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第70話 絶望の幕開け

あのバスケの試合の翌日から――

俺の、いや“神田ゆういち”という存在の周りが、少しだけ変わり始めた。


「神田君さ、バレー部に入らない? 君の跳躍力なら、一躍スターだよ!」


「神田!!俺たちと一緒に、甲子園を目指さないか!?」


教室のあちこちから、勧誘の嵐。

熱い視線と希望を乗せて、サッカー部、野球部、果ては陸上部までもが、俺の席の前に列をなす。


(……ご遠慮します……)


断りの言葉を選ぼうとした、その瞬間。

俺の前の席に座る蓮也が、くるっと振り返って口を開いた。


「みんな、悪い!こいつ、もうバスケ部に入部したんだわ!だから勧誘はナシで頼むなー!」


そう言って、にかっと笑いながら、俺の周りに集まった“部活勧誘隊”を手際よくさばいていく。

ポーズは軽くても、どこか頼もしさすら感じてしまう。


(……助かった。さすが蓮也)


その様子を、隣の席から眺めていた聖がぽつりと呟いた。


「神田君……あの試合以降、本当に人気者だね……。確かに、すっごくカッコよかったもんね?」


頬を少し染め、口元を手で隠しながら、照れたように笑うその姿。

普段の如月聖とは少し違って――なんか、すごく……かわいい。


……いや、でも待て。

あの試合のときは、俺のこと“ゆういち”って呼んでたはずじゃ……?

咄嗟に、俺は口を開いていた。


「なんだよ、“神田君”って。昨日の試合のときみたいに“ゆういち”でいいよ。俺も“聖”って呼ぶからさ」


自分でも驚くくらい自然に出た言葉だった。

でも、なんかそれが、すごく気持ちよくて。


俺の中で、今まで貼っていた“誰かとの壁”みたいなものが、音を立てて崩れていくのがわかった。


たぶん――蓮也の真っ直ぐさに、少しだけ影響されてたのかもしれない。


聖は、胸の前でぎゅっと手を握ってから、目を伏せがちに口を開く。


「……ゆういち……!よろしくね?」


その瞬間、俺の胸の奥がギュッと掴まれた。


(な、なにこの気持ち……やっぱ聖、可愛い……)


と、そこに。

タイミングを見計らったかのように、蓮也がニヤニヤとした顔で口を挟んでくる。


「でもよぉ、ほんと人気だな、ゆういち。……ほら、愛理なんて、ちょっとムスッとしてるぜ?

長い付き合いだからわかる。あれ、完全に嫉妬してんぞ?」


茶化すような口ぶり。

だけど――その瞬間。愛理の身体が、ピクッと反応した。耳まで届きそうな小さな音で、空気が震えた気がした。


窓の景色を見ていた愛理は、ゆっくりと振り向き蓮也を真っ直ぐ見つめる。


その瞳は――まるで、ゴミでも見るかのような冷たさ。いつもの「にしし♡」なんてどこにもなかった。


「……は? なに言ってんの、お前」


言葉も、声音も、氷の刃のように鋭かった。

その場にいた全員の背中に、スッと冷たい風が吹き抜けたような気がした。


(お、おいおい……冗談でも怒らせたらまずいやつ……)


勧誘ラッシュの熱気が嘘のように、教室の空気が凍りついた――気がした。


「にしし♡怒らせちまったな」


蓮也は愛理をからかうように笑いながらそう言った。愛理はぷくっと頬を膨らませると、ふんっとそっぽを向いて教室の窓の外を眺めた。どうやら本気で拗ねてしまったらしい。


(こいつら……昔から仲良しなんだな)


そんな様子を見て、俺は少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。俺の知らない、二人だけの時間や思い出がそこにはある。

少しだけ羨ましく、少しだけ妬ましい気持ちが、胸の奥で静かに膨らんでいく。


そんなときだった。

突然、俺の席の周りに女の子たちが集まってきた。先頭にいたのは、女子バレー部のエース・歌川さんと、男子バレー部の美人マネージャー・花谷さん。他にも、校内でも目立つような可愛い子たちばかりが揃っていた。


「か、神田君……すごいモテ期到来じゃねぇか……!」


彼女いない歴=年齢の俺は、ただただ動揺するしかなかった。


そして、その中心にいた歌川さんが、にっこりと微笑みながら口を開いた。


「神田君、この前の試合、すっごくかっこよかったね?最初はちょっと怖かったけど、印象ガラッと変わっちゃった。今ってさ……その……彼女とかいるの?」


――その瞬間。


(ぴくっ)


隣の席の本郷愛理が、わずかに肩を揺らしたのを俺は見逃さなかった。


けど、そんな愛理の反応にも気づかぬフリをして、俺は笑いながら答える。


「かっこいいなんて、生まれて一度も言われたことないよ。……彼女も、今までできたことなんて……一度もないしさ」


照れくささを隠すように笑うと、歌川さんはにこっと微笑んだ。


「じゃあ、lime交換しよ?」


にっこりと差し出される手。

人生で一度も、美少女からそんな言葉をかけられたことのない俺は、ついに来たか――俺の春が!と、スマホを取り出そうとした。


――その瞬間。


ガラリと教室のドアが開き、タイミング悪く担任兼バスケ部の顧問の石黒が入ってきた。


「はーい、席についてー!授業始めるぞー!」


……交換、未遂。

惜しかった。あと十秒。たった十秒の遅れが、俺の春を遠ざけた。


(石黒……俺は絶対お前を許さない)


俺の声にもならない悲痛の叫びが心の中で鳴り響いた。人生初のモテ期――そんな華やかなワードが、俺の脳内で大文字で点滅していた。


胸の鼓動は高鳴り、顔が熱い。きっと今の俺、人生でいちばん“イケてる男”になれてる。


(……なんだこれ……嬉しい、けど……俺、どうしたらいいんだ……)


と、その瞬間だった。

ふいに、左目の視界が揺れるような感覚が走り――俺の左目の瞳孔が、スッと開いた。


「ちっ……ゆういちは私のものなのに、邪魔すんなよ……泥棒猫」


その声は、囁きにも満たないほど小さかった。

でも、確かに――確かに俺の鼓膜を震わせた。


(……な、なんだ今の……!?)


一瞬で鼓動が跳ね上がる。思わず顔を向けると、愛理はハッとしたように唇を押さえた。


「ん?なんか言ったか?」


――俺の空耳か?

それとも、妄想か?

いやいや、でも今の口調……ちょっとヤバくなかったか……?


動揺する俺をよそに、愛理はハッと驚いていたが、すぐにいつもの小悪魔スマイルで、涼しい顔をして答えた。


「にしし♡な〜んにもないよ?ゆういち♡♡」


にっこり。

満面の笑み。

けど、なんだろう……背筋を撫でるようなゾクッとする違和感。


混乱している俺の視線の端に、ふと窓の反射が映る。

そこには、俺たちを意味深な表情で見ている蓮也の姿が――ほんの一瞬だけ、確かに見えた気がした。


そして――月日は流れた。

あのバスケの試合から、季節がいくつも過ぎていった。


気づけば俺の周りには、笑い合える仲間がいて。

一緒に昼飯を食って、放課後に汗を流して、くだらない話で盛り上がる。

そんな“普通”の時間が、俺にとっては何よりの宝物だった。


(……やっと、俺もちゃんと笑えるようになったな)


そう思えた。

あの長く暗いトンネルを抜けて、ようやく光の中に立てた気がした。


蓮也や聖、そして愛理。

俺にはもう、孤独なんて似合わない――

そう、心の底から思っていた。


そして今日も、いつもと同じ朝が始まる。

眩しい朝日、通学路のざわめき、昇降口の靴音。

俺は少し鼻歌まじりで教室の扉を開けた。


「おはよー……って、ん?」


黒板に、何かが貼られていた。

白いコピー用紙一枚。

だが、そのたった一枚が――俺の世界を一瞬で変えた。


「神田ゆういちは過去、暴力事件で生徒を病院送りにしている」


……頭が真っ白になった。


(……は?)


目を凝らして見ても、そこに書かれている文字は変わらない。

黒いマジックで、くっきりと。まるで俺の過去を刻みつけるように。


“あの事件”――


妹の姫花を、いじめから守ったあの日のこと。

止めようとして、殴られて。

それでも止まらなくて。

最後には――


(……あぁ、これが……孤独の始まりだったな)


あの日から俺は“暴力を振るった生徒”のレッテルを貼られ、

誰も俺の話なんて聞いちゃくれなかった。


そして今。

やっと築き上げた日常が――

その一枚の紙で、また音を立てて崩れ始めていた。

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