東都 東地区α 四月八日 午前九時〇四分
「…やっぱ基礎検査の各数値はほぼ問題なし、か…」
懇々と眠り続けている患者・美南の検査結果を液晶スクリーンに映る電子カルテと並べて眺めながら、疾風は口に含んでいる飴へ歯を立てる。
長期睡眠状態から発生した生命活動の緊縮状態なのだろう、心拍数や体温は一般成人男性に較べてやや低い数値が出ているが、これは基準規定値内で収まっているため、さほど問題視する必要はない。
仲川に頼んで表示させている過去三回分の診断結果と見比べているが、どれもこれも似た様な数値が出ており、当人の平常時数値が判らない事も考えると、安易に「病だ」という判断を下すのは難しい。
(……こうなってくるとやっぱ脳波測定するべきか?先輩以外に心療科取ってた奴居ねえんだよな…)
ここである程度の異常値や原因を絞り込む事ができれば、転院という名目で自分のマンションに連れて帰るという方法が取ることができたが、CT撮影された脳の画像を確認しても何処にもおかしい物は見当たらない上に停止している訳でもない。
症状の手掛かりになる物が一切確認できていない以上、このまま手続きを踏んで連れ出すのは些か無謀が過ぎる。
(せめて脳神経科の知り合いが残ってるといいが…)
院内専用の携帯端末に医師の名前を表示し、無意識に煙草の箱を探す手を小箱へ移動させて飴を摘む。
当然のことながら院内は禁煙だ。普段ならこの時間は既に数本目を咥えているが、ここに来てからというもの、個人診察室にいる間は飴菓子で紛らわせている。
院内売店で買い物を済ませているため、小物入れの中身は同じ味しか入っておらず、最近は口が飽きて来たのか無意識に嗜好品を求めて手を彷徨わせる自分が居る。
前任だった堅山から聞いた話によると、患者である美南龍弥がこの病院に入院したのは二年半前のこと。
通報は人型機体に内蔵されているエマージェンシーコールに依るもので、救急搬送されてきた時には既に昏睡状態。
この日当直だった彼は、運ばれてきた彼へ二次処置を施した後、救急隊と共に治療室に待機していた医師の元へ運んだそうだ。
手術室に入って間も無く、美南の父親だという男が来たそうだが、二次救急搬送者の連絡が入りすぐに戻ってしまった事もあり、顔はよく覚えていないという。
手術終了後、身元確認をとると人型機体は首を無機質に縦へ振り、父親だと名乗った人物は、患者の状況を聞いた所で特に心配するような素振りは見せなかった、と当時の執刀医は話していたらしい。
「そう都合よくいる訳ねェよな……」
画面に映る医師名に自分が覚えている人間は外科と小児科にしか居らず、観念した疾風はホログラムキーボードを立ち上げる。
検査技師へ予約依頼を送るために必要な事とは言え、普段とは違う手順の煩わしさに溜息を吐きつつ、通院・入院患者の予定を見ながら指を跳ねさせる。
そもそも、自分がよく出入りしていた時期は二十代前半の頃。
当時の院長であった仲川の父親から依頼と称して何度となく呼び出され、あまりに面倒だったため臨時医師として勤めていた時期があったが、その頃から数えても既に五年以上は過ぎている。
それを考えると、名前を知っている人間が残っていることの方が珍しい方なのかもしれない。
(……つーかなんで普通の病院にずっと寝かせてるんだか。確かにここいらじゃデカいところだが、専門施設もあるってのに)
医師一覧名簿を見た限り、専門医がいる訳でもない。
それにも関わらず、この病院に入院し続けているというのは少々違和感がある。
自分の持つ立場を突きつけて上層部へ聞くのは容易だが、手荒な方法を取るのは得策とは言えないだろう。
仲川は今の役職に就いてまだ一年だと言っていたし、前院長は都合が悪い事に対して隠蔽気質な部分も持ち合わせていたため、訊ねた所で当時の事情を聞けるかは正直難しい。
まして、そんな手段を使って手がかりを掴むことが出来たとしても、対象者の目覚めに繋がるかどうかはまた別の話だ。
(佐多の話じゃ、美南は能力者じゃないって事だが、後から覚醒してる場合もあるし、昔の疾斗みてェな状態ってのも考えられなくねえよな…)
まだ幼い頃、疾斗が自身の稀有で強すぎる能力に身体を蝕まれ、幾度となく長期睡眠に陥ることがあった。
突然に意識を失い眠ってしまう弟を助けたくとも、子供の自分にはどうすることも出来ず、専門治療機関へ連絡を取った父が運転する車に一緒に乗り込み、起きない弟をひたすら呼び続けた記憶が蘇る。
仮に美南の異睡眠が能力代償によるものだとすれば、今は安定している実弟にも起こり得ないとは言い難い事になる。
(……駄目だ、私情が入っちまってる)
どうにも異常な睡眠に関する事が起きると考え過ぎてしまう兆候にある。
無意識に皺が寄っていた眉間を撫で整え、伊達眼鏡を目位置へ戻して身体を伸ばせば、机に投げていた携帯端末が鳴り響いた。
『脳神経科の渡辺です。アンタが臨時外科医の進藤くん?』
「……ええ、そうです。初めまして」
『送ってきた内容みたけど、異常が無い患者の脳波測定ってどういうことなの?』
自分より幾分か若そうな声を持つ女性医師は、挨拶への返答をする事なく、異様に思えるほど高圧的な様子で言葉を続けて問いを投げる。
「…備考欄に記載させて頂いた通り、外傷も腫瘍も見られないのに眠り続けていると言うのが気になりまして……」
『御家族の同意を得てからじゃないと出来ないわよ?それぐらい当たり前でしょう、分かってる?』
「……仲川院長より、日程の日取りを該当医科へ先に連絡するよう言われてい……ま、した、ので。渡辺先生のご都合がつかないようでしたら改め…させ、ていただきますが…」
『院長が?何それ、アンタ贔屓されてるんじゃないの?まぁ別に良いわ。可否でたらさっさと連絡しなさいよね、じゃあ』
切り側に僅かに舌打ちを響かせ、一方的に通信は切られ信号音が残る。
あと一分話していたら、自分は間違いなく怒鳴り返していただろう。思わず出そうになっていた素の反応を喉で押さえつけ、一般常識に欠けている相手に使いたくもない敬語を何とか並べられた自分に、内心で軽く拍手をして心を宥めすかす。
女性医師は明らかに地位格差を解らせたい態度だった上に、高慢が全て音に出ていることを気にする様子もなかった。
自分も態度が良い方ではないことは自覚にあるが、それを上回ってさらにひどい態度を見せた渡辺に苛立ちを覚え、まだ形状が残っていた飴玉ごと噛み潰す。
医師同士の会話対応よりも、人としての態度として改めるべきではないだろうか。
(……とりあえず疾斗達が来るのを待つとするか)
腸が煮え繰り返る感覚を深呼吸で宥め、何個目になるかも判らない糖質を放り込む。
スクリーンに映り続けるカルテを再度確認しながら、まだ数時間ある待ち時間への苛立ちは、飴玉へ歯を立てることで抑える事にした。




