高級奴隷の契約印
「どういう……ことですか?」
「この紋章は奴隷の契約印だよ。契約印には多くの意味があるが、問題はここだ」
おばあさんは胸に彫られた印の一部を指した。
「これは高級奴隷にしか課せられない。高級奴隷は主人かそれに準じる者の立会いじゃないと勝手にいじることは許されないってこの国の法で決まっている」
「どうして!? 今にも死にそうなのに、どうしてそんな……」
「物だからさ。あんただって、自分の持ってる高級品が壊れそうだからって拾った奴が魔法で勝手にいじくりまわされていたら嫌だろう? そういう感覚さ」
そんな、とおばあさんを呆然と見る。
けれど、彼女の表情が酷く苦々しげに歪んでいるのを見て取って私は何かそれ以上言うことは出来なかった。
「普通の奴隷ならまだしも、高級奴隷となると……ぎりぎり、止血までは」
「高級奴隷だったらどうして治療しちゃ駄目なの……このままじゃ死んじゃうわ」
「…………」
おばあさんは黙り込んでしまう。
口元に耳を当てると、先程よりも空気の音が小さくなっている。
「おばあさん!」
「こんな血だらけってことは、どこかで騒ぎがあったはずだよ。一先ず、あたしの店へ運ぶよ」
有無を言わさぬ様子で言われ、私はおばあさんと一緒にこの彼を店へと運ぶ事になった。
人目につかないようにと最初は警戒したものの、程なくして全く人通りがないことが分かった。おばあさんは「こいつが起したことかもしれないよ」と言う。
この虫の息の彼が脱走して、それを見に皆は行っているのではないかと。
誰に見られることなく、私とおばあさんは彼を店の中に運び入れる事に成功した。
店の中を通る時は大変だったけれど、それでも奥の方に寝かせる事が出来た。まだ息はしている。
「傷口を洗って酒をぶっかけな」
「はい」
頷いて、止血を始めた。
おばあさんは動き始めたのを確認してから「ハリスを呼んでくる」と出て行った。
どういうことか、と尋ねると「魔法治療は不味いけどね、薬師ならまだ手が出せるのさ」と答えが返ってきた。
「……大丈夫です。助かります。おばあさんはとても凄い人ですもの。私が魔法を使えるようになったくらいなのです。だから、頑張ってくださいね。……死なないで下さい」
いってらっしゃい、と見送った後、彼の側へと行き、ぎゅ、と浅い息をする彼の手を握る。
手の温度は酷く冷たく、見つめる顔色は血で彩られているため分からないけれど、きっと酷く悪い。
水で塗らした布で顔を拭いた。
「……わ……」
驚いた。
家族以外でこれほど整った顔を見たのは初めてだ。
鼻筋は通り、涼やかな目元をしている。
まだ大人と言う程の年齢ではなさそうだと血をふき取って気づいた。もしかしたら、私と年齢は変わらないかもしれない。
もし着飾って立っていたら王族だといわれても信じるだろう。それほどに整っている。横になっている様子はよく出来た人形を見ているようだ。
「あ……」
私は自分の不謹慎さに唇を噛んだ。
彼は眉間に皺を寄せている。
苦しげな声をあげる気力もない程に衰弱しているのだ。それなのに、死の淵に立っている人に見惚れるなんて。そんなことをするより、彼の生存率をあげられるように頑張らなければ。
私はそれから、ただただひたすらに彼が死なないように願いながら行動し始めた。
彼の隣にいると、また見惚れてしまう気がしたのだ。
初めての魔法〈火〉でお湯を沸かそうとして少し大惨事が起こりかけたり、水を魔法で出そうとして自分にかかってしまったり、それを乾かそうと風魔法を使おうとして失敗して盛大にこけてしまったり、傷口から噴出す血をふき取ったりしている内におばあさんが焦燥した様子で帰ってきた。
火加減を見ていた私は素早く立ち上がった。
「おばあさん! ハリスさんは……」
「その血まみれはどうだい」
「……血は止まりました。元々体力もおありのようで何とか。けれど、今すぐ治療しないと……」
おばあさんの後ろにハリスさんがいないことに嫌な予感をさせながら、そしておばあさんの雰囲気も固い事に不安に思いながら質問に答える。
どうしたのか、と問いかけるつもりでおばあさんを見上げると、赤の瞳が私を見つめていた。
「いいかい。―――こいつは逃亡奴隷だよ」
おばあさんは真剣な瞳で説明をしてくれた。
今日の午前中、商業地区の方で大きな爆発が起こったそうだ。
爆発したのはある奴隷商。
それだけだったら、そのままだったのだが、ここで問題が出た。その地下から大量に奴隷の契約印を施された非合法の奴隷達が救出された。
奴隷は本来、きちんと国に許可を取り、税を払うものだ。
商品を売るまでは奴隷商の財産に数えられる。万が一、犯罪奴隷が逃げた際に誰が何人逃げたのかを確認したり、何人がそこに商品として売られているのかを国が把握したりするためだ。
もし、奴隷に紛れて他国からの間者が紛れ込んでいても何処からの間者か分かり易くするように。それが、今回見つかったのは相当数の非合法の奴隷達。人攫いなどの人道に悖る方法での奴隷化はこの国では認められていない。重罪事件だ。
そして、その中の奴隷達の数人が行方不明だという。
「恐らく、その数人の一人はこいつがそうだろうねぇ」
「じゃ、じゃあ、今すぐここにいると……」
それなら、重要参考人として彼を真っ先に治療してもらえないだろうか。
「どちらにしろ、間に合わないんだよ。この契約印は完璧だ。これほどに不備のない印だと解析して解除するのに、少なく見積もっても数日はかかる。それに今は爆発に巻き込まれた者が他にも大勢いるし、こいつよりも重症患者だっているんだよ。国からの治癒者もここらの薬師だって借り出されていないのさ」
ハリスさんも、と言外に告げられる。横にいる彼を見る。
「どうやったら、助けられますか」
「……何だって?」
「どうやったら助けられるのですか。いいえ、間に合うか間に合わないか、そんなこと問題ではありません! 商業地区に行きましょう。そして頼みましょう。そこの奴隷だったと申し出ましょう。助かる可能性があるのなら、そうしましょう……! 若しくは……学園に行ってカハール先生に診て貰えば」
カハール先生は学園にいた。
私の許可証を下さったのだから、間違いない。それに、非合法なら例え高級奴隷であっても治療できるだろう。私がそう言うと、おばあさんは首を振った。
「……高級奴隷の契約印はその主人以外に治療が出来ないようになってるから無理なんだよ」
「出来ないようになってる?」
「高級奴隷は特殊なんだよ。解除しないか、主人を見つけてその主人が治療を望まない限り、そいつは放置するしかない。今のそいつの主人は奴隷商の主人だろう。聞いたところじゃ、奴隷商の主人は今意識不明らしい。幸い、非合法の契約奴隷の内、高級奴隷なのはそいつしかいなかったらしいから、他は無事に治療を受けてるらしいけどねぇ……あたしらに出来るのは祈る事と、出来る限りハリスが戻ってくるまでそいつの命を繋ぐ事だね」
前世の話で聞いたことがある。
そういうお話はあの世界には氾濫していた。
契約印、つまり呪いのようなものなのだろう。彼を逃さないための鎖だ。
他の奴隷になってしまった者達が治療を受けているのは良かったけれど、でも彼は今治療しないと無理だ。無理かもしれない。
けれど。
助かるかもしれないではないか。
私は彼の腕を取る。
「助かるかもしれないのよ。担いで行くわ」
「だから、無理だって言って―――」
「学園に行けば奴隷印を解除してくれる人だっているわ! 商業地区に行くより近いし、学園の先生は皆とても優秀なのよ! その為に国からお給料を貰っているのよ!」
学園に連れて行って、先生になんとかしてもらう。お金だったら全財産あげたっていい。人の命には代えられない。
「奴隷だから同情でもしてんのかい? そいつ一人を助けたってどうしようもな……」
「おばあさん、ごめんなさい。明日、また来るわ。おばあさん、彼を私の背に乗せるのを手伝ってもらえるかしら」
おんぶの形で運ぶしかない。
ここまで二人で運んだ時、彼の体重が見た目よりも重いのは気づいていた。筋肉の量だろう。まだ人を一人運ぶほどの筋肉があるのか不安だけれど、これもダイエットの一貫だと思えば頑張れる。何より、人の命がかかっていると思えば力も出る。
「本気かい」
呆れたような口調ながらも、おばあさんは私の背に彼を乗せてくれた。
ぐ、と足がふらつきかけるも、何とか持ちこたえた。
頑張れ、私。
あまり頭を動かす事は出来ないけれど、彼の命の灯火を思えば急ぐしかない。頭が振られても無事でありますように。
幸い、彼の頭は怪我をしていない。頭から血を流す事はない。
「……あたしも行くよ」
「え……」
「それと、アレクんとこじゃなく、ナタリアんとこに行くよ。あれは色々問題があるけど、治療魔法と魔法解析にかけちゃかなりの腕だからね」
「え……」
「じゃあ、ゆっくり運んできな。あたしは先にナタリアに話をつけとくからね。用事が終わったら手伝いに戻るよ」
「え……」
呆然としている間に、おばあさんの姿は見えなくなった。からんからんと扉の鈴がおばあさんが先に店を出たことを告げてくれた。
「ええええ??!?」
誰もいなくなった店で叫んだ私は「ぐ……」と呻き声をあげた奴隷くんに慌てて口を閉じた。




