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第41話 ナンシー=オルレアンの後悔

『ナンシー=オルレアンの後悔』

 冷たい風が、吹きさらしの屋根裏部屋に吹き込んだ。


 かつてオルレアン家の令嬢として、絹のドレスに宝石を散りばめていた少女――ナンシー=オルレアンは、今やほころびた麻布のマントを身にまとい、硬い藁の上に膝を抱えて座っていた。


「……どうして、こうなったの……?」


 かつて住んでいた屋敷はすでに王国の管理下にあり、父・アントニーは国家反逆の罪で投獄、母・アルルは王都から追放され行方知れず。ナンシー自身も、貴族の身分を剥奪され、今は名もなき一人の女として、生きることさえ精一杯だった。


 粗末な窓の外では、朝靄のなか商人たちが賑やかに声をあげている。


 だけどその中に、ナンシーの居場所はなかった。


「アンジェ……」


 その名を呟くと、胸がちくりと痛んだ。


 彼女の姉。美しく、優しく、そしてどこまでも“光”だった存在。なのに、ナンシーはそれが許せなかった。


 ――お母様が正妻じゃなかったから。


 ――父上が、アンジェばかり見るのが悔しかったから。


 だから、どんな手を使ってもアンジェを貶めようとした。継母アルルとともに、侮辱し、婚約を壊し、ブレスコ伯爵との結婚を無理やり押しつけるまで仕組んだ。あの時は、それが「勝利」だと、本気で思っていた。


 でも――


 あの夜、すべてが崩れた。


 漆黒のマントを翻し、月光の下に現れた銀髪の怪盗ブラック。仮面の奥の瞳は冷たく、でも確信に満ちていた。


 空に浮かぶ映像、ばら撒かれる告発の証拠。


 「国家反逆罪で拘束せよ!」


 王の声が響いた瞬間、ナンシーの世界は音を立てて崩れた。


 誰かが泣き叫んでいた。いや、それはナンシー自身だったかもしれない。


 すべてを失って初めて気づいたのだ。自分が何をしてきたのかを。


(わたし……何がしたかったの? 本当にアンジェを傷つけて、それで満足だったの?)


 呟きながら、ふるりと涙が頬を伝った。


 姉は、何度いじわるをしても、決してナンシーに手をあげなかった。


 あの時、ナンシーが浴室に虫を放ったときでさえ、アンジェは静かにこう言ったのだ。


『……ナンシー、どうしてそんなことをするの? わたくし、あなたと仲良くしたいだけなのに』


 ――あの言葉が、今も胸に刺さって抜けない。


「ごめんなさい、アンジェ……ごめんなさい……」


 ぽつりぽつりと謝罪の言葉がこぼれる。けれど、今さら何を言っても、過去は変わらない。


 姉は、あの夜、怪盗ブラックに“盗まれて”いった。


 見たこともないほど綺麗な笑顔で、ナンシーの知らない世界へ飛んでいった。


 それを見ていたナンシーの胸に広がったのは、嫉妬でも怒りでもなかった。


 ただ――「悔しさ」だった。


 自分は、姉のように人を信じることも、誰かに愛されることもなかった。


 いつも誰かを妬んで、奪って、嘘で塗り固めて、でも最後には何も残らなかった。


(あの人……怪盗ブラック。きっと、フリューゲン王国の誰か……)


 ふと、思い出す。


 学院で、アンジェが話していた金髪の青年。王子でありながら、どこか浮世離れしていて、不思議な魅力を持っていたランス=フリューゲン。


 そういえば、アンジェの話になると、いつも目を細めていた気がする。


(まさか……)


 確証はない。でも、もしそうなら――姉は、本当に「愛された」のだ。


「……うらやましいな……」


 絞り出した声は、小さく、誰にも届かない。


 けれどそれは、ナンシーの心の奥底にずっとあった、本当の気持ちだったのかもしれない。


 誰かに愛されたかった。認められたかった。ただ、それだけだった。


 でも、もう遅い。


 今のナンシーには、過去を嘆くことしかできなかった。


* * *


 その夜、ナンシーは夢を見た。


 光に包まれた庭園。幼い頃の自分と、アンジェが手を繋いで笑っている夢だった。


「お姉さま、待ってよー!」


『ふふっ、ナンシーったら、よく走れるようになったわね』


 夢の中の姉は、とても優しい目で笑っていた。


 ナンシーは、涙をこぼしながら笑っていた。


「……お姉さま、ほんとは、ずっと大好きだったんだよ……」


 その言葉は、風に乗って、どこまでも高く舞い上がっていった。


 ――銀の月が、静かに夜を照らしていた。

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