第13話 アンジェ、召使にされる
春の陽射しが柔らかく降り注ぐ中、オルレアン伯爵家の庭では小鳥たちがさえずり、花が咲き誇っていた。しかし、その優雅な風景とは裏腹に、館の中には冷たい沈黙が満ちていた。
アンジェ=オルレアンは、館の裏手にある古びた離れにいた。使用人の手も届かないその場所に移されたのは、帰郷してからすぐのことだった。
朝、扉の前に置かれた冷えたパンと薄いスープ。それが今日の朝食だった。
「……ありがとう、ございます」
扉の外には誰もいない。それでもアンジェは、礼を言う癖が抜けなかった。だが、その言葉が届くことはなかった。
その日の午後、アルル=オルレアンはナンシーを連れて、庭園でお茶会を開いていた。アンジェがかつて母シャルロットと共に楽しんだ場所だった。
「まあ、ナンシー。あなたのドレス、なんて素敵なのかしら」
「でしょ? お母様の選んでくれた色、アタイの髪と合っててとってもかわいいの」
アンジェはその様子を、遠くから見ていた。ふと、庭師に呼ばれて庭の手入れを頼まれたのだ。
「アンジェお姉さま、そんな格好で庭いじり? まあ、落ちぶれた令嬢って感じね」
ナンシーの笑い声が響く。アルルも扇子で口元を隠しながら、くすくすと笑った。
「それがお似合いですわ、アンジェ。今後は労働でもして、反省なさったら?」
アンジェは黙って俯いた。手にしたシャベルが震える。だが、反論しても無意味だということは、すでに痛いほど理解していた。
夜になり、館に戻ると、部屋の扉に紙が貼られていた。
『本日より洗濯当番 アンジェ=オルレアン』
食器を洗い、衣服をたたみ、下働きのような扱いを受ける毎日。それでも、アンジェは耐えていた。耐えるしかなかった。
ある日、ナンシーがアンジェの髪を掴んで引っ張った。
「お姉さまの髪、銀色で目立つからって調子乗ってたんじゃないの? でも今じゃ、ただの厄介者よ」
「やめなさい、ナンシー!」
思わず言い返すと、背後から平手打ちが飛んできた。
「誰に口を利いているの、アンジェ」
アルルだった。
「お行儀が悪いのは母親譲りかしら? 本当に困った子」
そのとき、父のアントニーが現れた。
「また問題を起こしているのか」
「わたくしは、ただ……っ」
「言い訳は聞き飽きた。お前のせいで、ナンシーがどれほど肩身の狭い思いをしていると思っている」
「肩身が……狭い?」
それは明らかに違った。学院の卒業式のあと、噂はナンシーにとってむしろ追い風だった。姉を超えた“新たなオルレアンの星”としてもてはやされ、貴族の子弟たちからの注目を集めていたのだ。
「……もういい。明日から厨房の掃除も担当しろ」
それが、父の命令だった。
アンジェはその夜、ひとり台所で雑巾を握りしめ、冷たい床を黙々と拭いた。指先は赤くなり、関節が痛んだ。
母が生きていた頃、この家はもっと温かかった。屋敷の隅々にまで、笑顔があった。けれど今は、その面影すら残っていない。
(でも、わたくしは……負けない)
そう心に誓い、彼女は立ち上がった。
たとえ家族に見捨てられても、真実を取り戻す日が来ると信じて――。