第13話 たった今、俺の推しになった
──春風が吹き抜け、教室の窓からふわりと桜が舞い込む。
金と琥珀のオッドアイ――彼女の瞳が、まっすぐに俺を射抜いた。
「私は……あなたのことを笑わない」
その言葉は、風のように優しく、でも芯のある力で――俺の胸の奥を震わせた。
(……なんなんだよ、これ)
自分の情けない過去。胸にしまっていたトラウマ。それを――会って間もない女の子が、こんなにも真っ直ぐに受け止めてくれている。
(俺が、あの時……一番言って欲しかった言葉だ)
どうしてだろう。胸の奥が、じんわりと熱くなってくる。
彼女のその瞳を見ていた。その瞬間だった。
ドンッ。
突如、教室のドアが勢いよく開いた。
「にぃに!! 可愛い妹がお弁当持ってきたよ〜!」
余韻をぶち壊すような、天使のような、破壊力バツグンの声。
――現れたのは、俺の妹。
神田姫花。中学一年生だ。
俺が通っている愛聖高校と同じ敷地内にある、
**愛聖中学(中等部)**に通っている。
ぱっちりとした大きな瞳。
艶のある黒髪のツインテール。
制服姿は、思わず目を奪われるほどよく似合っていて――正直、天使と言われても否定できない。
にこにこと満面の笑みを浮かべ、手をひらひら振りながら、
愛嬌たっぷりに教室へと入ってくる。
クラス中の男子が騒ぎ始めた。
「だ、誰あの子!?」
「まじ天使……!」
「妹!? あれが妹なの!?」
「……あの足で踏まれたい」
さすが俺の妹だ。お兄ちゃんとして鼻が高い。
最後の変態はとりあえずスルーしておこう。
姫花は俺の席までトコトコ近づいてくると、両手で大事そうに包んだお弁当を差し出してきた。
「はいっ! お兄ちゃんの“唯一の幸せ”、持ってきたよっ♡」
「勝手に唯一の幸せにしないでくれるか?。
でも、ありがとうな」
受け取りながら軽くツッコむ俺に、姫花はにこにこしている。
だが――その視線が、隣の席の“彼女”に向けられた。
「ねぇねぇ……お兄ちゃんが横の綺麗なお姉ちゃんからおかずもらってるの、窓から見えたんだけどさ。……あの金髪美女、誰? もしかして、お兄ちゃんの彼女!?」
教室が――止まった。
空気が固まり、誰も言葉を発さなくなる。あまりの静寂に、時が止まったかと思うほどだ。
安城 → 俺。
俺 → 安城。
数秒の沈黙。そして、俺は静かに、ハッキリと言った。
「……この綺麗なお姉ちゃんは、安城恵梨香っていうんだ。」
「……そうだな、知り合って間もないし、友達ってのもなんか違うけど……たった今、俺の“推し”になった」
姫花「は?」
安城「は?」
姫花と安城、完全シンクロで「は?」と返してきた。それはそうだ。知り合って間もないくせに推しだと言い始めたのだからな。
この時の俺はなぜか友達って言うより、推しなら大丈夫だと思ったのだ。
――まあ、その直後の二人の反応を見て、
全然大丈夫じゃないという事実を、嫌というほど理解することになるのだが。
特に安城は、ページをめくる手をピタリと止め、ジト目で俺を見つめていた。
(……うん。もう、推しに嫌われたかもしれない。)
推し始めて、わずか数秒。
その直後に「推し本人から嫌われるかもしれない」という最悪の危機に直面している俺をよそに、妹の姫花が容赦なくツッコミを入れる。
「にぃにって、ほんとアンポンタンなんだからっ! 安城さんに迷惑かけないの!」
「えっ……? アンポンタン?」
姫花はぷくっと頬を膨らませる。
その仕草があまりにもあざとすぎて、クラスの男子たちが再びざわついた。
……だが、その瞬間。
姫花の“心の声”が、静かに安城へと届く。
(……よかった。昔みたいに、明るいにぃにに戻ってる)
(……安城さんのおかげ、かな……?
もう、あんな悲しそうなにぃにの顔……見たくないよ……)
もちろん――
その小さくて、優しい本音は、安城にもしっかりと届いていた。
「……っ」
安城はわずかに目を伏せ、ページをめくる手を止める。その瞳の奥に、一瞬、寂しげな揺らぎが見えた。
(……なんだ、今の表情)
俺がその理由を考える間もなく、教室のドアが再び開いた。
「ただいま~! あ、姫花ちゃんじゃん! 久しぶり!」
どうやら、お手洗いに行っていた聖が戻ってきたみたいだ。
それに気づいた姫花は、天使みたいなスマイルを浮かべて、聖に声をかける。
「聖くん! 元気だった~?」
俺と聖は中学時代からの親友だ。
その縁もあって、妹の姫花も聖とは昔から仲がいい。
「元気だよ! ていうか姫花ちゃん、相変わらずお兄ちゃんにベッタリだね~」
さっきまで天使みたいなスマイルを浮かべていた姫花は、途端に顔を真っ赤にする。
そして、手をプンプン振り回しながら、必死に反論した。
「ふ、ふんっ! にぃにがアンポンタンだから仕方なく……だもん!」
そう言い捨てると、姫花はぷいっと顔をそむけた。
その様子がまた、破壊的に可愛い。
……さすが、俺の妹だ。
「でさ、にぃに。安城さんから何もらったの?」
「卵焼きだ。……とんでもなく美味かったぞ?」
(もはや……弁当を忘れてきてよかったとさえ思っている自分がいる。
――次も、うっかり忘れてしまおう。)
そんな俺の、欲望まみれの心の声は――
当然のように、安城にも届いていた。
(……次からは、もうあげないでおこうかしら)
俺の欲望まみれの心の声を、ぶった斬るように姫花が呟いた。
「なにそれ……推しからおかずもらうとか、イベント発生しすぎでしょ……!」
そのとき、安城が静かに口を開く。
「……よかったら、あなたも一つ、いかがかしら?」
一瞬で、姫花の表情が変わった。
まるで顔いっぱいに花が咲いたみたいに、ぱあっと明るくなる。
「え、ええっ!? 本当に!? うれしいっ!」
姫花は目をキラッキラさせながら、差し出された卵焼きを――
パクッと一口。
「えっ!?な、なにこれ!? おいしすぎるんだけど!? どうやって作ったの!?」
「……家庭の味ってだけよ」
わずかに微笑む安城。
その表情を見逃さなかった姫花が、飛びつくように声を上げる。
「ねぇねぇ! 今度うちに来て、作り方教えてよ!」
「おいおい、姫花。さすがにグイグイ行きすぎだぞ?
安城も困ってるだろ。まずは距離感っていうものをだな……」
――出会って間もなく“推し始めた”俺が、距離感について説いていると。
安城は、ふっと小さく息を吐くようにして、微笑みながら答えた。
「……考えておくわ」
その一言で、姫花はピョン、と小さく跳ねる。
「やったー! 楽しみ! そのとき、私も習っていいかな?」
「ええ。だってあなたは――
“お兄ちゃんの唯一の幸せ”なんでしょ?」
「ち、ちがうもんっ! 弁当のことだし!」
そう言って姫花は顔を真っ赤にしながら、俺の背中にぴたっとくっついてきた。
――推しが、家に来るかもしれない。
そう思った瞬間、俺の心は完全にキャパオーバーだった。
でも、ふと――思う。
(……推しがうちに来る日が、本当に来たら……)
今日の昼休みは、間違いなく――
“物語が動いた”時間だった




