もう一度、魔女の家に
色々言いたいことはあるでしょう……(後書きに続く)
翌日、学園を出た私は中央広場を通り、昨日と同じように商業区へと赴いた。街の中は騒がしく、多くの人間が歩いている。学園近くの建物は石造りの物が多かったが中央広場を過ぎた辺りから木造建てが増えてきた。昨日はギルドに行くことに思いが集中してしまい、周りの景色を見る余裕がなかった。けれど、2度目というのは若干心の余裕があるものだ。
周りをみる余裕が出来てみると、通りには馬糞と思われるものや何かの動物の死骸、他にも様々なゴミが散らばっていた。とはいえ、記憶に存在する、似通った地域である『ヨーロッパ』とは違い、人間の糞尿は散らばっていない。学園と同じように浄化魔導具のトイレが存在するのかしら、と市民の生活に詳しくないために推測した。
「よし……!」
商業区に入り、覚えている道順通りに進めば、昨日来た道へと辿りつく。昨日は、ちょっと迷ったので、それだけちゃんと道のりは覚えている。ばっちりだ。
このすぐ近くにおばあさんの店がある、とあの素敵な外観の店を探す。
「………………?」
きょろきょろと見回す。けれど、見つからない。絶対この近くなのに。
もしや、間違った道へ入ったのだろうか。あれだけ自信満々だったのに、道を誤っていたのか。自分の自信満々っぷりは間違うフラグだったのだ、と思ったところで
「あっ!」
石造りの壁に絶妙な蔦の絡まり、掲げられている看板には―――擦り切れていて読みづらいが―――『ソラリス魔導具店』と確かに書かれている。うん、ここだ。
「お早うございまーす……」
昨日と同じように、おそるおそる入る。埃が日の光を反射しながら、空気中に舞い上がって目の端で煌いた。
「……あんた……」
おばあさんが、鳩が豆鉄砲を食らったような様子で迎えてくれた。目と口を見開き、私をじろじろと見る視線に戸惑う。
「昨日、来たらって仰ってくださったので……あ、あと、暇だったので!」
「……そうかい。昨日は迷わずに帰れたのかい?」
「あっ、えっと。少し、迷ってしまいました」
問いかけられて、恥ずかしく思いながら正直に答える。可能なら「えへへ」とか言いたいくらいだ。似合わないし、そんな性格でもないから言わないけれど。話のネタとして、先程も迷いかけたことを話した。
「そう言えば、今日も少し道に迷ったかなと思った時が……」
「それはいつだい?!」
「え? ついさっきです、そこで」
おばあさんが身を乗り出して聞いたのに驚いて、反射的に応えた。
「ちゃんと作動はして……? 何で店が見つかったんだろうね」
おばあさんは眉を寄せてそんなことを呟いた。何か不味い事を言っただろうか。不安になって、言葉を紡ぐ。
「店が見つかって? いえ、すぐお店が……」
「……ちょっと待ってな」
どこか焦った様子で、おばあさんは店の外へと出て行った。
からん、と扉につけられた鈴が寂しく鳴る。一体、私は何をしたのだろうか。
もしや、来てはいけなかった、とか?
考え始めると止まらない。
そうだ。私にもう一度来て欲しいなんて願う人がいるはずがなかったのだ。丸々としている様子は、可愛らしいという表現では済まされない。そもそも暇つぶしだと言っていたおばあさんは、店の主人だ。ああは言っていたけれど、買ってもらう方が嬉しいには違いない。やはり一文無しには来て欲しくないだろう。
もしかして学園に帰ったからお金を持ってきたと思われたのかもしれない。話した様子をみて一文無しだと気づいて追い返す口実を外に探しに行ったのかも。
思考は暗い方へと落ちて行く。もういっそ謝ってしまえばよかったのではと思った私はおばあさんを追いかけて店の外へ出ようとしたのだったけれど、ちょうどそこにおばあさんが戻ってきた。眉間に皺を寄せ、難しそうな顔をしている。
「ど、どうかなさったのですか? おばあさん」
今にも叩き出されるのではないかと、怖ろしく思いながら聞いた。
「店の外に置いてある魔導具の点検にね」
「壊れて、いたのですか?」
「壊れてなんかなかったさ。正常に、そう、どこにも不具合なんてなく、正常に―――動いていた」
そう噛み締めるような口調で言ったおばあさんは、じっと私を見つめた。その意図が分からない私は、疑問符を飛ばすしかない。暫く無言のままだったおばあさんは、ふうと息を吐いた。
「なあ、娘っこ」
「は、はい」
「今日は暇かい? 授業はどうしたんだい」
「は、春休みだからありません」
正直に答えると、おばあさんは突然私の腕を取った。凄い腕力で握られて腕が悲鳴をあげる。私の二の腕におばあさんの指が食い込んでくる。
「えっ、へ」
「ちょっと、こっちに来な」
グイグイと引っ張る力は、かなり強い。先日もこんなことがあったな、と思いだした。
ナタリアさんも同じくらい力が強かった。この世界の老婦人の力はどうなっているのだろう。私も歳をとればこれくらい力強くなるのだろうか。凄い怪力の年取った私……想像出来なかった。
おばあさんは、店の中ではなく、外へと出た。店の扉前でおばあさんは腕を組む。何をするのだろう、と不思議に思って見ていると、くい、とおばあさんは顎で道を指した。
「ちょっと向こうの通りに行って、戻ってきな」
「は」
「早く!」
よく分からない命令に、あわあわしながらも、言われた通り、おばあさんが指した通りまでを進む。一先ず言われた通りにするべきだ。だって私は一文無し。何か買えと請求されても困る、と思い、もう一度戻ろうとしたところで「ん?」と立ち止まった。魔導具店が見当たらない。それどころか、目の前の風景は袋小路。
え? どうして?
いくら通りの向こうに歩いたからと言っても、こんな短い道のりで迷うことはない。途方に暮れかけ―――
「あっ」
瞬きをした瞬間、おばあさんがさっきと同じように店の前で腕を組んで立っている。眼を瞬かせて何度も確認する。おばあさんも店もある。
袋小路はどこに?
「お、おばあさん……さっきまで、ここ」
「……なるほどねぇ」
ふん、と鼻を鳴らしたおばあさんは踵を返し店の中へと入った。何がどういうことだと疑問で頭が埋め尽くされているのに、少しの質問をする時間も与えられなかった。僅かばかり迷ってから、おばあさんの後に続く。店の奥に彼女のローブの端が消えるのを視界にいれ、後を追うようにして奥へと進んだ。店の中の物を壊さないように気をつける。
受付の奥には大きな肘掛け椅子、木造りの丸テーブル。床には絨毯が敷かれ、壁には暖炉があった。
火のくべられていないこの暖炉に大きな鉄鍋でもあれば、完璧に魔女の薬作り現場だ。ちょっとわくわくする。
おばあさんは肘掛け椅子へと深く身を沈めた。私は何処にいてもいいか、分からず、所在無く立っていた。するとおばあさんにテーブル近くにあるもう一つの椅子を勧められ、それに座った。
椅子が折れるのではないか、と冷や冷やするもしっかりと支えてくれた。
「あの、おばあさん」
一体さっきのはなんだったのか、と聞くことは出来なかった。
「……次はこれにしようかね」
私が口を開くよりも先に手渡されたのは、小さな赤色の石だった。表面は滑らか。光沢がある為、宝石のようにも色硝子のようにも見える。
「これは……何でしょうか?」
おばあさんは私の答えに、一瞬間を置くも答えてくれた。
「これは魔法石さ」
「魔法石?」
始めて聞く単語を繰り返す。
「魔法を込めておける石のことさ。魔導具なんかにもよく使われるが……ま、一番は戦闘かね。特に、魔法を武器にするもんには大切さ。魔法を使うと呪文を唱える間は無防備になるからね。戦闘の時にそれじゃ、死ぬ機会が増えるだけだろう? その欠点を補う為に、予め魔法石に魔法を書き込んでおく。そうすれば、魔力を込めて『鍵』を唱えるだけで書き込んでおいた魔法が発動する石だよ」
つまり、ストック出来る保存食ならぬ、保存魔法をいれておく器という認識でいいのだろうか。
そういえば見たことがあるかもしれない。いつだったかお兄様が庭でこのような石を持っていた気がする。触ろうとしたら、危ないから駄目だよ、と優しく諭されたのだ。
小さな赤石を人差し指と親指で挟んだ。お兄様が持っていたのは水色だった。お兄様の瞳の方が綺麗だ、と思った覚えがある。
石越しにおばあさんを見る。
ここまできたら、おばさんの意図を聞くのは止めた。空気からして、何も教えてくれそうにない。それよりも、魔法石の事を詳しく聞くほうがいい。
「呪文を使う時は、無防備になるのですか?」
おばあさんの話を聞いていて、気になったことを尋ねた。
「……そりゃ、初級呪文程度なら出来るやつもいるけどね。中級になってくると、集中力や操る技術もいるから、呪文を唱えながら誰かから攻撃をされて、その上防御まで一人でするなんて無理に決まってるじゃないか。そもそも魔力が足りるかも分からない訳だし」
出来るのは魔法に長けた魔族か耳長族ぐらいじゃないかい、と教えてくれた。初めて知る話だが、魔法では基本中の基本なのではないか、とおばあさんの醸し出す雰囲気を読んで気づく。もっと勉強しなくては、と気持ちを新たにした。
借りた本は、色々記憶が戻ったショックで読めていない。正直手が伸びない。だって魔法が使えないのに魔法の本を読んでいるのって凄く惨めなんだもの……。あの本を見ると、心が重くなってくる。
以前のことも思い出してきている。記憶達が無くなっているのも一時的なものだったようなので、もうすぐ全て戻ってくるだろう。けれど、それら全て客観的にみえるようになってきている今となっては辛いことばかりだ。自業自得なのだから頑張る。
それくらいで、負けては駄目。ちゃんと、続きも読まなくちゃ。と思っている。
とはいえ、今はおばあさんの話から知らない知識を得る事を優先する。
呪文を使っている間は、無防備になる……万能だと思っていたけれど、魔法を使うにも、やはり制限はあるらしい。
魔法が一番で無敵と言う訳にはいかないみたい。
それなら、他に身を守る術も考えよう。そうすれば、私だって一人旅が出来るようになるかもしれない。魔法が使えなくても、生きていけるかも。剣、銃、槍、と様々な武器を思い浮かべ―――修練場の武器部屋にあった―――自分の体格を考えて、その考えを打ち消した。私は、平均身長よりも背が低く、他の者達と闘うには、力や重さが絶対に足りない。なら一体何を私の武器にすれば。やっぱり、私は身体が器用に動かせるようになってからの方がいいのかしら。
……相撲とか?
小さい人でも出来るとなると他に……
「さ、やりな」
「え?」
自分に合う武器を考えていた私は、おばあさんの発言に対応が出来なかった。意味も理解出来ていない。どうやら、私はおばあさんの話を聞き逃してしまったらしい。聞いていなかった、と言えない私の様子にそれを察して、おばあさんはもう一度促してくれた。
「聞いてなかったのかい。ちょっとした実験に付き合って欲しいのさ。暇なんだし、構わないだろう? 別に難しいことなんてないさ。魔法石に魔法を込めるだけでいいからね。ああ、生活魔法にしておくれよ。まだ死にたかないしねぇ」
右手にある魔法石へと視線を向け、おばあさんへと視線を向ける。早く、とおばあさんの眼は語っている。
足元から体温が床へと流れていく気がした。
「どうしたんだい。さ、早く。これで、面白い実験結果が得られるかもしれないんだからね」
おばあさんの眼は輝いている。何かを期待しているのを理解し、何をして欲しいのかも分かる。そして、その期待に答えられるはずの私は―――俯くしかなかった。
おばあさんが、身じろぎしたのが空気と音で分かった。
いつまでも黙っている訳にはいかない。
出来ないわ、と言った。
声が床に落ちた。
「なんだって?」
「あの、あの……私、出来ないわ」
薄暗い部屋の中に、響く。春のはずなのに身体の芯は酷く寒い。
「はぁ? 出来ない? 別に困った事はならないさ。ちゃんと実験が終われば報酬だってやるし、生活魔法程度なら魔法石が爆発することもないから、危ない事にはならない……」
「そうじゃないの、そうじゃないのよ。わたし、私ね―――使えないのよ、生活、魔法」
情けなさに声が震えて、軽蔑の眼を恐れておばあさんの顔は見れなかった。ああ、なんてことなのだろう。ただ、おばあさんが『また』と約束をしてくれたことが、家族以外でそんな約束を誰かとしたのが初めてで、とても嬉しかっただけなのに。どうして、こんなことを吐露しなければならないはめになったのかしら。
木の床を見つめ、目頭が熱くなるのを、眉をぐっと寄せて我慢する。人前では泣かない。絶対泣かない。もう、本当に。どうして、こうも私は涙腺が弱いの。おばあさんが次に何を言うか。怖くて、逃げ出したくて、でも、身体は動かない。こういうものを、コンプレックスというのだろうか。沈黙が酷く痛い。
「――――なんだ、そんなことかい」
だから。
おばあさんが軽いため息を吐いた後に言った言葉は、私を呆けさせるのに充分な効果を発揮した。
明日の更新をお楽しみにっ!




