第12話 推し爆誕。その瞳は俺の過去を肯定した
俺の隣の席のオッドアイギャル・安城恵梨香が、
可愛い上に料理ができて、剣道部で、更には全国優勝の“心眼の剣姫”といわれている――
その事実に俺が驚愕している瞬間、聖が机から立ち上がる。
「僕、ちょっとお手洗い行ってくるよ!」
そんな聖に、俺はイジるかのように言う。
「俺は……ついて行かなくて大丈夫か?」
聖はそのイジリに少し不服だったのか、頬をプクッと膨らませた。
いつもは柔らかい声なのに、このときだけはツッコミ気味に反発してくる。
「なっ、なんでよ!? ひ、ひとりで行けるもん!」
言い返す声は震えているのに、言葉だけは妙に強気。
……そういうところが、またイジりたくなるんだよな。
俺のそんな悪巧みを見抜いたのか、安城はふっと視線を寄こして言った。
「そうよ。レディのトイレについて行こうだなんて……とんだ変態さんね」
悪戯っぽい“無表情”で、さらりと毒を吐く安城。
そのギャップがまた強すぎる。
「もう、安城さんまで!? 僕は男だよ!!」
聖は必死に否定しながらも、どこか不安げに目をそらす。
(もしかして……安城さんって、僕が本当は女だって気付いてたり……いや、そんなことないよね?)
もちろんその心の声は、安城にしっかり届いていた。
聖の拗ねた背中を見送り――
気づけば、俺と安城だけが取り残されていた。
(……うん。気まずい。)
俺はこんな“高嶺の花”みたいな女の子と平然と話せるタイプじゃない。
彼女いない歴=年齢の俺にとって、この状況は完全にレベル不足だ。
(……自分で言ってて、ちょっと情けないが…)
静かな空気が降りる。
どこか、春の風がそっと通り抜けるような、優しい静寂だった。
そしてその静寂の中で、安城はふと真剣な声で切り出す。
「ねえ、もう……バスケ、やらないの? 中学で相当頑張ってたって聞いたけど」
その声音には、どこか寂しさが滲んでいた。
まるで、俺の過去の続きを――誰よりも知りたがっているかのように。
彼女の問いが、俺の胸をチクリと刺した――ああ、まただ。
この胸の奥をえぐるような痛み。
忘れたはずの記憶が、静かに眠っていたはずの過去が、また暴れ出す。
ほぼ初対面に近い女の子に、こんな話をするなんて――
正直、ちょっとどうかしてるんじゃないか?と自分でも思った。
けど。
そのときの安城の言葉が、まるで心に真っ直ぐ差し込んできて。
思い返すたび、あの眼差しが胸の奥をざわつかせる。
(……もしかしたら、安城なら…)
俺のこのどうしようもない過去も、笑わずに受け止めてくれるんじゃないかって、そんな淡い期待が、知らず知らずのうちに芽生えていた。
「……実はさ」
心臓が早鐘のように鳴る。
語っていいのか――それすらわからない。
胸の奥底に封じ込めていた箱へ、そっと手を伸ばすように。
それでも俺は――語り出した
「……好きな子がいたんだ」
気づけば、言葉がこぼれていた。
「俺なんかにでも優しくて、すげぇ可愛くて……気づいたら、ずっと目で追っててさ」
「その子に“かっこいい姿”を見せたくて、毎日必死だった。
バスケも、放課後まで残って泥だらけになって……
“いつか振り向いてくれる”って、本気で思ってたんだ」
苦い感情が、喉の奥にひっかかる。
「でも……勇気出して、告白したんだよ」
「ずっと想ってた。ずっと努力してきた。その全部を、言葉にした」
「……でも振られた。“そんなつもりじゃなかった”って」
そして――
「しかもそのとき……その子、笑ってたんだ」
胸がきしむ。あの瞬間だけは、どうしても忘れられない。
「……何時間も、何日も迷ったよ」
「寝る前も、授業中も、ずっと。何度も何度も頭の中でシミュレーションして……それでも怖くて、言えなくて」
「それでも、やっと……震える手で言葉にした」
「俺の全部を、たった一言に込めて――告白したんだ」
「……でも、笑われた気がした」
「本当は違ったのかもしれない。ショックで記憶がねじ曲がったのかもしれない。
でも……俺には、あのとき、そう見えたんだ」
「“そんなつもりじゃなかった”って。
俺の努力も、想いも、全部が独りよがりだったって――」
「……そう思わされた」
「しかも次の日には、その子……俺の親友と付き合ってた」
苦笑が漏れる。
「笑うだろ? ドラマかよって。……でもこれ、現実だったんだ」
「――それで、終わった」
「俺の青春も、努力も、夢も……全部、そこで止まったんだ」
ふっ、と笑う。
笑えるように話しているのに、胸の奥はまるで未だに血が滲んだままみたいに痛かった。
「努力ってさ、結局……才能があるやつしか報われないんだなって。
俺は“努力できる器”すらなかったんだよ。――卑屈だろ?」
そう言って笑ってみせた俺は、安城の顔を直視する勇気がなかった。
もし、彼女がほんの少しでも笑っていたら――
俺は、もう立ち直れなかったかもしれない。
……だけど、彼女は。
「……いいえ、笑わないわ」
静かで、嘘ひとつ混じっていない声だった。
その響きに、俺は思わず目を見開く。
安城の瞳が、真っ直ぐに俺を見ていた。
澄んだ空のように、何ひとつ濁りのない目で――
その瞬間だった。
春の風が、窓からふわりと吹き込んでくる。
レースのカーテンが揺れ、舞い込んだ桜の花びらが静かな教室に散った。
金色の髪がそよぎ、花びらと一緒に揺れる。
その光景はまるで、一枚の絵画のようだった。
そして、安城恵梨香は――言葉を紡いだ。
「あなたが、その子のために努力してきたこと。それは、誇りに思っていいことよ」
「……!」
「……たとえ報われなかったとしても」
彼女の声は驚くほど優しかった。
「私は――あなたのことを、絶対に笑わない」
まっすぐな瞳。
誰の目も気にしない、しかし確かに“俺だけ”を見てくれている目。
その光が、そっと胸の奥に触れた。
「あなたが……覚悟を決めて、告白したこと」
「それは、とても尊いことよ」
「ほとんどの人はね、想っているだけで終わるの。
気持ちを伝える前に、諦めちゃうの。
だって――傷つくのが怖いから」
「でもあなたは、それでも前に進んだ。
震えながら、それでも言葉にした」
風が静かに吹き抜け、彼女のまつげが揺れる。
「――そんなあなたが、かっこ悪いわけないじゃない」
その言葉に、心の奥で黒いモヤのように澱んでいた何かが――
音を立てて、砕けた。
そして、そのひび割れた隙間から、ゆっくりと温かい何かが流れ込んでくる。
「あなたの真っ直ぐな行動に、きっと勇気をもらった人も必ずいるわ」
肩に、ひとひらの桜が舞い落ちた。
けれど安城は気づいた様子もなく、ただ、まっすぐ俺を見つめている。
オッドアイ――
瑠璃と琥珀、二つの色を宿した瞳が、春の陽に照らされてきらめいていた。
その目は、どんな武器よりも強く、どんな剣よりも優しかった。
「卑屈なんかじゃないわ。あなたの“心”は、誰よりも真っ直ぐな人間よ」
その一言が――
冷え切っていた胸の奥に、じんわりと染み渡っていく。
まるで、ずっと冬だった場所に春が来たように。
(……こんなの、落ちないわけがない)
この瞬間、俺の心はもう決まっていた。
彼女が“推し”だって。
どんなアイドルより、どんなヒロインより――
この人が、俺の中で一番輝いているって。
その日、俺に“推し”が誕生した。




