ノーム銀証
〈学びの書〉を読みふけるか、と考えていた私が、そうだ、ちゃんと机の中を確認しておこう―――と思いついたのは、自然の流れだった。引き出しの中に、〈学びの書〉と〈魔張〉があったことを全く覚えていなかったことを考えると、一度中に何が入っているか、確認すべきだ。
〈魔張〉が使えなかったことに落ち込んでいたけれど、だからといって机を浚うことをやめる理由にはならない。
そ、と引き出しに手を突っ込み、何かないか探る。
「うー……ん?」
あった。
指先に触れたものを取り出し、机上に出す。
封筒が一枚。宛名の部分には見覚えのある美しい筆記体で名前が書かれていた。
―――愛する私のローズへ
お姉様の字だった。その儚い外見を裏切る事のない洗練された優雅な字。
指でその文字をなぞる。私の指は震えていた。
すぐに、この手紙の事を思い出した。
「これ……」
入学直前に「ちゃんと読むこと」と渡されたものだ。
私の掌をほっそりとした両手で包み込み、この手紙を握らせてくれた。温かいお姉様の手の感触まで思い出されるような思いに胸が突き上げられて、涙がぶり返す。
涙で前が霞むのを必死に留めて、封筒を開けた。
「―――カード?」
光沢のある菜の花色をした薄いカードが出てきた。
長方形のそれを返してみると、右下に薄く『ノーム』と書かれていた。
薄い細工はかなりの技術が使われていると私も推測できる。あ、と便箋も入っているのにも気づき、開いた。
『―――ローズ。約束どおり、きちんと手紙を読んでいるのですね。さすが私の妹ですね。お姉様は嬉しく思います。さて、ローズ。同封しているカードに気づきましたか。それはノーム銀行のカードです。貴方の預金通帳です。毎月、振込みはこのカードにしますから失くさないよう気をつけなさいね。このお金は貴方個人のものですから、自由に使ってよいものです。もし、ここにあるものだけでは足りないという事であるのなら、その時は必ずお姉様に申し出なさい。か、な、ら、ず! お姉様に申し出なければなりません。お兄様やお父様に頼ってはいけませんよ。これは、お母様もご承知ですから、遠慮なく私にお金の相談をすることです。頼む時には、いくらがいつまでに何の用途で必要かを書き添えて手紙を送ること。同封しているノーム銀行のカードに手紙を受け取り次第、振込みをしておきます。秘匿番号は―――』
他に、夏休みにはきちんと帰ってくること、ノーム銀行の場所、ノーム銀行の意義や意味、体調が少しでも悪いと思ったらアレク・カハール先生に直ぐに申し出る事、無理はしない事、無理だと思ったらすぐに家に帰ってくることなど、小さな字で便箋二枚に隙間無く、細々とした事がこのような調子で続いていた。
お姉様の心配性を懐かしく思う。
とにかく、細かい事まで心配するのだ。
手紙の中には食事の仕方やお風呂の入り方まで事細かく書かれている。
ある程度、書かれていることは守れているものの、友達が出来たら教えてね、という文にはあまりの申し訳なさに手紙が震えた。
お友達どころか、知り合いと呼べる人もいません。私は嫌われております……。
「ごめんなさい、お姉様……」
謝罪は部屋へと転がり、こことは遥か遠くにいるお姉様にその声も気持ちも届ける事は出来ない。
気を無理やり持ち直す。
便箋は封筒に戻して、カードを手に取った。
お姉様の手紙に書かれていたノーム銀行は知っている。
その成り立ちや職員達のことではなく―――私が入学当初に酷く迷惑をかけた場所という意味で。
お姉様の手紙を読んだ覚えが私にはあった。
内容を読むうちに思い出したのだけれど、ノーム銀行へと行き、お金をおろそうとして一悶着あったのだ。
お姉様の手紙を途中で失くさないように引き出しに封筒へ入れてから、お姉様が描いてくださっていた地図を頼りに辿り着いたまでは良かったのだけれど。
「……確か、秘匿番号を忘れてて……」
目的の場所に到着するだけで精一杯すぎて、番号を忘れてしまった私はそこで衝撃の事実を知る。
いえ、今思えばそんな驚くことでもないのだけれど。
「……魔力認証しなきゃならなくて……」
今でも出来ない事が過去の自分に出来るはずもなく、私はさんざん文句を言って泣き喚いて帰ってきた。物も投げつけた気がする。
いくら数年経っているとはいえ……そんなところへ、足を運ぶのはかなり気まずい。
ノーム銀行でお金をおろす、というのはお姉様からのミッションに近かったから、それが達成できなくて私はかなり落ち込んだ。
で、結局そのままになっていたのだけれども……お姉様の手紙にはきちんと素晴らしい事が書いてあった。
学園内にもノーム銀行があるという。
そこでも、ちゃんとお金は引き出せると書かれていた。過去の自分、ちゃんと読みなさいよ。と、思ったとしても誰が責められようか。馬鹿。ばかすぎる。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
さっそく、ノーム帳を活用するために―――今回はカードを忘れるという失敗をしないようしっかりと握り締めて―――私は外へと歩き出した。
「……え、なんで豚が……」
「うわ、珍しいものを……」
涙目になろうと、私は突き進む。
どこにあるか、というのは〈学びの書〉を手に入れている私には無用の質問だ! 地図を見ればいい! 万歳! 〈学びの書〉!
豚、豚かぁ……。
やっぱり豚って呼ばれるのかぁ……。
ちゃんと毎日かかさず、必死に運動をしているのだけれど、どうにも痩せていく気配がない。
前世のような体重を計る道具がないのでその経過を正確に確認する事も出来ない。
それでも、初めの頃より絶対に体力も筋力もついているのは確かなので頑張れる。
何より、ヒスイが私の心が折れそうになったら支えてくれるし、最近は街の方達にも応援される事や励ましの言葉をお手伝いの合間に頂ける様になっていて、それで頑張れている。お金だってだんだん溜まって来た。私はまだまだ頑張れる。
そんな風に考えていたら、目的地に到着していた。
「―――……」
目の前に存在する機械に目が点になる。
金属の箱が存在している。
人が何人も入っていそうな箱。
前世の乗り物、エレベーターを思い出す。
扉がついているその箱は、幾つも同じものが横にずらりと並んでいる。
数人利用している者もいたのだけど、私が来た途端、私の並んだ列の近くには誰もいなくなったのは、直ぐにその箱が使えるから良かったのだと悲しまないことにする。
緊張しつつ、扉を開けた。
縦20cm、横30cmほどの長方形の鉄板が正面の壁に埋め込まれていた。私が前に立つと鉄板に文字が浮かび上がってきた。後ろでかちゃりと扉が閉まる音がして、周囲の音が遠くなった。
[こんにちは。ノーム銀行のご利用、ありがとうございます。今日はどのようなご用件でしょうか?]
うわぁ、と声が漏れたかもしれない。
前世とそっくりのその機械に妙なデジャビュや世界の技術力の謎や突き詰めればどんなものも同じ様な形になるのだろうかという真理、世界の隔たりは案外少ないのかもしれないなどという考えや感情が一気に身体中を駆け巡った。
ATMにしか見えない。
それも、かなり高性能なATM。
[こんにちは。ノーム銀行のご利用、ありがとうございます。今日はどのようなご用件でしょうか?]
同じ文章が現れる。
頭の中で平坦な機械調子アナウンスの声がその文を読む。
「ど、どんなご用件?」
思わず、声を出して返事をしてしまった。
瞬間、お預かり、お引き出し……と様々な選択肢が先程の文が消えたと思うと現れた。え、音声認識?と更に動揺する。
こんなの知らない。誰か助けて。
震える指で『残高確認』を押すと[生徒証とノーム銀証を指定の場所に置いてください]と文字が現れた。そして、絵も現れる。音声認識ではなかったようだ。さっきのはタイミングが良かっただけらしい。怖い。
生徒証は鉄板中央に、ノーム銀証(どうやらこれがお姉様が下さったカードのことのようだ)は鉄板の横へ存在している溝へ通せ、ということらしい。
「せ、生徒証……!」
制服のポケットに入れっぱなしにしていたはずだ、とごそごそと探し出す。
あった、と生徒証とノーム銀証を言われた通りにしてみる。別に誰かに見られている訳でもないのに、今私は汗だくの冷や汗だらだらだ。
暫くすると、画面が切り替わるかのように鉄板へ数字が現れた。
「………………………………………………………………は?」
信じられないほど、低い声が出て眉が寄る。
ちょっと一度後ろを向いて、目を擦り、気合を入れてもう一度振り返ってその数字を見る。
[チュベローズ・テリセン様の残高。 8白銀貨6金貨です]
穴が開くほどその数字を見つめる。
見つめる。
消えない。
見つめる。
消えない。
見つめ……消えない!
何度確認しても、どう見ても、私の残高は『8白銀貨6金貨』だ。
色々操作してみると、毎月、金貨が一枚ずつ振り込まれていた。つまり、月に金貨一枚が私のお小遣いだという事だ。そうすると5白銀貨のはずだが、時々何故かお金が振り込まれていた。用途や理由はかかれていないので、どういった理由で振り込まれたのか分からないが、この預金通帳は私のもの。つまり、このお金は私のもの。
叫びだしたい。
多すぎるわ、お姉様……!
お手伝いをするようになって、私は貨幣価値を勉強していた。
半銅貨から始まり、銅貨、半銀貨、銀貨、金貨、白銀貨、白金貨……となっている。
1年間に金貨1枚あればつつがなく過ごしていけるのだ。私はそれを一ヶ月分の計算で頂いているなんて……あまりにも多すぎる。
前世を思い出す前に、カードが使えなくて良かった。
もし使えていたら、このカードの中身は空になっていたことだろうと思う。だって、色々買い揃えたいと思うもの。何もないし……調理器具でも買おうかな。後、個人の掃除道具!
お金があると夢が広がるというのは本当だったようだ。
それから、と色々と考えていて、私は、はた、と気づく。
「だ、だめよ。これはお父様が一生懸命働いて下さっているものよ。私のために使うなんて駄目よ」
やっぱり、自分で稼げるようになってから楽しい事は考えよう、と思いなおした。
お父様の大切なお金をくだらない事には使えない。最低限、生きていく中で必要になるものだけはこの中から出すものの、それ以外は極力節約していこう。
思っていた以上に貯金があった事に動揺してしまった私は、気を取り直してこれまで稼いでいたお金を[預け入れ]た。
お手伝いをして頂いたお金は今まで自分で袋に入れて持っていたのだけれど、カードに入れることが出来るとお姉様の手紙に書いてあったので持ってきたのだ。
ちゃんと稼いだお金を入れることが出来た。
白銀貨や金貨の横に並ぶ文字。
何より私の眼には光って見える銅貨と半銅貨の文字は自分がにやにやするのに充分な威力だ。
ふふふ、と傍から見れば不気味な笑い声をさせながらノーム銀行ATMから出た。
今日は本当にいい一日だ。
〈学びの書〉が見つかり、〈ノーム銀証〉が見つかり、お金に少しの余裕が出来てお手伝いのお給料も盗まれる心配が無いところへと納める事が出来た。盗まれないかと、とても心配していたのだ。これからは頂いたら直ぐにノーム銀証にいれることにする。
私の心は軽く、足取りも軽く、寮へと戻った。
戻る途中で、モーセ現象が起きた事に心が下向きになったのは、だんだん諦念が増してきたことを、自覚させた。




