第10話 断罪されるアングレーム伯爵家とカストル
『黒衣の告発者』
春の終わり、王都を包むのはいつもなら花の名残と行楽客のざわめきだ。だが今年は違った。
桜の花がすべて散った翌朝、王都は恐ろしい噂に飲み込まれていた。
――アングレーム伯爵家が、敵国ルーシエフと内通していた。
しかもその証拠を暴いたのは、あの“黒衣の告発者”と呼ばれる怪盗だった。
「王国軍の配置図まで渡してたって、本当か?」
「新聞にも出てたぞ。筆跡は本物で、王国監査室が動いてるって話だ」
「カストル様の親父が、まさかスパイだったなんて……」
広場の噴水前、集まった市民たちは掲示板に釘付けだった。そこには密書の写しと、伯爵家の書庫から見つかったとされる財政記録の写真が並んでいる。
けれど、それを高所から見下ろしている者がいた。
王城の高塔の上、風を受けながらマントを揺らす青年――銀髪、緑の瞳、漆黒の服。怪盗ブラックとしての姿のランス=フリューゲン、第3王子。
「ふむ……うまくいったようだね」
口元に皮肉な笑みを浮かべ、懐の魔道具に視線を落とす。手のひらほどの球体――この魔道具にはアングレーム家の地下書庫から奪い出した密書の原本の複製が格納されていた。
「これで、あの傲慢な父子も終わりってわけだ」
ランスは自嘲気味に笑った。――彼自身が王族でなければ、こんな道化芝居を演じる必要もなかっただろう。
その頃、王宮の地下では、既に取り調べが始まっていた。
「ミハエル=アングレーム。貴殿に対し、国家反逆罪の疑いがかかっている」
監査室の審問官が鋭く告げる。対面に座るのは、白髪混じりの赤髪を束ねた壮年の男。威圧的なその姿も、今は鎖に繋がれている。
「ふん。たかが怪盗の戯れ言で、我が家の書庫に踏み込むとはな。貴様ら王族はどこまで愚かになった?」
「戯れ言かどうかは、これから明らかにする。ではこれはどう説明する? ルーシエフ帝国の印章が押された密書、あなたの筆跡、そして王国側の交渉方針が記された詳細な内容」
「……!」
ミハエルの眉がわずかに動いた。
「さらに、あなたが送金した記録のある“仮名口座”の情報。受取人はルーシエフの商人を名乗る男で、正体は帝国の諜報員と判明している」
「……その程度で何が証明できる?」
「証人もいる。使用人、家令、そして書記官の証言がある。あなたが書庫に出入りしていた夜、使用人は三度もルーシエフ人の影を見たと記録している」
「くだらん。証人など買収もできよう」
冷笑を浮かべるミハエル。その態度に、審問官の声が冷たくなる。
「ではなぜ、その書庫にあった文書の写しが、怪盗によって王宮に届けられたのだ。怪盗がそれを複製し得たということは、すなわち原本がその場所に存在していたという証明になる」
ミハエルは口を閉ざした。
そのとき、扉が開かれる。警備兵に連れられて入ってきたのは、カストル=アングレーム。赤髪を振り乱し、怒気を帯びた瞳で父を睨む。
「親父っ!! ふざけんなよ! 俺まで巻き込むつもりかよ!!」
「カストル……貴様、黙っていろ」
「黙れるかっ!! 俺はただ学院で魔導兵器を研究してただけだぞ!? なのに情報を流したとか言われてんだ! どうなってんだよ!」
審問官が書類をめくる。
「君が学院から持ち出した魔導兵器の設計図、それが敵国の魔導技術とほぼ同じ形式で流通していた。偶然では済まされん」
「そんなこと……!」
カストルの目が泳ぐ。そこへさらに突きつけられたのは、資金の流れだ。
「そして君の名義で登録された隠し口座から、数度にわたって高額の資金が動いている。宛先は帝国領の都市、リェーザ」
「そ、それは……親父が、勝手に俺の名前使って……!」
「ミハエル氏は否定している。“次男を使えば王国側の監査の目も逸れる”と記した手紙がある。君は知らぬ間に使われたのか、それとも共謀したのか、どちらだ?」
「くそ……!」
握った拳が震える。だがカストルは否定し続けた。
「アミアンも……アミアンは関係ねぇからな!」
「君の愛人であるミュルーズ嬢も、夜な夜なアングレーム邸に出入りしていたと記録がある。運び屋だった可能性もある」
「違ぇって言ってんだろ!!」
叫びが、むなしく監査室に響く。ミハエルは冷ややかに息子を見下ろしていた。
「愚かな男だ。私が力を与えてやらねば、お前など何も残らん。私は国家の在り方を変えたかった。それだけだ」
「お前が裏切ったのは、この国だけじゃねぇ……! 家も、家族も……!」
その言葉にミハエルは答えなかった。審問官が静かに立ち上がる。
「証拠は揃った。後は王命を待つのみだ。両名は拘束のうえ、地下牢にて待機せよ」
警備兵たちが彼らを連れ出す。扉が閉まる瞬間、カストルが虚ろな瞳で振り返った。
「怪盗……てめぇ……何者だ……」
その問いは誰にも届かなかった。
――夜。王都の高台、再び塔の上に立つ銀髪の影。
「……さて、これでようやく一段落かな」
ランスはマントを翻し、風に身を委ねる。蒼穹に月が浮かび、街を照らしていた。
「王国の腐った膿は、まだまだある。だけど……」
ランスは懐の魔道具をそっと撫でた。
「ボクが暴くのは、真実だけ。すべては……君にたどり着くため」
誰に聞かせるでもなく、独り言のようにそう呟いて、彼は闇へと姿を消した。
“黒衣の告発者”。怪盗ブラック、その名だけが、またしても王都に残された――。