第一部完 第44話 ランスの告白、アンジェの答え
王都の喧騒が、ようやく静けさを取り戻したのは、夜明けが近づいた頃だった。
燃え立つような告発の夜――ブレスコ=レコニアン伯爵の陰謀が暴かれ、王命によってその身柄は拘束された。そして、花嫁であったアンジェ=オルレアン嬢は、黒き怪盗によって連れ去られたのだった。
だが、その逃避行は決して混乱の中の誘拐ではない。
それは彼女を救うための――“解放”だった。
* * *
「もう少しで着くよ」
漆黒のマントを翻した男は、アンジェの手を引いたまま、夜の街路を縫うように駆けていく。彼の足取りは驚くほど軽やかで、まるで月の光すら味方しているかのようだった。
遮光と隠密の魔法が張られたその場所は、王都の郊外にひっそりと佇む古い小屋。だが中に入れば、そこは怪盗ブラックのために整えられた秘密の隠れ家――魔道具で暖かく保たれ、外の世界から完全に切り離された空間だった。
「……ここが、あなたの隠れ家?」
「ボクの秘密基地、ってところかな。まあ、怪盗にしては可愛らしすぎるけど」
男は冗談めかして言いながら、彼女を椅子へと導いた。
アンジェは、ずっと握られていた自分の手の温もりを、そっと確かめるように見つめる。そして、静かに問いかけた。
「……ねえ、本当のあなたを、教えてくれませんこと?」
その言葉に、男はふっと笑った。
そして、ゆっくりと仮面に手をかける。
音もなく仮面が外され、銀の髪がふわりと揺れた。だが、次の瞬間、彼は懐からひとつの小瓶を取り出し、魔法薬を口にする。そして――
「……やあ、アンジェ」
髪は金色に、瞳は青に戻っていた。
その姿は、彼女がよく知る――フリューゲン王国第三王子、ランス=フリューゲンその人だった。
「やっぱり……あなた、だったのね」
「正解。少しは驚いてくれるかと思ったけど、君には見抜かれてたか」
「……だって、魔道具の扱いが、あまりにあなたらしかったから。あの球体、わたくしが設計図を書いたのとほとんど同じだったもの」
ランスは肩をすくめた。
「君の設計はいつだって素晴らしい。ボクが惚れ込んだのも無理はない」
「そ、それは……っ」
アンジェの頬が、ぱあっと紅潮した。
「……惚れ込んだ、って、あなた……」
「初恋だよ、アンジェ。君のことが、最初から気になって仕方なかった」
「う、うそ……わたくし、あなたに見下されてるって思って……いつも張り合ってばかりで……」
「張り合ってたのは、君に近づく言い訳が欲しかったからさ」
「なっ……キザ、ですわね……」
そう言ってそっぽを向こうとした彼女の頬に、ランスはそっと手を伸ばした。
「でも、あのまま君がブレスコ伯に奪われてしまうのを、黙って見ていられるほど、大人じゃないんだ、ボクは」
「……助けてくれて、ありがとう」
「助けたのは、国のためでもあるけど……何より、君を守りたかったからだよ」
目と目が合う。金と銀、青と緑。光と影が溶け合うように、二人の距離がゆっくりと縮まっていった。
「アンジェ。ボクは君を“盗んだ”。でも、これからは――」
彼は一瞬、言葉を切る。そして、真っ直ぐに告げた。
「これからは、堂々と、君に恋をする」
「……ボクのものになってほしいなんて、図々しいことは言わない。ただ、そばにいて。これからの人生を、隣で笑ってくれたら、それだけでいい」
アンジェの瞳に、涙が浮かんだ。
それは悲しみではなく、安堵と、喜びの混ざった涙だった。
「……わたくしでよければ、ずっとそばにいますわ」
「本当に?」
「……ええ。だって、あなたは――わたくしの初恋の人ですもの」
その言葉に、ランスの目が見開かれる。
「……えっ、ほんとに!? うわ、それ先に言ってほしかったな……!」
「ふふっ、今だから言えることですわ」
二人は、同時に笑った。
それは、呪いのような婚約から解き放たれたアンジェと、偽りの仮面を脱いだランスが、ようやくたどり着いた本当の始まり。
秘密の隠れ家に、朝の光が差し込む。
魔法のように変わりゆく世界の中で――
二人の心だけが、変わらず寄り添っていた。
これは、自由と恋の物語の、第一章。
そしてこれから始まるのは――
“本物の恋”の、続きなのだった。