船旅(中編)
水平線に日が沈む。盗賊は無言でどこかへ行った。エルドレッドは赤から黒に色を変えていく海を見ながら、しばらくそこで佇んでいた。
(北は神聖国の領土だ。荒事は起きないと思いたいけど……)
神聖国の民は、清廉潔白な生き方を信条としている。位の高い者は影で贅沢な暮らしをしているが、民の生活は穏やかで質素。争いの起きない平和な国だ。
(まあ、上に行くほど腐っているから……大司教に会うのは、気が進まないけどな)
エルドレッドはため息をついて船の中に戻った。客室に向かいかけた足が、聞き覚えのある声を耳にしたことで止まる。
「なあ、良いだろ?」
「いいけど……責任は取ってよ?」
盗賊の声。もう片方の声の主は、知らない女だ。
(そういう関係の女が居たんだな。まあ、俺には関係ないことだけど)
エルドレッドは2人を無視して客室に入った。ベッドの上に転がって、天井を見上げる。
(ルーシャも今頃は、もうベッドに入っている頃だろうか)
人質の姿は魔石で確認できる。けれどずっと見続けるのは、私生活を監視しているようで嫌だった。だから、決まった時間に少しだけ見るようにしている。例えば昼食を取っている時などがそうだ。眠る前も、確認したい気持ちはあったが……。
(そこまでするのは踏み込みすぎか。告白もできず、あいつを誘拐された俺には……あいつの彼氏であるかのように振る舞うことは、もう出来ない)
昔は彼女に近づく男を牽制していた。けれど今は、彼女を無事に助け出してくれるなら、その男には彼女を任せてもいいと思っている。
(俺は今でもあいつが好きだ。帝国に歯向かってあいつを救う男がいるなら、その男に付いていってほしい。あいつが俺のものにならなくても、どこかで幸せに生きてくれるのなら、それだけで……)
エルドレッドは目を閉じて、詰めていた息を吐き出した。
(ルーシャ。お前が無事でいてくれるなら、俺は本当にそれだけでいいんだ)
できれば自分の力だけで守りたかった。けれど、守りきれなかったのは事実だ。そして今も到底、彼女を守れているとは言えない。
(俺があいつらに従っていれば、ルーシャの体は傷つかない。でも心は? 急に拐われて、閉じ込められて……あいつは俺を恨んでいるかもしれない。憎んでいるかもしれない。俺と関わらなければ無事でいられたのにと、思っているかもしれない。……そしてそれは、ただの事実だ)
魔石の向こうにいるルーシャは、いつも通りの生活をしている。急に監禁されたというのに、怯えることも騒ぐこともしていない。けれど、拐われた瞬間のことは分からない。泣いたかもしれない。叫んだかもしれない。そしてエルドレッドは彼女が悲しんでいた時に、側に寄り添ってやれなかった。自分の不甲斐なさを噛みしめる。そうして彼は、意識が落ちるその瞬間まで、ずっと彼女のことを考えていた。




