第7話 “20億点の笑顔”を見てしまった俺の末路
「今日は時間に余裕があるな。……少し、いつもと違う道で登校してみるか」
腕時計で時刻を確認した俺は、いつもならまっすぐ進むはずの通学路を、ふと思いついて右へ曲がった。
その先にあったのは、満開の桜並木。柔らかな風に花びらが舞い、通り全体が薄紅色のベールに包まれていた。
「へぇ……綺麗なもんだな」
(こういう場所で“運命的な出会い”が起きたりするんだよな。……例えば、角から曲がってきた食パンくわえた美少女とか)
漫画好きの俺はそんな感想を曲がり角の一切ない一本道でこぼした直後――視界に見慣れた金髪ギャルが飛び込んできた。
石段に腰掛ける金髪の少女。クラスメイトの、安城恵梨香だった。
「……あれは安城?一体あんな所で何してんだ?」
(はっ!?まさか……とんでもない秘密を隠してたりとか?)
いけない事だとわかっていても抑えきれない好奇心に突き動かされ、俺は近くの電柱に身を隠して様子をうかがった。
「あら……あなた、お腹すいてるの?」
その声は、いつもの教室で聞く冷たく鋭いトーンではなかった。
どこか柔らかくて、優しかった。
まるで、本来の彼女の姿が一瞬だけ顔をのぞかせたような――
そんな気がした。
安城は、小さな野良猫の頬をそっとなでていた。
猫が気持ちよさそうに目を細めると、彼女の口元も――ふっと、ゆるんだ。
――笑った。
その瞬間、心臓がひとつ大きく跳ねた。
(あかん、あの笑顔マジで可愛いすぎる)
ツンと澄ました態度で、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている――
そんな安城恵梨香が、
たった一匹の猫に、こんなにも愛らしい表情を浮かべていた。
「こんなの誰にも言っちゃダメなんだからね?私みたいにぶっきらぼうには似合わないんだから」
そう言って、小さく笑った安城は、猫を軽々と持ち上げた。
「ん〜、高〜い。ふふっ私より高いわね??」
「元気に育つのよ?この辺道路あるから飛び出しちゃ駄目なんだよ?」
猫を高く掲げ、ほんの一瞬だけ、目尻がゆるんだその表情。
それは“クールな美少女”でも“高嶺の花”でもない――ただの、ひとりの女の子の顔だった。
(……やべぇ。絶対見ちゃいけないもん、見たかもしれない。ましてや、覗き見してたなんてバレたら終わる。よし………今日見た事は墓場まで持っていこう)
俺は思わず、その場を離れて遠回りのルートで学校へと向かった。
教室に着いたのはチャイムの鳴る数分前。
ドアを開け、いつもの席に向かおうとしたその瞬間――彼女が、すでに席についていた。
……さっき猫と戯れていた、あの安城とは別人の顔だった。 まるで誰にも関心を見せないような氷の仮面をかぶったような、冷たい横顔。
(……よし。今朝見たことは、墓場まで持っていこう)
俺は再度、心の中でそう誓ってから、なるべく自然な声で言った。
「安城、おはよう」
俺が挨拶すると、彼女は本から目も離さずに小さく返した。どうやら俺より本のほうが重要らしい
「……おはよう」
それはまるで、NPCが機械的に返すような返答だった。きっと、誰に挨拶されたのかさえ認識していないのだろう。
ならもう一度言えば、同じ反応が返ってくるのか?そんな悪戯心で、もう一度言ってみた。
「おはよう」
「……………」
普通に無視された。
ページをめくる指先は一度も止まらず、
まるで俺の存在なんて最初から空気みたいに扱われている。
――どうやら彼女の中では、俺という存在は完全にたった今抹消されたらしい。
俺は後悔の気持ちを抱えながら、自分の席に座り今朝の出来事を心の中で思い出していた。
(……今はめっちゃ塩対応だけど、今朝見た猫と戯れる安城、本当に可愛かったな。ギャップ萌えってやつなんだろうか?いや、ギャップっていうより、あれが“本当の安城恵梨香”なんじゃないか? あんな優しい笑顔をするなんて……。
……まぁ、知り合ったばかりで理想像を押し付けるのは気持ち悪いってのはわかってる。わかってるけどさ。
でも――あの猫を抱きかかえる安城は、本当に反則級だった。
……もはや、猫だったか犬だったか、いや、もしかしたら狸だったかもってくらい記憶が曖昧だけど、それくらい可愛かったんだよ。
あの可愛さ、点数で表すなら――そうだな。100点満点中……20億ってところか?)
早くも数値にインフレを起こしていた俺の心の声は、なおも止まる気配を見せない。
(……まあ、あんな可愛い笑顔、クラスでもしてくれりゃ最高なんだけどな?)
そんなことを考えていると、安城のページをめくる手がピタリと止まった。
(ん?どうしたんだ……?)
……時間が止まったのかと思った。
数秒の静止のあと、彼女は震えるように顔をこちらに向け、ほんのりと頬を染めながら、低くつぶやいた。
「……覗き見はよくないわよ」
どうやらバレてたらしい
あの電柱の陰から見ていたこと、どうやら全部――バレていたらしい。
俺の“墓場まで持っていく”決意表明は、早朝の時点で儚く散った。




