第14話 放課後、縫い付けられた言葉がほどけるまで
──昼休みの終わり。
退屈な授業の予感とともに、チャイムが鳴る。
「わっ、やばっ! 戻らなきゃ!」
バタバタと教室を飛び出していく妹――神田姫花の後ろ姿を、俺はなんとなく目で追っていた。
そのとき、隣から――
本をめくる静かな音とともに、声が落ちてくる。
「……お兄ちゃん想いの、いい妹さんね」
(……え?)
思わず顔を向けると、いつものクールな金髪の少女――安城恵梨香が、どこか優しい瞳でこちらを見ていた。
「……あぁ。俺にはもったいないくらいの、最高の妹だよ」
自然にこぼれた言葉に、安城は少しだけ視線を落とし、呟くように言う。
「あなた達、本当に兄妹? 全然似てないけど」
「いや、似てないけど兄妹だよ! 血縁はたぶん……本物!」
思わず笑って返すと、安城もほんの一瞬だけ、口元を緩めた――ような気がした。
そんな何気ないやり取りのあと、チャイムが鳴る。
──そして放課後。
退屈な授業をようやく乗り越え、やっと訪れた下校の時間。
カバンのチャックを閉めながら、俺の胸には――ある思いが、静かに満ちていた。
(……推しと、一緒に帰りたい)
さっき推し始めたばかりだというのに、もうそんなことを考えている自分に、内心で苦笑する。
(いや、待て俺。
俺は距離感が分かる男だ。
今日いきなり推し認定して、その日に一緒に帰ろうとか――さすがにグイグイすぎるだろ……)
少し冷静になろうとして、俺は自分に言い聞かせる。
(……いくら安城が可愛いからって、俺が安城を推した理由は、顔だけじゃない。
俺の情けない過去を笑わないって言ってくれた、あの気高い性格だ)
(推し比率で言うなら――性格六割、外見の可愛さ四割ってところだな。)
「結構せめぎ合ってるじゃないのよ」
横からボソッとツッコミが飛んできて、俺は心臓が跳ね上がった。
「……え? 安城、どうかしたか?」
安城はハッとしたように視線を逸らし、少し早口で言う。
「……なんでもないわ! ただの、ひとりごとよ」
(この男と一緒にいたら、調子が狂うわ……。はやく帰らないと)
安城がバッグを肩にかける。その動作に気づかないまま、俺の思考は相変わらず暴走を続けていた。
(……ひとりごとか。
俺も家でよく独り言言うタイプだし、もしかして似てるのか?
推しと似てるって……なんか嬉しいな)
――その“心の声”を、隣の金髪の美少女は、しっかりと聞いていた。
(……私を“推し”?
ほんと、バカじゃないの。
今までそんなふうに言われたことなんて……なかったのに。みんなもっと私の事怖がっていたわ。)
そう思いながらも、なぜか完全に呆れきれず、安城はちらりと横目で俺を見る。
だが、俺はそれに気づかず、さらに思考を深めていく。
(てか、安城って家ではどんな感じなんだろう?
やっぱり家でもクールで、気高い感じなのか?)
(……いや、待てよ。
家ではめっちゃ甘えん坊だったりしないか?
部屋にぬいぐるみとか置いてあったり……
類は友を呼ぶとも言うし、安城可愛いから部屋も可愛いんじゃ?
そういえばこの前、猫と戯れあってたし、
あれはそういう伏線だったのか?)
俺は、まだ貼られてもいない伏線について、勝手に思考を巡らせながら、さらに考えを深めていった。
(……いや、ギャップ萌えかよ。
ダメだ。可愛すぎる。
推しの妄想ってだけで好感度がうなぎのぼりだ。
安城は何もしてないというのに、俺の中では今も勝手に評価が更新され続けてる。)
(勝手にギャップ萌えしないでくれるかしら?)
安城のツッコミが心で響き渡る中俺の思考は更に続く。
(もっと、安城のことを知りたい。
……よし。一緒に帰ろうって、言ってみるか?)
ちょうどそのタイミングで、俺は席を立った。
「安城、あのさ……」
――そこで、俺は重大な真実に気づいてしまう。
(……っは!?ちょっと待て。
女の子と一緒に帰る、だと?
彼女いない歴=年齢の俺が?
まるで当然にできる前提みたいに考えてたけど……できるのか?俺)
(こんな可愛い女の子に、
「一緒に帰ろう」なんて――言えるのか?)
「……どうしたのかしら?」
安城は少し首を傾げて、こちらを見る。
(この男、また私の事、可愛いって言った……。
……違う、今はそれどころじゃない)
(……まあ、一緒に帰るくらいなら、いいわよ。
だから、早く言いなさいよ……)
安城の心の声が、静かに背中を押す。
穏やかな別れ――の、はずだった。
俺はさらに思考。
(よし……言うぞ?一緒に帰ろうって。
もう断られたってかまわない。
俺は推しの事をもっと知りたいんだ!!)
「安城あのさ……」
けどその時、誘う決断は完全にできているというのに、
緊張のあまり、どうしても口が開かない。
まるで、見えない糸で縫い付けられてしまったみたいに。
(やべぇ……早く言わないと……)
頭の中では、もう何度も言葉を組み立てている。
「一緒に帰らないか」
――その一言は喉元までは来ているのに。
(なんでだよ……。
言うだけだろ。たった一言だろ……!)
安城はすでにバッグを肩にかけ、
今にも教室を出ていきそうな雰囲気をまとっている。
(このまま帰られたら……今日、終わるぞ……!)
心臓の音が、やけにうるさい。
時間だけが、無情に流れていく。
──そのとき。
「ゆういち~~~っ! クレープ食べに行こっ♪」
まるで部活の試合にでも向かうかのような勢いで、如月聖の元気いっぱいの声が教室に響き渡った。
「駅前にできた新しいお店、知ってる!?
星三つのレストラン出身のシェフがやってるんだって~!」
目をきらきら輝かせながら、聖は腕をぶんぶん振り回す。
その姿はもはや――スイーツに人生を賭けていると言っても過言ではない。
「ねぇ! 行こうよ! 行こうよ! はやく!」
……ああ、知ってる。
長い付き合いだから分かる。
聖の駄々は、一度始まったら止まらない。
(なんだよその情報通……。
てか、“星三つ”ってミシュランかよ……)
半ば呆れつつも、俺はそこで――ハッとした。
(……これだ!!)
頭の中で、点と点が一気につながる。
(二人きりで一緒に帰るのは、難易度が高すぎる。
だが――三人でクレープを食べに行くなら?)
(目的があって、親友の聖もいる。
二人だと聞きづらいことも、三人なら自然に聞ける)
(つまり……)
(推しのことを、もっと知れる!!)
まるで複雑に絡まっていた糸が、一気にほどけたみたいだった。
今まで縫い付けられていた俺の口が、ようやく開き始める。
「……よかったらさ」
俺は、できるだけ平静を装って言った。
「安城も、一緒にどうだ?」
一瞬、教室の空気が止まった。
安城は少しだけ目を見開き、俺を見る。
そして頬を少し赤らめながら呟いた。
「……べ、別にいいわよ。」
(っしゃああああ!!推しと一緒に下校!)
(ありがとう!聖!本当にありがとう!)
俺の心の中で、勝利のファンファーレが鳴り響く。その喜びの声は安城にも届いていた。
「やったー! 三人でクレープだねっ!」
聖は何も知らず、満面の笑みで跳ねる。
──こうして俺たちは、
放課後の教室をあとにし三人でクレープ屋に向かうこととなった。




