第43話 ルクレッア王妃から見たランスの活躍
フリューゲン王国、王城のバルコニーからは、夜明けの光が差し込んでいた。
昨夜の騒動――いや、あれはもはや“事件”だった。怪盗ブラックの乱入、ブレスコ伯の裏切りの告発、そして……アンジェ=オルレアン嬢の解放。
私は静かに紅茶を口に運びながら、空の淡い金色に目を細めた。
「……ランス、あなたは本当に、父親に似て頑固な子」
呟きに返事はない。だが、心の中にはっきりと息子の顔が浮かんでくる。
彼が“怪盗ブラック”だと気づいたのは、そう、あの子が初めて仮面舞踏会に出た時だった。
銀の髪、緑の瞳……私の大切な友、シャルロットに瓜二つで。
「きっと、あの子の娘に……アンジェに何かあったのね」
シャルロット。十年前に病に倒れた、私の学友。無邪気で、聡明で、そして何より、誰よりも優しかった。
その娘、アンジェ=オルレアン嬢が、今や息子の心を奪っている。
それは、母親である私にも手に取るように分かる。
ランスは昔から、自分の大切なものを簡単には口にしない子だった。
けれど、目を見れば分かる。話し方を聞けば分かる。
彼の瞳がアンジェ嬢を見るとき――まるで世界がそこだけ光に包まれるように見えるのだもの。
「ふふ……恋する少年の目、ね」
紅茶を置き、私は机の上に広げられた報告書に目を落とす。
そこには昨夜の事件の詳細、怪盗ブラックが暴いた証拠、アンジェ嬢の父であるアントニー伯の罪状、そしてブレスコ伯の連行記録が、整然と記されていた。
「なんてこと……あの子は、こんなにも酷い仕打ちを受けていたのね」
シャルロットの娘が――こんな目に遭っていた。
そしてそれを救ったのが、我が子ランスだった。
王妃としては、複雑だ。王子が怪盗として動くなど、本来ならば許されることではない。
けれど――母としてなら、分かる。
あの子は、正義のために動いた。
そして、恋する少女を助けるために、命をかけた。
シャルロットが生きていたら、なんと言っただろう。
「きっと……笑って、『ありがとう』って、言うわね」
風が吹き、バルコニーのカーテンがふわりと舞った。
その瞬間、庭園の方から二つの声が届く。
「ボクのこと、もっと頼ってくれていいんだよ?」
「……わたくし、そんなに弱くありませんわ。けれど……少しだけ、甘えてもいい、かしら?」
微笑が漏れる。なんて、初々しいのでしょう。
振り返ると、そこにはランスとアンジェ嬢が、庭園の噴水の前で言葉を交わしていた。
アンジェ嬢の頬が、ふわりと赤く染まっていくのが遠目にも分かる。
シャルロット、見ているかしら。あなたの娘は、今、とても素敵な恋をしているわよ。
そして私の息子は、あなたの娘のために、世界を敵に回す覚悟を持ったのよ。
「ランス。あなたが選んだ道が、たとえ王族にあるまじき道であっても……」
私はそっと、胸元のロケットペンダントを握りしめた。
中には、かつての私たち三人――シャルロット、私、そしてもう一人の親友の笑顔が写っている。
「母は、誇りに思うわ」
王妃の務めは、王国を支えること。
けれど、母の務めは、子の幸せを願うこと。
もし、ランスがアンジェ嬢と手を取り合って未来を歩むのなら……私は、全力でその道を支えましょう。
「ルクレッア様、そろそろ王のお呼びが」
侍女の声に、私は頷いた。
王妃としての顔を取り戻し、立ち上がる。
けれど――心の中では、まだ庭の二人の姿を焼き付けている。
「……いつか、彼女を王城に迎える日が来るかしらね」
それは、亡き友への約束でもある。
そして、母としての祈りでもある。
夜明けの光が、二人を優しく包んでいた。
それは、未来を照らす予兆のように見えた――。