第52話 忠犬と悪魔のヒロイン
「いや〜……今日も楽しかったな」
「でも…さすがに蜂須賀さんには嫌われちゃったよな?」
ベッドに沈み込みながら、俺はふとそんな言葉を口にする。
最近、学校生活がなんだかんだで充実してきた。
笑える友達ができて、推しである安城とも少しずつ距離が縮まり始めてる――そんな気がする。
「あれ?ついに俺もリア充ってやつに片足突っ込み始めてるんじゃね?」
照れ隠しのように冗談めかして呟いてみたけど、まんざらでもない。
あの――最悪だった“トラウマの失恋”から、どれだけ時間が経ったんだろう。
あの日の苦しみはまだ心のどこかに沈んでるけど、それでも……俺は前を向き始めてる。
少しずつ、でも確実に。
止まっていた時計が、ようやく動き出したような――そんな気がしている。
「……ふぁぁ……」
あくび混じりに、天井をぼんやりと見上げながら、ふと呟く。
「――あいつら、今頃どうしてんだろうな……?」
“あいつら”というのは、俺にとってのトラウマの原点。初恋を砕いた本郷愛理と、かつての親友――真田蓮也のことだ。
(いつからだったっけ?
あいつらと、あんなに仲良くなったのは……)
気づけば、俺はぽつんと取り残されていて。
振り返れば、笑っていたのは俺以外の二人だった。
思い出したくもない。
でも、忘れられもしない。
そんな記憶が、薄明かりの天井にぼやけて浮かぶ。
「……ま、どうでもいいけどな?もう会うことはないだろうし…」
そう口にした直後――
まぶたが、ふわりと重くなる。
(そうだ…思い出した…あの時からか…)
ゆっくりと意識が沈んでいく。
眠気は、いつだって優しくて、残酷だ。
そうして俺は、誰もいない夜の中へと、静かに落ちていった。
(回想)
俺は、あの日から――
妹・姫花をイジメから守った、あの瞬間から、周囲の視線が一変した。
「……あいつだぜ?片倉たちをボッコボコにしたの」
「しかも、顔面。マジ容赦なかったって噂だよ」
「神田くんって普段ニコニコしてるのに……あれ、本性だったのかな」
まるで“怪物”でも見るかのような目で、周囲は俺を避け始めた。
イジメていた“加害者”たちは、どこか弱々しく“被害者”のフリをして、
イジメられていた“被害者”の姫花と、守った“俺”が、なぜか“加害者”として扱われる。
(全く、おかしな話だ。
大切なものを守っただけなのに、どうしてこんな結果になる?)
校舎の裏、見上げた空は、どこまでも青かった。
――そんな時だった。
「にぃにっ! なにぼーっとしてんの? 遅刻するよ〜!」
あの頃、泣き虫だった妹は、
すっかり元気に、いつもの無邪気な笑顔を取り戻していた。
俺は少し笑って、空を見上げたまま言った。
⸻
「……学校全員から嫌われる“程度”で、この笑顔が守れるなら——安いもんだな」
その言葉に、姫花の目がぱちくりと瞬いた。
次の瞬間、ぷいっとそっぽを向いて、頬をぷくっと膨らませる。
「もう!ほんとに、にぃにはシスコンなんだから!」
口では怒ってるように聞こえるけど、
その横顔は——耳まで真っ赤だった。
(……いや、可愛すぎかよ、妹)
俺はため息をつくふりをして、ちょっとだけ目を細めた。
その日、小学校の卒業式を終えた妹・姫花と、中学二年の春を迎えた俺は、父の転勤に伴って、この街を離れることになった。
中学校から――
また、俺たちの新しい物語が始まる。
そして引越し後の中学二年の春――
俺たちはこの街に引っ越してきて、新しい生活が始まった。
「……あ〜、マジで眠い。あやうく転校初日から遅刻するところだったぜ」
あくび混じりに呟きながら、気だるげに登校していたその時だった。
ふと目に入ったのは、同じ制服を着た1人の少女。
そして彼女を取り囲む、4〜5人の不良じみた上級生たち。
???「もう、やめてください……! 学校に遅刻しますから!」
少女の声は震えていた。
ピンク色の長い髪、パッチリとした目――
まるで少女漫画から飛び出してきたような美少女。
俺なんかとは、一生縁のない、まるで物語の中から飛び出してきたような、完璧なヒロイン。
現実の人間とは思えないほど、整いすぎていた。
「いいじゃんか、ちょっとぐらいさ〜?ね?遊ぼうよ?学校なんてサボってさ〜」
男の1人が、強引に彼女の手を掴む。
(……またこれか)
まるで何度も繰り返し再生される、最悪のドラマのようだった。
“強い奴”が“弱い奴”の権利を、理不尽に奪おうとする構図。
何年経っても、何歳になっても、どれだけ場所を変えても――
人間は、根本的に変わらないんだと痛感する。
(……見なかったことにしよう。どうせ、“正義”を貫いた方が、最終的には“悪者”にされるんだ。どれだけ理不尽でも、多数派の声が「お前が悪い」って言えば、そうなるのがこの世界のルールだ。)
その瞬間、記憶の底から蘇ってくる。
――あの日、小学校でのあの出来事が。
妹・姫花をイジメから守っただけの俺が、
“英雄”になるどころか、
まるで“厄介者”を見るような目で、学校中から疎まれたあの春。
そんな俺の嫌な記憶を、まるで吹き飛ばすかのように――
???「そこのあなた!!助けてください!!」
――震えた声が、耳に届いた。
思考が止まった。
胸の奥に、かすかな熱が灯る。
助けを求める声を聞いて、無視なんて――できるわけがない。
俺はゆっくりと足を踏み出し、気づけばその輪の中心、彼女と上級生たちの間に割って入っていた。
「おいお前ら……どう見ても、嫌がってるだろ」
静かに、でもはっきりとそう言い放つ。
「こんな物語に出てくるみたいなヒロインにナンパするなら――それ相応のレベルに達してから来いよ。全然釣り合ってねぇよ、お前らじゃ」
あからさまに挑発する俺に、空気がピリつく。
上級生の一人が、睨みを利かせて口を開く。
「なんだお前? 弱っちいくせにしゃしゃり出てくんじゃねぇよ」
……出たよ。
中身がスカスカな奴ほど、声だけはやたらデカい。
まるで自分を大きく見せたい子犬の吠え声みたいなもんだ。
(……ほんと、こういうやかましいのが一番苦手なんだよな)
俺はため息まじりに、心の中でそう呟いた。
上級生の一人が、明らかに苛立った顔で俺に詰め寄る。
「歳下のくせに調子に乗ってんじゃねぇよ!」
──バカみてぇにでかい声だな、と思った瞬間には、奴の手が俺の胸ぐらを掴んでいた。
その威圧的な態度に、俺の中の何かがカチリと音を立てる。
(うるせぇな……)
反射的に、俺の視線が鋭くなる。
静かな殺意が、鼓動と一緒に全身を駆け巡った。
「てめぇ……やる気かよ?」
そう口にしたと同時に、
ドンッと拳が俺の頬に飛んできた。
衝撃。だけど、避けられなかったわけじゃない。
一瞬遅れたのは、怒りよりも冷静が勝ったからだ。
「なっ……なんだこいつ?喧嘩慣れしてやがる……」
上級生の声がわずかに震える。
──殴り返せば、一撃で勝てる。俺はそう確信していた。
拳を振り上げた、その瞬間——
彼女の姿が、俺の視界に飛び込んできた。
制服の袖をぎゅっと握りしめて、
怯えたようなその目で、俺を見つめている。
(……マズい。このまま手を出したら、きっとこの子まで“加害者”扱いされる……!)
(ただ巻き込まれただけの子なのに、俺と一緒に見られて、傷つくのは目に見えてる……)
頭の奥で、警鐘がけたたましく鳴り響いた。
拳は、上級生の顔面すれすれで――ピタリと止まった。
「は?お前、舐めてんのかッ!」
上級生の怒声と共に、拳が俺の頬を打ち抜いた。
バチン!という音がやけに生々しくて、
周囲の空気がぴたりと止まった気がした。
だが、俺は——やり返さない。
ぐっと奥歯を噛みしめて、ただ黙って殴られ続けた。
(あぁ……かっこわりぃ)
目の前に立つ“ 物語の中から飛び出してきたような、完璧なヒロイン”の前で、こんな無様を晒すとは、まったく洒落にならねぇ。
(このまま殴られてれば、気が済んでこいつらはどっか行く。この子を巻き込まずに終わらせられる…)
「はぁ、はぁ……なんだコイツ、気色わりぃ……」
何発も殴られてなお立ち上がる俺に、
さすがの上級生も気味悪がって一歩引いた。
「なんで殴りかえさねぇんだよ?」
俺は、口元をゆがめて答えた。
「道に落ちてるクソなんか殴ったら、手が臭くなるだろ? 転校初日から、クソまみれで登校なんてゴメンだわ。ただでさえ、こっちは遅刻しそうで洗ってる時間ないんだわ」
俺は、せめてもの抵抗として高次元の煽りを一言つぶやいた。上級生たちの間に、凍りついたような沈黙が走る。
「……てめぇ、好き放題言いやがって……ッ!」
一人が怒りを爆発させ、殴りかかろうとした――が、
「待て」
もう一人がその肩を押さえて止めた。
「……もういい。帰るぞ。お前の顔、覚えたからな?」
そう吐き捨てると、上級生は忌々しそうにこちらを睨み、取り巻きたちとともに足早に去っていった。
──残された俺は、地べたに仰向けで倒れたまま、息を切らしながら青空を見上げる。
(……はぁ、マジで最悪。転校初日でこれって、どんな確率だよ。)
(つか、“道端のクソ”は言い過ぎたな……いや、言い得て妙か? いやいや、転校初日でこれは完全にヤンキー漫画の導入だろ……)
情けないやら痛いやらで、空がやけに遠かった。
そんな俺の視界に――
???「ねぇねぇ!助けに来てくれてありがとね?」
ふいに、ひょこっと覗き込む顔が現れた。
(……え?)
俺に助けを求めてきた彼女だ。
もうとっくにいなくなったと思ってたのに、
風になびくピンク色の髪と、夏空の青さが混ざり合って、その姿がやけに綺麗に見えた。
???「派手にやられたね〜。すっごい顔になってるよ?」
ニコニコと他人事みたいに笑うその姿に、
俺はついぼやいた。
「……まだいたのかよ?さっさと逃げたらよかったのに」
すると彼女は、腰に手を当てて得意げに言う。
「さすがに、助けてもらっといて私だけ逃げるのは、ちょっとね?」
そこにいたのは、さっきまで震えてた少女じゃない。どこか余裕すら感じる、まるで猫のような表情だった。
「……もしかして、最初から怖くなかったんじゃねぇの?」
俺が呆れたように言うと、彼女はケラケラ笑って答えた。
「うん、まぁね〜? 最悪“きゃー痴漢!”って叫べば、お巡りさん呼べるし!」
「じゃあ、なんで俺に助けを求めたんだよ?」
ボロボロのまま、俺は彼女に問いかけた。
風に揺れるピンクの髪、その奥の瞳がまっすぐ俺を見ている。
彼女は人差し指を口元に当てて、
いたずらっぽく微笑んだ。
「ん〜、君がさ、見て見ぬふりしようとしてたから……かな?いたいけな乙女を見殺しにしようとした君には天誅を下そうと思ってね?⭐︎」
「……全く、いい性格してるな?アンタ」
俺は苦笑いを浮かべながら、痛む頬を擦る。
すると彼女は、ふいに真面目な顔をして聞いてきた。
「ところでさ……なんで君、やり返さなかったの?君、喧嘩強いしょ?急所は外れるように受け流してたし!さすがの素人の私にもわかるよ⭐︎」
その質問に、俺は少しだけ間をおいてから答えた。
「……もし俺があいつらをボコボコにしたら、
今度はお前も俺と同じ“加害者”として扱われるだろ?」
「え?」
「先生とか周りの大人って、そういうの関係なく“一括り”にするからな?なぜそれが起きたのかを考えることを放棄して、連帯責任とか言い始めてさ…俺はそれが嫌だった。だから……やらなかっただけだよ。つまり…"自分"のためだ」
沈黙。
そして、風が通り過ぎる中——
彼女はすっと俺の顔に近づき、
その距離、10センチを切った。
(……え、何?俺キスされるの!?)
ドクン、と心臓が跳ねる。
だけど彼女は、にこりと笑ってこう言った。
「君、優しいね。あんな状況だったのに……"私"のことを一番に考えてくれたんだ」
瞳の奥が、まるで透き通っているようで——
俺は、息を呑んだ。
「ふふ、君ってなんか、忠犬だよね?……まるで、飼い主を守ろうとするわんちゃん」
彼女はわざとらしく笑って、俺の顔を覗き込んできた。
「は?こいつ何言ってんの……?」
脳内にハテナマークが10個ぐらい浮かぶ。
その笑顔は、まるで天使の皮をかぶった悪魔。
魔性――それが一番しっくりくる。
俺は今、たぶん新種の生物と遭遇している。人間のフリをした、なにか別の“何か”に。
「気に入ったわ♪」
そのまま彼女は、ぴょこんと立ち上がると、手を差し伸べてきた。
「私は、本郷愛理。君の名前は?」
「……神田ゆういち、だよ」
「ふーん。いい名前だね、神田くん。……はい、お手っ。あ、ごめん間違えた、握手だよね」
茶化すような仕草と、くすっと笑ったその笑顔は、
青空よりもまぶしくて――だけど、今思えば、どこか危うさも含んでいた。
——これが、俺の初恋の相手であり、
そしてのちに、俺の心を深くえぐることになる“トラウマ”の始まり。
「本郷愛理」との出会いだった。




