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第34話 町娘シーラからみた街の様子

◆ ◆ ◆


 シーラは、小さなパンかごを抱えて王都の市場通りを歩いていた。淡い栗色の髪を三つ編みに結い、母の焼いたクルミパンを詰め込んで、午後の売り歩きに出てきたところだ。


 けれど、今日はなんだか様子が違っていた。


「ねえ聞いた? “予告状”が出たんだって!」


 人だかりの向こうから、若い娘たちの弾んだ声が聞こえる。


「アンジェ=オルレアン嬢を“盗みに来る”って……」


 シーラの足が思わず止まる。アンジェ嬢……その名は、ここ最近、市場でも噂になっていた。伯爵家の令嬢にして、気品ある銀髪の美女。だが、不運にも年の離れたレコニアン伯爵と政略結婚させられると聞いていた。


(あの人を……怪盗ブラックが?)


 胸の奥がじんわり熱くなった。


 シーラは知っていた。いや、憧れていた。“怪盗ブラック”――黒い仮面とマントをまとい、夜の空を駆ける義賊。腐った貴族を暴き、困っている人を助ける、絵物語みたいな存在。


(まさか本当に……お姫さまを盗みに来るの?)


 どこか信じられない、でも信じたい。そんな想いがシーラの中に広がっていく。



「いらっしゃい、クルミパンはいかが? 焼きたてだよ!」


 シーラは元気に声を張った。だが通りの人々は、いつも以上に話に夢中で、パンにはなかなか目を向けてくれない。


「怪盗ブラックって、本当にいるのかしら?」


「見た人がいるって話だよ。魔道具を駆使して、屋根の上を跳ねるんだって!」


「黒いマントがひるがえるんでしょ? それに、美形って……」


 その言葉に、少女たちの目がきらきらと輝いた。


 シーラもまた、つい耳をそばだててしまう。実は以前、夜遅くにお使いに出た帰り、屋根の上を何かが横切るのを見たことがあった。影のように、しなやかに――。


(あれって、もしかして……)


 シーラは胸に手をあてた。噂や伝説じゃなくて、確かに「存在する」気がしてならなかった。



 午後も遅くなると、人の流れは中央広場へ向かっていた。シーラも売り切ったパンかごを抱えて、そっと人混みに紛れ込む。


 大噴水の周囲は、まるで市が立ったかのようなにぎわいだった。市民、旅人、学院生たちが入り混じり、皆が同じ話題で盛り上がっていた。


「“アンジェ嬢を盗みに来る”だなんて……まるで恋物語だね」


「いいなぁ……誰かのために命懸けで動くなんて」


 耳に入る言葉のひとつひとつが、シーラの胸に刺さる。恋――シーラにとってはまだ遠い響きだったけれど、それでもその言葉が持つきらめきは、甘く、眩しくて。


「わたしも、そんな風に誰かに想われたら……」


 小さな呟きは、夕暮れの風にさらわれていく。


 ふと、隣に立っていた老婆が、孫娘の手を握りながら話す声が耳に入った。


「恋のために盗まれるなんてねぇ……昔、読んだことがあるのよ。“真夜中の薔薇と銀の騎士”。あの時の胸のときめきといったら……」


 老婆の横顔は、少女のように輝いて見えた。孫娘も、ふふっと笑う。


 シーラもつられるように笑みをこぼした。


 誰もが、まるで“おとぎ話”の続きを待っているみたいだった。次のページを、次の章を――現実のなかで、それを見ようとしているのだ。



 夕暮れの鐘が、街に鳴り響いた。


 空は茜色に染まり、屋根の上に長く影が伸びていく。


(今夜、本当に何かが起こるのかな)


 シーラは空を見上げた。鳥が一羽、街の屋根をすり抜けるように舞っていった。


 その姿が、まるで黒いマントの怪盗のように見えて、シーラはそっと胸を抱きしめた。


「お願い、アンジェ嬢が……無事でありますように」


 誰かが誰かを、本気で助けようとする物語。


 それが、ただの夢物語じゃなく、本当に起こるのだとしたら――


 シーラは、今日という日を、きっと一生忘れないと思った。









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