表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/121

第71話 苦しみの先に、君はいた

俺は黒板の前で――立ちすくんでいた。

喉の奥がカラカラに乾いて、足が地面に縫い付けられたみたいに動かない。

背中を伝う汗が、まるで氷水みたいに冷たく感じた。


黒板には、一枚の紙。

そこに書かれていたのは、俺が――ずっと隠してきた“過去”。


「神田ゆういちは過去、暴力事件で生徒を病院送りにしている」


……見間違いじゃない。何度瞬きをしても、その文字は消えない。

それどころか、じわじわと俺の心臓に突き刺さるように、濃く、濃く染みついてくる。


(なんでなんだよ……せっかく仲間に囲まれて、ようやく幸せになってきたのに……

やっと、長いトンネルを抜けたと思ったのに……)


歯を食いしばる。

下唇を噛み締めすぎて、血の味が口の中に広がった。


振り返った瞬間――俺は、悟った。


教室中の空気が変わっていた。

ざわめきも、笑い声も、何もかもが消えていた。

あるのはただ、沈黙と、視線。


俺を、まるで“異物”でも見るかのような――あの目。怯え、疑い、避けるような視線。


(あぁ……よく知ってるぜ、この感じ。)


胸の奥がずきんと痛んだ。

“孤独”ってやつの冷たさを、俺はもう二度と味わいたくなかったのに。

気づけば、あの頃と同じ――すべての人間が敵に見える教室に、戻っていた。


あんなに賑やかだったはずの空間が、今は無音。

誰も何も言わない。

だけど、その沈黙こそが――俺にとっての一番の拒絶だった。


(俺という存在を、まるごと否定する空気……

誰も目を合わそうとしない。まるでこの教室そのものが、俺を追い出そうとしてるみたいだな)


季節は春のはずなのに、肌を刺すような寒気が頬を撫でた。笑顔だったはずの友達の顔が、次々と曇っていく。


俺は歩き出した。重たい足を、なんとか前に出す。一歩、また一歩。

まるで地面に鎖で繋がれているような、重たさを感じながら――俺は、自分の席へと戻った。


ただひとつの願いは、誰にも見られずに消えてしまいたい。ただ、それだけだった

俺が席へと歩く、そのわずかな距離が――永遠のように長く感じられた。


教室全体の空気が、まるで“沈黙"という名の凶器に変わっていた。誰も言葉を発しない。ただ、視線だけが突き刺さる。その目は俺自身を軽蔑するようだった。そんな事をふと思ったそのときだった。


「……おい、ゆういち」


ぽつりと、蓮也が口を開いた。

その声は、いつものように明るくも、快活でもなかった。


「気にすんなよ? こんなの……デマ、だろ?

馬鹿馬鹿しいよな?ったく誰だよ?こんな事するやつは……お前がこんな事するはずないだろ?」


――どこかぎこちない。

励ますような言葉のはずなのに、その目は……俺を確かに“疑っていた”。


(……ああ、そうだよな。

無理もねぇ。信じてきた友達がまさか過去、人を病院送りにするぐらいの"狂人"だったなんて……

でもな、蓮也……書かれてるのは事実なんだ。俺の――変えられない過去)


けれど、そのとき――俺の脳裏に、一つの選択肢がよぎる。


(……嘘をつけばいい。

これはデマだ、誰かの悪質ないたずらだって言えば……また、あの平和で、バカみたいに笑いあえる日常に戻れる……)


口の中に言葉が溜まる。

喉の奥が焼けるように熱い。

でも――俺の左目の瞳孔が、ひときわ鋭く開き始めたそのとき、思考の奥に潜んでいた“声”が、俺を止めた。


(……でも、それは――あの日の俺を、否定することになる)


妹を、姫花を守るために、俺は――

誰に何を言われようと、あの場で拳を振るった。

理由はどうあれ、その結果が病院送りだったとしても……俺は、自分の手で、大切な人を守った。


(ここで嘘をつくってことは、

“あの時の俺”を、否定するってことじゃないのか?)


――だから、俺は口を開いた。


「……あぁ。事実だよ…デマなんかじゃない」


教室中が凍りつく。

背中に、何本もの視線が突き刺さるのがわかった。けれど、俺はもう、目を逸らさなかった。


「黙ってて……悪かったな蓮也」


誰かが、息を呑む音が聞こえた。

蓮也も、驚いたように一歩引いた。

その顔に浮かんだのは――失望か、動揺か、あるいは恐怖か。


今思えば――あの“呪い”のせいで、嘘なんてそもそもつけなかったのかもしれない

心の声が漏れる“あの呪い”。

それは時に俺の味方で、でも今は――俺を、突き落とす力だった。


結局どの選択をとっても神様は、俺を地獄に突き落とす気らしい。皮肉にもそんな風にさえ思った。


その瞬間。

俺は、クラスという名の“楽園”から――静かに、確かに、堕ちていった。


蓮也が沈黙を破った。

その声は、教室中に硬直した空気を、わずかに揺らすように響いた。


「おい……待てよ ゆういちのことだからさ、なんか理由があったんだろ?」


――その言葉は、間違いなく“救い”だった。

クラス全体が俺を疑いの目で見る中で、

蓮也だけは、まだ“俺を信じよう”としてくれていた。


たった一言で世界を塗り替えるような力はない。

けれど、それでも――その手は差し伸べられていた。


(……蓮也、お前は優しいよ。

それに、俺のことを信じたいって、まだ思ってくれてるんだな)


だけど――その優しさに、俺は応えることができなかった。


(……言えるかよ。

“自分の妹がいじめられてたから、加害者を病院送りにした”なんて)


確かに、それだけ聞けば美談かもしれない。

妹思いの兄が、正義感から取った行動。

そういうふうに解釈してくれる人間が、この世に“いれば”――の話だ。


けど現実は、違う。

俺を見つめる教室中の視線が、それを証明していた。病院送りにするほど、人を怪我させたという点は本当のことだ。


途中で止めることも出来た。けど俺は止めることが出来なかった。本能の赴くままあいつらを殴り続けた。自分の大切なたった1人の妹をイジメたからだ。


――恐怖。

――疑念。

――拒絶。


(……この空気の中で、どんな綺麗ごとを並べたって無駄だ。もう俺は終わったんだ)


一度ヒビの入ったグラスは、元には戻らない。

どれだけ繊細に接着剤を使おうが、もう“ひび割れ”は消えない。

それが、人間関係という名のガラス細工の現実だ。


そして、何より俺が絶対にできなかったことがある。


(……姫花を“言い訳”にすることだけは、俺には……できねぇ)


守りたかった。命懸けでも。

けど、だからといって今ここで、

あの子の名前を利用するような真似だけは――


それは、俺が“あの日の自分”を、また裏切ることになる。


(……そうか)


このとき、俺ははっきりと理解してしまった。

どれだけ明るく、笑い合える日々を手に入れても。

どれだけ逃げても。

どれだけ努力して、日常を積み上げても。


――“過去”は、消えない。


そしてこの過去は、今の幸せを壊すために俺に纏わりついてくる。

まるで“呪い”のように。


俺は静かに、机に座った。

誰とも目を合わせず、ただ、ひとり。

教室のどこよりも孤独な場所で、俺は――目を閉じた。


そのまま、午前の授業は終わった。

チャイムが鳴っても、誰の声も頭に入ってこなかった。


いつもなら——

聖、蓮也、そして愛理と一緒に昼飯を食うのが日課だった。けれど、今日だけは——どうしても無理だった。


(俺のせいで、みんなも“同類”に見られてしまう……)


それが怖くて、たまらなかった。

席を立つタイミングを見計らい、チャイムと同時に俺は教室を出た。

逃げるように、購買部へと足を運ぼうとしたその時だった。


「——待って、ゆういち」


背後から、静かで、それでいて確かな“重さ”を帯びた声。振り向かなくてもわかった。愛理だ。


(……愛理……ごめん)


俺は、無視した。

ただ、前だけを見て、まるで何も聞こえていないかのように足を速めた。


購買で適当にパンを二つ掴んでレジに並ぶと、目を伏せたまま会計を済ませ、そのまま屋上へ向かう。


踊り場に差しかかったその時、耳に飛び込んできたのは、同じクラスの女子たちの会話だった。


「ねえねえ、神田ってさ、あんなに優しそうだったのに……病院送りとかマジありえなくない? ちょー怖い」


それは――かつて俺に声をかけてくれた、バレー部のマネージャー・花谷の声だった。


けれど、その声音はまるで別人だった。

あの頃の、柔らかくて人懐っこい“春風のような声”はそこにはなかった。


耳に届いたのは――

凍てつく風のように冷たく、心を突き刺すような冷笑を帯びた声。


「歌川っち、マジで良かったよねー! 告白する前でさ~」


言葉の剣が、音もなく――俺の背中に突き刺さる。


もちろん、血なんて流れちゃいない。

けれどそれは、刃物よりも鋭く、骨の奥まで届くような痛みだった。


「……っ」


息が詰まる。

声にならない悲鳴が、喉の奥でくすぶった。


目に見えないはずの“言葉”が、こんなにも深く人を傷つけるなんて。

そんな当たり前のことを、改めて思い知らされる。


そして——


「……本当に、誠実で優しい人だと思ってたのに。嘘つき」


今度は――歌川本人の声だった。


かつて、きっと俺に好意を寄せてくれていた。

優しく、真っ直ぐで、救いのようだったあの声が……

今は、失望に満ちている。

その言葉が意味するものを脳が理解した瞬間、

――ズブリ、と。

またしても、背中に鋭い“剣”が突き立ったような感覚。


全身に激痛が駆け巡る。


まるで骨が軋み、血が凍り、心臓そのものが悲鳴をあげるみたいに。

俺は、その場から一歩も動けなかった。

立っているのに、崩れ落ちそうだった。


“好意”が“失望”に変わる音――

それは、雷よりも、地鳴りよりも、大きな衝撃だった。


(……ああ、そっか)


好意を抱いてくれていた相手が、今はもう完全に“敵”として自分を見ている。

その現実が、何よりも堪えた。


まるで、世界からひとりだけ切り離されたような感覚。風の音すら、心に届かない。


そして——花谷と歌川の会話の、その中心にもうひとりの少女がいた。風に揺れるピンク色の髪。

光を跳ね返すように艶やかなその髪が、まるで舞台のスポットライトを浴びたかのように宙にふわりと浮かぶ。——本郷愛理。


「ねぇ、愛理ちゃんって、知ってたの? ゆういち君の本性……やばくない?」


いつもなら明るい声で笑っている歌川の声音は低く、静かで、どこか棘を含んでいた。


「病院送りとか……マジで引くんだけど〜。怖いよね〜」


その言葉に、俺の心臓が強く脈打った。


(……やめてくれ)


今までずっと一緒にいた愛理まで、俺を否定するのか。それだけは、耐えられない。

初めて——

本気で“友達”って思えた人。

初めて、心から信じてみようと思えた人だったのに。


この耳を塞ぎたかった。聞きたくなかった。

けれど——

次に愛理が発した言葉は、まったく予想していないものだった。


「にしし♡」


小さく笑った、そのあとに。


「ゆういちはね、そんなやつじゃないよ?」


「きっと、ぜーったい、なにか理由があるんだよ。だってさ、ゆういちって本当は……めっちゃ優しいやつなんだからさ!」


——瞬間。

何かが胸の奥で弾けた。


(……え?)


思考が追いつかない。

このタイミングで?

この状況で?

こんな俺を——まだ信じてくれるっていうのか?


(……うそ、だろ……)


その言葉が、まるで心に直接、触れてきたようだった。ぐしゃぐしゃになりかけていた心が、一瞬だけ温度を取り戻した。


そのとき、俺の脳裏に、誰かの声がよみがえった。


——「友達ってのはな。苦しいときこそ、そばにいるもんだよ」


あの日、蓮也がかけてくれた言葉。

今なら、少しだけわかる気がした。

あのときの“そばにいる”って、こういうことだったんだって。


俺はそこから逃げる様に購買で買ったパンを片手に、俺は静かに踵を返す。正直、あの空間にいる資格なんて、今の俺にはない気がしていた。


誰かを傷つけた。

信じてくれていた人たちを、巻き込んでしまった。その罪悪感が、体の奥にこびりついて離れない。


(……教室に戻るか)


そう思って、教室のドアに手をかけた——その瞬間だった。


「誰だよ!? こんなくだらねぇことしたやつは!!俺がぶっとばしてやるよ??」


——蓮也の怒鳴り声が教室中に響き渡っていた


(……え?)


思わず手を止めた。ドアの向こうで何かが起きている。続けざまに、ビリッ、ビリッと紙が破かれる音が響いた。


「ゆういちはな、こんなことするヤツじゃねぇんだよ!!出て来い!!これ書いたやつ!!」


その言葉に、心が強く揺さぶられる。

見なくてもわかる。

蓮也が俺を庇ってくれている——それが痛いほど伝わってくる。


でも、反論する声も聞こえた。


「でも……神田って、自分で言ったじゃん。“やった”って……それが事実なんでしょ?」


静かに、しかし鋭く刺さる声。


——けれど。


「馬鹿か?お前……!」


蓮也の声が、それを遮った。その声には怒りと苦しみと優しさが混じっている様に感じた。


「“自分勝手に暴力をふるう”のと、“誰かを守るために戦う”のじゃ、意味が違ぇんだよ!!」


その声には、確かな怒りと、信念がこもっていた。


「ゆういちはな……本当に、優しいヤツなんだ。俺は知ってる。あいつは絶対に……誰かのためにしか拳を振るわねぇ!」


——ガタン!


椅子が引かれる音。次に立ち上がったのは、聖だった。


「僕も……僕も、信じてるよ!」


聖がまっすぐな瞳で言う。


「ゆういちは、絶対に意味もなく殴ったりなんてしない。僕は、ずっと近くで見てきた。だから……信じてる!!」


その瞬間、教室の空気が変わった。

そして——蓮也は、ふっと顔を上げた。


「……そうだよ。思い出した」


「この前、愛理が上級生に絡まれたとき……ゆういちは俺たちを助けるために、一人で前に出てくれたんだ」


その言葉に、クラスメイトたちがざわつきはじめる。


「……待てよ」


蓮也が何かに気づいたように、つぶやく。


「……この紙……このタイミング……内容…… もしかして……あいつらが……?」


紙を握る拳に、力がこもる。

その顔は、怒りと確信に満ちていた。

俺は——教室に、入れなかった。


ドアノブに伸ばした手は、その直前で止まり、ただ震えていた。足は重く、胸の奥が熱い。


(……なんで、あいつら、俺なんかのためにこんなに庇ってくれるんだよ……お前らも俺と同類になるじゃねぇか?)


ポツリ、と。頬を一筋の涙が伝う。

蓮也も、聖も、俺を庇った。こんな俺なんかのために。もしかしたら、あいつらまで軽蔑の目で見られるかもしれないのに——それでも、立ち上がってくれた。


「……馬鹿じゃん、ほんと……」


思わず、呟いてしまった。

でも、その「馬鹿」が、どれほど温かくて、尊いものか。今の俺には、痛いほどわかった。


ずっと、友達ってのはさ。

楽しいときに隣にいるもんだって、そう思ってた。笑い合ったり、ふざけ合ったり、そういう時間を共有する存在だって。


だけど——違った。


本当の友達ってのは、

“苦しいとき”に、そばにいてくれる人のことを言うんだ。孤独にさせず、逃げず、背を向けず。

真っ直ぐに、味方でいてくれる。


あいつらは、俺が一番みっともなくて、情けないときに——「神田ゆういちは優しいやつだ」って、胸を張って言ってくれた。


それが、どれほど救いだったか。


(……俺、なにやってんだよ)


涙が、止まらない。

俺一人が苦しめば、それでいいって——

そんな考えにすがって、全部背負った気になって。


せっかく“味方”になってくれた友達を、自分から突き放そうとしてたんだ。

自分の卑屈さに、胸が締め付けられる。

その瞬間、背後で——ガチャリ、と音がした。


教室のドアが勢いよく開き、現れたのは、蓮也と聖だった。二人の顔は、怒りに満ちた真剣な表情。まっすぐに、上級生のクラスに向かおうとする足取り。けれど——俺と、目が合った。


「おい! ゆういち!!探したぞ?」

「どしたの?こんな所で??」


蓮也と聖が俺の顔を見て叫ぶ。


「差出人、わかったんだよ! あの紙、書いたのは……きっと上級生のクラスのヤンキー共だった!! 今から聖と一緒に——」


「……あれ?」


「お前……泣いてるのか?」


一瞬で、顔が熱くなる。

羞恥に駆られた俺は、走り出していた。

まるで逃げるように。泣いてる自分なんて、見られたくなかった。廊下を駆け抜け、階段を登る。

――向かった先は、屋上。


開けた空間。

夕焼けの風が吹き抜ける中、俺は屋上のドアを閉め、背を預ける。


「……はぁ、はぁっ……」


息が上がる。

心臓の鼓動がうるさいくらいに響く。

前を向いた、その時だった。

そこに——彼女がいた。


「にしし♡やっぱり、来ると思った♡」


ピンクの髪が夕焼けに照らされ、やわらかく宙に舞う。

屋上の風を受けながら、そこに立っていたのは――本郷愛理だった。


いつものように小悪魔じみた笑顔。けれど、その瞳の奥にある感情は、いつもよりもずっと澄んで見えた。


俺は、喉の奥に詰まった言葉を押し出すように、戸惑いがちに問いかける。


「……どうして……俺を庇ったんだよ?」


「はにゃ?♡庇った??」


とぼけたように首を傾げる愛理。でも、俺にはわかっていた。


「俺さっき聞いたんだよ。歌川と花谷の前で、あのままじゃ……お前まで俺と同じ一括りにされたかもしれないのに……」


情けない。

あんな情けない姿、見られたくなかったのに――。


うつむいたままの俺に、彼女は音もなく歩み寄ってくる。

次の瞬間、ふわりと両手が俺の頬を包んだ。


その手はあたたかくて、柔らかくて。

見上げた先にあった瞳は、まっすぐに、俺を映していた。


「にししっ♡別にいいよ?一括りにされてもさ?私は彼女らよりもゆういちの方が大事だよ?」


飄々とした言葉。

でも、その奥に隠された“覚悟”のようなものに、俺は息を呑んだ。


彼女の“いつも通り”の笑顔が、こんなにも真っ直ぐで、優しくて、あたたかいなんて。


「私はね、ゆういちを一人にしないよ?」


その一言が、胸の奥深くに沈んでいた寂しさを、じんわりと溶かしていく。


「……なんか、プロポーズみたいだな」


照れ隠しで口にした言葉だったのに、俺の声はどこか震えていた。


「にしし♡わんちゃんの癖にプロポーズなんて生意気だぞ??♡」


指先が俺の鼻先を突く。その仕草がこそばゆくて、思わず顔を背ける。


だけどそのとき――


「にしし♡ じゃあ将来、ゆういちのお嫁さんになろっか?♡いや……なりたいかも♡」


その破壊力たるや、反則級だった。


「お、おい、からかうなよ!? 冗談やめろよ?いくら彼女がいない=年齢の俺だからって!!そんなちょろくないぞ!?」


叫ぶように返した言葉に、自分の“素”が滲み出ていて恥ずかしかった。

でも、そんな俺を見て愛理は――


「にしし♡私はずっとわんちゃんの味方だからね?これからはどんなに嫌な事があっても私の胸に飛びこんでわんわん泣いてもいいんだよ?♡

なんなら今から飛び込む??♡」


その言葉が、冗談のように軽く聞こえて、だけど――間違いなく、彼女の本音だった。


「お、お前、またからかいやがって」


強がりのつもりだった。けれど、その“からかい”の中に隠された優しさが、俺の胸を撃ち抜いていた。


気づけば、もう遅かった。


この瞬間――

俺は本郷愛理に、初恋をした。


――ガチャッ。


再び開かれた屋上の扉。

屋上のドアが勢いよく開いた。


そこに立っていたのは、汗だくの蓮也と聖だった。どうやら全力で追いかけてきたらしく、二人とも息を切らしながら俺の方へ歩み寄ってくる。


「……おい、ゆういち」


蓮也が俺の目の前まで来ると、俺の肩に両手を置き、真っすぐな声で言った。


「俺は、お前の味方だぞ」


その一言が、胸に響く。

続いて、聖も同じように前へ出る。


「ゆういちがどんな過去を持ってようが関係ないよ。僕にとって、ゆういちは“ゆういち”なんだから。僕たちは、ずっと味方だよ」


言葉が、心に染み込んでいく。

耐えきれなかった。

俺はその場に崩れ落ち、膝をつき、涙をこぼした。――もう、こいつらさえいればいい。


そう思えた。誰に何を言われようが、こいつらがいてくれるなら、それだけで十分だ。


「ありがとう……」


かすれる声でそう呟いた俺は、心の奥でひとつ、決意をした。


――苦しいとき、そばにいるのが友達だ。

今度は俺が、誰かの苦しみに寄り添える人間になろう。こいつらみたいに。



長い夢から目を覚ます。


「……懐かしい夢だな」


カーテンの隙間から差し込む朝日が、じわりと瞼を焼く。ぼんやりと天井を見つめながら、俺はぽつりと呟いた。


最近やたらと夢に出てくるんだ、蓮也と……愛理が。今頃あの二人は、どこかで幸せにやっているのかもしれない。


夢の中では笑っていた。まるで昔に戻ったかのように、あの教室で。

少しだけ心が温かくなって、けれど同時に、ほんの少し胸が痛んだ。


——そうだ。俺はもう、あいつらと縁を切ってしまったんだな。


恋愛っていう、一瞬の感情で。

……いや、感情なんてもんじゃなかった。あれは俺の“全部”だった。


本郷愛理に恋をして、真田蓮也に相談して、勝手に撃沈して。その翌日に、二人が付き合ったと知って。俺は、二人から離れるように縁を切った。切るしかなかった。


傍から見れば、俺の方が間違ってたのかもしれない。けど、ずっと“何か”が引っかかってたんだ。

理由なんてうまく言葉にできなかったけど、その“違和感”が、今の俺の縁を切るという選択に繋がった——そんな気がしている。


後悔してないと言えば嘘になる。

でも、今さら戻れるわけでもない。

だったらせめて、自分の選んだ道ぐらい、自分で肯定してやらなきゃな。


俺はベッドから起き上がり背伸びをする。


「……よし。俺の推しに会いに行くか。……じゃなくて、学校な」


布団を跳ねのけ、勢いよく立ち上がる。


新しい日々。

新しい友達。

そして——新しい俺。


過去にしがみつくには、今の俺はちょっとだけ忙しすぎる。過去は変えられない。変えられるのはこれからの未来なのだから。



一方その頃――。


どこかの家で、ドアの前に響くコンコンというノック音。


「おーい、愛理〜? まだ寝てんのかよ? 早く行くぞ、学校遅刻するって!」


外から蓮也の声が聞こえる。

その声に反応して、ベッドの中の少女がゆっくりと目を開ける。


「……にししっ♡」


どこか"懐かしい夢"でも見ていたのか、愛理は笑みを浮かべて、ぽつりとつぶやく。


「もうそろそろ……会えそうね? ゆういち♡♡」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ