人組。

 夕暮れの近いこの時刻には、この静かな土地も人通りが多くなる。

 仕事から帰路につく者や、物売りの声。

 こういったなものを聞きながら、ミクロカはルザの後に続くのだった。


「そういえば、あなたにお風呂のお供をしてもらうのは、今日が始めてねえ?」


 いつも以上にのんびりした声で、ルザはミクロカに語りかけてきた。


「そうですね。がんばります」


 美麗の女主人の視線を受けて、ミクロカは思わずそんな返事をしてしまった。


「ええ、がんばって――私を守ってね?」


 ルザはすいっと手を伸ばして、指先でミクロカの額を撫でるように触れた。


「へ……? ま、まもる?」


 風呂屋に行くのに、なんでボディーガードみたいことを言われるのだ?


「まだ日も高いっつても、女四人だけだしよお。一応は〝ごえー〟つうわけだ」


 そう説明をしたのは、ラオカだった。

 ごえー、つまり護衛ということらしいが……。


「護衛ったって、あたし、見てのとおりただの小娘なんですケド……」


「でも、力持ち」


 これはネスクだ。


「そう言われれば、そうなんですけど」


 確かに、ミクロカは力持ちである。

 成人男性と比較しても、遜色ない――下手をすれば上かもしれない。


「でも、別に喧嘩とか格闘技とかはできないんですよ?」


「いいから、いいから。そういうことにしておいて」


 ルザは艶っぽく、かつイタズラでもするような目つきで笑う。

 その表情に、ミクロカは何となく、ネスクやラオカと顔を見合わせた。

 やがて女四人組は、目的地である風呂屋に到着。

 異世界の、巨大公衆浴場。

 基本的な構造などは、ミクロカの知る『銭湯』と、あまり変わらない。

 入り口は男女の二つに分かれており、その前の番台にはおばさんが座っている。

 店は二階建てで、上の階はちょっとしたサロンみたいになっていた。

 まだ早い時間だというのに、店にはけっこう客が来ているようだ。


「こんにちは。浮き舟屋で、四人ね」


「女将さん、いっつも早いねー?」


 ルザは声をかけると、番台のおばさんは愛想良く笑う。


「商売柄、夜はゆっくりとお風呂に入れないから」


 ルザは笑いながら肩をすくめるのだった。

 そして、浮き舟屋一同は奥へと進んでいく。

 普通ならば番台で料金を支払ってから入るのだが、


「うちではよ、風呂賃はまとめて先払いにしてんだ」


「だからここでは、店の人間は顔パスで入れるわけ」


 最初この風呂屋に訪れた時、ミクロカはラオカ・ネスクからこう説明されている。


「でも、あたしって新人だから――」


 自分の料金は未払いなのでは、というミクロカの疑問にも、


「でーじょーぶだ。そういう面倒がないように、いつも2~3人余計に払ってからよ? 一人ぐらい急に増えたってどうってことねえ」


 と、ラオカは自分の手柄みたいな顔で笑っていた。


「でも、どうしてそんなことを?」 


「何でって……そりゃあ、女将さんがこの店を贔屓にしてっからだよ」


 そういうことらしかった。 

 何でも、この風呂屋はドゥーエでも名の知れた上質の店らしい。

 そう言えば、店のお客も比較的裕福そうな人間が多いようである。

 更衣室――そこもミクロカが見知ったものと、同じようなものだ。

 ただし、脱いだ服をしまう場所は二種類あって、単なる棚のようなものと、鍵のついたロッカーのようなものとがある。

 ミクロカたちメイドは脱いだ服を籠に入れて、棚に置く。

 ルザは鍵つきのロッカーに、衣服をしまうのだった。

 このへんに、わかりやすい上下関係があるようである。

 鍵つきロッカーは有料で、番台で金を払って鍵を受け取り、帰る時に返す。

 ルザは近所の人間で顔見知り、基本毎日通う常連なので、その代金も一括払い。

 その後で、いよいよ浴室へと足を踏み入れるわけだが……。

 大きな浴室は、一面が白いタイル張りで、掃除が行き届いており清潔だ。

 江戸期の銭湯はかなり狭くて暗かったというが、この風呂屋は驚くほどに明るい。

 明り取りの窓はなく、代わりに丸い電球のようなものが浴室を照らしていた。


 ──ひょっとして……ここにも、電気とか電灯があるわけ?


 ミクロカは気になって、アレがどういうものかネスクに尋ねたことがあったが──

 よくわからない、というお返事だった。

 ただ、アレも魔法使いの手によるアイテムなのだとか。

 もしかすると、電話とかファックスのような役目を果たす魔法も存在するのかも。

 正面奥の壁には、何かお菓子らしきものを持った少女の絵が描かれている。

 昨日までは違う絵が描かれていたから、今日のうちに描き換えられたものらしい。


「あの絵ってなに?」


「ありゃおめ、菓子屋の宣伝だよ。隣町のでけえ店だ。でも高ぇんだよなあ」


 ラオカはちょっと悔しそうに首を振る。

 そういえば、彼女は大食漢で美味しいものには目のないタイプだった。


「でも、最近手頃な値段のお菓子も売り出した」


 補足するネスクは、黙々とルザの背中を丁寧に洗っていた。


「あの、あたし替わったほうが良くないかな? 新人だし?」


 ミクロカはそう声をかけるが、


「やめたほうがいいんでねか? 馬鹿力で女将さんの皮までひっぺがしかねねえ」


「あたしゃ、怪物ですかぃ」


 ラオカの言い分にちょっとムッとするミクロカだが、馬鹿力なのは事実。

 また、こういう細かさや繊細さを要求されるタイプの仕事は、自分よりネスクのほうが向いている――それもまた事実。


 体を洗い終わると、みんなそろって湯船につかる。


「いやー、毎日来てっけどよ? ここの風呂屋は、最高だなー」


 ラオカは湯船の中、のびをしながら鼻歌まじりに言った。


「うん」


 ミクロカも同意する。

 『こちら』――にやってきて、ミクロカがもっとも、


 ――助かった。ありがたい。


 と、感じたのは、こういったお風呂の存在である。

 ミクロカ自身あまり意識してはいないことだが、この国、少なくともこのドゥーエなる土地は、季節柄を考慮しても湿度がけっこう高いのだ。

 これでもしも風呂がなかったら、肉体的に精神的にもかなりハードだったろう。

 また浮き舟屋においては、毎日入浴することは、義務でもある。

 ミクロカたちはほとんど接客などしないのだが、飲食店でもあるため衛生面には非常に厳しくかつ、うるさいのだ。

 風呂ばかりではなく、衣服はもちろん、部屋も清潔にしておかなければいけない。

 下着を毎日換えるなどは、当たり前だった。

 衣服が基本全て支給されるのは、このためなのだろう。


 ――でも、なんでここまでするんだろ?


 浮き舟屋以外の店がどんなものか、市井の人々がどんな暮らしをしているのか――

 ミクロカはまだ、何も知らないに等しい。

 ただラオカやネスク、あるいは店のお客、街の様子などから推測すると、浮き舟屋がかなり高待遇の店であることは間違いないようだ。


「その代わり、給金はそんなに高くない」 


 これは、ネスクの言葉だが。

 ミクロカは、ちらりと湯船のルザを見た。

 立ち上る湯気の中、白い肌が微かに桜色に染まっていた。


 ――裸になると、一段とすごいなあ……。


 彼女の美貌が、等身のがバランスいかに優れているかがわかるのだ。

 単に胸やお尻が大きさ、顔の良し悪しの問題ではなく、総合的なもので常人のそれよりはるか上を行っている。

 それは、貧相で痩せっぽちなミクロカとは正反対で――

 近くを見れば、ラオカやネスクも目に映るが、


 ――ラオカさんは……あんまり変わらんね、これ。


 ラオカの場合、ミクロカよりは肉付きが良いが、豊満な肢体とはほど遠い。

 ネスクは背も高く全体的にスラリとしているが、体型そのものはスレンダーだ。


 湯船を見回せば、実に色んなお客がいる。

 これまた髪や瞳、肌の色や耳の形、色々違うけれど、体型にも違いはあるようで。

 女性なのに異様に筋肉質であったり、冗談みたいにムチムチだったり、逆に子供みたくちんまりとした体型もありと。見ていて実に面白く、飽きないものだった。


 そんな中、ミクロカの視線は、ある人物に目が止まる。

 ルザと同じく、青い髪の毛をした美しい女性だった。

 顔立ちはルザと違ってきつそうな印象があり、ややおでこが広いようだ。

 肩口や腕を見るに、アスリートのように引き締まっている。

 女性は目を閉じて、何かを考えている様子だった。


 ――同じ髪の色ってことは、同じ人種なのかなあ?


 不意にその女性の瞳が開く。その瞳は、やはりルザと同じ深い青色をしていた。

 何を考えているのかよくわからないが、女性の瞳はジッとミクロカを見つめる。

 見返すだけでは睨み合いのようになってしまうので、ミクロカは軽く会釈をした。

 女性は一度瞳を閉じてから、ふうっと息を吐き出して、


「ここの風呂は、どう? 気にいった?」


 唐突にそんなことを言う。小さいが、聞き取りやすい声だった。


「え……ええ。そうですね。好きです。なんか、良い感じで」


 いきなりの質問に、ミクロカは頭に浮かんだプラス要素の言葉を並べてみる。


「そうか」


 女性はそれだけ口を閉じてしまったが、ミクロカは何となく言葉を続け、


「あたし――この街に、来たばっかで何も知らないんですけど、ここのお風呂って、何かすごいんですねえ? 驚きました」


「そうさね。相応の金と技術とつぎ込んであるんだから。一番苦労したのは金策だ」


「――へ?」


「この風呂を設計したのは、私だよ。工事の総指揮も全部やった」


 そういう女性の顔はほとんど無表情だったが、声音には嬉しさが表れている。

 本当だろうか? ミクロカは一瞬そう思ってしまったが、


「嘘じゃないぞ」


 いつの間にか接近してきた女性は、念を押すように言ったのだった。


「そ、そうっスか……。それじゃあ、お姉さんはここのご主人……」


 ミクロカは静かな勢いに押され、コクコクとうなずくばかりである。


「まあね。経営のことは、基本番頭にまかせてるが」


「でも、こんなお風呂屋作っちゃうなんて、まるで魔法みたいですね」


「みたいじゃなくって、魔法だよ」


 アハハ……と冗談めかすミクロカへ、女性は肩をすくめて言った。


「な、なんですと?」


 言った後、ミクロカは女性の顔から目が離せなくなった。

 ルザとはまるでタイプが違うが、神秘的な美女だ。

 魔法というものが存在すること――それ自体は一応人から聞いてはいたし、


 ──さすがはファンタジーワールド、いつか自分も魔法使いに会えたら良いなあ。


 そう考えていた。

 一度会いたい、会ってはみたいと思ってはいたが、こんなところで出会うとは。

 あるいは、魔法使いとはそう珍しい存在でもないのか?


「そ、それで、お姉さんは、どんな魔法が使えるんですか? 指から氷を出すとか、炎を出すとか、変身するとか……?」


「んな術使えないよ。宗派違いもいいとこだね」


 ボソボソ声で尋ねるミクロカに、女性は少しとまどったようだった。


「じゃあ、どんな魔法なら使えるんです? それとも……」


「ニセモノじゃない」


 ミクロカの言葉を、女性は鋭い声で押さえ込む。


「……まったく、たち悪いのに声かけちゃったかなあ?」


「すみませんね。魔法使いという人に、興味があるもので……」


 やはり、この世界は〝ファンタジー〟。

 不本意ではあるが、来てしまった以上は、ここでしか見れないものを見たい。


「あまり人もいないし、まあ、少しくらいならいいか……」


 女性は周りを見てからつぶやくと、ピンと右の人差し指を立てる。

 そして、指をそっと唇にあてがい、小さく呪文らしきものを唱えた。

 ゴクリと、ミクロカは思わず喉を鳴らす。

 と、女性の前――湯船のお湯が円形状の塊となり、ぽっこりと浮き上がった。

 一見すれば大きなシャボン玉のようなそれは、フワフワと上昇しながらミクロカの上に移動していき――


「あっ……」 


 お湯は小規模な雨のように、無数の水滴となって、ミクロカの頭上に降り注いだ。

 雨というよりも、シャワーとすべきか。


「この場ですぐにできるのは、こんな子供騙しのようなもんさ」


 女性は笑って、身を湯に沈める。


「私の専門は水。井戸を掘ったり、水道を作ったり、湧き水を探したりとかな」


 お前がさっき言ったような大それた魔法は使えない、と、女性は苦笑した。


「いやでも、すごいですね……!」


 ミクロカは興奮気味に女性に接近する。

 幻覚などではなく、本当にお湯が浮き上がって雨のように降ったのだ。


「本当に、魔法使いっているんだ……」


「よしなよ」


 女性は、手を振る。


「それでですね……」


「ミクロカさん、何をしてるの?」


 さらに色んなことを聞いてみたい――と、ミクロカが口を開きかけた時だ。

 ルザが不思議そうな顔でこっちを見ている。


「あ、す、すみませぇん……!」


 ミクロカがあわてて、ルザたちのもとに戻っていく。


「おめ、女将さんから離れて、なーによその人とくっちゃべってんだ、おい」


「ダメでしょ、こら」


 ラオカは呆れ顔、ネスクは額にデコピンをしてくる。


「スイマセンでした」


 職務怠慢を謝るミクロカ。

 ルザは注意するのをメイド二人に任せて、ミクロカの後ろへ視線を送っている。 

 その先にいるのは、ミクロカと話をしていた女性で――


「誰かと思えば、メドゥチさんじゃない」


 ルザは風に揺れるタンポポの綿毛のような笑みを浮かべ、女性に声をかけた。


「ああ。しばらくだったね」


 女性は手をあげて、それに応える。


「え、女将さんのお知り合いですか?」


 ミクロカが交互に、青髪の美女たちを見る。


「そうよ。メドゥチ・カッセン先生」


 ルザが答えると、メドゥチはすっと前髪をかき上げながら、


「新しく入ったメイドだね、その子。いつ来たんだい?」


「少し前から。力持ちでなかなかの働き者よ。なかなか可愛い子でしょう?」


 と、ルザはミクロカの両肩に手をそっと置き、


「……まあ、そうだねえ」


 メドゥチの返事は、若干の間を空けてのものだった。


 ――なんで、そこで間を……。いや、わかるけどさぁ……。


 自分の容姿を自覚するだけに、ミクロカは色々と複雑だ。

 おまけに、ルザにこういう褒められかたをすると、何か妙に怖くなってしまう。

 そこはかとない不安を感じる、というやつだろうか。


「私は彼女と少しお話があるから――ちょっと待っててね?」


 ルザはメドゥチのほうに近づきながら、メイドたちにウィンクしてみせた。

 そして主従は若干距離を置き、それぞれに話を始める。


「――女将さんと同じ髪だから、ちょっと驚いたなあ」


 遠目にメドゥチを見ながら、ミクロカは感嘆をこめて言う。


「そりゃ、同じドゥーエ生まれのトロルだからよ。当然似てるわなあ」


「トロル?」


 その単語に、ミクロカはちょっと驚いた。

 ここで言うトロルというのは、前世のような人喰い鬼や妖精の名称ではない。

 ある特定の人種の名称だ。

 トロルはここ東部に数多くいる人種で、人口では最多のマミに次ぐ多さだとか。

 マミというのは、小柄でこげ茶色の髪をしているのが特徴らしい。

 もっとも、東部に住む人間は西に比べる小柄な者が一般的のようだが。

 しかし、ラオカとルザはまるきり似ていない。

 個人的な差異、それに年齢というのも当然あるのだろうが、体格も髪の毛も、まるきり違うというのはどういうわけだろう。

 青い髪と青い瞳――白緑の髪に、深緑の瞳。


「全然違うじゃン……?」


「そらあ、しょーがねーべ。生まれた土地が違うんだからよお?」


 というのは、ラオカの弁で、


「トロルは、生まれた土地で、髪や瞳の色が違ってくる。これ、常識」


 そう言ったのは、ネスクだ。


「え、そうなの!?」


 いかにも──と、ネスクは芝居がかった声で、うなずいてみせた。

 血筋などではなく、生まれ育った土地で容姿が大きく変わる。

 これはトロルの、他にない大きな特徴であるそうなのだ。


「ドゥーエとかそのあたりのトロルは、みんな女将さんみたいな感じ」


「おらはちょいっと遠くの生まれだでよぅ? こんなんだ」


 と、ネスクとラオカはそれぞれに説明する。


「ただ、ああいう体格はトロルの中でも珍しい部類だけどね」


 トロルも、やはり土地によって差異はあるが基本小柄な者が多いらしい。


「ついでに。私は、ナギ系」


「ナギってのは、大体細身でスラッとしててよ? あ、眼は切れ長だなあ」


 また、ナギ系の髪は紫系が中心だ──とネスクは付け足す。


「青に、紫に、緑かあ……」


 茶色や金ならまだしも、いずれも前世の世界ではありえないような髪の色だ。

 少なくとも、自然に生まれてくるようなものではない。


「黒い髪ってのは、珍しいのかなあ」


「そんなこたぁねえーけど、おめえの顔つきだと、どこの系統なのか、わかんねーなあ?」


 ラオカはペタペタと、ミクロカの頬に触れながら言う。


「体格自体は、どこにでもいそうな感じだけど……」


 と、ネスクもミクロカの、灰色の顔をジッと見つめてくる。

 何となく気恥ずかしくなり、ミクロカは鼻から下を湯船に沈めるのだった。

 その一方で……。


「あんたまた、妙なのを引っ張り込んだもんね――」


 メドゥチは底の見えない、深い湖のような眼で囁くような声で言った

 キャイキャイと騒ぐメイドたち、というよりもミクロカを見ながら。


「引っ張り込んだというか、面倒くれないかって頼まれたのよ」


 ルザは楽しげにメイドたちを見ながら、口元をほころばせる。


「頼まれたにしても、もう少し扱いようもあると思うけど。悪い娘じゃないのは何となく解ったが……フツーじゃないよ、あの子は」


「――ふうん。そうなのかしら」


「とぼけるなよ。お前にわからんわけがないだろうに……」


 驚いたような、感心したようなルザに、メドゥチは苛立たしげに舌打ちをする。


「ふむ。そうね……」


 これに対して、ルザは何事かを熟考するように、天井へ視線をやる。


「どういうものかはまではわからないが、アイツは魔法使いに関わりがあるな?」


「さあ? そう言われても、あの子記憶を失ってるらしくて、自分の名前とか素性を全部忘れちゃってるのよ。わからないの」


「おい、なんだと? だったら余計に危ないだろうが……!」


「そうかもね。ところで……」


 ルザは、真剣な表情で近づくメドゥチを見返すと――

 その、白魚の並んだような手を伸ばして、メドゥチの胸を揉みしだいた。


「あなた、お乳の色が少し変わったみたいだけど、恋人でもできた?」


「…………何をするんだよ、このバカが――!」


 メドゥチはあわてて身を引くと、ルザの頭を平手で叩く。


「人が真面目な話をしてるのに、小娘みてえなことしやがって!」


「だって、気になったんだもの」


「やかましい、アホ!」


 そのやり取りは、離れているメイドたちにもしっかりと聞こえてしまうわけで――


「あんれまあ……。まーた、やってるよぅ」


「……アレさえなきゃあんないい人いないんだけど」


 ラオカとネスクの嘆息を横で聞きつつ、ミクロカは湯船の中で考える。 


 ――そういや、女将さんって、いくつくらいなんだろ……。聞いても多分ちゃん答えてくれないだろうなあ……。いや、案外しれっと言うかも?


 同時に、今の自分は一体いくつなのだろうかと思う。

 鏡を見た時は中学生くらいと思ったが、果たしてその推測が正しいのやら。

 ミクロカがぼんやりと考えている間、ルザたちはまた静かになったようだ。


「ところであそこの生臭坊主はまた放浪中かい?」


「ええ。アハトさんがこぼしていたわ。いいかげんで落ちついてほしいって」


 でも無理ね、きっと──と、ルザは苦笑を浮かべて湯気の舞い昇る天井を見た。


「クレウサー家の葬儀じゃ、けっこうな名僧っぷりだったそうだが……」


「もう一年か。あそこの大旦那様もすっかり老け込んでしまわれたわ」


「たった一人の孫娘に先に逝かれたんじゃな。あいつらと同じくらいだったか?」


 と、メドゥチはミクロカたちのほうを見つめる。


「ええ……。あまり面識はなかったけど、愛らしいお嬢さんだったわ」


 ルザは──かわいそうに、と祈るように言った。




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