第21話 アルル=オルレアンの策略
蛇の微笑み――アルル=オルレアンの視点
十日ほど前のある朝、アルル=オルレアンは自室の鏡台の前で髪を梳いていた。長い青髪を丁寧に結い上げながら、彼女の表情には上機嫌な笑みが浮かんでいる。理由はひとつ――ようやく、アンジェをこの家から追い出せる目処が立ったからだ。
「ブレスコ=レコニアン伯爵……ふふ、あの方なら申し分ないわ」
名を口にするだけで、くすりと笑いが漏れた。五十を過ぎた老貴族。前妻を亡くして以来、後妻を探しているという話は、社交界でまことしやかに囁かれていた。そして、その後妻の候補に、自分の義理の娘を推薦したのは、他ならぬアルル自身である。
「お姉さまは、従順なふりが上手でしたものね……でも、そんな芝居もあちらでは通用しないでしょう」
屋敷の中で働く下女たちが、こっそりとアンジェに同情していることも、アルルは知っていた。しかし、それも長くは続かない。いずれ伯爵家に嫁げば、過去はすべて消えていく。誰も、彼女がかつて令嬢だったなどとは思わない。
むしろ、あの娘を見送るときの“みじめな姿”こそが、アルルにとって至高の一幕だった。
「ナンシー、お茶を持ってらっしゃい」
そう呼びかけると、青髪の少女――ナンシーが器用な手つきで銀盆を運んできた。娘とは思えないほど従順で、かつ自分と同じ毒を持っているのが頼もしい。
「母さま、アンジェ姉さま……今日も台所で皿洗いをしてましたわ」
「まぁ、それは立派なご奉仕ね」
顔を見合わせて笑う。まるで心の底から、愛おしき娯楽を楽しむように。
だが、アルルの笑いは単なる意地悪ではなかった。そこには、確固たる目的がある。
――アンジェが屋敷に残れば、オルレアン家の後継は揺らぐ。
それだけは、何としても避けなければならない。
なにしろアンジェの母親、あのシャルロットは、今や伝説に近い存在であった。銀髪の美貌、気品、そしてあのルクレッア王女と並ぶ才能。その娘となれば、いずれ正統な後継者として見直される日が来てもおかしくはない。
「だからこそ……今のうちに潰すのよ」
レコニアン伯爵は、持参金を必要としない代わりに、“若い花嫁”を求めていた。金のないアンジェを嫁がせるには、これほど都合のいい相手もいない。しかも、相手の素行には問題があると噂されている。それもまた、アルルには好都合だった。
「屋敷の奥で幽閉されても、声も届かない場所で泣き暮らしても……それは“仕方ない”ことよね」
再び鏡を見つめる。
そこには、完璧に装った伯爵夫人の姿が映っていた。
(わたくしこそが、オルレアン家の女主人。
あの娘には、それが理解できない)
やがて、執務室でアントニーと話をした帰り道、アルルは廊下でアンジェとすれ違った。
「まぁまぁ、お姉さま。新しい嫁ぎ先、おめでとうございますわあ」
そう声をかけると、アンジェは表情を崩さなかった。ただ、わずかに手が震えていた。その様子に、心の奥がぞわりと満たされていく。
(さあ、早く出て行きなさい。シャルロットの面影など、この家にはもう必要ないのよ)
その夜、アルルは寝室のランプに灯をともしながら、ゆっくりとナンシーに語った。
「これでようやく、あなたの時代が来るわ。オルレアンの未来は、あなたのものよ」
娘はうなずき、二人の影は静かに揺れた。
――銀の娘は、もうすぐ消える。
アルルの胸に灯ったのは、勝利の炎。その輝きがどれほど冷たく、毒々しいものか、彼女自身は気づいていなかった。