助けなきゃ
「なんだか随分、機嫌がよさそうだねぇ」
おばあさんに言われて、浮かれている事を自覚した。あ、と声をあげて恥ずかしくて俯いてしまう。
「そ、その、ちょっと良いことがあって」
「へぇ」
頭につけた髪飾りを触る。
花細工の施されたバレットだ。
お金の残高確認の後、寮の部屋に戻り、他にも何か見つかるかもと机を探ってみると、これが出てきたのだ。
これはお姉様からの入学祝いの贈り物だ。お兄様の指輪に引き続いて、見つかった、大切な思い出。
私だと思って毎日着けていて、と渡された髪飾りは引き出しの奥に仕舞われていた。その思い出にまた心がほんわかと温かくなる。
机から見つかったのは、このバレットでお仕舞いだった。
他には入っていなかった。
「今日一日、生活魔法使って見る事だね。普通に想像して出せばいいんだから、簡単だろ」
「そう言われても……難しいわ。どうやって、魔力を魔法として出すの?」
「こう、変な感じがするのを末端に集めて、放出するんだよ」
「……さっぱり分からないわ……」
魔力を感じる事は未だ出来ていない。
それでも体内で魔力を回しているのだから、少しでも外に魔力を放出することが出来れば簡単に魔法を使えるようになるはずだ、とおばあさんは言う。
自転車に一度乗れれば何年後だろうと乗れる、というあの理屈だ。
「呪文は完璧だし、あたしが魔力を込めた時と込めなかった場合と違いも分かるようになってるんだから、本当にもう少しのはずなんだがねぇ」
おばあさんが魔力なしで呪文を口にした時と魔力を込めた時、その微妙な空気の違いを私は感じ取れるようになっていた。
なんだか、空気が揺らめく気がするのだけれど、それだけでも、かなりの進歩。
私は自分の成長を感じている。
けれど、自分の魔力と相手の魔力の違い、どうやって呪文に魔力を込めるのかが分からない。
「ああ、そうだ。今日はちょいとハリスのところに使いに行っとくれ」
「薬草ですか?」
「魔法薬を作るのに材料が足りないのさ」
ハリスさんは薬剤師だった。
初めの出会い時に行った草取りは裏にあった小さな畑で行ったけれど、それが薬草園だった。栽培出来るものは自分で栽培しているのだという。
治癒魔法が使える属性は決まっているものの、薬を作るのにその境はない。
ハリスさんの属性は地属性だけれど、薬を使って人の傷を癒す。お医者さんなのですね、というと、まさか、と苦笑された。
治癒能力を持つお医者様は、民間治療には携わらないらしい。
貴族の方がお金を払えるし、上の方達は優秀で数少ない治癒属性持ちを手放したいとは思わない。
だから、草で薬を作るしか私達にはないのさ、と言われた。
そうだろうか。
私は治癒属性持ちも凄いとは思うけれど、それと同じくらいハリスさんも凄い方だと思う。
だって、雑草にしか見えない草がどんな効能を持つか、どんな風に生成すればいいか、その頭に入っているのだ。
何より、森に入って役に立つのは治癒魔法よりも、ハリスさんの持っている知識じゃないだろうか。
食べられるものと食べれないものの違いが分かるのだし。
私がもし治癒属性を持っていたとしても、ハリスさんの知識を学びたいと力説すると、ハリスさんは本当に嬉しそうに笑ってくれた。
それから、ちょっとずつハリスさんから薬草の知識を学んでいっている。とっても有益な時間だ。
そんなハリスさんは、おばあさんに時々薬を渡している。
おばあさんは魔法と合体した魔法薬を作ることが出来るのだけれど、魔法薬を作るのはかなり器用でないと難しいそうだ。
魔力操作が相当熟練していないと無理なんだそうで、作ろうと思う輩も少ないし、やってみようとしても自爆してこの世からいなくなることが多いから稼ぎがいい、とおばあさんは話していた。
その魔法薬には魔力操作の他に、薬草や薬剤、薬液が必要になる事もある。
それをおばあさんはハリスさんに一任している。
塩水が欲しいのに、塩と水を両方手に入れるより、塩水を作っている人から直接貰ったほうがいいというのは分かる。
……どうして塩水で例えたのかしら……相当、料理がしたいのかしら……重症だわ。
「これだよ」
注文リストを渡されて、私はさっそく「行って来ます」と店を出た。
ハリスさんのところへ向う間に考えるのは、やはり魔力放出についてだ。
「―――もう少し、だと思うのだけれど……」
おばあさんが魔法を使うか使わないかは肌で感じるようになったし、授業で先生が説明する際にも「あ、使うな」と分かるようになった。魔法を使う気配が分かるのだから、魔法を使う感覚も分かるのではないかと思っている。
魔法は使えない、と思っていた。
けれど、今では使える可能性の方が高く感じられるようになっている。
「んー……」
けれど、何かが足りない。なんだかよく分からないけれども、何かが足りない。
おばあさんは想像力が乏しいというのだけれど、そんなことはない、と思いたい。
ビームだってマッチだって、ちゃんと思い浮かべる事が出来る。
けれど、なんとなく。
なんとなく、こうじゃない、と思う何かがある。
何だろうか。
上手くパズルのピースを当て嵌められていないような違和感がある。
もう一押し、何かが欲しい。
「?」
ふ、と気づくと既にハリスさんの店が見えていた。
随分、物思いに沈んでいたようだと考えるより先に不穏な光景が目に飛び込んできた。
男性が二人、ハリスさんの店の前に立塞がっている。
男性達は冒険者の格好をしている。
ハリスさんは店の前で何かを庇うようにその二人と応対しているけれど、遠くから見ても友好的な雰囲気は微塵も感じられない。
これは、行っても……いいのかしら。実はいい人、ということもある。顔が厳ついだけで。私の勘違いということも。
確信が持てず、躊躇う。
周りを見回すと、遠巻きに彼らを心配そうに見ている顔がいくつかある。けれど、その顔には怯えがあり、助けに入ろうという人はいなさそうだった。
「俺達は客だぞ! 早く薬を出しやがれ!!」
「冒険者様には薬が必要なんだ! 俺達を誰だと思ってるっ!!」
「……金払わない奴は客じゃない。さっさと帰りなっ!」
おばあさん並みの啖呵をお切りになるハリスさんだけれど、それは逆効果なんじゃ……。
「なんだと、このババァ! 下手に出てたらつけあがりやがって!!」
「……!!!!」
す、すごい!
チンピラ一号さんに必ず言わせちゃう科白みたいな奴!
よもや、このような所で聞くとは思っていなかったわ……!
妙な感動に浸っていると、チンピラ一号さんがハリスさんに拳を振り上げていた。
ハリスさんは、バッと腕をあげて庇おうとしているけれど、それではきっとハリスさんは吹き飛ばされてしまう。
だって、あんなに筋骨隆々な人に殴られたらもしかしたら、骨がバキバキになってしまうかもしれない……!
私の身体は頭で考えるよりもずっと素早く対応してくれた。
「や、やあーーー!」
「な、ん……ッッ!?」
「お、おいっ!?!」
―――気づいたら、チンピラ一号さんを突き飛ばしていた。
体重に任せたので本場の突き飛ばしとは違うけれど、中々上手くいって、チンピラ一号さんは美しく華々しく地面と情熱的なキスを交わした。初キスじゃないことを祈る。
「は、ハリスさん!」
「ローズちゃん!?! 何やってるの!!」
「注文しに来たのです! そ、そしたら、こんなことに……わわわたしも何がなんだか分かりません!!」
混乱しながら叫ぶ。
「わからねぇじゃねぇよォ!! おいそこの女! ふざけんな、何しがるんだ!!」
その通りです!ごめんなさい!
「だだだって、だって! ハリスさんを殴ろうとしていたから! 素敵な老婦人を殴ろうとしてたのが、そこの、あの、筋肉いっぱいの隆々のお兄さんだったから! もう、ハリスさんはきっとその腕で殴られたら向こうに吹っ飛んで宙を飛んじゃって、それで、それで骨がバキバキのボキボキになっちゃうって思ったら、ここにいたの! 何を言ってるか分からないと思うけれど、私だって分からないわ!!」
「ローズちゃんは、ちょっと深呼吸するべき!」
あわあわと焦りすぎて、ブワッと汗が吹き出た。私の背をハリスさんが撫でてくれるのを感じながら、私は情けなさに涙が出てきた。
チンピラさん達は、ギロッと私を睨みつける。
「おいテメェ……この俺に何しやがる……」
「ひやぁぁああ!! ごめんなさいっ! でも暴力は駄目よ! ハリスさんは女性だからっ」
パニックで何を言っているのか分からない。
「ふざけんな! お前ら全員、火に焼かれろっ!!―――〈火壁〉!!!!」
―――魔石だ。
タックルしたチンピラ一号さんが鼻血を出しながら(打ち所が悪かったようだ)叫んだ手に持っているのを見て、気づいた時には、火の壁が私達を取り囲んでいた。
詠唱を短く出来るアイテム。止める暇など、なかった。
「―――うそ」
一気に周りの温度が上がっていくのを呆然と見る。
「くっ、困った……うちは風属性……火は相性が悪い……ローズちゃんは?」
「わ、分からなくて」
「分からない? そう……あ、大丈夫……貴方はちゃんとお母さん達のところに返すから」
目が焼け付く光の中で、私は漸くハリスさんの後ろに子供が一人いるのに気づいた。
全く気づいていなかった。
どれだけ、てんぱっていたのだろうか。
不安げに私とハリスさんを見上げる子供がハリスさんとどういう関係なのか、どうしてここにいるのか、などは後回しでも良い。
一面が火の壁に包まれ、既に制服も噴出した汗でぐっしょりと塗れ、重さを増している。
はぁはぁと息が荒くなり、酸素が足りなくなっているのが分かる。
恐ろしい事に、段々と壁が狭まっているのだ。
火の粉は周りに飛び散り、今にも建物に移って炎上しそうだ。いや、その前に私達が火柱にされてしまう。
肌を焼く熱と光達を眼にして、後ろにいるハリスさんと子供を見る。光の反射が目に焼き付いて緑の光を宿す。
(―――助けなきゃ)
身体中に思いが駆け巡る。
(助けなきゃ。このまま火炙りにする訳にはいかない)
ハリスさんにはお世話になった。
彼女のおかげで、私はここ最近の幸せを噛み締める事が出来たのだ。
彼女がギルドで受注されないと困っていた人達の仕事を先に紹介してくれたのだ。
その役目はおばあさんに何時の間にか移っていたけれど、初めに斡旋してくれたのはハリスさんなのだ。
おばあさんも感謝するお方だけれど、始まりはハリスさんからだ。
そのハリスさんが命の危機。
それも、無力な子供と一緒に。
(助けなきゃ、助けなきゃ。でも、でも―――どうやって?)
この火の壁を突破する事は出来そうにない。火の玉くらいなら、火傷を覚悟して突っ込んでもいいけれど、火の壁は案外分厚く出来ている。私の身体はほぼ油で出来ているから、すぐに燃えてしまう気がして飛び込んで行く勇気が出ない。
なら、どうする?
火、火の弱点は―――水だ。
「みず、水があれば」
「……うちは水属性じゃない」
店の中に入って……だけど、この壁をなくすほどの水があるだろうか。
目の前に立ち塞がる火の壁を見る。
これを消す程の水を持ってくる間に焼け死んでしまう。
ここには消火器という便利なものはないのだ。
「でも、水よ。水があれば、この、壁を消せるほどの水があれば……別に多くなくてもいい、少しだけ向こうに抜けられる道を作ることが出来れば……」
———ありったけの魔力を込めれば、出来るかもしれない。
魔法が使えないなんて、そんな甘い事を言っていたら私だけじゃなく、ハリスさんと子供が死ぬ。この世から消えてしまう。それも火あぶりなんていう最悪の方法で。それは駄目だ。
考えなくちゃ。
水を出す方法。水を出す方法!
「おばあさんが言っていたわ……魔法は想像で出来ている……生活魔法の〈水〉を使えば……」
「何言ってるの、ローズちゃん……生活魔法の〈水〉じゃ、少なすぎる」
「そう、だから……生活魔法自体を、器自体を大きくすればいいんだわ……」
「……ローズちゃん……?」
魔法は想像が命と聞いてから、ずっと考えていた。
なら、どうして魔法(器)の規模は決まっているのか、と。
それはつまり、呪文でコントロールしているということだ。呪文で魔法の威力を、器の威力を決めている。だから魔力をどれだけ注ごうとそれ以上は入らない。
具体的に―――ああ、そうだわ。
消防のホース。
あの水を思い浮かべて。少ない威力でも鋭い水を思い浮かべれば。きっと大丈夫。これくらいの火の壁くらい、突破できる。私の全魔力を込めて。
(助けなきゃ。助からなきゃ。絶対に!)
強く、強く思う。
じりじりと肌を火が焼くし、子供もハリスさんももう辛そうだけれど、私は一歩前に出て両手を突き出す。
後ろからハリスさんが何か言っているけれど、私は身体に巡っている力を―――つまり、魔力のこと―――感じ取ろうと必死になっていて気にしていられない。
おばあさんが言っていたことを思い出す。
―――力を抜いて
深呼吸をして、体から出来る限り力を抜く。
―――そう、それで……身体の中に意識を集中させるんだよ
ピリ、と頬や腕、足に痛みが走る。
身体の中に、流れを意識してみる。
―――で、変な感じがするのがあるだろう
いつもはこの説明が理解不能だった。けれど……。
(———……ッ、これだわ……っっ!!!)
直感した。まるで雷に撃たれたかのように———
私は唐突に自分の中に流れる力を感じ取った。爆発的な熱量を誇るそれは先程までどうして自分が感じなかったのか分からない程に私の体を駆け巡っているようだ。一部が外の空気へ溶け込んでいくのまで分かる。もったいない。なんてもったいない。
駆け巡る力を指先に集中させる。考えずとも、それが最善だと何故か理解していた。
ゆっくりとじっくりと肩から腕へ、腕から掌へ。そして、最終目標の指先へ。
驚くほど抵抗無く指先に集まる力に、私は出来るという気持ちが沸き起こる。
「ハリスさん! 私がやってみますから、もし通路が出来たらそこから逃げてください!」
叫んで、息を吸い込んだ。口先に魔力を乗せるような気持ちで。持てる全てを、声の限りに、呪文を叫ぶ。頭に思い浮かべるのは、一直線のホースの水。火の壁を打ち破れ、とそれだけを念頭にいれて。
「〈水〉!!」
瞬間、身体の中から何かが大量に抜けていく感覚がして―――私の視界はぐにゃりと歪んで黒に染まった。




