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逆襲の花嫁  作者: 海野宵人


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子爵邸からの逃亡 (2)

 ユージェニーは困り果てたように「じゃあ、名前では探せませんね……」とつぶやいてみせてから、あたかもよいことを思いついたと言わんばかりの顔で提案をした。


「では、馬を貸してくださいますか」

「え? 何のために?」

「わたしとシリルは商人の顔を覚えていますから、追いかけて捕まえてみます」

「いや、でも、相手は男なんだろう? 追い詰められて逆に襲ってきたら、危ないじゃないか」

「大丈夫です。わたしは多少なら魔法が使えますし、弟も連れて行きますから」


 ルシアンは思案顔をした。二人に任せることのリスクと、薬を回収できなかった場合に自分が被ることになる痛手を頭の中で天秤にかけているようだ。ややあってから渋々といった様子で、条件を出してきた。


「では、護衛をつけよう」

「いいえ、護衛は結構です」


 護衛なんて付けられては困るのだ。ユージェニーは真剣な表情を保ったまま、もっともらしい理由をひねり出す。


「護衛までつけて仰々しく探し回ったら、いかにも警戒されそうでしょう? わたしとシリルだけなら、たぶん相手も油断すると思うんです」


 ルシアンは眉根を寄せて「うーん……」とうなり、しばらく考え込んでいたが、ついに「まあ、そうか」と同意した。


 やっと逃げ出せる。ユージェニーはベッドの上掛けを勢いよくはねのけて、弟に声をかけた。


「シリル、行こう」

「うん」


 ところがここで、ルシアンが「ちょっと待って」と二人を止めた。こんなところには、一秒たりとも長居したくないのに。ユージェニーは思わず眉間にしわが寄りそうになるのを、ぐっとこらえなくてはならなかった。努めて何げない口調でルシアンに理由を尋ねる。


「どうかしました?」

「急がば回れと言うだろう? すぐ戻るから、ここで待っててくれないかな」

「はい」


 こう言われてしまっては、勝手に出ていくわけにはいかない。彼女が従順に同意すると、ルシアンは満足げに微笑み、足早に部屋を出て行った。その後ろ姿を見送り、廊下の足音が遠ざかっていくのを確認してから、シリルは小声で姉に話しかけた。


「ジニー、さっきの──」

「しっ。後でね」


 姉がいったい何を企んでいるのか、事情を知りたかったのだろう。気持ちはよくわかる。しかしだからと言って、このように敵地のまっただ中で説明するわけにはいかなかった。誰がどこで盗み聞きしているかもわからないのだから。


 彼女は入り口のドアのほうに視線をやりながら、口の前に人差し指を立ててみせる。それだけで、この弟には通じたようだ。シリルも横目でチラリとドアのほうを見やってから、「わかった」と小さくうなずいた。


 とはいえ、とっとと出て行きたい気持ちには変わりがない。


 ルシアンを待つ間にも、靴を履いて靴紐を締め上げ、身支度を調えた。なんと驚いたことに、新しいショートブーツまで用意されていたのだ。いつの間にサイズを調べたのかと思うと、とても気持ちが悪い。それでもブーツ自体は、いかにも上等そうで履き心地のよいものだった。


 ほどなくしてルシアンは部屋に戻ってきた。その手には二通の封筒がある。それを二通ともユージェニーに差し出した。


「これを持って行くといい」

「これは何ですか?」

「馬の交換をするための証文だよ」


 彼が言うには、急ぎで馬を走らせるための措置だった。急ぐからには当然、馬を走らせたい。しかし馬が連続して走れる時間は、せいぜい三十分程度が限界だ。だから長い距離を走らせたいなら、拠点ごとに馬を替える必要がある。この証文は、領主名でそれを要請するためのものだった。


 領内であればどこの町や村でも、貸馬車屋にその証文を見せることで馬を交換してもらえる。貸馬車屋ごとに馬を替えれば、ずっと走らせ続けることができるというわけだ。


「万が一にも手分けが必要になった場合に備えて、二枚渡しておくよ。でも危険を避けるために、よほどの事情がない限り二人一緒に行動しなさい。いいね?」

「はい、そうします。どうもありがとうございます」


 この謝辞だけは、心から口にできた。思いもかけずよいものが手に入ったことに、内心ほくそ笑む。


 今度こそ出て行こうとドアに向かいかけたところを、再びルシアンが片手で制止した。ユージェニーは苛立たしさのあまり、舌打ちしそうになる。


(もう、いい加減にしてよ! 今度は何なの?)


 まさかこの()に及んで「行くな」などと言い出すとは思えないが、世の中に「絶対」なんてものは存在しない。苛立たしさと同時に、不安が湧き上がってきた。このまま逃げられずに監禁されたらどうしよう。


 けれども、ルシアンが二人を引き留めたのは、違う理由からだった。ドアから従者が入ってくる。彼は両手に衣類と革製のベルトポーチを抱えていた。


 従者は一度その荷物をソファーの上に置いてから、薄手のコートを手に取ってユージェニーに着せた。続いて、同じようにシリルにもコートを着せる。


「まだこの時期は急に寒くなることもございますから、こちらをお召しください」


 さらに説明しながらベルトポーチをユージェニーに手渡す。


「すでに時間も少々遅うございます。どこかで宿泊が必要になりましょう。数日分の宿やお食事に十分足りるだけご用意いたしました。どうぞお使いください」


 驚いてユージェニーがルシアンを振り向くと、彼は「急がば回れとは、こういうことだよ。遠慮なく使ってくれ」と、したり顔で微笑んだ。町の少女たちが見たら、きゃあきゃあと黄色い声を上げそうな顔だ。ユージェニーにとっては、ただひたすらにうざいだけなのだが。


 それでも、いろいろと融通してもらったことは間違いない。彼女は神妙な表情を作って頭を下げた。


「何から何まで、本当にありがとうございます。必ず取り戻してまいります」

「うん。よろしく頼むよ」

「はい。行ってまいります」


 シリルも一緒に深々と頭を下げる。そうして、やっと二人は屋敷を出て厩舎へ向かった。


 部屋を出るとき、ドアのすぐ外側には別の従者が立っていた。それを見て、ユージェニーはゾッとした。見るからに体格のよいこの従者は、間違いなく逃亡防止のための監視だろう。室内の話だって盗み聞きしていたかもしれない。やはり、うかつなことを話さなくてよかった。


 ルシアンは厩舎までは付いてこなかった。代わりに付いてきたのは、先ほどの従者だ。彼は二頭の馬を選び、馬丁に準備を指示した。馬丁が馬具を取り付けているのを待ちながら、従者はユージェニーに尋ねた。


「どちらに向かわれるご予定ですか?」

「あの商人は『王都に戻る前に西部を回る予定だ』と言っていましたから、街道沿いに追いかける予定です。あの人がここを出発したのは、昨日の昼前くらいでした。だから早ければ、明日の午前中にも追いつけると思います」

「そうですか。それでは、どうかお気を付けて行ってらっしゃいませ」

「はい。いろいろとありがとうございました」


 従者に頭を下げてから、シリルとそれぞれ馬にまたがる。ユージェニーも横乗りせずに、普通に鞍にまたがった。


 自分の服だったらズボンに着替えなくては無理だが、ルシアンが用意したワンピースはサーキュラースカートなので、そのまままたがれてしまうのだ。さすが貴族、高級な布地を惜しげもなくたっぷりと使っている。


 ユージェニーは馬を駆けさせながら、シリルを先導した。そしてついに、無事にフィッツシモンズ子爵邸の敷地を抜けることができた。詰めていた息を吐き出し、拳を握りしめる。


(やった! 脱出成功!)


 従者には西に向かうと話したが、もちろん西になんか向かうわけがない。

 ユージェニーは馬を北に向かわせた。逃げる前に、やっておかなくてはいけないことがあるのだ。

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