第54話 正義は孤独じゃない
俺は真田蓮也との挨拶を終え、なんとか最初の授業を乗り越えた。
転校初日。
ヤンキーに絡まれ、ボロボロで教室に入り、派手な自己紹介と席決め――
あれこれあったが、ようやくこの地獄のような一日も終わりを迎えようとしていた。
「……さて、帰るか」
バックを肩にかけて立ち上がる。
教室の出口に足を向けた、その時だった。
「――ん?」
トン、トン
誰かに肩を叩かれた。
振り返る――その瞬間、
「にししっ♪ 引っかかった引っかかった〜!」
俺の頬を、人差し指でぷにっと突いたのは――ピンクの長髪を揺らす、本郷愛理だった。
まるで小悪魔みたいな笑みを浮かべながら、彼女は首を傾げる。
「ね〜、わんちゃん一緒に帰ろっ♡」
えっ……今、何て?
突然の甘ったるい誘いに反応する暇もなく、
前の席から、あのイケメンがくるっと振り返る。
「お、俺も一緒に帰っていいか!」
「……ああ、全然いいぜ」
口ではそう答えた。
けど、内心は違った。
(ほんとは……1人で帰りたかった)
無理に笑って、俺は2人の隣を歩き出す。
でもその歩幅には、どこかぎこちなさがあった。
かつての俺は――小学校の頃、
あの一件以降周りから”ヤバい奴”って目で見られて、誰も近づかなくなった。
それ以来、俺は人を簡単には信じられなくなった。
人は平気で裏切る。
その時の空気、立場、流れ――それだけで簡単に、仲間面していた奴も離れていく。
(……どうせ、こいつらも)
そう思ってしまう自分が、
誰よりも嫌いだった。
だからこそ、
そんな卑屈な自分を隠すように、俺は作り笑いを浮かべる。
夕焼けの差し込む帰り道、
3人の影が並んで伸びていた。
その帰り道、俺たちは並んで歩きながら、たわいもない会話をしていた。
「へ〜ゆういちって、妹ちゃんがいるんだ⭐︎」
「会ってみたいな〜」
「……ああ、一つ下で、ちょっとませたガキだけどな」
「にししっ♪ 妹に甘そう〜お兄ちゃんって感じ?」
出会って間もないのに、当然のように下の名前を呼び捨てにしてくる彼女――
本郷愛理。
その距離感の近さに戸惑いながらも、どこか心がほんの少しだけ、温かくなるのを感じていた。
だが、その空気は唐突な声で破られた。
「……おい」
背後から聞こえる、不快なほど耳に馴染んだ声。
振り返ると、そこには――
今朝のヤンキー上級生たち。
ボコボコにされた相手だ。
にもかかわらず、奴らはまた現れた。
しかも今度は、本郷愛理を目当てに。
「へぇ、今朝の子か。やっぱり可愛いな〜?」
「オレらと遊ぼうよ、な?上級生と仲良くしといたほうが得だぜ?色々とさ」
口元にいやらしい笑みを浮かべながら、ゆっくりと愛理に近づいていく。
俺の中で、何かがプツンと切れた。
(……また、こいつらか)
俺は無意識に、一歩前に出ていた。
愛理とヤンキーたちの間に、立ちはだかるように。
「――邪魔すんなよ、雑魚」
男の一人が、目を細めて舌打ちをした。
「なんだ?またてめぇかよ?……いい加減ウゼェんだよ」
そして――
ブンッ!!
振り上げられる拳。
狙いは、俺の顔。
(くっそまた殴られるのかよ?――)
そう思った、その瞬間だった。
「……ッ!」
バチィッ!!
鈍い音が響く。
だが、痛みはこなかった。
――俺の目の前に、真田蓮也が立っていた。
目の前で、拳を受けたのは俺じゃなかった。
真田蓮也――
今日、初めて会ったばかりのクラスメイト。
だけど今、その蓮也が俺の前に立ち、
頬を赤く腫らしながらも、俺を守っていた。
俺は思わず、呟いていた。
(……おい、なんで、庇ったんだよ。俺なんて、今日会ったばかりの他人だろ……?)
震える声だった。
疑い、戸惑い、戸惑い、戸惑い――
俺の中にあったものすべてが、言葉に出ていた。
蓮也は、眉一つ動かさずに、ヤンキーを睨みつけながらこう言い放った。
「……いてぇな、マジで。
いきなり俺の友達に手ぇ出すんじゃねぇよ!」
その声は、驚くほどまっすぐで――温かかった。
「……おい、ちょっと待てよ蓮也……」
「は?何がだよ」
「なんでだよ……なんで、俺を庇ったんだよ……?今日初めて会ったばっかだろ、俺たち……」
本当に、わからなかった。
俺だったら、そんなこと絶対しない。
いや、できない。
だって人なんて、裏切る。
信じたって、傷つくだけだ。
だけど蓮也は、迷いなく笑った。
「知るかよ、そんなもん!」
一拍、置いて――
「お前は、傷だらけになりながらも、今日初めて会った俺の幼馴染…愛理を守ったんだろ?」
「その事実だけで十分だろ。
俺は、そんなヤツを友達として信じていいと思っただけだ」
俺の中で、何かが崩れた。
誰も信じられなかった。
疑ってばかりいた。
いつか裏切られるって、勝手に決めつけていた。
だけど今――
(……なんだよ、それ)
その一言が、俺の卑屈さを溶かしていくようだった。
「……もういい。お前ら、逃げろ!」
俺は振り返らずにそう叫んだ。
視界の端で、愛理と蓮也が固まっているのが見える。
「こいつらは関係ねぇ。俺がやる。俺一人で片付けるから……!」
言葉の奥に、焦りと祈りを込めた。
(逃げてくれ……頼むから……このままじゃお前らも…)
こいつらがこの場に残れば、“加害者”として一括りにされる。
――あんな思いをするのは、もう俺だけでいい。
俺がすべて苦しみを引き受ければ、それでいい。
そう思っていた、のに――
「……はぁ?バッカじゃねぇの、お前」
蓮也の声が、俺の背中を撃ち抜いた。
「愛理から聞いたぜ、お前のこと」
ゆっくりと、俺の隣に並び立つ。
「自分のせいで周りを巻き込むのが嫌な奴なんだってな。だからって、なんで全部1人で苦しむんだよ……?」
俺は返す言葉を失っていた。
蓮也は拳を握りしめ、前を睨みつけながら言った。
「でもな――俺は、友達が苦しんでるのを見て見ぬフリなんて、できねぇんだよ!」
「だから一緒に苦しんでやる。ボコられても、怒られても、連帯責任でも、一緒にギロチンかけられたって構わねぇ」
「友達ってのはな苦しんでる時こそ、そばにいるのが友達だ」
「俺はもう、お前を”友達”って決めたからな」
その言葉に、俺の胸が焼けたように熱くなった。
信じたくて、でも信じられなかった“誰かの優しさ”。
それを、今――蓮也が全力で叩きつけてくれた。
(……なんだよこの真っ直ぐなバカは)
だけど、そのバカさが、泣きたくなるほど嬉しかった。俺は、ただその場に立ち尽くしていた。
目の前で、蓮也が拳を握りしめながら俺の隣に立ってる。
その姿が、信じられなかった。
(……苦しんでる時こそ、そばにいるのが“友達”――?)
その言葉が、耳にこびりついて離れない。
(バカかよ。そんな奴……今まで1人もいなかった)
俺が傷ついて、つらくて、泣きそうで、
それでも何も言えずに俯いていたとき――
誰も手なんか、差し伸べてくれなかった。
みんな見て見ぬフリをして、理由も聞かず、ただの噂を鵜呑みにして、それどころか腫れ物扱いして、徒党を組んで俺を遠ざけた。
「……正義は勝つ」なんてのは絵空事で
大衆の意見こそが正義なりうる。
大衆がそれを正義といえば、どんな悪も正義となるそれが、俺の知ってる現実だった。
だから俺は、誰も信用しないようにしてた。
(――友達なんて、その時の“状況”で変わる)
どんなに笑い合ってても、
どんなに「仲良し」ぶってても、
いざって時には、誰もいなくなるんだって。
そうやって俺は、自分を守るために、心に鎧を着てきたんだ。
でも――
(……こいつらは、違うのか?)
あのとき、俺のために飛び出してきた蓮也。
俺の傷を見て、教室で立ち上がった庇ってくれた本郷。
誰も、逃げなかった。
それが、どれだけ――
俺の中の“当たり前”を壊してくれたか、わかるか?
心の奥で、カチリと何かが動く音がした。
「蓮也、愛理……どうなってもしらねぇぞ?」
「もぉ!わんちゃんのくせに生意気だよ⭐︎」
俺は奥歯を噛み締めながら、上級生たちの輪に歩み出た。
蓮也も同じように、躊躇なく俺の隣に立つ。
「やるしかねぇな……!」
拳がぶつかる。
骨がきしむような鈍い音が耳を打った。
「てめぇ……調子乗ってんじゃねぇぞッ!!」
怒号が空気を裂き、砂ぼこりが靴の蹴り上げで巻き上がる。
視界が霞んでも、殴る手は止めなかった。
――ゴッ!
顔面に拳がめり込み、相手の体がぐらつく。
だけど次の瞬間には別の拳が横合いから飛んできて、俺の頬が焼けた。
「ぐっ……!」
舌の上に鉄の味が広がる。
血の匂いと、砂の匂いが混じって鼻をつく。
もう、何がどこから来るのかなんて分からない。
それでも俺は、足を止めなかった。
「蓮也……! 守れよ、本郷だけは……!」
――今ここで引いたら、
また誰かが、俺と同じ暗闇を味わう。
だけど――
「くっそ、なんだよこいつら……! 鬱陶しい!」
そう吐き捨てて、上級生たちは逃げていった。
その場に残された俺と蓮也は、
無様に地面に仰向けに倒れ込み、荒れた息を整える。
「……はぁっ、はぁっ……お前、めっちゃ強いな?」
「お前が弱すぎなんだよ……なんで殴られに来たんだよ……」
俺は呆れ半分で吐き捨てた。
でもその声に、どこか優しさが混じっていたのは――自分でも気づいてた。
蓮也は鼻をこすりながら、空を見て笑った。
「こういうのは、勝ち負けじゃねぇんだよ。信念ってやつだ。
友達が苦しんでんのに、逃げられるかっての……バーカ」
その時だった。
「うっわ〜ボロッボロだね〜⭐︎」
ひょこっと現れたのは、
心配どころか小悪魔みたいな笑みを浮かべた――本郷愛理だった。
「にしし、ほとんどゆういちが倒してたけどね?
でもでも、2人とも私を守ってくれてありがとう♡」
そう言って、彼女は両手を差し出してきた。
迷う間もなく、俺は片手を伸ばし、
もう片方の手を、蓮也が握った。
「これからもよろしくね? わんちゃん♡」
そう言って笑った彼女の顔を、夕日が優しく染めていた。
オレンジ色の光が、
どこかでずっと閉ざしていた――俺の心の闇を、そっと照らしてくれた。
俺に心を許せる友人ができた瞬間だった
――もう朝か?
カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光が、
まぶた越しに静かに意識を揺さぶる。
俺は寝返りを打って、天井をぼんやりと見上げた。
(……あれ? なんの夢を見てたっけ?)
心の奥がじんわりと温かい。
けれど、その温もりはどこか遠くて、
もう二度と届かない場所に置き去りにされたような、切ない感覚だった。
まるで――
大事な誰かと、もう一度だけ手を繋げたような……そんな夢。
「……はぁ、よし、学校の準備でもするか」
俺は小さくため息をつきながら、ベッドの上で身体を起こす。
窓の外では、新しい一日が、容赦なく始まろうとしていた。
でもどこかで、俺はまだ、
あの夢の中に置いてきた“何か”を思い出せずにいた――。




