勇者
エルドレッドはナイフの柄を掴んで引き抜いた。血の付いた紙が床に落ちる。彼は落ちた紙を拾って、血の臭いを嗅いだ。
「この血は……本物か」
「そう。君のご友人が君のために流したものさ。良いご友人を持っているんだね、君は」
背後から声をかけられる。エルドレッドは表情を消して振り返った。金色の髪に緑の瞳。道ですれ違えば10人のうち9人が目を奪われる美男が、柔らかな笑みを浮かべて立っている。男は右の手で人の頭を掴んでいた。掴まれている人物は傷だらけで、気を失っている。男はその人間の頭を持ち上げて、顔が見えるようにした。
「君がいけないんだよ。旧時代には僕らのために、あんなに協力してくれたのに……新時代になってから、君は格下とつるんでばかりでまともに仕事をしてくれない」
男が歌うように言葉を発する。エルドレッドはため息をついた。
「そんなことのために人を拐ったのか。皇国はそんなマネまでするようになったんだな。自国の人間を傷つけて、他国を蹂躙して……新時代の勝者となるつもりか」
「分かってるじゃないか。なら、君が手にしているその紙の意味も分かるだろう。彼女は今、こちら側にいる」
「セラフィーナとロドニーは?」
「彼女がいるのとは別の場所にいるよ。人質を纏めておくのは愚策だ。特に君に対しては」
「お前さん、勇者なんだろ。そんなことしていいのかよ」
「許されているからね! しかも許可を出したのは皇国の王だ。誰にも文句は言わせない。店の扉には鍵をかけているから、君以外の人間は入ってこないよ」
エルドレッドが鋭い目つきで勇者を見る。勇者は笑っていた。
「それで? 俺に何をさせたいんだ」
「僕らのパーティに入ってほしいんだ。君の仲間はもういないんだから、誰に気を使う必要もないだろう?」
「条件がある」
勇者はその言葉を聞いて笑い出した。
「人質を取られておいて、まだ条件を付けるつもりか? 欲張りだな」
「お前たちほどじゃない。それに、そんなに難しい条件でもないさ。……バイロンさんを手当してくれればそれでいい」
勇者の笑みが歪む。彼は苦々しげに吐き捨てた。
「どうして分かった?」
「傷が多すぎるんだ。バイロンさんはお前たち風に言うならランク外。捕らえるだけなら1度でいいのに、何度も殴ってるってことはそういうことだろ。お前は人を傷つけることを楽しんでる。勇者の風上にも置けないような奴だ。だが協力はする。お前たちに不必要な殺人をさせる気はないからな」
「ああ、そういう。本当につまらない男だな、君は。まあ仕方ない、この男を殺すのは諦めるよ。ランク外を殺しても面白くないし、君とここで争うのもムダだ」
勇者がバイロンの頭から手を離す。エルドレッドは駆け寄って、バイロンの体を抱き止めた。
「バイロンさん。大丈夫ですか?」
「……あ、ああ、エル……」
「喋らないで。医者を呼びます。この宿は捨てた方がいい。別の国に、いや別の大陸に逃げてください。金は俺が」
「……すまない」
バイロンが呻き声を上げる。エルドレッドは唇を噛んだ。
「バイロンさんのせいじゃない。俺のせいだ。旧時代が終わっても俺がここから離れなかったから、そのツケが来たんだ。……ごめん」
「エルドレッド……君は賢い。それに優しい。だから、気に、しないでくれ……」
バイロンが気を失う。エルドレッドは彼を見下ろして、目を伏せた。
「面白い見世物だなあ。ランク外はやっぱり、生きてた方が楽しいや!」
近くにいる勇者が嗤う。その声が室内に反響して、エルドレッドは吐き気がした。