東都 北西地区β 午後四時十八分【疾斗視点】
偽髪を取り外したにも関わらず熱が溜まっているような感覚。
乱れ切った地毛を直すついでに備え付けの洗面台で頭から水を被れば、顔を伝う滴が落とし切れていない化粧に弾かれ、不自然な重さを纏って流れてゆく。
酸素が身体に上手く回っていないのだろうか、目が霞んでいるような気がする。
千都世の気配を背後に感じた一瞬、冷たい感触が脇に触れれば拘束感から解放され、入り込んだ酸素へ咽せ込む。
突然掴まれた右手に洗顔フォームを出され反射的に肌へ馴染ませて薄く目を開くと、手には今までに見たことのない色をした泡が絡みついている。
今まで感じたことのない異様な顔の重さの原因に眉をひそめつつ、潰れ切った泡達を流し落とせば顔が軽くなった。
「よく頑張ったわねぇ、お疲れ様。下は履いてるし、そろそろメイちゃんお部屋に入れてあげても平気?」
タオルで髪を拭いつつ頷いて自らの身体へ視線を落とせば、コルセットが留まっていた場所に薄赤の縁取り。
しかも相当絞め上げてられていたのか、ワイヤーが通っていた部位の縫製痕まで残っている。
「…写真集の分まで撮られるとは思わなかった」
「ついでよ。つ・い・で。良いじゃない、スタッフは疾斗くんだって判ってなかったんだし。渾身の変身メイク写真をただのボツって理由でお蔵入りなんてイヤだったのよ」
今にも踊り出しかねない浮かれように半ば呆れながら、着てきたインナーを羽織ってドライヤーを掴む。
この【性別逆転ポートレート】企画、聞けば男性モデルの場合は撮影だけで軽く半日以上掛かってしまうことが多く、撤収は夜間帯になることも多々あるらしい。
時間としては間も無く夕方になる所だが、これまでの中では一番早い時間に終えることが出来たと現場監督は喜んでいた。
時間が異様に掛かるのは、女装への抵抗感や撮影中の化粧直しもあるが、二つよりももっと多い理由は、撮影最中の体調不良と、女性モデルからの指南に怒り出してしまっての撮影中断なのだという。
自分もあまりの呼吸しづらさに一度カメラを止めたため、体調不良はわかる。しかし後者はどちらが悪い状況なのかまでは判らない。
話では男側が指示を聞かずに怒り出すケースが大半だと言う話だったため、ほとんど八つ当たりに近いのかもしれない。
根本的にそりが合わない相手を指導役に充てがっているのであれば話は別だが。
(……逃げ回ってた俺がそれを考えるのは烏滸がましいな)
僅かな布擦れと共に扉が開く気配に大鏡を見てみれば、同じように鏡越しにこちらを見ている倉井が口元を手で覆いながら目を瞬かせる。
「うわぁ、痕スゴい残っちゃってますね…」
「ん?普通じゃないのか?」
事務所の女性モデルが専属で出ている女性服雑誌が献本で毎月届くのだが、記事の中に出ている彼女の姿は本当に人形のようで、触られたら折れるのではないだろうかと思うほどの細腰になっている。
見せるために必要な物なのだろうと苦痛と呼吸を堪えていたが、今の倉井の言葉から察するに、そこまで堪える必要性はなかったのだろうか。
「お洋服によっては結構ギュッてしますけど、クッキリ残る程は絞めないですよ」
「…ほう」
猜疑の目を千都世に向けて見れば、こちらを払うように手をひらつかせて苦笑される。
呼吸が苦しいほど絞め上げたのは、怒りをぶつけた仕返しといった所だったのだろう。
予想外の方法で報復を受けた事に大きく重く息を吐けば、倉井が心配そうにこちらを覗いてミネラルウォーターを差し出してくれる。
わざわざ買いに行ってくれたのか、ボトルは僅かに汗をかいていおり、例を言って受け取れば指先に程よい冷たさが染みた。
「……男は強制的に体締め上げるような撮影はそれほど無いが、倉井達は毎回これを着けて撮影に臨むわけだろう?出来ない仕事をしてくれてることに感謝しないとな」
蓋を捻り開けて一息に半量程まで呷れば、冷水が熱を取るように喉を抜けて腹へと落ちていく。
鏡と現実の双方から自身へ留められたままの視線に、本人の方を見て首を傾げれば、娘は耳まで顔を赤くして手で頬を包み俯いて首を振る。
「…どうした?」
「い、いえ……その、ヒロさん以外の男性モデルさんに褒めていただいたの、初めてで…」
今にも消え入りそうな声で顔を隠しながら呟く倉井は蹲り悲鳴にも聞こえなくはない音を漏らす。
娘の行動の意図が分からずスタイリストの方を向けば、言葉の通りだと言いたげに肩を竦めて首を振る。
被写体業の報酬は基本的に出来高の歩合が多いため、完全に安定した収入というものを得ることは難しい。
それはモデル自身の人気があろうとも言える事で、同業に就いている人間は兼業している者も少なくない。
そう言った問題の解消のためなのか、倉井の所属する事務所【アスクティプランシーズ】は少額報酬依頼を受諾しないようにするため、モデル達によるグループ編成が多く作られている。
社長である芽良慶和が【一人一職】を強く勧めることもあり、所属モデルには一般企業並の固定給支払いがあり、それを目当てに所属するモデルが多いと聞いている。
しかし、見目を最優先にしている部分があるため、彼の独断から体格差や外見で振り分けとなっているためにグループ崩壊も多数あるという噂もあり、決して良い環境とは言い難いだろう。
倉井が声優を兼業する際も当初は難色を示されたが、所内でも人気のある彼女を手放すことは惜しいのか渋々承諾してくれた、と桂馬から話を聞いている。
「仕事ができたら褒めて上げて伸ばすモノだと思うけどね…メイちゃん、移籍先ウチにして正解じゃない?」
「は、はぃ……」
少々はにかんだままの倉井は顔を上げて先の言葉の礼を述べながら顔を仰げば、人の良い笑みを浮かべながら千都世が彼女の肩をさすり揉んで、緊張を解す。
模造機体の自分と互いの上衣を交換し、カラーコンタクトレンズを外して伊達眼鏡に戻せば、二人の様子を見ていた〈彼〉は二人の話を理解出来ないらしく、無表情のまま首を傾げてみせる。
「移籍?そういえば芽良社長と揉めた、とかなんとか」
「っ、私から[事務所を出ます]って言ってやったんです!頑固社長が悪いんです!」
ふと落とした疾斗の言葉に羞恥を何処かへ弾けさせ、振り向いた倉井が此方を見上げる。
「社長、ヒロさんと一緒に暮らすって話をしたら、[白抜赤附なんかとは別れろ]って言ってきたんですよ?私、ホンットに腹が立っちゃって!」
言われた当時を思い出したのか、目には怒りの色を強く宿し、異様な気迫に押され椅子に足が掛かり腰が落ちるも、怒りを満ちる娘が前にのめる。
「だからあれは、揉めたんじゃないんですっ!私がっ」
「倉井わかった、俺の確認不足だった。すまない、落ち着いてくれ」
彼女にとっての大切な人を貶したと勘違いさせたことを謝罪し、娘の肩をそっと押しやって椅子へ座り直せば、自身の興奮にようやく気付いた彼女もまた慌てて顔を引いて身体を戻す。
─白抜赤附
先天性染色体異常により、白髪と赤眼を持って生まれてきた人間を指す
白化個体とは違い、低視力や皮膚色素欠乏などの身体弱化症状は見られない
旧国時代より【忌子】として扱われ、団塊世代には彼らが奇異能力を持つと信じている者もいる
今でも捨て子も多いため、有志によって専門の孤児院が各都に作られている
【ヒロさん】こと桂馬も白抜赤附で、「自分は、生まれてすぐ孤児院に預けられていたらしい」と本人から聞いている。
感情表現は元々豊かだが、今までここまで怒りを顕にする姿は思いつく限りでは見た記憶はない。それだけ彼女の中では彼の存在が支えになっているということなのだろう。
「続き聞いてくれる?メイちゃん、翌日には三行半叩きつけて五月頭の契約満了を認めさせたらしいわよ、すごくない?」
「怒りと勢いもあったので次の事務所決める前にやってしまったんですけどね…」
「なるほど。それを桂馬が社長に話して、こっちに移籍を決めた訳か」
かんらからと笑いながら撫でる千都世の手に頭を預けたまま、投げた問いへ倉井が僅かに頷く。
「…結局、ヒロさんや社長さんにご迷惑かけることになっちゃって……」
「潰される前に決断をつけただけだろう?遅かれ早かれぶつかる問題だったんだ、自分にとって大切なものを貶す人間は見限る方が良い。そう呼ばれる人間を二人知ってるが、どっちも努力家だぞ」
「…今、ケイくんと一緒に褒められたの、もしかしなくてもワタシ?」
「どうとでも取ってくれ」
「んもぉーそーゆートコよ!ほんっとスキ、ハグしちゃう!」
「やめろ気持ち悪い。アンタのそう言う所は苦手だ」
座ったままの自分へ飛び込んでこようとする男の腹へ片足を伸ばし蹴れば、わざとらしく後方へ飛びのいてそのまま数度床を転がった千都世が、両の掌で顔を覆い泣き真似る。
柔らかな口調で話す彼もまた【白抜赤附】の呼び名に苦しめられていた一人だ。
疾斗がこの業界へ入るより前に入った千都世は、この事務所の専属となるまではスタイリストの腕よりも外見で判断されて求職もままならなかったらしい。
【アスクティプランシーズ】では社長が千都世の姿を見るなり、面接どころか散々に貶して警備員によって叩き出された、という逸話すらある。
そう言った経験をしている彼からすれば、倉井が芽良へ一泡吹かせた今回の件は胸がすく話なのだろう。
この結果が違っていれば、この仕事を意気揚々と楽しむ余裕はなかった筈だ。
今こうして巫山戯ることが出来るのがその証拠の一つでもある。
馴れぬ衣装と所作に張り詰め切っていた糸を弛めようと大袈裟にリアクションを取る千都世の気遣いに内心感謝しつつ、時計を確認して自らの腹に触れる。
体を絞めていたため、昼食にゼリー飲料を半量飲んだきりその後は何も食べていない。
幸い外にまでは聞こえていないようだが、腹の虫が先程から唸り続けて体内が煩い気すらする。
「さて、じゃ今日はお疲れ様。今日潰しちゃった疾斗くんのお休み、社長が調整かけて明後日にしてくれたからそのまま連休してくれ、だって」
「わかった」
「メイちゃんもお忍びで来てくれてありがとうね、おかげで助かったわ」
「お役に立てて良かったです。でも、今日だけしか生のお姿見れないなんて勿体ないです…すっごく綺麗だったのに」
「やめてくれ…俺はあの場でいっそ殺して欲しいぐらいだったんだ」
「そ、そんな姫騎士みたいな……」
「 「……姫騎士? 」 」
思わず反射的に鸚鵡返しを口にすれば千都世と被り、その二重奏に倉井の目が点になる。
その手の類を知らない訳ではないが、女性からはあまり聞くことのない意外な単語。
「……いま私、声に…出てました…?」
「言ってたわねえ、はっきり」
考えてみれば化粧直前や先の撮影中でも、空き時間を見つけては携帯端末で何かを撮影したり、タブレット端末へスタイラスペンを走らせていた。
商業作品やアニメ・ゲームなどを原作とは異なる物語を書いたりする、いわゆる二次創作と云うものがある。
高等学校に通っていた頃、夏休みが近づいてくると一部の生徒が「今年はどのジャンルが熱いか」と相談していたりしたのを見聞きしていた。
流石にそういったところへ足を運ぶ気にはなったことはないが、いわゆる同人誌即売会があるのも知っている。
この流れから考えると、おそらく彼女にもその趣味があるのだろう。
「す、すみません……あの、あまりに美人さんだったので…その、今描いてる作品のモチーフにいいなーとか、そうだったらおいしいかなーとか、っあぁあ、わ、忘れてくだしゃいっ!」
「…画像は絵の参考資料に使うだけにしといてくれ」
「も、もちろ、っえ…気付いてたんですか?!」
「何度かこっち向きにシャッター音聞こえたしな……」
今すぐこの場で全て消してもらいたいのが本音だが、此方の都合で頼んだ上に所属事務所に忍んで手伝ってもらったと言うことは、一日がかりの仕事でありながら報酬がないという事になる。
千都世のことだから礼の一つも無しということはないだろうが、疾斗自身も所作指導をしてもらった事を考えれば、多少の屈辱感と羞恥心はあるが、知っている人間が持っているだけであれば堪えられない程ではない。
半泣きになりながら頭を下げてくる倉井に苦笑し、疾斗は内心で今日一番の深い溜息をついた。




