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〇一、序章的なもの


       ●



 ――なんてマヌケヅラだろ……。


 地面にぶっ倒れているその顔を見て、最初に思ったのはコレだった。

 目を限界まで見開き、カエルみたいになった顔が虚空を見ている。

 すでに死亡しているから、正確には見ているとは言えないのだろうが。

 頭から血が流しながら、道路の端っこまで放り出された何とも無様な肉の塊。

 つまらないオモチャみたいに転がっているそれを見ていると、生死の尊厳というものがえらく嘘臭いものに思えてきた。

 というか実際、嘘、幻想、思い込みが多いのだと思い知らされる。

 全てが嘘だとは、さすがに言い切れないのかもしれないけれど。


 ――これは誰だろう?


 出来立て(?)らしき死体を見下ろしながら、ふと考える。

 どことなく見覚えがあるような、ないような……。

 周囲の人が騒いでいるようだが、その声は全く聞こえなかった。

 その後、自分の視点がいつもより若干高いことに気づく。

 地面から一メートル弱? もっと低いかもしれない。

 どうしたわけか空中に浮遊しながら、その光景を見ているようだった。


 ――夢?


 確かに見るもの全てがどこか非現実的な気がするが、それも違うようだ。

 夢を見ている時の感触とが、明らかに違う。

 以前に夢の中で、


「あ、これ夢だ」


 と理解したことがあるが、それが案外不自由なもので、五感も起きている時とはまるで別物であり、思うように動くことすらままならなかった。

 ジッと、手を見てみる。

 モヤモヤとした、何となく手っぽいような気体のようだった。

 オカシイナ……と、全身を確認する。やっぱり、似たようなものだ。

 明らかにおかしいのだが、不思議なことに別に不安にもならない。

 やがて地面や周辺、転がっている死体、周辺の色んなものを見て、気づいた。


 ――いや……。この、転がってるコレって………………あたしじゃん!


 目の前に自分の死体があって、自分は煙か蒸気みたいになっている。

 つまり自分は、哀れ死亡した後幽霊になり浮遊しているのか。


 ――そんなパカな!


 そんな馬鹿な、となるはずだったのだが。

 心の声なのに、発音がおかしなことになって、〝バ〟が〝パ〟になっていた。

 死んだ。ああ、そうだ。自分は死んだ。くたばったのだ。

 心の内から自分ならざる別の自分が、冷徹な声でそう伝えてくる。 

 何かもかもがわからなくなり、暗闇の中に溶けて、消えて失せていく。


 そして。

 それから。



       ○



 …………。


 …………。


 …………。


 ????


 まず最初に思ったことは――


(おや?)


 次に、思ったことは――


(おかしいな……?)


 頭がボヤッとして、どうも思考がハッキリとしなかった。

 夢か現か、どうにもアヤフヤで気味が悪い。奥歯にものがはさまったような感覚。

 多分起きているとは思うのだが、何かが明らかにおかしい。

 起き抜けで、まだ脳みそが半分眠っているのだろうか?


(何が、どうなったんだっけ?)


 グラグラとして定まらない、というよりもまともに機能していない視覚。

 寝起きということで、自分の部屋の自分のベッドの中かと思ったが……。

 どうも違うようだった。


(あれ……?)


 まるで全身が麻酔でも浴びたような、胡乱でぼやけたような感触だったが、だんだんと五感が正常になってくるに連れて――

 現状が、いつもとまるで違うことに気づいた。

 まず肌に感じるものは、ベッドの布団の感触ではない。

 そもそも、今どこにいるのだ? もう一度、瞬きをしてから目を開く。


(…………!?)


 視界が、緑色だった。

 今いる場所は、布団の中ではない。どこかはわからないが──水中である。


(――…………!? !? !?)


 当然ながら仰天して、必死で水面へと飛び出しかけて、


 ゴン!


 思い切り、頭を強打した。

 頭上は何か硬く重たいものが、しっかりと蓋をしているらしい。

 相当勢いよく打ったため、衝撃や痛みはかなりのもの、のはずだが。


(溺れる……? 溺れ死ぬ!?)


 完全に混乱しているためか、痛みもそっちのけで闇雲に手足をバタつかせる。

 それはただ手足を壁にぶつけるだけで、完全な徒労に終始したが。


(……かべ?)


 もう一度目を開き直し、自分のいる場所を確認し直す。

 水中であることは間違いないのだが、川や海の中ではなさそうだ。

 そしてまた、風呂でもなければ、プールでもない様子。

 今現在いるその場所は、巨大で透明な容器の中だったのである。


(いや──……ナニコレ)


 一瞬アルコール標本を思い浮かべたが、容器を満たす液体はアルコールではない。

 水というよりはぬるま湯のような温度であり、若草のような匂いがする。

 そして、口中の中に入ってくると、微かだが甘味のようなものを感じた。

 もう一つ。 

 一番最後に気がついたことだが、この中では呼吸ができるのだ。

 つまりは、溺れる心配はないわけである。


(……一体、ナニがどうなっての?)


 この状況こそ夢だと思いたいが、間違いなく現実のようである。

 容器の外は、薄暗くってよく見えない。

 液体の中でさらに周囲が緑色だから、なおさらわかりにくかった。

 外部は暗いのだが、容器とその周辺だけは淡い光を放っている。

 どうやら、何らかの人工物によるものらしい。

 しかし、自分はどうしてこんなモノの中に入っているのだろう。

 まったく、わけがわからない。


(というか……。本当になんなわけ、この状況は)


 呼吸はできるので溺れ死ぬことはないが、外には出られない。

 外には人の気配はなく、いたとしても自分をここから出してくれるのか。

 何もわからないから、どうにも判断がつかない。

 上の蓋に触ってみたが、ちょっとやそっとの力で開きそうにはなかった。


(困った……。マジ、困った……)


 ゆえに、緑の水中で膝を抱え、途方に暮れるしかなかったわけだが――

 プシュッと、突然、缶ジュースでも開けるような音がした。

 その音と同時に、容器内から液体が抜け出していく。 

 もっとも、それに気づいたのは水面から顔が出た時だったが。

 数分経つか経たないうちに、容器内の液体は全て排出された。

 足元を見ると、底部の端々に排水溝らしき小さな穴がいくつか見える。

 ぼんやりしていると、また変化が起きた。

 頭上の蓋が上昇し始め、同時に円筒形のガラスが下へ吸い込まれていく。


(どういう、しくみ?)


 それは、わからない。

 わかるのは、突然あの液体――容器の中から解放された、ということだけだ。


(……どうしよう?)


 少し悩んだが、ともかく、この部屋を調べてみることにした。

 素っ裸のままなのであまり気は進まなかったが、背に腹はかえられない。

 室内はひんやりとしていて、ひどく黴臭かった。

 歩き出した一瞬、体が重く感じて危うく転びそうになる。

 あの変な液体に使っていたせいか、体にうまく力が入らなかった。


 ――やっぱり、誰もいなさそうだしね……?


 謎の液体で濡れた体のままで、部屋を見て回る。

 一言で感想を述べると、〝不気味〟なところだった。

 無数に並んだフラスコや、得体の知れない標本みたいなもの。

 どう使うのか、見当もつかない機械らしき物体の数々。

 本棚をはじめ、あちこちに散乱する本、本、本。さらに本。

 古い古い白黒のB級映画でありそうな……おかしな博士がおかしな研究をしていそうなそういう感じのお部屋である。

 骸骨や人体模型標本がないのが、残念なくらいだった。


 ――あたしゃ、改造手術でもされてたんかい……。


 まだ半分眠ったような頭で、益体もないことを考えてしまう。

 埃と蜘蛛の巣だらけの部屋をうろつくうちに、ふと足を止めた。

 薄暗がりの中、白い肌がぼんやりと、人影らしきものが目に映ったのだ。


 ――だれ?


 思わず手で肌を隠すが、人影は何も言わず、何もしない。

 おかしいな、と、考えている間も人影はじっとして動かない。

 こちらと同じように、ただ様子をうかがっているだけに見える。


「あのー……」


 声をかけたが、返事はなかった。

 何か、変だ。この状況そのものが変なのだが、それを考慮しても変だ。

 沈黙のまま、数秒ほど経過して。


「……って、鏡じゃん」


 何も言わないはずである。その人影は自身の鏡像にすぎなかったのだから。

 照れ隠しのように笑いながら、鏡に近づき、


「…………。…………!」


 急に顔を歪ませると、鏡の前に顔を突き出す。

 鏡面に映る顔そのものは、悪くはない。

 ある種の服装……たとえば、黒を基調としたゴスロリファッションなどがものすごく似合いそうでもある。

 美少女? なるほど、確かにそのように言えなくない……かもしれなかった。

 だが。

 肩までのびた黒髪。

 ギョロッとした目玉――その下に浮き出た不健康そうな隈。

 まるで生気のない、白すぎる肌。というか、むしろ灰色?


 女として少し悲しくなるような貧相なボディ。さらに付け加えてチビだった。

 ――………………これ、誰よ?


 違う。明らかに違う。

 その顔、その容姿は、断じて十数年間付き合ってきた自身の顔ではなかった。


 ――そもそも、あたしは……日本人だし。大体が…………。


 混乱しながらも、まずは記憶の整理を始めて――

 そこで少女は、重大なことに気づく。

 名前が、自分の名前がわからない。

 記憶喪失、ではないのか。

 いや記憶が失われているのは確かなのだが。

 例えば自分がいつ、どこで生まれて、どんな生活をしてきたのか。

 親兄弟、家族の名前や顔。

 友達の名前や顔。

 いろんな人間の顔や、名前。

 学校ではどうだった?部活では? 好きなテレビ番組は?

 よく読んでいた漫画に、そこで出てくるキャラや台詞……。

 そういった事柄は、おぼえているし、思い出せるのに。

 名前。

 自分の名前。

 それだけが、すっぽりと欠落している。

 友達と話していた他愛のないおしゃべりや、聞きたくもない担任の長い説教。

 親に叱られたり、誉められたこと。

 こんなことは思い出せるのに、自分の名前だけが出てこない。あだ名すらものだ。

 そして、自分の顔も。


 ――顔……。


 鏡面に両手を当てて、何度も自身の姿を見直してみる。


 ――違う。やっぱ、違う……。


 自分の顔がちゃんと思い出せない。ぼんやりとした霧の中にいるようだった。 

 だがそれでも、自分がこんな容姿でなかったことは確かなのだ。

 この顔は髪の毛も瞳も黒いけれど、日本人のそれとはかけ離れている。

 では、白人のそれなのかというと、それも何か違う気はした。

 映画やテレビで、あるいは街中で見かけた白人の顔立ちは異なっている。

 似たところや共通点はあるのだが、やはり別ものなのだ。


「夢……かな?」


 頬をつねってみると、痛い。

 視覚も、聴覚も、触覚も、味覚も、嗅覚も、全てこれが現実だと言っていた。


 ――でも…………。


 やはり、納得はできない。

 もしかすると、これは何らかの架空世界――ヴァーチャル・リアリティなのか?


 ――そんな漫画だか、映画があったよね、確か……。


 だが、自分がそんな異常事態に巻き込まれているというもの、これまた非現実だ。


 ――漫画じゃあるまいし……。


 鏡の前で黒髪を撫でながら、少女は深く嘆息する。 

 自分の名前がわからないというのは、これほど落ちつかないものなのか。

 足元が常にぐらついているような心もとなさ、不安定さだ。


「それにしてもさ……」


 鏡の前で、前髪の端をいじりながら一人ぼやく。


「この野暮ったい黒髪はどうにかならなかったわけ……?」


 ――死ぬ前に、髪を染めたばっかなのに。


 …………。  


 ――……。 ! ! !


 少女は自身で思考したことに、硬直して動けなくなった。


「死ぬ……? え、死……。死ぬッ……?」


 そして自身の言葉に、さらに驚愕をすることとなる。


 唐突にフラッシュバックしてくるのは、道路に転がっている自分の死体。

 空中に頼りなく浮かんでいる、モヤモヤとした煙のような〝自分〟。


「あたし……死んだ、んだ? っけ――? え? じゃあ……」


 コレは、誰だ?

 少女は鏡に張り付くようにして、そこに映る鏡像を見つめ直した。

 色んなものが違うが、まず体格が違う。推測ではあるが、年齢も違うだろう。

 自分は高校生で、背はどちらかと言うと高めだった。

 しかし、鏡の中の少女は、中学生……十三歳かそこらにしか見えない。

 明らかに人種が違うので、正確な年齢は正直わからないが。


 ――整形? いや全身整形? サイボーグ? ぬははは……。


 力なく笑うと、鏡の向こうでも、不健康そうな少女が笑っていた。


 「なに笑ってンのよ……」


 ボソリと吐き捨てて、少女は鏡に背を向ける。

 それから、また部屋の中を徘徊しだした。

 改めて見ると、ものすごく広い部屋だ。

 片づけて、日光を入れればだいぶ印象が違うかもしれなかった。

 だが、現状では埃まみれで蜘蛛の巣だらけで薄暗く、如何ともしがたい。


「あたしは、死んじゃったんだよね? じゃあ、どうして生きているんだろ……」


 少女はつぶやき、手のひらを見てみる。

 そのつぶやきに応えてくれる者は、誰もいなかったが。

 どういうわけか、少女は自身の死をあっさりと受け入れていた。

 覚悟とか、現実を見るとか、そんなものではない。ハッキリとした実感なのだ。

 それは、スイッチを切ったら電灯が消えた――そんな感覚に似ていた。


 ――でも、あたしの名前って……なんだっけ?


 必死でも思い出そうとしても、やっぱり思い出せない。

 自分の顔、体、日本人として生きた生活は、確かに記憶にある。

 でも名前だけはどうしても思い出せないのだ。

 家で飼っていた猫の名前。犬の名前。芸能人や政治家の名前。

 インターネットで目にしたいくつものハンドルネーム。

 そんなものはいくらでも思い出すのだが、自分の名前だけが出てこない。

 まるで、その部分だけを綺麗に切り取ったかのように。

 記憶の中には、自分に呼びかけるいくつもの声がある。

 しかし、その中でも――自分の名前だけは空白だった。


「まあ…………あれだよ。わからないものは、しょーがないか……」


 少女はしばらく悩んだが、結局それ以上考えるのをやめた。

 無駄だと言う気持ちが強かったし、それほどショックでもなかったからだ。

 自分の過去について、思うところがないわけではないが……。

 心の内に『すでに終わったこと』という感覚が楔のように打ち込まれていた。


「これって、あたしが特殊なのかしらン……?」


 部屋中を物色しながら、少女はつぶやいてみる。

 応えくれるモノはないのだ。


 ――もしかすると死んじゃった人間って、案外こんなものなのかな? ……にしても、あたしってば、生きてるの? 死んでるの? ここは死後の世界?


 部屋をうろつき回りつつ、色んなことを考えてしまう。

 天国なのか、地獄なのか。

 もしも、生きているのなら――ここは、どこか? 

 少女はしばらく眩暈がしそうな気分でそこに立ち尽くしてしまう。。

 どれだけ経っても他に人は現れず、薄暗い部屋の中少女は一人だった。

 自問の答えは、出ない。

 説明をしてくれる者も、いない。

 外界がどうなっているのかも、わからない。

 ああ、一体どうすればいいのかと思い悩んだが、これといって良い知恵が浮かぶこともなかった。


 そして、


「前のあたしは死んじゃったワケだけど……。あれ? でも? なら今ここでこうしてるあたしって、一体誰なんだろう…………?」




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