奇跡(前編)
エルドレッドが姿を消した。その報告を受けた司教は、すぐさま軍を退却させた。それまで押されていた帝国が、それをきっかけにして少しずつ盛り返していく。押し返された皇国は、部隊を編成し直した。大陸の中央を挟んで、東西の国が争い合う。その光景は、見るに堪えないものだった。神聖国に生きる、心ある人々にとっては特に。彼らは日々、神に祈りを捧げていた。そんな彼らの目の前に、白い鳥に乗った人間が現れる。太陽を背負った彼は、大神殿の前に降り立った。それを見た人々が騒ぎだす。
「……エルドレッド?」
「彼は死んで、悪魔に体を奪われたと聞きましたが」
「見た目は変わっていませんね。以前のままです」
「おや、そうなのですか? 彼は悪魔の力に侵されて、別人になったと聞きましたが」
街の片隅。ネズミの道に身を隠したルーシャたちが、彼らの会話を聞いている。セラフィーナが声をひそめて、ルーシャに話しかけた。
「うまくいってるみたいだね」
「今の所はね。場所が場所だから、司教はすぐに気づくでしょ。問題は、彼が大神殿から出てきた後よ」
ルーシャは真剣な顔をして言った。エルドレッドは白い鳥を連れた状態で、神殿を見つめて立ち尽くしている。
「エルドレッド様?! どうしてここに……いえ、それよりもそのお姿は……?」
神殿の中から、ラディが飛び出してくる。彼女はエルドレッドに駆け寄って、その体に触れた。
「元に戻られたのですか? どうやって?」
「……仲間の力を借りて、霊山に戻ってな。神の泉で水を浴びて、悪魔の力を抜いたんだ」
エルドレッドは事前に用意していた言い訳を喋った。その様子を隠れて見ていたルーシャが、少し不機嫌そうにする。
「なによあの子。ベタベタしちゃって。エルもエルよ。もっとしっかり拒絶してよね」
「まあまあ。今のエルには、ああいう子がいてくれる方がいいじゃない。今もエルの話、全部信じてくれてるし」
セラフィーナは、苦笑を浮かべて彼女を宥めた。そんな彼らには気づかないまま、ラディはエルドレッドとの話を続けている。
「でも、エルドレッド様はお亡くなりになったはずですわ。それがどうして……」
「ユラ様が、オレの魂を掬い上げてくださったんだ。人が争い合うような世界を憂いて、あの方はオレに争いを止めるように仰られた。オレはそのことを伝えに来たんだ」
「そうだったのですね。……ええ、そうでしょうとも。ユラ様は、このような世界を望まない。そんなことは分かっていました」
ラディが心底から納得したような様子を見せる。周囲に集まった人々が、戸惑いの表情を浮かべていた。




