第16話 霊界に咲いた天使
クレープを食べ終えた俺たちは、それぞれの帰路につくことになった。
分かれ道に差し掛かったところで、聖がくるっと振り返り、にこっと微笑む。
「あっ、僕こっちだ! じゃあね! 安城さん、ゆういち」
夕暮れの光を受けて、白髪がふわっと揺れる。
その笑顔はどう見ても――どう見ても女の子だった。
(いや、待て)
即座に、俺の脳内ツッコミが入る。
(あいつは男だ。とんでもなく可愛いが男なのだ)
自分に言い聞かせるように何度か繰り返し、俺は強引に納得する。
そうしないと、いろいろと脳がバグりそうだった。
聖と別れたあと、俺と安城は二人きりで歩き出す。
時刻は夕暮れ。
空はオレンジ色に染まり、街全体が少しだけ静かになる時間帯。
――推しと、二人で下校。
目下の目標どころか、人生イベント級の状況だ。
俺の心は、もはや完全にピンク色に染まっていた。
二人は、なぜか自然と同じ歩幅で歩いている。
近すぎず、遠すぎず。
この微妙な距離感が、逆に心臓に悪い。
(……あれ)
(なに話したらいいんだ?)
頭の中が、一気に真っ白になる。
彼女いない歴=年齢。
恋愛イベントのチュートリアルすら未受講の俺にとって、この状況は――
(難易度、高すぎないか……?)
(てか……いきなり“推し”とか言ったの、迷惑だったりするのかな?)
今日の昼休み、俺は安城恵梨香に救われた。
そして気づけば――推しとして、崇めるようになっていた。
その事実を胸に抱えたまま、俺は歩いていた。
けれど、数歩進んだところで、ふと不安が胸をよぎる。
さっきまで天にも昇る気分だったのに、こういうところだけ現実的になるの、我ながら情けない。
(でも……)
(あの時の安城の言葉、すげぇ嬉しかったんだよな)
脳裏に、あの光景が自然と浮かぶ。
桜が舞い散る春の教室。
金髪がふわりとなびいて――
瑠璃色と琥珀色のオッドアイが、きらりと光る。
(女神……? いや天使……? いやどっちもか……)
(ダメだ。想像しただけで尊すぎる)
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
鼓動が一段、早くなる。
(これが……推し活ってやつか……なんて素晴らしいんだ。)
そんな俺の暴走気味な心の声は――
もちろん、隣を歩く安城恵梨香に、全部筒抜けだった。
(……もう……また言った。)
(この男、今日何回私のこと可愛いって言うのよ)
表情はいつも通り、クールなまま。
けれど、その内心では心が躍り心なしか歩くスピードがあがる。
(私なんて全然可愛いくないもん。)
――だが、ゆういちの心の声は止まらない。
(てかさ、安城がクレープ頬張ってる姿も可愛かったよな?なんかリスみたいだったし?)
(は?誰がリスよ。)
(普段あんなにクールで凛としてるのに、甘いもの好きとか……)
(ギャップ萌えすぎるだろ)
(もはや安城自身がスイーツだわ)
(……勝手にスイーツにしないでくれるかしら?)
心の中で、ぴしゃりとツッコミを入れる安城。
(いや、なんか喋れよ!俺!心の中じゃなくて現実で話せよ!)
(このままじゃ、なんか気まずい空気のまま終わっちまうだろ!)
内心で自分にツッコミを入れながら、俺は必死に思考を回転させる。
話題? 気の利いた一言? そんな高度なもの、持ち合わせていない。
(とりあえず……そうだ)
(顔を見て話そう)
(話題なんて、話し始めちまえば何か生まれるはずだ……)
そう自分に言い聞かせて、俺は意を決して横を向いた。
――安城の顔を見る。
夕暮れを背に、並んで歩く安城恵梨香。
オレンジ色の光が輪郭を縁取って、金髪が柔らかく輝いている。
その表情は凛としていて、まっすぐ前を見据えた横顔は――
誰よりも、気高く。
誰よりも、美しかった。
(……)
言葉が、完全に消える。
(あかん)
(可愛いすぎて何も思い浮かばない。)
(あんたさっきから何してるのよ。)
幻想的、なんて言葉じゃ足りない。
現実感が薄れて、世界の解像度が一段階落ちたみたいだった。
そして、また別れ道に差しかかった。
「……私の家、もうすぐそこだから」
安城はそう言って、足を止めた。
俺の家は、ここから反対方向だ。
つまり――ここで、お別れ。
けれど俺には、このまま真っ直ぐ帰るつもりはなかった。
別れたあと、どうしても寄りたい場所があった。
どうしても、行かなければならない場所が。
――母さんの墓参り。
俺の母さんは、俺が小さい頃に他界した。
正直に言えば――俺は、かなりの母親好きだ。
嬉しいことがあった日。
悩んだ日。
誰かに褒められた日。
そういうとき、俺は決まって墓地に足を運ぶ。
……いわゆる、マザコンってやつだ。
(今日、初めて“推し”ができたって……母さんに報告しよ)
そんな心の声が――
当然のように、安城恵梨香にも届いてしまったらしい。
彼女は、歩みを止めて、ちらりと俺を見上げる。
「ねぇ……あなた、どこか寄るの?」
「え?」
思わず声が出た。
「……なんで分かったんだ?」
「顔よ。なんか……そんな顔してた」
「いや、どんな顔だよ」
拗ねたように言うその表情に、俺は小さく苦笑する。
(まあ……隠す必要もないか)
「母さんの墓参りだよ。ちょっとだけ、寄りたいんだ」
一瞬、空気が止まった。
……変に思われたかもしれない。
そう身構えた、そのとき。
安城は、少し考えるように視線を伏せてから、静かに言った。
「……すぐそこの、あの墓地かしら?」
「え? そうだけど……」
「私のお母さんも、そこにいるの」
思わず、言葉を失った。
「高校生になってから……なかなか来られなくて」
「部活とか、いろいろ忙しくて……」
安城は、ほんの一瞬だけ――
遠くを見るような目をしたあと、こちらに向き直った。
「……もしよかったら」
少しだけ、言葉を探す間。
「私もついて行っても、いいかしら?」
その声は静かで、
けれどどこか――勇気を出しているみたいだった。
「いや、全然……むしろ、俺の方がありがたい」
そう答えると、安城は小さく頷いた。
⸻
ほどなくして、俺たちは墓地に着いた。
夕方の空は、もうオレンジ色に染まり始めている。
俺は、いつもの場所で足を止め、静かに手を合わせた。
(母さん……今日、すごくいいことがあったんだ)
胸の奥で、ゆっくりと言葉を組み立てる。
(何だと思う?)
(……俺に推しが、できたんだ)
少し照れくさくて、
でも、ちゃんと伝えたくて。
(最初の報告はさ……友達ができたとか、彼女ができたときにしようって思ってた)
(でもさ、今日はどうしても言いたくて)
(最近、すごく嫌なことがあって……正直、折れそうだったんだ)
視界の端で、安城が静かに立っているのが分かる。
(でもな)
(横にいる俺の“推し”――安城に、救われた)
(「私はあなたを笑わない」って言われたときさ……)
(その雰囲気が、なんていうか……)
一瞬、喉が詰まる。
(あの時の母さんに、そっくりだったんだ)
(だから……もう大丈夫だ)
(あと……めっちゃ可愛いだろ?)
――そこで、ふっと。
胸の奥に、柔らかい感触が触れた気がした。
(……もぉ……ばか)
⸻
長い祈りを終えて、俺はゆっくり立ち上がる。
「……悪かったな、安城」
振り返って言う。
「次は、安城のところだな」
すると、彼女は少しだけ考えるように目を伏せてから、ぽつりと聞いてきた。
「ねぇ……」
「もし、お母さんに会えたら」
一拍。
「あなた、何て言いたい?」
「……え?」
あまりにも唐突で、思わず声が裏返る。
「ど、どうしたんだよ。いきなり……」
俺は頭を掻きながら、少しだけ考えた。
「そうだな……」
夕暮れの空を見上げながら、
俺は正直な答えを探した。
「……俺はさ」
少し照れくさくて、言葉を噛む。
「母さんのこと、大好きだぜ。……かな?」
「最後、ちゃんと……言えなかったし」
そう口にした瞬間――
安城が、ふふっと小さく笑った。
「なんで笑うんだよ!」
慌てて抗議すると、彼女は軽く首を振る。
「いえ、ごめんなさい」
「なんだか……あなたらしくて、ちょっとおかしくなっただけ」
一拍。
彼女はそっと目を閉じて穏やかな声で続けた。
「きっと、伝わってると思うわ」
「あなたの言葉。ちゃんと」
その言い方が、あまりにも自然で――
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
「……よし」
俺は、気持ちを切り替えるように言う。
「次は、安城のお母さんだな?」
「ええ」
短く頷いた彼女と並んで、
俺たちはもう一つの墓前へ向かった。
⸻
安城は、静かに手を合わせていた。
背筋はまっすぐで、
その横顔は、剣道部のときと同じくらい凛としている。
けれど――
どこか、優しかった。
しばらくして、彼女はゆっくりと手を下ろす。
俺は、そっと声をかけた。
「なあ……安城は」
「お母さんに会えたら、何て言いたい?」
彼女は一瞬だけ考えるように目を伏せてから、
振り返って――笑った。
「そうね……」
夕暮れの光を背にした、その笑顔で。
「私も、お母さん大好き……かしら」
その瞬間。
夕焼けに染まる空よりも、
街の明かりよりも――
その笑顔は、
今まで見てきたどんな女の子よりも、
ずっと気高くて、愛らしかった。
……ああ。
俺の推しは本当に可愛い。
俺は、心の中でそっとそう呟いた。




