パルトン大公国
エルドウィンは、ひたすら西へと馬を走らせた。ユージェニーに追いつくために。
スタートが一日遅れているから、距離を詰めるのは容易ではない。ただし貸馬車屋と違い、ギルドでは日が暮れた後でも馬が替えられる。向かった方角の確認のため聞き込みが必要だから、夜を徹してというわけにはいかないが、それでも寝る間を惜しんで追いかけた。
「プラチナブロンドの男女二人連れ」という特徴のおかげで追いやすいのが、せめてもの救いだ。同じ髪色の二人連れが先を急ぐ様子は、人々の記憶によく残っていた。
ギルドで馬を替えつつ、貸馬車屋で聞き込みをする。
「ユージェニーとシリル? ああ、子爵さまの証文を持ってたね。馬を替えて、そこの街道から西に向かったよ」
「どれくらい前だか、わかりますか?」
「あのとき確か、ちょうど昼の鐘が鳴ったんだよな。だから二時間ほど前だね」
「ありがとう」
少しずつ距離を詰め、ようやく追いついたのは、西の隣国パルトン大公国との国境沿いの村だった。貸馬車屋の前に、ほっそりとした少女の後ろ姿が見える。背中にプラチナブロンドの髪が揺れていた。
今まさに貸馬車屋の主人が証文を確認し、替えの馬を引いてきて手綱を渡そうとしているところだ。
「はい。ユージェニーさん、どうぞ」
馬をとめて飛び降りながら、エルドウィンは叫んだ。
「ジニー!」
しかし彼の呼びかけに、少女は振り向かない。焦れたエルドウィンは、駆け寄って「ジニー!」と少女の肩をつかんだ。そして振り向いた少女の顔に見覚えがないことに、愕然とした。
「お前は誰だ?」
思わず低い声が出る。すると少女をかばうようにして、プラチナブロンドの青年がスッと間に割って入った。貸馬車屋の主人は、ルシアンの書いた証文を手にしたままだ。おろおろと腰の引けた様子で、青年とエルドウィンの顔を交互に見ていた。
エルドウィンは険しい表情で、主人の手から証文を引き抜く。その証文には、間違いなくフィッツシモンズ子爵家の封蝋が押されていた。ユージェニーとシリルが持っているはずのものだ。
なぜそれを、この二人が持っているのか。思いつくのは、ろくでもない理由ばかり。普段はあまり怒ることのないエルドウィンだが、ユージェニーの身に何かあったかと思うと頭に血が上った。怒りのままに、青年を怒鳴りつける。
「盗んだのか!」
「違います!」
プラチナブロンドの青年は、あわてて首を横に振る。この青年は温厚で実直そうに見えるが、人は見かけによらないことをエルドウィンはよく知っている。ドスの利いた声で青年に詰め寄った。
「じゃあ、奪ったのか?」
「そんなことしません!」
エルドウィンのあまりの剣幕に、道行く人々から好奇の視線がチラチラと向けられる。青年は観念したようにかぶりを振って、ため息をついた。
「ここでは商売の邪魔になりますから、場所を変えませんか」
「いいだろう」
二人が逃げ出したりしないよう油断なく見張りながら、馬を引く青年の後をついていく。青年が向かったのは、村の中央広場だった。広場の端にある馬留めに手綱を結び、エルドウィンに向き直る。
「僕はケイシー、連れはポーリーンです」
「この証文は、どうやって手に入れた?」
相手が名乗るのをほとんど遮るようにして、エルドウィンは詰問する。
「ユージェニー嬢に託されました」
「託された? どういうことだ?」
託されるだなんて、意味がわからない。エルドウィンは、なおも険しい表情で詰め寄る。ところがここで、不意にケイシーの表情が冷ややかになった。
「失礼ですが、そういうあなたこそ、どちらさまですか」
「エルドウィン。彼女の婚約者だ」
「え」
ケイシーは目を丸くして、じっとエルドウィンを見つめる。かと思うと、ホッとしたように笑みを浮かべて肩の力を抜いた。
「なんだ。あなたがそうでしたか。よかった、無事に釈放されたんですね」
いきなり態度を一変させたケイシーに、エルドウィンは戸惑いを隠せない。しかも、こちらの事情を知っているようではないか。
「僕たちは、危ないところをユージェニー嬢に助けていただいたんです」
「危ないところ?」
「ええ。あのままなら、命があったかもわかりません。本当に感謝しています」
いぶかしげに眉をひそめるエルドウィンに、ケイシーはすまなそうに続けた。
「今すぐ事情をお話ししたいのはやまやまなんですが、こちらは出国を急ぐ理由がありましてね。先に国境を越えてからでも、かまいませんか」
「わかった」
毒気を抜かれ、エルドウィンは素直に同意した。
村を出れば、国境は目と鼻の先だ。三人で馬を走らせ、あっという間に隣国に入る。国境線を越えるとケイシーとポーリーンは馬を走らせるのをやめて、並足に変えた。見るからに二人とも緊張から解放され、リラックスしている。そして顔を見合わせて、くすくすと笑い出した。
「ああ、無事に逃げ切れた!」
「ええ、ユージェニーさんのおかげだわ。本当に、どれだけ感謝してもしきれない」
どうやらこの二人は、ユージェニーと面識があるらしい。いったいどんな縁なのだろうかとエルドウィンがいぶかしんでいると、ケイシーがにこやかに振り返った。
そしてケイシーは、薬屋でユージェニーに助けられた顛末を話して聞かせた。ポーリーンと駆け落ちをして、追っ手に見つかりそうになったところをユージェニーに助けられたのだ、と。
「彼女もルシアン卿から逃げているのだと言っていました。それで僕たちが証文を譲り受け、追っ手の目をくらますために、彼女たちの名を使いながら移動してきたんです」
エルドウィンは脱力した。なんということだ。まんまとその目くらましに引っかかって、隣国パルトンまで来てしまったというわけか。脱力しながらも、ユージェニーのことは誇らしく思った。ここぞというときに胆力を発揮する彼女らしい、いかにもな逸話だ。
気を取り直し、エルドウィンはケイシーに尋ねた。
「彼女はどこに行くと言っていましたか」
「申し訳ない、それは聞いていません」
まあ、答えを期待してはいなかった。用心深い彼女のことだ、むやみに行き先を告げたりはしなかっただろう。ケイシーたちが知る必要のないことだし、万が一、ルシアンの追っ手に捕まることがあったとしても、知らなければもらしようがない。
ため息をついたエルドウィンに、ケイシーがひとつ提案をした。
「よければ、僕たちと一緒に来ませんか。当てもなく探すより商人の伝手を活用するほうが、きっと勝率が上がるでしょう。うちの商会は支店も取引先も多いから、必ずお役に立ってみせますよ。できる限りのお手伝いを約束します」
「じゃあ、お願いしようかな」
ほかによい選択肢の浮かばないエルドウィンは、その提案に同意した。




