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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

毒婦とか言われて婚約破棄されたけどちょっと待て……政略結婚でそれは困ります!!

「アイリン! お前との婚約は破棄させてもらう」


 低くてよく通る声が大広間に響く。

アイリンは呆然と婚約者……ファバージを見つめた。


「ええ、ちょっとまって……なんで?」


 ファバージは忌々しそうな目でアイリンを睨むと吐き捨てるように言った。


「何が理由かはお前が一番わかってるだろう! この毒婦が!」


 アイリンはあまりのことに気が動転して言葉が出なかった。

だいたい、こんな場で急にそんなことを言われて、どうしたらいいんだろうか。


 ファバージのまわりを固めている兵士たちの間に物々しい緊張がはしる。


 もとよりアイリンは人質も同然に嫁がされる身、婚約破棄なんてされたらどんな目に遭わされるかわからない。


 背中を嫌な汗が流れたとき、急に手が握られた。


「この場にいるのは危険だ……逃げるぞ」


 アイリンの手を引いたのは、アイリンが連れてきた唯一の身内、騎士のトリスタンだった。


 転がるように城を抜け出すと、トリスタンはアイリンを馬に乗せて走り出した。


 いったい何が起こっているんだ。


 ドレス姿でトリスタンにしがみつきながら、アイリンはものすごい速さで通りすぎる景色を見ていた。





 郊外の小さな村の宿屋、アイリンはベッドの上でぐったりと天井をみつめていた。


「大丈夫か?」


 トリスタンが外から帰ってきた。


「大丈夫じゃないよ……寒いし、酔った」


 馬に乗るのは初めてではなかったけど、あんなに飛ばしたことはなかったし、緊張してたこともあってもうへとへとだった。


 できることならこのまますべてを忘れて眠ってしまいたいくらいだ。


「とりあえず、服買ってきたから着替えろ、その格好だと落ち着かないだろ」


 トリスタンはそう言って包みを差し出した。

中に入っていたのは見るからに安物のワンピースだったけど、早馬で飛ばした上に雨に降られてドロドロになった儀礼用のドレスよりはいくらかマシだった。


「ありがとう、着替えるからこっち見ないでね」


「誰が見るかよ、バーカ」


 重苦しいドレスを脱いでしまうと、体がいくぶんか軽くなった。


「あースッキリした!」


 アイリンは呪いの装備みたいなドレスを部屋の隅に放り投げると、再びベッドに転がった。





 アイリンはトーネリジ王国の第一王女だ。


 北方の騎馬民族国家、オオイ・マザトの王子であるファバージに友好の証として嫁ぐことになっていた。


 友好の証とはよく言ったもので、実際には人質みたいなものだ。


 北方の遊牧民に強大な指導者が現れて、またたく間に周辺を統一し大国を形成したのは記憶に新しい。

そして、領土を拡大し続けるオオイ・マザトの脅威はトーネリジにも迫っていた。


 ここで、アイリンの父親であるトーネリジ王はひとつの決断をすることになる。


 すなわち、抵抗か、服従か。


 国王は人質として娘をオオイ・マザトに嫁がせることにした。

つまり、日和ったのである。


 それも無理はない……攻め滅ぼされた国の末路はただただ悲惨だ。


 指導者が袋詰めにされて馬に踏み殺されたり、王妃を始めとした王宮の女性が捕らえられて高級娼婦として売りとばされたり、古代より連綿と受け継がれている文物を保存していた図書館が跡形もなく焼き尽くされたり、聞いているだけで気分が悪くなるようなものばかりだ。


 国を守るために国王が取った選択……それが娘を差し出すことだった。





「飲むか?」


 トリスタンがホットミルクをいれてくれた。


「ありがとう」


 アイリンはベッドに腰掛けてカップに口をつける。

ウイスキーを溶かしたホットミルクは口あたりが柔らかくて、じわりと冷えた体に浸みこんでいくみたいだった。


「おいしい……」


 アイリンは小さくつぶやくと、ふぅーっと大きく息を吐いた。





 はじめは、妹のリリィが嫁ぐ予定だった。

アイリンには婚約者がいたからだ。


 彼の名前はバーラム。

大臣の息子でアイリンのふたつ年上、親同士が婚約を決める前から、優しくて博識なバーラムのことがアイリンは大好きだった。


「なんか、俺たち結婚するらしいぞ」


 照れくさそうに言ったバーラムの笑顔を、アイリンは忘れることができない。


 そんな矢先、妹が逃げた。


『蛮族に嫁ぐくらいなら潔く死を選びます』


 リリィの残した手紙に王宮は騒然となった。


 期日までに嫁を差し出さなければオオイ・マザトの軍勢はトーネリジに攻め入ってくるだろう。


 そこで急遽、アイリンがオオイ・マザトへと向かうことに決まった。

それ以来、アイリンがバーラムと会うことは許されなくなった。





「なんかさー、毒婦とか言われたんだけど」


 ベッドに腰掛けたままアイリンがぼやく。

混乱していた気持ちが落ち着いたら、なんだかムカついてきた。


「ああ、言われてたな」


 トリスタンもアイリンの横に腰を下ろす。


「リアルで毒婦とか初めて聞いたんだけど……なんなのあのクソ蛮族」


 アイリンが毒づくとトリスタンは笑った。


「俺も初めて聞いた……てか、お前元気そうだな」


 アイリンはため息をつく。


「元気じゃないよ、これからどうしたらいいんだろう……リリィみたいに私も逃げられたらいいのに」


 リリィはすぐに見つかった。

身分を隠して辺境でスローライフをしていたらしく、その姿があまりに楽しそうだったので連れ戻すのをあきらめたとか。


「辺境でスローライフするガッツがあるんなら、異民族に嫁いでくれてもよかったじゃん」


 アイリンも不穏な手紙を残して消えたリリィが無事だったことには心から安堵した。

でも、そのせいでアイリンに白羽の矢が直撃した。


「でも、毒婦って何のこと? なんで婚約破棄されたんだろう」


 アイリンが言うと、トリスタンは微妙に苦い表情を浮かべながらアイリンを見た。


「そりゃあ、お前……アレだろ」


 アイリンにも心当たりがないわけではない。


「アレ……バレてたのかな」


 アイリンは深いため息をついた。





 アイリンには誰にも言えないことがある。


 ファバージとの婚姻が目前に迫った夜、アイリンは王宮を抜け出した。


 トリスタンの協力を得て、夜の闇に紛れながらバーラムの屋敷へと馬を走らせた。


 バルコニーをよじ登って窓から現れたアイリンを、バーラムは一瞬ぎょっとした目で見た。


「アイリン……何してるんだ、そんな所で」


 アイリンは答えの代わりにバーラムに抱きついた。

バーラムの腕が戸惑ったようにアイリンを包む。


「私……バーラムが好き」


「アイリン……」


 アイリンはバーラムの胸にぎゅっと額を押し付けた。

体中が熱い。

バーラムはいま、どんな表情をしてるんだろう。


「ごめんな……何もできなくて」


「違う! そんなことが言いたいんじゃないの」


 アイリンはバーラムを抱きしめる腕に力を込める。


「覚悟は決まってる……私は逃げたりしない」


 強大な力に翻弄されて、好きな人と一緒になることもできない運命を呪ったこともあった。

でも、国の未来を守るためだ。


「これからどんな目に遭うのかわからない、怖くないって言ったら嘘になるけど……でも、私、頑張るから」


 アイリンは目をあげてバーラムを見る。

バーラムは切なげな目でアイリンを見つめていた。


「勇気がほしいの……バーラム、その、異国に嫁ぐ前に、私を……」


 最後まで言う前にアイリンの口は塞がれた。


 唇を合わせたままバーラムはアイリンの髪を優しく撫でると、そのままベッドに押し倒した。




 王宮までの帰り道、トリスタンは湖畔で馬を停めた。


 月明かりが静かに水面を照らしている。


 全身に残る、バーラムの体温が愛おしい。


 バーラムの優しい唇を、熱い腕を、やりきれなさそうにアイリンを見る瞳を、忘れることなんてできない。


 湖を見ながらいつまでも泣き止まないアイリンの横で、トリスタンは何も言わずに座っていた。


 夜が明ける前に、王宮に戻らなければいけない。





 アイリンの軽率な行動のせいで、父は袋に詰められて馬に踏まれるのだろうか。

母は娼婦にされるんだろうか。

アイリンが生まれ育った美しい国は焼き尽くされてしまうんだろうか。


 人質として異国に送られる前に、せめて一度だけ……大好きな人に抱きしめてもらいたいという願いは、そこまで罪深いことだったんだろうか。


「待て……何か聞こえる」


 トリスタンが急に立ち上がって剣をとった。


「えっ」


 アイリンも耳をすませる。

遠くから、ひづめの音が近づいてくるのがわかった。


 にわかに外が騒がしくなった。


「おい、できるだけドアから離れてろ」


 低い声で言ってトリスタンは剣を抜いた。


 離れろと言っても……この狭い部屋でどこにいけと言うんだ。

アイリンは隠れるように部屋の隅に下がった。


 ドアが開いて、ファバージが入ってきた。


「なんの真似だ」


 ファバージは剣を構えるトリスタンを見て言った。


「お前こそ……何しに来た」


 トリスタンも姿勢を崩さずに言い返す。


 しばらく睨みあいが続いた。


 アイリンはファバージを見る。


 ひとりで来たのだろうか……武器を持っている感じもない。


「トリスタン、いいよ……武器を下ろして」


 アイリンは静かに言った。


「え、でも……」


「いいから」


 トリスタンが剣をしまうと、アイリンはファバージと向き合った。


「ねえ、どうして私との婚約を破棄したの?」


 冷静にファバージを見つめると、彼はしばらく黙っていたが、苦々しく口を開いた。


「それは、見たんだ……お前が、そいつとキスしてるところを」


「キス?」


 思わずまぬけな声が出てしまった。

トリスタンとキスしたことなんて一度もない。


「なんのこと?」


 アイリンは訝しげに尋ねる。

騎士と主君としての契約は結んでいるけど、トリスタンをそう言う目で見たことなんてなかった。


「しらばっくれるなよ! お前、城の入り口で」


 ファバージの声が荒くなる。


「ハンドキスのことじゃないか?」


 トリスタンが小声で言った。


「ええ?」


「今だって、こんな狭い部屋で……ふたりきりで!」


 ファバージは頭を抱えて叫んだ。


「なんなんだよ! お前、俺と結婚するんじゃないのかよ」


 小さい子がわがままを言うみたいに取り乱すファバージをアイリンはあっけにとられたように見る。


「え、ハンドキス……手の甲へのキスで婚約破棄だ毒婦だって騒いでたの?」


 ファバージはションボリと頷く。


「いや……あの、あれは挨拶みたいなものだし、トリスタンに恋愛感情とか一切ないよ」


「そうなの?」


 ファバージがトリスタンを見ると、トリスタンも頷く。


「うん、俺、結婚してるし」


「ええ!」


 部屋の中に気まずい沈黙が流れた。


 アイリンは大きくため息をついた。


「あのさあ、結局、私と結婚すんの? しないの?」


 ファバージはおろおろと答えた。


「結婚……あの、したいです……」


 昼間の尊大な態度は影も形もなかった。


「じゃあ謝ってよ、毒婦って言ったこと」


「失礼なことを言ってすみませんでした」


 すっかり素直になったファバージを見ていたら、なんだか面白くなってきた。

異民族も、思ったよりは悪くないのかもしれない。


「トリスタン、ここまででいいよ。今までありがとう」


 淡々と言うアイリンにトリスタンも軽く答える。


「おう、幸せになれよ」


 アイリンはファバージに向きなおるとぎゅっと手を握った。


「あっ……」


「ちょっと! 変な声出さないでよ……行くよ」


「行くって……どこに?」


 戸惑ったように尋ねる異民族の王子に、アイリンはふぅーっと息を吐いて答えた。


「私たちの結婚式に決まってるでしょ!」

 最後まで読んでくださってありがとうございます。


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