第24話 アンジェ=オルレアンの初恋
王都の空は、今日も晴れていた。
わたくし――アンジェ=オルレアンは、母の馬車に揺られながら、その景色を窓からぼんやりと眺めていた。
「アンジェ、きちんとドレスの裾を整えて。もうすぐ王宮に着くのよ」
母、シャルロット=オルレアンは、やさしくもきびしい声でそう言った。銀の髪を優雅に結い上げ、深い緑の瞳にはいつもどこか影がある。けれど、わたくしには世界で一番美しい母だった。
「はい、ママ」
「ママ」なんて呼ぶのは、王都では品がないと叱られるけれど、今日は特別。だって、母の大切な学友――アウソニア王国のルクレッア王女様に会いにいくのだから。
ルクレッア様には、年の近い息子さんがいるらしい。母が何度も口にしていた。確か名前は……ランス=フリューゲン、第3王子。
(王子様……)
わたくしには、そんな身分の高い方なんて、遠い存在でしかない。だけど、今日はほんの少しだけ、会えるかもしれないと思うと、胸がふわりと弾んだ。
王宮は思っていたよりも静かで、広くて――まるで空に浮かんでいるような不思議な場所だった。
庭園には見たこともない白い花が咲き、風が吹くたびに香りが舞う。
「アンジェ、この方がルクレッア様よ」
母がそっと背中を押してくれる。わたくしは裾をつまんでお辞儀をした。
「はじめまして。オルレアン伯爵家のアンジェと申します」
ルクレッア様は、淡い青のドレスに身を包み、やさしく微笑んだ。
「まあ、あなたがアンジェね。シャルロットに似てとてもかわいらしいわ。ねえ、ランス?」
ルクレッア様の隣にいた少年が、すっと立ち上がった。金色の髪が、日差しを浴びてきらきらと光る。青い瞳が、こちらをまっすぐに見ていた。
「ボクはランス=フリューゲン。フリューゲン王国の第3王子さ。君がアンジェ? うん、なんだか……思ってたより小さい」
「えっ……?」
「あっ、ごめん。悪い意味じゃなくて。なんていうか、可愛いってこと!」
――き、キザな男……!
でも、胸がどきんと高鳴ったのは、気のせいじゃなかった。
「わたくし、王子様とお会いするのは初めてです。お会いできて光栄です」
「王子様なんて呼ばないで。ランスでいいよ、アンジェ」
そう言って、ランスはにこっと笑った。こんなにまぶしい笑顔、初めて見た。
それから数時間。母たちは昔話に花を咲かせ、わたくしたちは庭園の奥にある、噴水のそばで二人きりになった。
「魔道具って、好き?」
ふいにランスが尋ねてきた。思わず、目がきらりと光ったのが自分でもわかった。
「大好きです! わたくし、いつか自分で魔道具を作れるようになりたいって……それで、学院に入るのが夢で……!」
「へえ、すごいね。君、まだ小さいのに、しっかり夢があるんだ」
「し、小さくなんかありませんわっ!」
ランスは笑って、懐から小さなブローチを取り出した。水色の宝石が埋め込まれていて、鳥の羽の形をしている。
「これ、ボクが初めて作った魔道具。風を少しだけ操れるんだ」
「わあ……」
「よかったら、君にあげるよ」
「えっ……で、でも、大切なものなのでは……?」
「いいんだ。だって、君、目がすごく輝いてたから。そんなふうに魔道具を好きって言ってくれた子、初めてだからさ」
その言葉が、心に深く刻まれた。
その日、帰りの馬車で、わたくしはずっと手の中のブローチを見つめていた。
風が、頬を優しく撫でる。
わたくしの中で、何かが静かに始まったのを感じた。
***
――それが、わたくしの初恋。
銀色の風の記憶。
あのとき、王宮の庭で出会った少年が、まさか今――同じ学院で、ライバルになるなんて。
しかも、王国一のキザ男になっているなんて。
でも、ブローチは今も、宝箱の中で風の魔力を宿したまま、静かに輝いている。
そして、わたくしの心の中にも。あの頃のまま――。
ランス=フリューゲン。
わたくしの、最初の魔法。
そして、最初の恋の相手――。




