閑古鳥の喫茶店マスターを、まさかのイケオジ育成計画で――!?
「世の中、イケオジの時代が来たと思うんですよね」
「何言い出したのかな。この子は、また……」
ガランとした店内を見渡して、黒の髪を後ろで一つに束ねたエプロン姿の少女は、至極真面目に大きな一人言を溢した。
それに呆れ声で返したのはカウンターの内側、猫背のせいで前のめりに寄りかかる形で頬杖をついているボサボサ頭の男だ。
「だって、マスター。いいオッサンじゃないですか! やりましょう、集客のためのイケオジ育成計画!」
「こら、目上の人にいいオッサンとか言うんじゃない。そんなんだから、就活なかなか終わらないんじゃないの? だいたい、それでプレゼンのつもり?」
「あ、マスターだって酷いです! 就活生に禁句言いいましたよ! お店、閑古鳥の癖に!」
互いに懐の痛いところを言い合って、何とも言えない空気が店内に流れていた。
「……よし。柑奈ちゃんが酷いって、オバサンに言いつけようか」
先に沈黙を破ったのはマスターだ。後ろポケットからスマホを億劫そうに取り出して、意地悪くヘラりと笑っていた。
「三十半ばも過ぎたのに、子どもみたいなチクリをしないでよ! 直里お兄ちゃん!」
柑奈と呼ばれた少女はそれに対し、つい口調が緩んでマスターの名を呼んだ。そして、しまったと頬を膨らませてむくれる。
「もう! マスターとアルバイトって線引きしてたのに、壊さないでよね!」
「えぇ……。すでに幼馴染みを雇ってるという事実は覆らないし、俺としては客も居ないんだから、気にしなくていいと思うんだけど?」
スマホ裏のリングに指を入れ、パタパタと手遊びをしながら直里が言った。
仕事中であるにも関わらず、その姿は緊張感の欠片も無ければ、社会人としての威厳もなかった。
「知ってるかな!? 気の緩みから致命的なミスしたら、それが命取りになるのが就活生なんだよ!」
「じゃあ、就活生の可愛いバイト君は辞める前に、この喫茶店をどうしたいわけ? どうプロデュースするの?」
「……え、イケオジの居る喫茶店ってことで、流行らせようかと?」
突然の直里の問いに、柑奈は言葉を詰まらせる。思いつきで言ったせいで、深くは考えていなかった。お盆を持った手を無意識に、ぎゅっと握りしめて考え込んだ。
「具体的には? 流行らせてどうするの?」
「……それは。そんなに詰めなくても良いじゃん。マスターが頑張ることなんだから!」
「甘いな。社会人として世に出たら、企画や営業、開発、製造、接客、全てが勝負所で言動に責任を伴うぞ?」
「……っ」
なんだか圧迫面接みたいだと、柑奈は思った。ニートと間違えそうな見た目の直里は、会社勤めでもなければ、客の居ない喫茶店のマスターをしているにも関わらずだ。
とても面接官とは言えないはずなのに、直里のじっと射貫くような眼差しから逃げることが出来なかった。
「分かった! じゃあ、ちゃんとプレゼン資料を作ってきたら、マスターはやってくれるんですね!」
「実現可能な範囲なら、練習台として付き合ってやるよ。大バズでもして人気店になれば、就活でも箔がつくかもなぁ?」
こうして、柑奈によるイケオジ育成計画が始まった。その後、一人も客が来ることはなく、柑奈は二十時に帰された。
大学の課題もそっちのけで机にかじりつき、用紙を何度も書き直して気付けば夜が明けていた。
「――出来た! イケオジ育成計画書!」
ピンポーン。
隣の家のインターホンを柑奈が押して待つこと数分、陰鬱な雰囲気の直里が出た途端、企画書をバシンと叩きつけた。
寝起きなのかどこか気だるげに見下ろしてくる直里が、柑奈の部屋着姿を認めた瞬間、固まっていた。
「私、これから大学だから! 目を通しておいてね!」
「…………年頃なんだから、恥じらいを持て」
それに意も介さず、柑奈は嵐のように家に戻ると身支度をして大学へと向かった。
ボサボサの髪をさらに掻きむしる直里のぼやきは、誰にも聞こえていなかった。
「たのも――!」
「……道場破りか」
放課後。徹夜明けのテンションで、直行した喫茶店の扉を柑奈が開ければ、カランカランと可愛らしい鈴の音が鳴った。
「ああ!? 服装が変わってる!」
「読めって、今朝渡してきた計画書に書いたのはどこの誰だ……」
直里の服装は、いつものよれたパッとしない色のよくある形のエプロンから、腰巻きの黒いハーフエプロンに変わり、ズボンも黒のスラックス。
上はアイロンの利いた白のシャツに黒のベストだった。猫背ではなく、スラリと伸びた背筋も相まって、とてもよく似合っていた。
「あ、出来ればシャツの袖、七分でまくってください!」
「そこまでかよ……」
直角に頭を下げる勢いで柑奈が言えば、渋々ながらも直里は袖をめくり始める。
その顔は、スッキリと髭を含めたムダ毛を剃り落とし整っていた。髪も指示書の通り、オールバックに撫でつけられている。
「昔懐かし、直里お兄ちゃん再び!?」
昨日までの野暮ったい中年のオッサンはどこへやら、遥か過去の栄華を彷彿とさせる出で立ちだった。
そう言えばと、口にしてから柑奈は思い出す。直里は大昔、モテていたんだと。
――でも。これまでなかった、何とも言えない色気が……?
柑奈は思わず、ゴクリと唾を飲み込んだ。直里の第一ボタンが留められていない襟から覗くのは、くっきりとした首筋に喉仏。鎖骨が見えそうで見えない辺りに、大人の色気を感じていた。
「で、次は何からするんだ?」
「へ!? えっと、マスターがコーヒーを淹れる姿を動画に撮ります! 先ずは通しで、ざっと二回!」
柑奈が見惚れていたら、直里に話しかけられて思わず声がうわずってしまう。
記憶を遡っても、マスターの前、地味で根暗な大学生だった直里の印象が強く、柑奈は激しすぎるギャップにドキマギした。
――そうだ。年とともにダサくなっていったんだ、直里お兄ちゃんは!
中学、高校、大学と経る毎になぜか猫背になり、髪はボサボサのまま、髭も不揃いで残念になっていったのだ。
「二回ぃ?」
「二回なら、二杯でしょ? 撮った後は、二人で飲んだらいいじゃないですか。あ、まさか、まだブラックで飲めないなんてこと……」
直里に怪訝に聞き返されて、柑奈はハキハキと答える。先ずはSNSにお店のアカウントを作成して、紹介動画を上げていくのだ。
その為にも、元となる動画撮影が必須であると考えた。
「はぁ、分かったよ。で、バイト君は準備しなくていいのか?」
「着替えてくるから、先に用意して待ってて!」
色々なアングルやポーズで撮ろうと思うと、二回では足りないほどだ。けれど一日のカフェイン摂取量を考えると、何度も撮ることなど出来ないため苦肉の策だった。
――大バズ狙うんじゃなくって、コツコツ積み重ねよね!
柑奈が着替えている間に、直里が湯を沸かし、豆を挽いていた。テーブルの上にはすでに必要な器具が揃えられていて、今回はサイフォン式でコーヒーを淹れるようだ。
撮影する機器は、柑奈のスマホ、カメラの性能に力を入れた所謂カメラスマホである。
「じゃあ、今から撮ります。初回はコーヒーの生の音も撮りたいから、無言でお願いします!」
「初回って、これを後、何回させられるんだろうな……」
「もう、喋ったら撮れないじゃないですか! 手を動かすなら、口閉じて!」
直里のボヤキに柑奈がツッコミを入れ、スマホを構える。ピロン、と動画撮影開始の効果音が鳴った。
カチ、コチ、カチ、コチ。
振り子の時計の音が静かに響く室内で、流れるような手つきで直里が作業を始める。
丸フラスコをサイフォンの台に取りつけて固定し、次に専用のフィルターをロートにセットした。
――こう見ると、理科の実験を思い出すなぁ。
直里がサイフォンの持ち手を掴んで、丸フラスコへ熱したお湯を注ぎ、外側の水気を布巾で丁寧に拭き上げるとテーブルに置いた。
その丸フラスコの上に、ロートを軽くずらして乗せる。
――ええと、確かサイフォン式ってお湯をさらに直接熱することで、蒸気圧を利用して一気に淹れるんだっけ。
バイトで得た知識を反芻し、柑奈が見守る中、丸フラスコの下にミニガスパーナーが置かれ、直里は火をつけた。
お湯は直前まで熱していたので、そう間を置かずに沸騰する。
直里はロートにコーヒーの粉を入れて、丸フラスコの上部に今度はしっかりと取り付けた。
――普段からは考えられないくらい。コーヒーになるとスプーン一杯、きっちり計るよねぇ。
直里の骨張った長い指が竹べらをしっかりと持ち、ロート内に押し上げられた湯の中へコーヒーの粉を沈めていく。
音もなく手早く撹拌させると、次第にロート内に泡が立っていった。
――真剣な目つき。黙ってれば、これもう十分にイケオジでは?
直里は手元を疎かにすること無く、砂時計に視線を向けるとキッチリ一分で火を止めていた。ロートの中で泡、液体、粉と、コーヒーの綺麗な三層が出来上がっている。
――あ、これ美味しいやつだ。確か、直里お兄ちゃんが前に言ってた!
直里は口許に弧を描き満足そうに見つめ、さらに浸漬後、ロート内を竹べらで渦を作るように最後の撹拌をする。
火を消して温度が冷えたことで、コーヒー液がロートから丸フラスコへ、一気に流れ落ちた。
完全に落ちきったのを確認して、直里はロートを静かに丸フラスコから取り外した。
「……」
終わった――とでも言うように、コーヒーの入った丸フラスコがついたサイフォンを、直里は柑奈の方へと滑らせた。
「――……、良し。出来たぁ」
スマホのボタンをタップすれば、ピロンと撮影終了の効果音が鳴った。ホッと一息、柑奈は肩の力を抜いた。
動画が撮れているか、データフォルダを確認する過程で、直里のキリッとした笑顔が映りなぜか胸がドキッとした。
「おいおい、疲れたのは俺の方だぞ?」
直里がからかうように、カップを二つ用意しながら言った。さらにミルクと角砂糖の入った容器、可愛いクッキーの乗ったお皿のセットを持って来る。
柑奈は、なぜだかその顔が直視出来なくて、直里の手元を見ると逃げるようにスマホを再び構えた。
「あ、えっと、写真も撮っとこうっと!」
サイフォンとカップ、クッキーなど、全体が綺麗に入るように構図を考えて配置し、柑奈は何度か角度も変えて写真を撮った。
「……そういえば、なんでお店には薔薇のモチーフが多いんですか?」
柑奈はようやく気持ちが落ち着いて、ふと今まではそこまで気にしていなかった疑問が湧いてきた。
撮影に夢中になって気がついたが、見ていた被写体のそのどれもが薔薇のモチーフなのだ。
「バイト君よ。いつから働いてて、なぜそれを今、言うんだよ」
「いや、SNSに上げるにあたって、解釈に齟齬があったらダメじゃないですか」
花の形をした角砂糖、そのカップもまた花の形をした入れ物だった。さらに蓋には十八本の薔薇の絵と、蓋の取っ手には立体の薔薇が一本ある。合計すれば十九本だ。
ティースプーンの持ち手には、薔薇が一本彫られていた。
――さすがにミルクポットは小さいからか、何の意匠もない形で白の無地だけど。他は……。
カップとソーサーは、ポットと同じ真っ白だが、カップの形がウェーブ状になっていて、真上から見ると花のシルエットに見えなくもない。
そうなると小皿に乗った五枚のクッキーは、一つ一つが花を模した形をしているけれど、全体的に考えて薔薇がモチーフと解釈も出来そうだった。なぜなら――。
「お店の入り口にも薔薇の鉢があるし、お店で配ってるスタンプカードも、そう言えば薔薇の絵が書いてますよね?」
「へぇ、スタンプカードまでよく覚えていたな? ちなみにカードは十三本な」
「そりゃあ。野暮ったいオッサンが、薔薇のたくさん描かれたスタンプカードを用意してたら忘れられませんよ……って、本数にも意味がある?」
「要所要所で失礼なやつだな、全く。それくらい、自分で考えろ」
直里はサイフォンを持って、カップにそれぞれコーヒーを淹れた。柑奈はカップを受け取ると、ミルクと砂糖を入れて混ぜる。
「ふっ。相変わらず、バイト君もお子さま舌だなぁ」
「そう言うマスターだって、ブラック飲めな――、あれ?」
「残念だったな。サイフォン式は、ドリップ式よりコーヒーオイルが多く含まれてて、口当りがまろやかなのが特徴なの。要するに、飲みやすいんだよ」
ドヤァと胸を張って、直里はコーヒーを片手に飲んでいた。柑奈はぐぬぬと、なぜか負けた気分になる。
今日はなんだか、直里に振り回されているような気がし始めていた。
「そんなこと言うなら、砂糖とミルク持って来ないで下さいよ! あと今日はもう一回淹れてもらいますから、次は私もブラックで飲みますね!」
「無理するなよ。なんなら次は、ドリップ式で淹れようか?」
「ドリップ式なら、さっきの理屈だとマスターもブラック飲めませんよね!!」
「俺は元々、ラテアートが好きだから良いんだよ。それに飲めないのは、子ども舌のバイト君も一緒だからな? ほら、墓穴だぞ?」
ニヤリと笑った直里はどう見てもイケオジで、柑奈はなぜか悔しさでいっぱいになった。
お互いに視線を反らさずだったので、いつの間にかバチバチと火花を散らしているみたいだ。いや、この場合、直里は面白がっているだけかもしれない。
――もう。急に、イケオジになるのが全部、悪い! もっと段階を踏んでよね!
計画書なんて徹夜で作って、おかしなテンションになっているせいだ。
それでも柑奈はこの育成計画中に、何としてもブラックが飲めるようになってやると決意を新たにする。
「ほら見ろ。俺がモテたいのは一人だけなんだよ。だから野暮ったくて、ちょうど良かったんだっての、バカが」
ボソリと呟いた直里の言葉に、決意表明に必死な柑奈は気づいていなかった。
小皿に乗った五枚のクッキー、直里はその一枚をパクリと食べる。彼は頬杖をつくと柑奈を眺め、ただ、ほくそ笑んでいた。
参加しているオープンチャットで
たなかくんハイパーさんから
https://mypage.syosetu.com/2277867/
・イケオジ育成計画・薔薇・コーヒー
の三つのタグをいただき書きました(*^^*)
薔薇の本数、意味があるとよく言われてますよね( *´艸`)
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