第79話 君が待ってくれたから、俺はようやく話せたんだ
──春風が通り抜ける屋上。
聖が何気なく口を開いた。
「そういえば屋上って……あの時を思い出すね……あっ!!」
自分の言葉に気づいた瞬間、彼ははっとして口をつぐむ。その表情が一瞬だけ、昔を知る者のように陰った。
俺はすぐにわかった。
──きっと、中学のあの頃のことを言っているのだろう。
過去をバラされ、周囲から軽蔑され、逃げ場を失った俺。全部が嫌になって、孤独の道を選ぼうとしていたあの日。それでも手を差し伸べてくれたのが、愛理であり、蓮也であり――そして、聖だった。
「聖……あの時はありがとうな」
風に消えそうな声で言葉をこぼす。
「俺にどんな過去があっても信じるって、あのとき言ってくれたろ。
……あれ、本当に救われたんだ。
結局、愛理とも蓮也とも離れちまったけど――
それでもお前がそばにいてくれて、俺は今ここにいられる」
聖は何も言わなかった。
ただ、柔らかく微笑んで、髪を揺らした。
「ゆ、ゆういち!?ど、どうしたの!?急に改まってさ……!?」
(も、もぉ……さっきまであんなスケベなことばっかしてたくせに……!いきなりずるいよ…)
声はうわずり、頬は湯気が立ちそうなほど赤くなっている。そんな“照れ怒り”全開の聖が、膝枕の上で身をこわばらせていた。
「こういう時じゃねえと、言えねぇなって思ってさ……つい本音が出た」
これは呪いのせいじゃない。
“心の声が漏れた”んじゃない。
俺自身の意志で──ちゃんと伝えた言葉だった。
「でもさ……どうしてあのとき、何も聞かなかったんだ?」
ふと気になっていた疑問を、俺は聖にぶつけた。
「俺が……蓮也と愛理と距離を取った時のこと。
お前、あの時一度も“理由”を聞いてこなかったよな? ……気にならなかったのか?ずっと四人でいたのにさ?」
聖は、一瞬だけ視線を宙に泳がせて──やがて、ゆっくりと口を開いた。
「うん、正直……気にならなかった、かな」
あっけらかんとした声。
だけど、そこには不思議なあたたかさがあった。
「僕にとってはさ、ゆういちがどうして蓮也や愛理ちゃんと離れたのかなんて、どうでもよかったんだよ」
「……え?」
「だってさ──僕は、どんな選択をゆういちがしても……“友達”でいるつもりだったから」
その言葉に、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
「ゆういちって、どっちかというと──なんでも一人で抱え込んじゃうタイプでしょ?」
「……まぁ、否定はしねぇな」
「でしょ? 誰かに相談するとか、頼るのが苦手っていうか……どっちかというと“嫌い”なほうに見えるんだ。だから僕、あのとき決めたの」
聖の横顔が、どこか誇らしげに笑っていた。
「いつか、ゆういちが“話したくなったとき”まで、黙って待とうって」
その言葉に、なぜだか息が詰まった。
(……なんでこいつは、そんなふうに……俺のことを理解してくれるんだ)
沈黙が落ちる。
一呼吸置いて、俺は重たい口をようやく開いた。
「……実は俺さ、愛理に告白したんだ」
ぽつりと落ちた言葉に、聖が目を細める。
「屋上での、あの一件で……初めて、本気で人を好きになった。初恋だったんだ」
記憶が胸を締めつける。
「幼なじみの蓮也には、ちゃんと相談もした。毎日バカみたいに努力したよ。勉強も、部活も……全部、あいつにふさわしい男になるために」
俺は拳を握りしめた。
「でも、振られた。情けないくらい、あっけなく」
喉の奥が焼けるように痛かった。
「……しかもな、その時──愛理、笑ってたんだよ」
聖の表情がわずかに揺れたのが、視界の端で見えた。
「次の日には、今まで相談にのってくれてた蓮也と付き合ってた。……俺、壊れちまってさ。あいつらの顔をまともに見れなくなった。距離を置くようになったんだ」
風が吹く。冷たいはずなのに、頬が熱くて仕方なかった。
「でもな……あいつら、悪くないんだよ。ただ“好き同士”が結ばれただけだ。それだけのことだった。なのに俺は……器がちっせぇから、耐えられなかった」
後悔が、怒りが、惨めさが、ごちゃ混ぜになって、胸の奥でぐちゃぐちゃに渦巻いていた。
「……志望校まで変えたんだぜ?俺。もう、あいつらの幸せなんて見たくなかった。……俺は、人の幸せを祝えない、最低な人間なんだ」
唇を噛み締める。歯の先から血の味がした。
「……自分の好きな女の子が、他の男と“ラブコメ”してるのなんて、見てられない。俺、そんな心の狭い、卑屈な男なんだよ……」
どこまでが本音で、どこまでが“呪い”なのか、もうわからなかった。
だけど、止まらなかった。
俺の胸の奥に積もっていた、黒く濁った感情が──まるで堰を切ったように、溢れ続けた。
そして。
ぽん。
聖の手が、そっと俺の頭に置かれた。
「──よしよし。よく頑張ったね、ゆういち」
優しい声だった。
怒らず、否定せず、ただ、そばにいてくれる声だった。
「話してくれて、ありがとう」
静かに、けれど力強く、聖は言った。
「僕はね、そんな卑屈で、器が小さくて、不器用で……でも、誰よりも真っ直ぐなゆういちのそばにいるよ。」
俺の髪を、そっと、優しく撫でながら──まるで、壊れた心を癒すように。
「ゆういちがこれからもっと幸せでありますように……ゆういちがもっと愛されますように…ゆういちがもっと笑顔でいれますように……」
優しく撫でながら聖は願うように唱えていた。
安城とはまた違う"優しさ"がある。
言葉よりも、ぬくもりが伝わってきた。
あぁ──そうか。
俺はずっと……この優しさに、救われていたんだな。
「聖………本当にありがとう」
俺は真剣に聖に礼を言った。
聖は驚いたように目を見開いてから、ぷいっと視線を逸らしながら、ぽつりと呟く。
「う……うん。こっちこそ、いつもありがと……その……これからも、よろしくね?」
モジモジと恥じらう仕草が、俺の中で“親友”だった存在を、完全に“女の子”として確定させる。
(……やべ、なんだこの可愛さ。破壊力やばい)
顔は真っ赤に染まり、耳まで火照ってる。触れたら、どれくらい熱いんだろう。
そんな好奇心が勝って、俺はそっと両手で聖の頬を包み込んだ。
「な、な、なにすんのさ!?いきなり!?今日のゆういち絶対おかしいってば!?ぼ、僕は男だよ!?こ、こういうのは女の子に……!」
「これからもよろしくな、親友」
俺はニッと笑って、正面から想いをぶつけた。
──蓮也や愛理とは、もう昔のようには戻れないかもしれない。でもこの親友だけは、絶対に手放したくなかった。
「うん……こちらこそ、だよ」
(僕は君の"友達"として君のそばにいるよ。君が他の誰かと結ばれても、僕は君の横で祝福するよ……)
聖もそっと、微笑んでくれた。
それが、なんだかすごく──大切な記憶みたいに、心に残った。
でもその微笑みは抗えない運命を受け入れてるような、そんな諦めの笑みにも見えた。
俺は聖の頬をムニムニと触ってみる。
「もぉ……くすぐったいよ、ゆういち……」
その柔らかさに、ふと昔の感覚が蘇る。
「なんか……昔も、こうやって触った気がする」
その瞬間、聖の肩がビクリと震えた。
「えっ……ゆういち、覚えて──」
その瞬間チャイムが鳴った。
昼休みの終わりを告げる、無粋な音。
「あーあ……昔、離れ離れになった友達がいたんだ。すげぇ大事なやつで……あいつ、今どうしてんのかな。……っと、もう授業始まるな」
聖の膝からそっと頭を上げて、俺は立ち上がる。
「行こうぜ、聖。授業、始まるぞ」
「待ってよ!ゆういちってば!!」
(……ゆういちちゃんと、覚えててくれたんだ。僕との思い出を――)
聖の胸の奥に、小さな灯がともったような気がした。
そして俺は、その余韻の中で立ち上がる。
チャイムの音が鳴り響く教室の空気に背中を押されながら、何気なくポケットに手をやった――
が、気づかずに銀髪天才発明家からもらった如月製薬の栄養剤が落ちる。
「……ん?」
聖がそれを拾い上げる。
(あれ……?うちの会社、こんな薬……出してたっけ?)
如月製薬のロゴが印字された小瓶を見つめ、首をかしげる聖。ラベルには、どこか見慣れない商品名が書かれていた。
その時の俺は、まだ何も知らなかった。
――聖の正体が、あの大企業の“如月製薬の社長令嬢”であることも。すべては、まだ静かに幕を開けたばかりだった。




