第42話 レオン=フリューゲン王から見た息子ランス
王としての務めは、数多くある。
だが、それが「父」としての感情を凌駕するかといえば――答えは、否である。
レオン=フリューゲン王は、夜明けの静まり返った玉座の間で、ただ一人、深くため息を吐いていた。
「……まったく、あの息子ときたら」
誰に語るでもなく呟いたその言葉は、苦笑を含んでいた。
今宵、王都を揺るがせた大事件――怪盗ブラックによる「婚礼の乱入」と、その劇的すぎる暴露劇。
しかもその正体が、あろうことか我が息子・第三王子ランスだったとは。
(銀髪に緑の瞳……そして、あのキザな口調。どう考えてもアイツだ)
実の息子の変装を、父親であるレオンが見抜けぬはずもなかった。
けれど、王としての立場があればこそ、敢えて見逃さねばならぬ瞬間もある。
――それにしても。
「まさか、あの場であれほど完璧な“暴露劇”を演じてのけるとはな……」
王として数多の策謀や裏切りを見てきたレオンだが、今回の一件は一国の命運を左右しかねない、国家級の陰謀だった。
敵国ルーシエフ帝国との内通、軍事機密の漏洩、果ては金銭の不正取引。
ブレスコ伯爵とアントニー=オルレアン伯の名が挙がったときには、流石のレオンも血の気が引いた。
だが、その全てを、ランスはたった一人で暴いた。
いや――正確には、名もなき協力者たちと共に。
王立学院の生徒とは思えぬほどの緻密な潜入と証拠の収集、そして、魔道具を用いた映像投影と情報拡散。
何よりも――彼の“目的”が、ただ一人の少女を救うためであったことに、父としての胸が熱くなるのを止められなかった。
「アンジェ=オルレアン嬢か……」
その名を口にした瞬間、レオンの脳裏には、銀髪の少女の姿が浮かぶ。
王妃ルクレッアの旧き友、シャルロットの娘。
かつて小さな王子だったランスの隣で、無邪気に笑っていた少女が、今や“奪われる花嫁”として舞台に立たされていた。
(……お前は、母に似たな)
その強く気高い瞳、冷遇されながらも希望を手放さない姿は、かつてのシャルロットそっくりだった。
レオン自身、シャルロットを深く信頼していた一人だった。だからこそ、その娘であるアンジェが、伯爵家の策略に巻き込まれていたことは、王としても見過ごせぬ。
そして、その彼女を“盗み”に来たのが、自分の息子だというのだから、運命とはなんとも皮肉なものだ。
「――ふふ。見事にやってのけたな、ランス。まったく、お前は本当に……王子らしくない王子だ」
レオンは椅子の背に身を預け、空を見上げた。
夜はまだ明けきらず、天に銀の月がかすかに残っている。
(あの夜空の下、二人が逃げるように空を跳んだとき――お前は、確かに“王子”ではなく、“怪盗”だったな)
だが、王の眼には映っていた。
あれは逃避などではない。あれは、少女を檻から救い出すための“飛翔”だったのだと。
「ランス。お前は……“盗んだ”のではない。彼女の“自由”を、与えたのだ」
レオンは立ち上がり、窓辺へと歩いた。
王都の明かりは、事件の余韻を残したまま瞬いている。
民はまだ混乱の中にあるだろう。だが、これでいい。いや、これでこそいいのだ。
国を揺るがす陰謀を暴き、腐敗した貴族たちを裁き、そして一人の少女を救った。
それが、王子ランス=フリューゲンではなく――“怪盗ブラック”だったという事実が、何よりも痛快だった。
(……王たる者、時に法の外にも正義を見出さねばならぬ)
それを成したのが我が子であることに、レオンは誇りを感じていた。
もちろん、今後あの行動については、王家としての処置も求められるだろう。
だが、それはすべて後の話だ。
「ボクは最初からそのつもりだったさ」――その言葉の真意が、今ならわかる。
ランスは“自由”を望んだ少女に、未来を盗んで見せた。
それは、王族の在り方としては破天荒で、危険で、あまりに非現実的だ。
だが、それでも。
「お前は、わたしの息子だ。堂々と胸を張るがいい、ランス」
そう口にして、レオンは窓を閉じた。
夜が終わる。
だが、新しい朝が、きっと彼らの上にやってくる。
銀の月の下で交わされた想いが、やがてひとつの恋として実を結ぶとき――
王はきっと、誰よりも温かく、それを見守る者でありたいと願うだろう。
(シャルロット……お前の娘は、きっと幸せになる。あの男と共に)
静かな祈りを胸に、フリューゲン王は王座へと戻る。
そして誰にも告げぬまま、そっと微笑んだ。
――息子の恋の行方に、王としてでなく、父としての未来を見たから。