魔力操作
サウレー(日曜日)
「……っ、はあっ―――はあっ―――……」
ぼたぼたぼたぼた……と滴り落ちる汗を、袖で拭いながら塔の最上階を目指す。体力などないに等しい私は、今は根性で足を進めている。一度休めば、もう二度と立ち上がれない気がするのだ。
「や、った……ッッ!」
最上階へたどり着いた。制服のポケットへ手を突っ込み、生徒証を取り出す。それを、鍵というよりも箱のようなものに翳せば、かちりという音と共に扉が開く音がした。
ぜーぜー言いつつ、倒れこむようにして部屋へと入る。
倒れこんだまま、靴を脱ごうとして脂肪によってと身体の固さに手が足先まで届かない事を知った。……柔軟しよう……。
仕方なく、少し息を整えてから「よいっしょー……」と12歳にしては年寄り臭い掛け声で起き上がり、靴を脱いだ。靴も服や下着と同じように、一足しかない。そして、部屋の中は綺麗だ。それで思いついたのが『靴を脱ぐ』行為だった。
この部屋に入ったのは、昨日・今日とあわせて私とナタリアさんのみ。そんなに砂も入っていないし、使った後は掃除をしろということらしく、箒などの掃除用具は部屋に置かれていた。ぱぱっと掃き、綺麗になった床に裸足でいても誰も文句など言わない。
誰かに寝込みを襲われ、逃げなければならない……なんて心配は私にあるばずがなく、掃除もしたため、床が汚いということもない。ということは、靴を履き続ける意味もない。
「……『誰でも分かる! 魔法基礎編』……どこの世界でも、本の題名はこんな感じなのかしら……?」
壁を背もたれ代わりに、部屋の隅へと座り、借りてきた本を手に取った。
そう、魔法っ!
せっかく、魔法のある世界なのに、前世を思い出してから一度も使っていなかった。それは、魔法の知識がゼロだったからだ。何をどうすればいいのか、さっぱり分からない。属性的なものがあるのかも分かっていない。もしかしたら、この世界では魔法適正のようなものがあって私に適正がないのかもしれない……と思いはしたが、それがあるのか、ないのかさえも分からないため、魔法への憧れは無くなっていなかった。
どこかで見たような題名の本の目次、第一章という項目を開き―――
『魔力を自分の身体の中から外へ流してください。これが〈魔力操作〉と呼ばれるものです』
飛び込んできた一行に、私は血の気がひいた。
「あ……」
逸らしたいのに、目線は固定されたまま、その言葉を凝視した。
『魔力を流す』
『魔力操作』
―――その言葉は、今まで忘れていた記憶を呼び覚ました。
この世界の住人で、〈魔力〉がないモノはいない。モノというのは、有機物だけではなく、無機物も入る。草や木、川にでさえ〈魔力〉はある。勿論、今動いて生きている”私”にも。
その〈魔力〉を身体の外へ流すことを〈魔力操作〉といい、この世で生きていく中で最底辺の、魔法とも呼べない基本事項だ。〈生活魔法〉と呼ばれる、生活する中で必ず必要になる魔法は、生きているのなら自然に出来る。植物、獣、昆虫も生活していく中で、種を残す時に、交尾をする時に、同種のものとのコミュニケーションを取るために〈魔力操作〉を行っている。それはこの世界において、呼吸と同じ扱い。生きている限り、出来ていなければならないものだ。
―――だが、私は……出来なかった。
何故か、なんて誰にも分からなかった。そのことが判明した時、家族の誰もが驚愕の表情を浮かべていて、そう、その場にいた人が
『信じられない! 〈魔力操作〉が出来ないモノなんて聞いたことがないぞ!?』
と私へ言った内容は、幼い私にも分かるほどに否定的で、その後に私を見た眼はこれまで一度も会ったことのない、未知の者を見る恐れと……侮蔑のこもったものだった。
「あ……」
〈魔力〉はある。それなのに〈魔力操作〉が出来ない。教えてもらうにも、誰も〈魔力操作〉の説明は出来なかった。
優秀なお姉様もお兄様も、説明をしようとして、最後にはいつも申し訳なさそうに笑った。当然だった。
だって、呼吸のやり方を教えるなんて出来るはずがない。息を吸って、でも、息の吸い方が分からないのを……どうやって、物心ついた時から出来たものを教えるというのだろう。
学園に入った当時、私はAクラスだった。初等部二年でDクラスにクラス替えをした。
どうしてDクラスになったのか。当時は、納得出来ずに荒れた。
私の態度が悪すぎたのも、勿論あるのだろう。けれど、それ以上に〈魔力操作〉が出来なかったから。これが一番大きかったのではないだろうか。
落とされた時にも、私は思ったのだ。
(―――好きで、出来ない訳じゃないのに!!って―――)
この世界で、〈魔力操作〉が出来ないのは生活が出来ないのと同じだった。
魔法は当然使えないだけではなく、学園で必須の魔導具が扱えない。
(そう、そうだわ。入学した時に、それでも〈魔力操作〉が出来なくても、他のことを頑張ろうと思ってて、でも)
(でも、教科書も―――覚書も―――)
(〈魔力操作〉が出来ないと使えな、くて……っ)
思い出してきた。
入学した当時、貰ったそれらは〈魔力操作〉が出来なければ使えないものだった。あの時、幼心に確かに絶望したのを、はっきりと思い出した。私は〈魔力操作〉が出来ない。だから、教科書も覚書も使えない。どうやって勉強をしろと言うの?と。
更に。
「平民に、使えて……私に使えなくて……それがとても許せなくて……それから、眼が、眼が……!」
平民も〈魔力操作〉くらい出来る。それが、私の自尊心を傷つけた。でも、それくらいなら他人に八つ当たりするくらいで済んだ。
記憶が、飛んでいたのは、
(眼だわ―――あの眼が―――)
たぶん、生徒達の、眼だ。
ぞっとする嫌悪感と侮蔑を称えた―――暗い、仄暗い優越感に浸っている、あの眼。
私と話す人たちは、皆、その”眼”を持っていた。その”眼”で見られる度に、私は自分の無能力さや惨めさを感じて泣き叫びたくなって、重苦しい重石が心の中に溜まっていった。それを認識するのが嫌で、一時的に逃避する為の手段が《食事》だった。
そこまで考えて、私は昨日のナタリアさんの科白を思い出した。
『教科書、使えませんよねぇ?……初等部の頃から』
あれは、私が〈魔力操作〉が出来なくて教科書が使えないと知っていたという意味だったのではないだろうか。
言われた時は、『使っていなかった』という意味だと受け取り、可笑しな言い回しだとは思ったが流していた。
けれど、ナタリアさんは『使えない』と言ったのだ。その、意味は。
「そ、れって……ナタリアさん、は……知って、たってことだわ」
私が〈魔力操作〉が出来ない事を。
事務員であるナタリアさんが知っていた、ということは。
―――学園の誰もが知っているということと、殆ど同意語だろう
―――つまり、私が、『出来損ない』であることを
ひゅぅ、と咽喉が鳴り、ぽたり、と雫が落ちた。小さな染みが本の上に出来たのを見て、慌てて、紙面の上に出来た水滴を手で払い除ける。
「―――っ、駄目だわ」
涙が止まらない。
なんて、情けない。
なんて、惨めな。
なんて、弱いのだろうか。
忘れ去っていた、というよりも、全て見ないようにしていた。私が『出来損ない』であることを、認めたくなくて。私には力があるのだ、と周囲に見せつけたくて。それ以上に……対等に、見てもらいたくて。間違った方向に、必死になった。
Aクラスの上の、Sクラスになることを夢見ていたから。お兄様とお姉様、どちらもが通ったSクラスになることに、憧れていた。休暇に帰ってきて、二人の話を聞くことが私の幼い頃の数少ない楽しみだったから。
だからこそ、AクラスからDクラスに落ちた時、私は己の存在そのものを否定された気がした。私の夢、全てを『お前のような出来損ないは、そこが相応しい』と暗に言われたと感じて、自分の行いを反省する事もなく、自分が”出来損ないである”事実から目を背け、忘れ去った。
客観的な視点があると、自分自身の考えも推察がしやすくなることを、今、実感していた。それと同時に、どうやら”私”の記憶にも欠陥があることが分かった。
忘れ去った、とはいえ、私はその事実をずっと分かっていたし、認識もしていた。ことあるごとに『私を馬鹿にしているんでしょう!』という気持ちが根底にあった。だから、何をやっても虚しさがあったのだ。満たされないはずである。まあ、黒歴史たちは本気でやっていたので、釈明の余地はないのだけれど。
だが、前世の記憶を思い出してから、本当に私の頭の中に〈魔力操作〉も、それが使えないことも―――私が始め、Aクラスに入ったことさえ、記憶になかった。
前世の記憶、つまり『彼女』に関してもそうだ。
思い出した当初、私は『彼女』の考え方よりだったし、気持ちも『彼女』の世界を基準にしていた。記憶もどちらかというと、実体験に近い感覚があった。けれども、今は記憶とはいえ『テレビ』を見ている感覚に近い。
―――知っているけれど、分からない。
そこに付随する『感情』も、だんだん『彼女』が感じたのか、”私”が感じたのかの区別がつくようになってきている。料理が出来る事を知っているけれど、経験をしたことはない。
「”私”と『彼女』は違う。性格も、容姿も―――世界も」
とん、と壁に背をつけ直す。
涙はいつのまにか、止まっていた。Aクラス時代や黒歴史とは、別のことを考えたからだろう。
「……気を、取り直して……魔法の勉強を……」
〈魔力操作〉以外の知識は全くない。というか、〈魔力操作〉も名前でしか、よく知らない。
〈魔力操作〉が出来なければ、魔法も使えないけれど、知識は力になる……はずだ。いつか、役に立つかもしれない。そんな想いから、続きを読み始めた。
現代より遥に質の悪い紙を、捲る。初めほど、わくわくした感情がないのは魔法を使えないことと、それに纏わる記憶を思い出したからだろう。どうせ、という想いが強いのは否定できない。
そうして、属性についての項目を開き、早くも二度目の衝撃的事実を発見した。
「……属性、決まっているの……?」
どうやら、この世界の属性は火・水・地……などのファンタジー要素の定石はしっかりとあるが、自身が使える魔法属性は全員決まっているらしい。
属性の判断は『瞳の色』。
つまり、赤や紅色の瞳なら『火属性』、青や水色の瞳なら『水属性』となる。けれど、瞳の色の濃さは威力には関係がない。青の瞳よりも水色の瞳である人物の方が、力が強い場合もあり、魔力量も傍からだけでは分からない。瞳の色で分かるのは、相手の属性だけだ。遠目で見た場合は瞳の色など判断がつかないため、戦場などではこの判断手法は役に立たない。原則、一人につき、属性は一つ。複数扱える者は稀で、その場合は国家に重用され、将来を国に保障してもらえる。
とはいえ、自身の属性くらいなら普通に瞳を見れば分かるのだから、何も衝撃的事実ではないだろう。普通なら。
「……眼、肉で埋もれてよく分からない……っ」
涙声で漏らす。再び視界がぶれ始めた。
塔には現代社会ではお馴染みの鏡がない。たぶん、保健室にはあるけれど、あの時は色々と衝撃的過ぎて瞳の色など確認していないし、思い出そうとしても肉に埋もれた瞳しか思い出せなかった。
それに、寮にも修練場にも鏡はない。怪我も病気もしていないのに、保健室にはいけない。
自前の鏡は、伯爵家の私室においてあるけれど、態々取り寄せるほどのことではないだろう。〈魔力操作〉も出来ていないのだから。
以前は夜会や舞踏会などに行く時に化粧をするために活用していた鏡だけれど、今は、してもしなくても(悪い意味で)変わらないと分かっているので、活用する気が全くない。だいたい、中学生の年齢であるのに化粧なんて。将来において、肌に悪い影響を与えるだけだ。
本を閉じて、横に置いた。
込み上げてくるものに、眼の周りが熱くなる。体育座りになって、膝に額をつけた。
「……ひっ……うぇ……っ」
声を我慢しながら、声を漏らして泣いた。
魔力操作が出来なければ、魔法は使えない。日常品が使えるのは、現代の電気と同じで支給されているからだ。スイッチ一つでつく。だけれど、魔導具は魔力が流せないと使えないため、私は使えない。
「ま……っ、まりょくそうさから……でっ、出来るようにならないと最低限の生活も危な、いわ……っ」
どこかで職を探そうにも、間違いなく、これは今後、立塞がる壁だろう。絶対に〈魔力操作〉を出来るようになってみせる。いや、ならなければ。
そうしないと、何も先に進めない。ある程度、本を読み進めて理解した。属性が分かったら、次は属性魔法だった。基本魔法は殆ど同じだが、やはり個々違う魔法で、それぞれ、専用の呪文がある。〈魔力操作〉が出来ず、肉に埋もれて眼の色もよく分からない私は、まだまだ魔法勉強のスタート地点にも立っていない。
〈魔力操作〉が呼吸と同じだというのなら、私はまだ生れ落ちてもないのと等しいのだ。
だから、今は魔法よりも修練と勉強を優先させよう。
修練をすれば、属性も分かる。属性が分かれば、もしかしたら〈魔力操作〉が出来るようになる糸口が見つかるかもしれない。
そして、勉強は必須だ。勉強というのは、学問だけではなく、この世界の常識・知識も指す。せっかく、あのような素晴らしい図書館があるのだから活用しない手はない。
「ダイエット、ダイエット……っ」
無理は禁物だ。
一先ず、寝る前の柔軟から始めよう。
せめて、足先に手が届くようになりたい。それから、朝の散歩も始めよう。校舎に行く時とあわせれば、かなりの運動になるはずだ。
「ま、まずは、運動が出来る下地を作らなきゃ……」
ぐちゃぐちゃになった顔を、一先ず、制服の袖で拭いた。
ルビの仕方が分からなかったんですけど、出来るようになりました!(*´˘`*)♡
チュベローズ・テリセン
容姿:豚
性格:マイナス?
周囲の評価:地の底、倦厭
現在の状態:ぼっち
今回の心境:……こんな時、どんな顔をしたらいいか分からないの……(´⊃ω;`)
能力:マイナス←NEW!
エタったって思った?残念!エタってないよ!まだ見捨てないでね!
……本当に……(´・ω・`)




