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第93話 親友だからだよ

俺は、あの日の夕暮れから――

まるで糸がぷつりと切れたみたいに学校を休んだ。


情けなさとか、虚しさとか、名前のつかない何かが胸の中で渦を巻き続けて、

とてもじゃないが外に出る気力なんて湧いてこなかった。


部屋のカーテンは閉めっぱなし。

スマホも伏せたまま。

ただ天井だけを眺めて、呼吸するみたいに“何もしない”時間が流れていく。


そのときだった。

廊下の向こうから、小さく戸を叩く音が聞こえた。


「……にぃに?どうしたの?何かあったの?」


姫花だ。

声だけでわかる。

あの子の“心配している時の声”を、俺は何度も聞いてきたから。


でも、今の俺には――

その優しさを受け取る資格があるとは思えなかった。


「……大丈夫だから」


嘘だ。自分でもわかるくらいに嘘っぽい声。

姫花はしばらく黙っていたけれど、

やがてそっと、傷つけないように言葉を置いた。


「にぃに……何かあったらいつでも言ってよね?

 私たち、家族なんだから」


階段を降りていく足音が遠ざかっていく。

その音がやけに寂しく胸に響いた。

俺はベッドに倒れ込み、天井を見上げたまま呟く。


「……もう、何も信じられない」


自分を救ってくれたと思っていた人たちが――

実は俺を地獄に突き落とす引き金だったなんて。


そんな理不尽、どうやって信じればいい。


目も閉じていないのに、思考だけが霧みたいにぼやけていく。


眠たいわけじゃない。

ただ――“何も考えたくなかった”。


気づけば俺は浅い眠りに落ちていた。


  ◇


どれくらい時間が経ったのか。

夕方なのか夜なのかもわからない。

ぼんやりしている頭に、再びドアを叩く音が届いた。


コン、コン。


「……姫花か?」


かすれた声でそう呟いた瞬間――


「ゆういち……大丈夫?」


聞こえたのは、まったく別の声。

親友の如月聖だった。その名前が脳に届いた瞬間、眠気が吹き飛んだ。


どうやら聖は、俺のバレバレの“ズル休み”をわざわざお見舞いに来てくれたらしい。

普通なら――いや、いつもの俺なら素直に嬉しいと思えたはずだ。


けど、今の俺は違った。


(……悪いけど、帰ってくれよ。今は、誰とも向き合える気力がない)


自分でも呆れるほど卑屈な考えが、胸の中をずっと居座り続けていた。


「……ゆういち? 聞こえてる?」


返事をすれば、きっと聖は安心する。

そんな当たり前のことさえ、できない。


(黙ってたら……そのうち帰るだろ。もう1人にしてくれ……)


最低だ。

心配して来てくれた親友に、“無視”という一番してはいけない態度を取っている。

頭ではわかっているのに、体が動かない。いや、違う。“昔の神田ゆういち”なら絶対にこんなことはしなかった。


(あの性格は……真田蓮也に憧れて出来た模造品だ……今の俺はただただ卑屈なだけの神田ゆういちだ)


自嘲が、胸の奥に沈んでいく。


(……本当に俺って情けねぇな)


返事のないままの沈黙。

それでも聖は、そっと、戸の向こうで言葉を落とした。


「ゆういち……ごめんね……」


震える声だった。

涙がこぼれる寸前みたいな、ひどく弱い声。


俺は息を呑んだ。


「昔、屋上で言ったよね……?

 ゆういちがどんな過去を持ってても、僕はゆういちの味方だって……」


言葉の隅が滲んでいる。


「なのに……ゆういちが本当に辛いとき……僕、何もできなかった……

 間に入って守ってあげることすら……できなかった……本当に……ごめん……」


その声に刺されるように胸が痛む。

違う。違うんだよ、聖。


(お前は何一つ悪くない……悪いのは勝手に期待して勝手に裏切られた俺なんだよ…)


心の声が震えていた。


(もう人を信じるのが……怖いんだ。

 “本音”と“建前”のあの嘘の乖離が……もう怖くて仕方ねぇんだよ)


あの裏切りが――

俺の心を深く壊してしまった。気づけば、無視を貫くはずが胸の奥に押し込めていた本音が、勝手にこぼれる。


「……もう……誰かを信じるのが怖いんだよ……」


自分でも驚くほど弱い声だった。


「信じたって……裏切られる。

 そりゃそうだろ……?人間は……本音と建前が、全然違うんだから……」


拳を握る力が震える。


「今の俺は……

 お前ですら……どこかで俺を裏切るんじゃないかって……そんなふうに思ってしまうほど……

 ……人が……怖いんだよ」


静寂が落ちた。けれど、その静寂の向こうで――

聖は確かに息を呑む音を立てていた。


「……僕はね、ゆういちに“大きな嘘”をついてるんだ。」


その一言で、胸の奥がギュッとつかまれたみたいに痛んだ。


(やめろ……もうやめてくれ……!

聞きたくない。聞いてしまったら……また誰かを失ってしまう気がするんだよ……!)


心臓が暴れる。

あの地獄みたいな感覚が、喉の奥からせり上がってくる。


“やっぱりお前も裏切るのかよ”


そんな最悪の想像が、頭の中で勝手に膨らんでいく。俺の沈黙を破るように、聖の声が震えた。


「けどね……僕の嘘は、君を傷つけるためにつく嘘じゃない。これだけは、本当に誓える。」


「…………」


「僕はね、嘘って全部が全部“悪いもの”だとは思わないんだ。

どうしようもない運命の前では……誰かのそばにいたいから、つかなきゃいけない嘘だってある。

そして――僕はその嘘に、救われてきた。」


言葉は静かで、なのにひどく切実だった。


(……男だと偽ってでも、ゆういちのそばにいたい。僕の嘘は、君を傷つけるための嘘じゃない。

“君の隣にいるための嘘”なんだよ……)


聖の胸の奥の声が聞こえてしまった気がして、俺は奥歯を噛みしめた。


「……ふざけんなよ。」


自分でも驚くほど低い声が喉から漏れた。


「そんなの、嘘をつく側が勝手に正当化してるだけだろ……!」


「――優しい嘘?そんな言葉で逃げんなよ……嘘に優しいもクソもあるかよ!!」


瞬間、脳裏をよぎる。


“母さんの嘘”。


恐らくこのEES共鳴現象が発現するきっかけになったあの事件。あの日から、俺の中の何かが壊れた。


「……なら聞かせろよ。」


怒りとも悲しみともつかない熱が胸の奥でうねる。


「お前の本音を。

“嘘に優しさなんてない”ってことを、証明してみろよ……!」


左目の瞳孔がスッとひらく。俺の本音を話させる能力が発動した。俺は大切な親友を疑ってこの能力を使ってしまったんだ。

ドア越しに、聖はひとつ息を吸った。


そして――


「……僕は、ゆういちがどんな過去を持っていようと、君の味方だ。」


震えているのに、少しも迷わない声。


「そしてゆういちがどんな未来を歩もうと……僕は君のそばにいる。“親友”として、ずっと――だよ。」


その瞬間。


堰を切ったみたいに、涙が頬を伝った。

聖の声が、ドア越しに、

まるで抱きしめてくれるみたいに優しく響いた


「これが僕の本音だよ……」


少しだけ間を置いて――


「じゃあそろそろ行くね?……安城さんが無理だった時、僕はもう一度会いに来るよ。何度だって。たとえ君に嫌われて拒絶されても……」


「どうして俺なんかのために、そんなにしてくれるんだよ?」


弱々しい問い。

俺の声じゃないみたいに震えていた。


聖は一瞬だけ静かに黙り――

そして、迷いのない声で答えた。


「親友だからだよ」


その一言が、胸の奥に深く刺さる。

ドア越しに聞こえていた気配が、ゆっくりと遠ざかっていく。階段を降りていく足音が、ひとつ、またひとつと消えていき――

それに合わせるみたいに、張り詰めていた心の糸がぷつりと切れた。


(……親友、か)


布団の上で、俺は顔を覆った。

もう誤魔化せない。

溢れる涙が、止めようもなく零れ落ちていく。


裏切られて、壊れて、何も信じられなくて。

挙げ句の果てに疑いの目を向けられても

それでも――まだ俺のことを“親友”だと言ってくれるやつがいる。


そんな当たり前のことが、今の俺には息が詰まるほど苦しかった。そして、信じられないほど嬉しかった。


暗い部屋の中で、俺はただ静かに泣き続けた。

いつかまた、立ち上がれる気がした。

聖の言葉が、胸の奥でずっと光っていた。


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