第86話 その手紙が、恋と青春を連れてきた
俺は姫花と無事に仲直りし、スイーツで甘い時間を過ごしたあと、自室に戻った。
「姫花……機嫌なおしてくれて本当によかったぜ……」
(でも…どうして急に機嫌良くなったんだろう………やべぇ…眠気が…)
ベッドに体を沈めた瞬間、静かに訪れる眠気に身を任せる。意識はゆっくりと過去の記憶へと沈んでいった。
(回想)
あの事件──クラス中に俺の過去がバレた、あの最悪の出来事のあと。
今でも、俺を怖がる視線を感じることがある。けど――
それでもそばにいてくれた奴らがいた。
苦しいとき、そばにいてくれるって、それだけで救われるもんなんだなって思った。
チラッ。
俺は、つい隣の席を見てしまう。
本郷愛理。
あの事件のあと、俺は彼女のことを好きになっていた。
たぶん、これが初恋だ。
前よりも明らかに彼女を見る頻度が増えた。見てしまう。
(ちくしょう!!さっきからずっと愛理の顔ばっかりチラ見してしまう!!何が私の胸に飛び込んで泣いていいよ?だよ!!飛び込みてぇよ!?)
俺の脳内に妄想が展開されていた。
授業なんて、1ミリも頭に入らない。
なのにまた、愛理を見てしまう。
その瞬間、バチッと視線が合った。
「ん?どしたの?ゆういち、さっきからチラチラ見てさ?」
首をかしげる彼女の仕草が、可愛すぎて反則。
「べ、べつに見てねぇよ!!」
(……ってか、愛理って、こんなに可愛かったっけ?あかん!胸のドキドキがとまらん!!)
自分でも信じられないくらい、ドキドキしてた。
俺は完全に、恋する乙女モードに突入していた。
休み時間。
俺の机に、ひょいっと身を乗り出してきたのは、あの小悪魔の笑顔、愛理が俺に話しかけてきた。
「ねぇねぇ、ゆういち〜。体操服、持ってない? 私、忘れちゃってさ〜」
「体操服?あー、あるぜ? 俺、汗かくの嫌でさ、いつも二着持ってきてんだ。よかったら貸そうか?」
そう言って、カバンから取り出した体操服を手渡す。
──ちょっとだけ、袖のとこに小さな穴があるけど……まあ、バレないっしょ。恐らく俺ぐらいしか気付かない程度の穴だし。
「ありがと、ゆういち! 洗って返すね♡」
「いや、いいって。どうせ洗うし、そのまま返してくれれば」
俺は平然とした顔で、効率重視な言葉を吐く。
──ゲスい? いいや、合理的って言ってくれ。
「やだやだやだ!! 絶対洗って返すからぁ……っ」
(く、くさいとか思われたらやだもん……っ)
なんかめっちゃ拒否られた。普通にちょっと傷ついた。でも、女の子が汗かいた体操服を洗わなくていいぞ?というのはさすがに気持ち悪いかもしれないな。
「そっか。じゃあ、愛理がいいならそれで。返すのはいつでもいいからな?」
女子たちのにぎやかな声が廊下に響き、体育の時間が近づいていた。俺と蓮也も立ち上がり、更衣室に向かう……その途中、小声で言った。
「なぁ、蓮也……ちょっと、授業前に中庭、来てくれねぇか?」
少し間を空けて、彼は頷いた。
――そして、中庭。
「あのさ……俺……」
言葉に詰まりそうになった喉を、どうにか押し開いて告げる。
「愛理のこと、好きになっちまった。協力してくれないか?……」
自分でも驚くほど真剣な声だった。
蓮也は一瞬だけ目を見開いたが──
「わかったよ。俺はゆういちと愛理の恋を本気で応援するぜ? それが親友ってもんだろ?」
「ありがとう…親友」
力強く笑ってくれたその顔が、今は誰よりも心強かった。
「そういえば愛理ってどういう男が好みなんだ?」
放課後の中庭。
日が少しずつ傾きはじめる中、俺は恥ずかしさを噛み殺しながら蓮也に訊ねた。
「ん〜あいつとはかなり長い付き合いだけどな……意外とよくわかんねーんだよな。けど──」
蓮也は空を見上げるようにしながら、ふと思い出したように続ける。
「何かに向かって努力して、結果を出してるやつ。……そういうのに、弱い気がする。自分のために頑張ってくれる忠犬ハチ公みたいな?」
「なんだそれ?忠犬?……でも、努力して成果を出すやつ、か……」
愛理の姿が脳裏に浮かぶ。
バスケ部のマネージャーとして、部員たちに真剣に声をかけていたあの姿。
きっと、自分もあんなふうに“本気”で頑張っている人が好きなんだろう。
(よし……決めた!)
「俺、バスケも勉強も、本気で頑張ってみるぜ!」
拳を握りしめ、燃えるような決意を声に出したその瞬間──
隣で蓮也が冷や水をぶっかけてくる。
「……いや、お前。女に好かれるためにバスケ頑張るって、なんか動機不純じゃね?」
「ふっ……動機がどうだろうと、努力に意味があるんだぜ?」
自信満々にキメ顔で返した俺に、蓮也はちょっと呆れたように笑った。
「ま、そういうとこが、ゆういちらしいけどな」
──その日から、俺は変わった。
授業中はちゃんとノートを取り、放課後には体育館へ直行して、ひたすら汗を流した。
心の中にあるのは、たったひとつの想い。
『愛理の目に映る自分が、少しでも輝いていればいい』
そんな、ちっぽけでまっすぐな願いを胸に、俺の青春がゆっくりと動き出した。
練習が終わり放課後の公園。
誰もいないバスケットゴールの下で、俺はひとりボールをついて自主練をしていた。
タン、タン、タン……
夕陽が地面を朱に染める中、ボールのリズムだけが響いている。
(もっと練習して上手くなって、愛理の隣に――堂々と立てる男になってやる)
ふと、朝のやりとりが脳裏をよぎる。
『好きな女のためにバスケ頑張るって、不純じゃね?』
蓮也のあのセリフ。
──でもさ、
(うるせぇっての。不純かどうかなんて、俺が決めることだろ)
誰に笑われようが、見下されようが、
俺が俺を信じてやらなきゃ、誰が信じるってんだ。
(こんな不器用で、情けなくて、でもどうしようもなく真っ直ぐな“俺”も含めて、俺なんだよ)
(誰が決めたかわかんねぇ“正しさ”ってやつに、自分を押し込めるなんてまっぴらだ)
(それが“良い”か“悪い”かなんて、俺が決める)
(俺の人生に“民主主義”なんてねぇ。全部、俺が選ぶ。俺が決める。独裁国家だ──なんつってな)
そんなふうに思わず笑った、その瞬間。
放たれたシュートは、
夕焼けに染まった空を弧を描いて、リングへとまっすぐ吸い込まれていった。
──綺麗な音が、した。
夕暮れになり、俺は練習を終え、汗をぬぐいながらベンチに戻ると、そこにひとつのペットボトルと小さな紙が置かれていた。
「ん?何だこれ…?」
レモンティー。
そして、その下の手紙には、こんな文字が書かれていた。
「あなたの頑張りに、勇気をもらいました」
力強くて、まっすぐで、どこかあたたかい筆跡だった。
俺は思わず、その場で辺りを見回した。
でも、誰の姿もなかった。
「一体誰が手紙をくれたんだろう……?」
風が、手紙をふわりと揺らす。
それからというもの、俺は自主練のとき、いつも周囲を意識するようになっていた。
──あの手紙の送り主は、誰だったんだろう?
何度も思い返してしまう。
あの、まっすぐで力強い文字。俺の頑張りを「見てくれていた」誰か。
そんなある日──
練習の合間にふと目をやると、丘の上の草原に、ひとりの少女の姿があった。
金色の髪が夕陽に照らされ、風に揺れている。
帽子を深くかぶり、顔は見えない。
着ているのは、トラックジャケットにラフなデニムパンツ。
──誰だ、あの子?
(……最近、よくあそこにいる気がする)
そう気づいたのは、きっと偶然じゃなかった。
彼女はいつも、俺の練習を遠くから静かに見つめていた。
(まさか……あの手紙をくれたの、あの子なのか?)
気づけば、自然と足がそちらに向かっていた。
でも──あと一歩のところで、立ち止まる。
(……違ったらどうすんだ!?)
(いきなり女の子に声かけるとか、無理無理無理! ナンパじゃん! 通報されるかもしんねぇし!)
自分で勝手に暴走した妄想に押し潰されて、俺はそっと踵を返す。
それでも、気になって仕方がなかった。
翌日も、その翌日も、彼女は変わらずあの場所にいて、俺の練習をじっと見守っていた。
まるで、そこにいるのが当たり前のように。
俺の努力を、誰かが見ていてくれる──
たったそれだけのことで、不思議と力が湧いてきた。
だけど、まさかその彼女のほうから俺に声をかけてくる日が来るなんて──
その時の俺は、知る由もなかった。




