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第33話 レコニアン伯爵邸の一室 囚われの姫アンジェ=オルレアン


◆ ◆ ◆


 レコニアン伯爵邸の一室――。


 そこは、豪奢な絨毯と金糸のカーテンが張られた、貴族の令嬢にふさわしい美しい部屋だった。


 だが、その豪華さは、彼女にとってはただの檻だった。


 高い天井。閉ざされた大窓。部屋の外には常に見張りの衛兵。ドアに鍵こそかかってはいないが、自由など初めから存在しない。


 壁に掛けられた鏡のなか、銀の髪をふわりと広げた少女――アンジェ=オルレアンは、自分の姿を見つめても、もはやそこに「自分らしさ」を見出すことができなかった。


 うすい桃色のドレス。おとなしく結い上げられた髪。伯爵が「淑やかで貞淑な花嫁に相応しい」と命じた装いだった。


 その衣擦れの音さえも、牢の鎖のように冷たく響く。


 彼女は、窓辺の椅子に膝を抱えて座っていた。


 顔を上げれば、青みがかった夜の帳が、王都の空を包み込んでいた。

 遠くで馬車の音がする。衛兵の足音も近い。だが、それらはどこか夢の外のようだった。


(……明日が、婚礼)


 思い浮かべるだけで、胸がきゅっと締め付けられた。


 笑顔になれない。呼吸も浅くなる。

 誰も、彼女の本心を聞こうとはしなかった。

 ただ「オルレアン家の令嬢」として、「ブレスコ伯爵の花嫁」として、美しく黙っていればそれでいいと――。


(わたくしは……ほんとうに、ここで、終わってしまうのでしょうか)


 頬を流れる一筋の涙を、アンジェは拭わなかった。

 涙を見られる相手など、もうここにはいないのだから。


 ――そのとき。


 静かな風が、窓の隙間からそっと吹き込んできた。


 重たいカーテンがわずかに揺れ、その風に乗って、一枚の小さな羽根が舞い込んできた。


 それは、白く、光を纏うようにきらめいていた。


 アンジェは思わず立ち上がり、そっとそれを手に取った。


(……羽根? こんな時間に?)


 掌に乗せると、ふわりと柔らかく、その中央にはかすかに青い光の痕跡が残っていた。


 それは、彼女が何度も実験してきた魔道具に使われる“転送魔法”の痕だった。


 この羽根は、風に舞ったのではない。

 誰かが、意図してここに“届けてくれた”のだ。


「……!」


 思い当たるのは、ただ一人。


 心の奥に、誰よりも鮮やかに残る“彼”の名。


 あの仮面の少年。仮初めの名を持つ者。

 ――“怪盗ブラック”。


 数度しか交わしていない言葉。

 だが、その一言一言が、彼女の世界を変えてしまった。


『お嬢様、わたしの“盗み”は、誰かの希望を盗み返すことでもあるのです』


 それは、学院の夜会で、彼が初めて名乗ったときの言葉だった。


 理不尽に傷つけられても、声をあげれば悪役にされてしまう日々。

 アンジェの名誉など、誰も守ってはくれなかった。


 けれど、彼だけが違った。

 あの夜、彼は貴族の陰謀を暴き、彼女の潔白を世に示してくれた。


 その日からだった。


 彼女の胸に、“誰かを信じてみたい”という気持ちが芽生えたのは。


「……来てくださるのですね」


 唇から、自然と言葉がこぼれる。


 羽根を胸に抱き寄せ、目を閉じる。


 震える声は、だが確かに希望の色を帯びていた。


「……わたくしを、盗んでくださるのですね……」


 そのとき、遠くで鐘の音が鳴った。

 王都に夜を告げる、静かな時の鐘。


 アンジェはゆっくりと立ち上がり、クローゼットの扉を開けた。

 伯爵に命じられた婚礼衣装の脇に、ひっそりと置かれていた小さな木箱を取り出す。


 それは、かつて彼女が学院でこっそり作っていた“魔道具”の試作品。

 ランスと共に、図書館の隅で語り合いながら設計した“風の鍵”だった。


 未完成だったその鍵を、彼女は一人で仕上げたのだ。


 ――自分の手で、自分の運命の扉を開けるために。


(わたくしも……逃げるだけではなく、“選ぶ”のです)


 どんな未来が待っていようと、あの人の手を取ると決めた。


 わたくしは、囚われの姫などではない。


 “共犯者”になるのだ。

 彼と共に、あの夜空を翔ける、ただひとりの相棒として。


 その瞳は、もう迷っていなかった。


 明日の婚礼。

 その日、誰もが予期しない“盗み”が行われる。


 けれどそれは、ただの盗難ではない。

 少女の自由と誇りを取り戻す、反撃の始まりなのだ。


 アンジェは、そっと羽根を髪飾りに添えた。


 そして窓の向こうに、優しい声でささやいた。


「……ランス様。お待ちしておりますわ」

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