第92話 EES共鳴現象"拡張感応共鳴現象"
俺は愛理と蓮也に別れを告げたあと、ふらふらと歩き続け、
気づけば“あの公園”に辿り着いていた。
つい数日前。
ここで妹の姫花と仲直りした、あの思い出の場所だ。
ベンチに腰を落とす。
全身から力が抜けて、背もたれに沈むようにして座った。
思考が……動かない。
涙すら出ない。
(……俺が憧れた人間は、全部……嘘だったのか?
じゃあ、その嘘をお手本にしてきた“今の俺”って……一体なんなんだよ……)
蓮也の本音。
あれは俺の人格の根幹を切り崩した。
“ああなりたい”と思っていた存在が偽物なら――
そこを基準にして作られた自分は、全部ズレていたのかもしれない。
そして。
初恋の相手の本性があんな“悪魔”みたいなものだなんて……
誰が予想できる?
(……俺は、一体これから“何”を信じて生きればいいんだ……)
公園の夕日が、やけに綺麗だった。
皮肉だ。
俺の心が真っ暗なほど、周囲が輝いて見える。
そのときだった。
――影が、ひとつ、差し込む。
「やあやあ! 神田君じゃないかい!?
気分はどうだい? 良かったら~お姉さんが元気の出る“いい事”してあげよっか〜?」
銀髪を揺らして近づいてきたのは、
例の――天才発明家のギャル。
いつも通りの軽さで、明るすぎるテンションで話しかけてくる。
だが今の俺には、その眩しさが……痛かった。
「……今、そういう気分じゃないんで。
ほっといて欲しいです」
できるだけ優しく断ったつもりだった。
だけど俺の声は、自分でも驚くほど“乾いて”いた。
その瞬間。
――彼女の笑顔が、音を立てて壊れた。
銀の瞳が細まり、
声が一瞬で氷点下まで冷え込む。
「……もう終わりか? 神田ゆういち」
その声音は、さっきまでの陽気さの欠片もない。
冷酷で、見透かすようで、
まるで――“本当の彼女”が顔を出したようだった。
「こんなくだらないことで……心が折れちゃうのか?よくもまぁ同じような事で傷ついて苦しんで忙しいやつだね?」
夕日の残光が、銀髪に妖しく反射する。
その瞳は、俺の心の奥の“弱い部分”を正確に射抜いていた。
俺は驚愕と混乱の入り混じった心情を押し殺しながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……くだらないこと、だと?お前に俺の何がわかるんだよ?」
怒気を込めた視線を彼女に向ける。
だが、彼女はいつもの陽気さを完全に脱ぎ捨てたような鋭い瞳で、俺を見つめ返していた。
「ああ……くだらない」
「妹をイジメから助けるために勇気を振り絞って立ち向かい、そのせいで周囲からは疎まれて――
それでも現れた“親友”と“初恋の相手”に救われたと信じたのに、結果は、裏切りと絶望」
「本当に……くだらないよ」
乾いた笑いが漏れる。
「――でもね、それら全部、これから君が“本当に為すべきこと”に比べたら、取るに足らない事だ」
「お前なんで……そんな事まで知ってるんだ?
それに“為すべきこと”って……何の話だよ。
お前、一体何を言ってるんだ?」
俺が食ってかかると、彼女はどこか達観したような声で静かに告げた。
「気づいてるはずだよ。君には、他の誰にもない“特別な力”があるって」
まるで全部知っているかのような――そんな口ぶりだった。
「……まさか……見てたのか、さっきのを」
彼女は小さく頷き、そして口元に妖しい笑みを浮かべた。
「素晴らしかったよ。仮面を剥がされた人間の、あのむき出しの“本音”――
君の力は、人間の嘘を暴く。
心にしまった闇や本心を、強制的に表に引きずり出すんだ」
「人間はね、誰しも心の奥に怒りや憎しみを抱えてる。だけど、人間って理性的な生き物でしょう?その感情に仮面をかぶせて、何事もなかったように生活してる。
――それで、このくだらない社会ってやつは回ってる」
彼女は、機械のように正確に、冷静に言葉を並べていく。
「でもね。世の中には、その怒りや苦しみがあまりにも理不尽で……
理性で抑えきれなくなって、人格そのものが崩れていく人もいる。
私はそういう存在を、“ 人間の限界を超えた存在”って呼んでるの」
その声は無機質に聞こえた。
けれど、言葉の端にふと滲んだのは、ほんの微かな哀しみ。
「──君もきっと、私たちと同じ。
“こっち側”の人間、ってことよ」
唐突に放たれたその一言に、俺は眉をひそめた。
「……“こっち側”? ……愛理も同じことを言っていたな。お前──まさか、俺のこの“呪い”について何か知ってるのか?」
彼女はひとつ、愉快そうに笑ってから言った。
「呪い、ね。──それは違うよ神田ゆういち。君のそれは、“EES共鳴現象”と呼ばれている」
「EES……? なんだよそれ」
「Enhanced Empathic Resonance Phenomenon。直訳すれば“ 拡張感応共鳴現象”。私の心理学者としての研究テーマでもあるんだよ」
彼女は天才発明家ではなく、感応科学者として淡々と答えた。
「人間には、苦しみに耐えられる限界値があるの。肉体的にも、精神的にもね。その限界を超えるようなトラウマ──強烈な喪失体験や絶望の淵に立たされたとき、人間は無意識のうちに“最も欲した力”が皮肉にも発現する。臨界点を越えるんだよ…君にも思い当たる事があるだろう?………母親の」
心臓がズキリと痛んだ。俺の中で忘れようとしていた記憶──いや、忘れてなどいない。ただ、心の奥に閉じ込めていた光景が頭をよぎる。
「おい……待てよ。お前、なんで──それを……俺と母さんのことを、知ってるんだよ?」
俺の問いに、彼女は答えなかった。ただ静かに、確信を持って言葉を続ける。
「EES共鳴現象の発現者は──その苦しみを、誰にも打ち明けられないんだ。
だって、どうせ理解なんかされないから。
説明しても、“気のせい”とか“思い込みだろ”で片付けられるだけ。
そもそも、人に言葉で伝えられるようなレベルの苦しみじゃない。
……本当に壮絶なんだよ。
そして、そんな限界の中で目覚めた“異能”が──
本人の性格や思考を、ゆっくりと、だけど確実に、偏らせていく。
やがて普通の感覚じゃ通じなくなるんだ。
孤独の中で、力に溺れて、理性も常識も擦り切れていく。
──ほら、君の初恋相手。
……まさに、あれがその典型例さ。」
彼女の表情から笑みが消えていた。
「だから彼女らは、ひとりで抱える。“自分だけが異常なんだ”って思いながら、ずっと、ずっと苦しみ続ける。そしてそのストレスに蝕まれ、ある者は精神を壊し、ある者は命を絶つ──EES共鳴現象の発現者は、ほとんどが短命なんだ」
「……っ」
言葉を失った俺に、彼女は一歩だけ近づいた。
彼女のオッドアイには、狂気が宿っていた。
その瞳はまるで、美しさと破滅を両立させたように──静かに、しかし確かに狂気を滲ませていた。
「でも君は違う。君の“能力”は──相手の仮面を剥がし、“本音”を吐き出させる。その力が、EESの苦しみに囚われた者たちに“語るきっかけ”を与える」
「苦しみを言葉にできた瞬間、人はその痛みと初めて向き合えるようになる。逃げることも、否定することもやめて、自分の本当の感情を受け止められるようになるんだ」
彼女の瞳が、どこまでも真っ直ぐに俺を見つめていた。
「君の力は、“呪い”なんかじゃない。むしろ──“救い”なんだよ。君は、EES共鳴現象に蝕まれた人たちの“希望”になれる。……救世主なんだ、神田ゆういち」
沈黙が流れる。
夕日の差す公園で、銀髪の天才発明家は、静かに俺に言った。
「──朝倉華恋が、いい例だ」
その名前を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
「華恋先生も……?」
「彼女はアイドル時代、常人では到底耐えられないレベルの苦しみを味わった。裏切り、孤独、罪悪感……そのすべてが、彼女の心を引き裂いた」
彼女の声は、どこか哀しみを帯びていた。
「そして彼女は、EES共鳴現象を発現した」
「……なんだって?」
思わず、俺は聞き返していた。
「君はすでに体感したはずだよ。彼女と接したとき──まるで感情が共有されるような感覚を」
その瞬間、脳裏にあの時の記憶がよみがえる。
彼女の感情がまるで流れ込んでくるような感覚を。
「……あれが……EES共鳴現象……?」
「そうだ。そして君の能力が、彼女の心の奥底に触れたんだ。彼女が一生抱えこみ、苦しみながら生きていくはずだったその過去を君が曝け出させ、ずっと押し殺していた本音と感情を──向き合わせた」
彼女はゆっくりと俺の目を見る。
「君は彼女を救ったんだよ、神田ゆういち」
「俺はそんな──
他人を救えるような、崇高な人間なんかじゃない」
「卑屈で、弱くて、自分すらも救えないようなやつだ。そんな奴が誰かを救うだって?笑わせんなよ?……そもそも、その“性格”の土台を作った人間にさえ裏切られて、その前提すら今は、ぐらぐらと揺らいでる」
「……もう、ほっといてくれよ」
声はかすれていた。
下を向いたまま、俺は膝の上で握りしめた拳を見つめていた。
けれど──
彼女の声は、不思議と落ち着いていた。
「残念だけど、君を救うのは私の役目じゃないよ」
え……?
「彼女に任せるとするよ」
言葉の意味をうまく飲み込めないまま、彼女の視線はまっすぐ前を向いていた。
何かを決意したような強い目で。
「私は転校したら、自分の研究室を立ち上げる。EES共鳴現象の発現者を“救う”ための場所をね。──君には、そこで協力してもらいたい」
まるで、事務的に告げるような口調だった。
だけどその裏にあったのは、たしかな“信頼”だった。
俺が──いや、“神田ゆういち”という存在が、まだ“終わっていない”と信じているかのように。
けれど、俺の心はもう、完全に折れていた。
返事を返す気力すら、湧いてこなかった。
すると彼女は、スイッチでも切り替えたように、ぱっと笑顔を浮かべた。
「じゃあね、神田くん!またね??」
軽やかに手を振り、彼女は公園をあとにしようとする。夕暮れが終わり、いつの間にか辺りは深い藍色に包まれていた。
「……待てよ」
思わず、声が漏れた。
それは、俺の中にあった“かすかな希望”が、最後に絞り出した声だったのかもしれない。
彼女が立ち止まり、振り返る。
「お前は……俺の、味方なのか?」
その瞬間だった。
俺の中で“あの力”本音を曝け出させる能力が──無意識に、発動する。
彼女は微笑みながら、口を開いた。
「──あぁ。君の味方だよ?」
その言葉は、確かに俺の胸に届いた。
彼女は静かに去っていく。
沈んだ太陽の残照が、彼女の後ろ姿を淡く染めていた。
銀髪の彼女が去ったあと、俺はしばらくその場から動けなかった。
でも、不思議と胸の奥に灯ったものがあった。
(……こんな俺が本当に……誰かを救ったんだろうか?)
心の奥に残っていた暗闇に、ひとすじの光が差した気がした。




