第12話 アミアンから見たアングレーム家事件
『黒衣の告発者』―アミアン視点―
王都に、風が吹いていた。
春の終わりのその風は、どこか鋭くて、冷たい。
まるで私の心をそのまま撫でていくような――そんな風。
噂は、一夜にして広まった。
アングレーム伯爵家が、敵国と通じていた。
その証拠を暴いたのは、“黒衣の告発者”なる怪盗だった。
広場の掲示板に張られた密書の写し。伯爵家の財政記録。新聞各紙が一斉に報じた裏切りの一族。その中心に、私は……いた。
「アミアン様……これ、本当なんですか?」
使用人の少女が、怯えた顔で私に尋ねた。
「さあ……私に分かることなんて、何もないわ」
微笑んで、そう答える。でもその胸の奥では、ずっと何かが軋んでいた。
分からない? 違う、分かっていた。
始まりは、ほんの些細な会話だった。
「君なら信頼できると思ってね。うちの家が少し、微妙な立場でね。宛名を変えて荷物を受け取ってもらえないか?」
カストルが私に言ったとき、私は頷いてしまった。
彼が困っているなら助けたい――それが、恋だったから。
「これ、学術書なんだろ? なんで名義を変えるの?」
「学院の連中が面倒でさ。俺の名が出ると、余計な噂が立つんだよ」
信じていた。あの人の言葉を。
でも今思えば、それが最初の、決定的な過ちだった。
やがて私は、アングレーム邸に頻繁に通うようになった。理由は簡単。彼に会いたかったから。彼の隣にいたかったから。
だけど、そのうちに――奇妙な“荷物”を預かるようになった。
「これ、明日の夜までに届けておいてくれ。うちの馬車じゃ動けないタイミングなんだ」
封のされた革袋。中身は聞かなかった。
ただ、「便利な女」になりたくて、私は従った。
――本当に、馬鹿だった。
ある晩、書庫の奥から出てきた男たちを見た。
異国の香水、奇妙な訛り。
ルーシエフの男たちだと、すぐに分かった。
「……あの人たち、何をしてるの?」
カストルは目をそらした。
「親父の付き合いだよ。余計な詮索はしない方がいい」
でも、詮索したくなるのが女というもの。
彼の机の中、書庫の片隅、捨てられた手紙――
そこには、明らかに国家機密と思しき文書や、魔導兵器の設計図の写しが存在していた。
――私は気づいていた。
けれど、止まれなかった。
彼を信じていたから。
彼の隣にいたかったから。
なのに――
「アミアンも……アミアンは関係ねぇからな!」
そう叫んだという報せが、王城の中から届いた時、
私は――息を止めた。
あの人は、私を守ってくれた。
自分が容疑者になっても、最後まで私をかばった。
でも、それだけだった。
私が信じていた愛は、彼を救うことも、守ることもできなかった。
「……怪盗ブラック」
静かに名前を呟く。
あの“黒衣の告発者”――王国中で噂されている怪盗。
誰にも正体を明かさず、腐敗を暴く謎の存在。
その人物が、私のすべてを――ひっくり返した。
おそらく、私が運んだ荷物の中にあった。
もしくは、書庫のどこかに設置された魔道具で、記録が盗られていた。
仕掛けられていたんだ、最初から。
“彼”は、カストルの父親――ミハエル伯爵の罪を暴くために動いていた。
そこに、私も……巻き込まれた。
「私が……あの人を壊したの?」
問いかけた声は、誰にも届かない。
広場の群衆は今日も、“怪盗ブラック”を称賛し、アングレーム家を糾弾していた。
そのどちらにも、私の名前はなかった。
私は、ただの駒だった。
カストルのための。
ミハエルのための。
そして、怪盗の計画の中でも――使い捨ての存在に過ぎなかった。
でも。
「終わらせない……」
唇を噛む。
私はただの愛人で終わるつもりなんて、ない。
私の手で、真実を知る。
あの怪盗の正体を突き止める。
そして、もしそれが――
「あなたの大切な“誰か”のためだったのなら」
私も、自分の“誰か”のために戦う。
それが、例えこの国そのものを敵に回すことになっても。
春は、終わった。
夏の嵐が来るなら――その雷は、私が呼び寄せてやる。