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第34話 “綺麗なお姉さん”のお尻が忘れられない件について

昇降口の扉をくぐり、湿気を含んだ朝の空気と共に、俺は靴を履き替える。


「……安城にちゃんとお礼、言わないとな」


姫花の誕生日会。あの完璧すぎる段取りも料理も雰囲気作りも――全部、安城のおかげだ。


感謝の言葉をどう伝えるかを考えながら、ゆっくりと顔を上げた――そのとき。


「ゆういち〜! おはようっ☆ だーれだぁ〜っ!?」


いきなり後ろから両手で目を塞がれた。

ひんやりとした細くて華奢な指先。かすかに石鹸の香りがして、指の内側は少しだけ湿っていた。


(この指の感触、知ってる)


一般人なら「可愛い女子だな」と勘違いするだろうが、俺にはわかる。

――これは、あいつだ。


だが、素直に答えてやるのも芸がない。

ちょっと意地悪してやるか。


「ん〜……この繊細で華奢な指。そして少し湿っていて……これは汗かな?いや、緊張か?

それに、俺の目のところだけ絶妙に隙間をあけて押さえてる……優しいな? なるほど。俺の知り合いで、こういう小悪魔ムーブが許されて、なおかつ俺のことが好きなやつ……そうだな――」


俺は、にやりと笑いながら振り返った。


「――如月聖、だな?」


「……ふぇっ!?」

昇降口の前で振り返ると、そこには――

顔を真っ赤に染めた如月聖が立っていた。


「っ…ゆ、ゆういち……お、おはよう……」


さっきまでの「だーれだぁ〜っ☆」な小悪魔テンションは見る影もない。

肩はすぼまり、目はそわそわ、声はワントーン低い。

まるで“もう降参”と額に書いてあるような表情だ。


……だが、自称“追撃王”の俺は、神田ゆういちは容赦しない。


俺はすかさず追撃に出た。

俺の純情を弄んだ罪は、軽くないぜ。


「なんだ、お前か。

顔が可愛くて、スタイル抜群で、笑った顔なんかマジで天使――

最高峰の可愛さを誇る、みんなの嫁・如月聖(男)か。おはよう」


ニヤリと悪戯っぽく笑いながら軽口を飛ばす。

さすがに“男に女扱い”は嫌がるだろ――そう思っていた。


「ふぇふぇ〜っ! ふぇふぇ〜!」


――ところが。


聖は顔どころか耳まで真っ赤にして、両手で顔を仰ぎだした。

まるで漫画みたいに湯気が出てるんじゃないかってくらい。


……あれ? 怒られると思ってたのに。

なにこの反応。

なんでこいつ“照れて”るんだ……?

教室までの廊下を歩く。隣には、まだほんのり顔を赤らめた如月聖。


俺はというと、以前遭遇した聖によく似た「謎のお姉さん」のことが忘れられず、つい語り出してしまった。

「そういえばさ〜この前聖にそっくりなお姉さんに会ったんだよな〜」


聖はピクリと反応する。そのまま"追撃王"神田ゆういちは無意識に追撃していく。


「いやほんと、あのお姉さんはヤバかったんだって。美しさが突き抜けてて、背筋ぴんってしてて、目なんて吸い込まれそうだったしさ。あ、しかも――あの、曲線美がな……そうあのスイカのような"お尻"が……」


ちょっと照れながらも、正直に語る俺。

推しの話になると止まらなくなるオタクと化している。


「ぬわっ!? スイカ?な、なに言ってるのゆういちっ!///」


隣の聖は顔を真っ赤にして狼狽える。

耳まで赤い。手で顔を仰ぎながら、恥ずかしさに耐えるようにうつむいた。


その反応を見た俺は、ニヤリと笑う。


「おいおい、聖。まさかお前、俺が他の女に夢中になるのが、嫉妬してんのか〜?」


「ち、ちがうしっ!! べ、別にそんなんじゃないしっ!」


「なんだよ、冗談だって」


冗談半分で返すが、聖はそれ以上何も言わずに前を向いて歩き続ける。

口元だけが、どこか拗ねたようにへの字を描いていた。


(あれ? なんか、怒らせたか……?)


でも俺は気づいていない。

さっき語った“綺麗なお姉さん”こそ――

まさに今、隣を歩いてる“彼”だってことに。


そう。あの美しさも、あの尻も、

変装していた如月聖その人だったのだ。

昇降口を抜けて廊下を歩きながら、俺はふと口を開いた。


「でもな、最後、別れるとき――すごい寂しそうだったんだよ」


ポツリと漏らした言葉に、横を歩く聖がぴくりと反応する。


「……なんていうか、顔も声も、しぐさも上品で、絵に描いたような綺麗なお姉さんだったんだけどさ。目だけが違っててさ」


俺は自分でも驚くくらい、真面目な口調になっていた。


「瞳の奥が……すごく寂しそうだった。何かを諦めたような、何かをずっと――待ってるような、そんな目をしてたんだ」


――コツン。


隣から聞こえる足音が、一瞬だけ止まった。


聖の足が、思わず止まったのだ。


(ん?)


視界の端で、聖の肩が微かに震えていたような気がした。でも、すぐに追いついてきたから、気のせいかもしれない。


「……でも、まぁ。俺の勘違いかもな」


わざと軽い口調でそう締めくくって、目の前の教室の扉に手をかけた。


「おっ、もう教室着いたな――」


ガラッ。


扉を開けた、その瞬間――


まるで、張り詰めていた何かが切れるように。

背後から、聖の小さな声が漏れた。


「……ゆういち」


声の色が、いつものふざけた小悪魔テンションとは違っていた。


その声音に、思わず振り返ると――


窓から差し込む柔らかな朝日が、静かに彼女……いや、“彼”の姿を照らしていた。


その光の中に立っていたのは――

かすかに震える唇を噛みしめながら、それでも笑おうとしている如月聖。


その顔は、まさに――


髪が光に透け、まつげの影が頬に落ち、

瞳の奥には、言葉にならない何かが滲んでいる

あのとき出会った“綺麗なお姉さん”そのものだった。


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