第29話 優雅すぎる令嬢と、逃げ損なった俺
「……あれ? 聖?」
思わず、反射的に声が漏れた。
目の前にいるのは、スカートを履いた――親友(男)にそっくりな少女。
違う、そんなはずない。そう思っているのに。
その外見は、あまりにも似すぎていた。
白い髪。
透き通るような水色の瞳。
そして――いつも聖が身につけている、ピンクの髪留め。
頭がうまく回らないまま、俺はとりあえず無難な言葉を選んだ。
「……あっ、すいません」
「なんか、友達に似てたもんで、つい話しかけてしまいました」
そう言いながら、俺は彼女の反応をそっと伺う。
“友達に似ている”と言われて、どういう反応をするのか。
(……てか、やっぱり可愛すぎだろ!)
いつも学校で、男の制服を着た聖を見ては、
「どうしてお前は女の子じゃないんだよ……!」
と心の中で何度叫んだことか。
けど今、目の前にいるのは――
聖と、まったく同じ顔をした少女。
混乱した俺の頭の中で、思考が高速回転して、三つの仮説が浮かび上がる。
① 実は聖が女の子で、何か訳あって男のフリをしている
② 聖には双子の妹がいる
③ 似てるだけの別人
④ 聖は男だけど、女装する趣味があった
(……いや、④はちょっと新しい扉が開きそうだから一旦置いとこう)
正直、どれでも嬉しい。
――いや、嬉しいってなんだ俺。
でも、聖が俺に嘘をつくとは思えない。
中学の頃からの親友だからだ。
そんな俺のぐるぐるした思考をよそに、
その“彼女”は、ふわりと微笑んだ。
まるで舞台のヒロインみたいに、上品に首を傾げて――
「……ふふ。構いませんわよ?」
(あれ? ゆういち、私に気づいてない……?)
鈴の音みたいに澄んだ声だった。
柔らかく、上品で、それでいてどこか人をからかうような響き。
その佇まいはまるで、洋館の階段を優雅に降りてくる令嬢そのものだった。
(な、なんだこの人……。絶対俺と住む世界違うタイプの人だ……)
女性経験皆無の俺は、開始三秒で完全にたじたじになっていた。
そんな俺を見て、聖によく似た“令嬢”は、楽しそうに微笑みながら続ける。
「ケーキ、お好きなんですの?」
「え、あ……いや、俺じゃなくて……妹が好きなんです」
「妹が今日、誕生日でして」
そう答えると、彼女は一瞬きょとんとしたあと、ふわりと優しく微笑んだ。
「まあ。妹様思いの、優しいお兄様なのですわね?」
(そっか。姫花ちゃん、今日誕生日なんだ)
(……てか、ゆういち全然気づかないな)
目の前の彼女が何を考えているのかなんて、俺に分かるはずもなく。
俺はただ、照れくさそうに頭をかきながら答える。
「いや……そ、そんな立派なもんじゃ……」
曖昧に笑ってごまかしながら、心の中では警報が鳴り響いていた。
(や、やべぇ……!)
(いい匂いするし、可愛すぎるし、聖に似てるせいか、いつもより三割増しくらいでドキドキしてる気がする……!)
基本的に俺は、女の子と会話すること自体あまり慣れていない。
なのに今回は、そのハードルが異様に高い。
(俺のコミュ力じゃ会話が成立する気がしない……)
(始まりの町の勇者が、いきなり魔王城に放り込まれるようなもんだぞこれ……)
そして俺は、ある結論に辿り着いた。
――よし、逃げよう。
迷うことなく「にげる」コマンドを選択。
俺・勇者ゆういちは、そっと出口の方へ体の向きを変えた。
だが――その瞬間。
「ところで……私によく似たご友人というのは、どのような方なのかしら?」
(この際だから、ゆういちが僕のことどう思ってるのか聞いてみたい)
……逃げられなかった。
品のある声色に隠された好奇心が、ぐぐぐっと距離を詰めてくる。
どうやらレベル差がありすぎる相手からは、
「にげる」コマンドは成功しない仕様らしい。
俺は観念して、ゆっくりと彼女の方を振り向いた。
「そうなんすよ。でも男なんですよ、その子」
俺は必死に言葉を繋ぐ。
「……あっ、いや、女性に“男に似てる”って言われても嬉しくないですよね?」
そこまで言ったところで――なぜか、俺の口は止まらなくなった。
「あ、でもそいつ、めっちゃ可愛いんですよ!」
「俺、何回“こいつ女の子だったらよかったのに”って思ったことか……!」
「あと、すごい品があって、悪口とか絶対言わないんですよ。言葉遣いも綺麗で」
「頭では男だってわかってるのに、なんか心がいつも緊張しちゃって……聖には言えないけど、実は今でもちょっと緊張するんですよ」
「あと、お尻の形が……」
そこまで言ってから、俺はハッとした。
「あっ、聖ってのはその親友の名前でして――」
……俺は何を言っているんだ?
普段あまり喋らない奴が、自分の専門分野になった瞬間、急に饒舌になることがある。
今の俺は、まさにそれだった。
水を得た魚とは、こういう状態を言うんだろう。
(……あれ? 俺、どさくさに紛れてなんかとんでもないこと言おうとしてなかったか?)
親友の魅力を語るという、自分の得意分野。
そこに入った俺は、もはや止まらなかった。
「とにかく、俺の親友、男なんですけど――」
そこで俺は一度言葉を切って、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……めっちゃ大好きなんです」
その言葉が、静かな店内にぽつりと落ちた。
数秒、沈黙。
俺は「やっちまった」という顔で固まり、
目の前の“聖によく似た令嬢”は――
ぽかん、とした顔で俺を見つめていた。
そして。
みるみるうちに、彼女の白い頬が赤くなっていく。
「…………」
「…………」
「……そ、そう、なんですわね?」
(ばか……ゆういちのばか……!)
(そんなに褒めないでよ……こっちは心臓がもたないんだから!)
(そんな事より、お尻の形が何?)
(それが一番気になるよ!!)
俺の目の前で、彼女はふいっと視線を逸らし、
落ち着かない様子で髪に触れたり、スカートの裾を指でつまんだりしている。
その仕草が妙に可愛くて、俺はますます混乱した。
そして、この一連の会話で俺はひとつの結論に辿り着く。
(……どうやら、仮説③のようだな)
(たぶんこの人は、聖に似ているだけの別人だ)
そう思うことにした。
だって、もしこれが本当に聖だったら――
俺はさっき、とんでもないことを本人に向かって言ったことになる。
……いや、それはさすがに、恥ずかしくて死ぬ。
だからこれは、聖によく似た、どこかのお嬢様。
そういうことにしておくのが、一番平和だ。
世界には、自分にそっくりな人間が三人いるっていうし。
きっと、そのうちの一人なんだろう。
――そういうことにしておいた。
なのに。
(なんでだろうな)
(どうしても、聖と重ねて見えちまう)
話し方。
仕草。
ふとしたときの表情。
別人のはずなのに、どこか“聖らしさ”が残っている気がして、
俺の心は、妙に落ち着かなかった。
けど、この時の俺は気づかなかった。
目の前にいるこの女性が、
これから先、俺の心を何度も、何度もかき乱す存在になるなんて。
その時の俺は、まだ知らない。
これは、ただの偶然の再会なんかじゃなくて――
俺の世界が、少しずつ変わり始める日の、
始まりだったってことを。




