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第22話 ナンシー=オルレアンから見たアンジェの新しい婚約者

春の風が、オルレアン家の庭園に花の香りを運んでいた。

けれど、ナンシー=オルレアンの心は、それ以上に甘美な喜びに満ちていた。白い椅子に腰かけ、紅茶のカップを揺らしながら、ナンシーは何度目かのくすくす笑いを抑えられずにいた。


(ああ、最高。こんなに面白いことがあるなんて)


アンジェお姉さまが、あのブレスコ=レコニアン伯爵に嫁ぐ――その話を聞いた瞬間、思わず紅茶を噴き出しそうになったのだ。だって、あの伯爵は五十を過ぎた老いぼれ。しかも、前の奥方が死んだのも怪しいなんて噂が立ってる。


「ふふ、似合ってるわよねえ、お姉さま。きっと“奥ゆかしい”後妻として、静かに日々を過ごすのがお似合いよ」


ナンシーは庭園の花に話しかけるようにささやいた。咲き誇るチューリップが、まるでその悪意を祝福するように風に揺れた。


アンジェはずっと“本家の令嬢”として、ナンシーの前を歩いてきた。銀の髪に緑の瞳、誰もが「お美しい」と称え、学院でも教師に一目置かれていた。


(でも、所詮は捨てられた母の娘。継母であるお母様に刃向かうような真似をしたのが間違いだったのよ)


ナンシーの唇が吊り上がる。そう、あの人は愚かだった。学院でカストル様と婚約していたのに、気づけばランス=フリューゲンと親しくしていた。婚約破棄なんてされて当然。


しかも、その後は離れに追いやられて、召使いのような扱い。食事は冷えたパンとスープ。庭の草むしりに洗濯、掃除。下働きのような姿を見たときには、ナンシーは嬉しさのあまり涙が出そうになった。


「ねえ、見た? お姉さま、泥だらけの服で雑巾を手にしてたのよ。あれがかつての“オルレアンの誇り”だなんて、笑わせないでって話」


ナンシーは日記にそう記した。毎晩、ベッドに入る前にその日のアンジェの情けない姿を書き残すのが、最近の楽しみだった。


そして――とうとう婚約の話が舞い込んだ。ナンシー自身が、お母様に提案したのだ。


「お姉さま、あのまま屋敷にいたら、何か問題を起こすかもしれないわ。早く、ちゃんとしたお相手を……ふふ、例えば持参金もいらない、あの伯爵様なんてどうかしら?」


アルルは少しだけ眉をひそめたが、次の瞬間には扇子で口元を隠して笑った。


「ナンシー、あなたって本当に賢い子」


その言葉はナンシーにとって、最高の褒美だった。


(お姉さまがいなくなれば、わたしが正式な後継者。家のすべても、名声も、わたしのものになる)


アンジェが「はい」と頷いたときの表情を思い出し、ナンシーはまた吹き出しそうになる。あの時の、かすかに震えた声。唇をかみしめた横顔。誇りを保とうとして、ぎりぎりのところで耐えていた姿。


(ざまあみなさい)


ナンシーは紅茶を一口飲み干し、椅子から立ち上がった。


「ああ、明日はお姉さまの嫁入り支度かしら。どんなドレスを着せてあげようかしらね? もちろん、お下がりで十分よね」


青い髪が風に揺れる。瞳には勝ち誇った光が宿っていた。


けれど、その瞳の奥には、誰にも言えない小さな焦燥もあった。


(……ランス様の目には、わたしはどう映っているのかしら)


一瞬だけ、アンジェの後ろ姿と、彼女を見つめていたランスの横顔が脳裏をよぎる。


(でも、そんなの関係ない。お姉さまは、もう“ここ”にはいないんだから)


ナンシーはその思いを振り払うように、踵を返して館の中へ戻っていった。今日も、アンジェの不幸が、彼女の心を満たしていた。

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