第8話 アンジェの腹違いの妹ナンシー=オルレアンから見たアンジェの転落
「青い髪の微笑み」――ナンシー=オルレアン視点
アンジェ=オルレアンが館に戻ってくると聞いたとき、わたしは心の中でそっと笑った。
やっと、あの“完璧な姉”が崩れ落ちたのだ。
王都から西のこの館に春が訪れても、心の中はそれ以上に華やいでいた。だって、今日から本当に“わたしの時代”が始まるのだから。
「まさか、本当に破談になって戻ってくるとはね」
母様――アルル=オルレアンが、わざとらしく驚いたふりをしながらアンジェを迎え入れる。そう、これはすべて計画通り。わたしは、母様と一緒にこの瞬間をずっと待っていたのだ。
きっかけは、あのアミアン=ミュルーズからの密やかな手紙だった。
「アンジェさんを“破滅”させたいんですの♡ あの女、いつもアタイたちを見下してたン。カストル様とくっつけて、婚約破棄させちゃえば、全部終わり♡」
彼女の手紙を読んだ瞬間、わたしは心の中で拍手を送っていた。やるじゃない、アミアン。成績は悪いくせに、計算だけはできるんだ。
でも、それでいい。馬鹿は使いやすいから。
「あなたには、何も期待していませんから」
母様の冷たい言葉に、アンジェの肩が震えるのが見えた。
ざまぁみなさい、姉さま。
いつも、“完璧な令嬢”として父様に褒められて。誰もがあなたのことを尊敬していた。
成績も、容姿も、気品も、なにもかも、わたしより上だった。――だから、あなたは邪魔だったの。
でも、もう終わりよ。あなたは婚約者に捨てられ、学院からも追われて、そして――家からも。
「ふぅん、アンジェお姉さまって、学院首位だったんでしょ? でも卒業式で“いじめっ子”として有名になっちゃったのよねぇ? 恥ずかしくって外歩けないんじゃない?」
わたしの言葉に、アンジェは目を伏せた。あの人が、なにも言い返せないなんて。
嬉しくてたまらなかった。
「ナンシーに全てのことを引き継いでもらうわ」
その一言で、決まったのだ。オルレアン家の未来は、わたしの手にあると。
あの日、母様がわたしに言った。
「ナンシー、あの女はあなたを脅かす存在。一刻も早く、排除しなければならないのよ」
その言葉にうなずいたときから、わたしは決めていた。オルレアン家の本当の後継者は、このわたしだと。
学院でも、誰もアンジェを庇わなかったという。ランス=フリューゲン様すら、何も言わず、ただ見ていただけだったと聞く。
フリューゲンの第3王子に見限られるなんて、それこそ“終わり”じゃない。
でも不思議ね、あのとき、姉さまは彼の方を必死に見ていた。まるで――最後の希望を託すように。
「姉さまって、ほんと哀れよねぇ」
今までわたしに向けられてきた羨望の視線は、全部あなたのものだった。でも、それももう終わり。明日からは、すべてがわたしのものになる。
父様は、わたしには微笑んでくれる。姉さまを見下すようになってから、父様の視線は確かにわたしに向いてきた。
あれだけ「シャルロットの忘れ形見」だって可愛がっていたくせに、やっぱり父様は現実主義者なのよ。
“家”を守るのに、汚名を着た娘なんて必要ないもの。
アンジェは今、屋敷の西の離れにいる。かつては使用人の控室だった場所。冷たい、暗い、孤独な部屋。あの人にはお似合いだわ。
でも――ふと思う。
姉さまの“緑の瞳”だけは、今でもわたしを脅かすの。
いつも、なにかを見通すように、静かにわたしを見ていた。
あの瞳が、またわたしを睨みつけてくる日が来るのかもしれない。そう思うと、少しだけ背筋が寒くなる。
でも、構わない。
そのときはまた、叩き落としてあげるだけ。
だって、オルレアンの未来は、この“ナンシー=オルレアン”が握っているのだから。
「わたしは、負けない」
わたしはドレッサーの前に立ち、自分の髪をとかす。鏡の中で、青い髪が揺れた。紫の瞳が、しっかりと未来を見据えている。
この髪も、この瞳も、母様譲り。誇り高きアルル家の血。
そして、これからはわたしの時代。誰にも邪魔はさせない。
たとえ姉さまが、再び立ち上がったとしても。
アミアンも、ちゃんと動いてくれているしね。あの子は、自分の欲のためなら何でもする。使えるうちは使って、あとは――知らない。
オルレアンの名も、家も、ドレスも、宝石も、爵位も。
全部、わたしのもの。
「ありがとう、姉さま。あなたが全部持っていたから、奪いがいがあったわ」
扇子をひらりと振って、わたしは笑った。
これはわたしの物語。――青い髪の、したたかな少女の勝利の物語。
だけどその夜、どこか遠くで風が鳴いていた。
静かに、何かを告げるように。
まるで、誰かの再起が近づいていることを、警告しているかのように――。