東都 北西地区β 午前八時二十二分【疾斗視点】
真っ新な白紙へチューブから直接出して塗り上げたような鮮やかな青空の下。突然の大雨に降られたように落ち込みながら、疾斗はハンドルを切る。
「…今回は無理だったか……」
今日の撮影所である背高な建築物を遠目で確認し、重く深く溜息を吐いてアクセルを踏みこむ。
メディア番組の仕事は受けないという制約をもつ【バラエティモデル】である〈HAYATO〉とは自分の事。
体が空いていればどの仕事も受けることで知られている男性モデル、として通っている。
今回の撮影は長年発刊されている雑誌の例年企画の一つ【性別逆転ポートレート】で、異性装をしたモデルが誰なのか読者に当ててもらい、抽選で賞品がもらえるという人気の企画、らしい。
毎年出版社側からランダムで事務所が指定され、選抜モデル一名が撮影に協力する事になっている。
(昨日の今日じゃどうにもならないからな…やられた)
入所して今年で十三年、その間に事務所は七回ほど指定されているが、その撮影日時を狙って請負業や日中の仕事を入れて逃れ続けていた。
企画物撮影自体には幾度も参加したことはあるのだが、実はこの企画に関してはだけはあまりにも【見せ物】としての要素が強すぎるために納得できないところがあり、断固拒否をしてきたのだ。
例年であれば事務所が指名された時点である程度の噂が立つため、そこに気付いて予定を詰め込んでいく事ができた。
しかし今回、社長は自分を絶対的に逃すつもりがなかったらしい。直前に撮影日と場所を告げるという強硬手段を取られ、完全に逃げ道を塞がれてしまったために引き受けざるを得なくなったのである。
この道中だけで一体何度吐いたか判らない溜息をこれ以上増やさぬよう、兄が起きぬうちに一本拝借してきたフレーバーシガレットを唇に挟む。
僅かに舌へ触れた甘いフィルターに眉を下げつつ窓を開けて火を入れれば、嗅ぎ慣れた薫りが鼻腔に届く。
表仕事の時に使っている香水はバレてしまう可能性があるため、今日はつけていない。
かといって一般の煙草が持つ特有を燻した匂いがするよりは、バニラの香りの方がまだ良いだろう。
(こんな甘いの、よく吸ってられるな…)
嗜好品である煙草は、東都内では外地区の方が品種が多い。疾風も元々は一般流通品を吸っていたが、いつの日か気付いた時から兄はこの薫りを纏うようになっていた。
気に入っていた物を一新する事は容易で無い筈だが、それを実行出来たのは、彼の伴侶であった女性の影響だろう。
目的の撮影地が近い事を視界補正ナビゲーションがフロントガラス上へ矢印を向けて示すのを確認し、吸い掛けの煙草を灰皿で押し消し駐車場の端位置へと停車して息をつく。
出来る事ならばすぐにでも帰路へ着きたかったが、見覚えのある軽自動車が後続で来ていたために逃亡は不可能。
ここまで来たら仕事だと諦めるしかない。
後続していた車もウィンカーが同方向へ明滅したと思えば、疾斗の対面側へと車を入れる。
僅かに開けていた窓からエンジン停止の音を聞き、鍵を抜いて地へ足を下ろせば、頭一つ分以上小さな身体の倉井冥那がこちらへと駆けてきた。
「新堂さんおはようございます!」
「おはよう…朝から元気だな」
「今日はすごく稀少な現場に同行させていただけるので、元気をしっかり充電してきました!」
「…倉井。それはつまり、今日のことを知ってたということか?」
「はい!チトセさんと社長さんが、ケイさん達じゃうまく言いくるめられて逃げられるかもしれないからお願いしたい、と仰ってくださったので。今日は所作指南役として同行させて頂きます!」
柔らかそうな長い髪を二本の三つ編みに分けて結い留め、分厚い硝子レンズ眼鏡の下で目を輝かせて息巻く倉井に苦笑し、長丁場の運転で固まった肩を回す。
疾斗個人としては仮病を使ってでも断りたかった撮影だが、所属事務所が違うにも関わらず出てきてくれた後輩の期待を裏切る訳にはいかないだろう。
車中で考えていた悪足掻きの方法を溜息と共に破棄し、他国の城を模して作られた教会を見上げれば、十字架を象ったステンドグラスが朝日に輝く。
本来祝福の場として使われるこの場所で、何が楽しくて女装をせねばならないのだろう。
観念すると同時に覚悟は決めたが、正直「仕事だから」と割り切れない自分はまだ居る。
言いたいことが多々浮かび、喉へ溜まり込む毒が今にも口から出てきそうになってくるが、目の前にいるのは此方の事情を全く知らない他所の異性モデルであり、吐き出していい相手では無い。
どうにもしようのない感情を抱え込んだまま、どこへ向かえば良いのか確認しようと携帯端末を手に取った瞬間、ショートメールを短い振動とともに受信する。
《おはよう 3時の方向に向かってね ハシゴ登った所が控室です よろしく》
「…絶対どこからか見てるな」
「ですね。間違いないです」
時計に見立てた方角表記を用いて記載された方向へ首を回し青々しい樹木達の影間に目を凝らせば、何処かの部屋の一部らしき出窓から縄梯子が降ろされている。
自分達が立つ位置から正面には城門のような入口が聳え立っているが、わざわざそこまで用意するということは「そこからは入るな」という意味だろう。
撮影スタッフに見つからぬよう無駄に配慮されているあたり、スタイリストの気合いの入り方が普段とは全く違うことが窺える。
「童話みたいですね。入口あるのに全然違うところから入るって」
「…拗ねられるのも面倒だ、行こう」
鞄へ携帯端末を放り込み、指定されている場所らしき梯子のある所まで向かう。
高さにして凡そ三階ぐらいだろうか、入口代わりの出窓まで伸びている縄梯子の先を見れば、白茶髪の中性的な男がひらひらと手を振っていた。
「おっはようマドモアゼル達!さ、上がってきてちょうだいな」
「何で縄梯子なんだ、普通のはなかったのか」
「やだわぁ、そんな物を持ってくるわけないじゃない!重いし嵩ばるし。良いでしょ、アスレチックっぽくて。さ、早く早く」
こちらの不満などお構い無しに急かす様子に、頭を蝕んでいた疼痛が鮮明な物に変わった気がする。
本業であればアンカーを撃ち込んだ上で彼女を抱えて一気に登ってしまうのだが、控室に入るためだけにそれをわざわざ車から持ち出すのは莫迦らしい。
そもそも、請負業が本業ということまでは知らない倉井がそんな特殊道具を見たら、萎縮するか訝しる事だろう。
彼が出した指令内容に呆気に取られた倉井へ先に登るよう促して、数段の間を開けて出来る限り揺らさぬよう登れば、事務所最年長のスタイリスト ─ 千都世朱櫻が満面の笑顔で拍手をしながら待っていた。
「はーいご苦労様。朝からいい運動になったでしょ」
「びっくりしましたよ?!パンツスタイルじゃなかったら恥ずかしいことに…」
「その時は疾斗クンがどうにかしてくれてたわよきっと。というわけで今日の主役さんオハヨ♪」
「おはようじゃない。縄梯子もだが、何ださっきのは。俺は女性じゃない」
「えー?だってこれからなるんだから間違ってないでしょ」
にこにこと笑ったまま千都世に肩を叩かれ、胸に詰まる禍々しい毒が更に粘度を増して疾斗の喉を詰まらせる。
倉井のいる手前、言葉にしないよう必死にとどめている事に気づいているのか、素顔のままの彼女を弄るように話しかけ眺めては、時折こちらを一瞥し様子を窺いながら首を傾ぐ。
本人からすればただの茶目っ気くらいなのだろうが、休日のつもりでいた日にほぼ一日掛かりかねない撮影が入れられた上、撮影拒否していたものに強制参加させられているのだ。
こちらからすれば、その態度は腹が立つ以外の何物でもなく、溜まった物ではない。この場にいるのが兄だったらば、間違いなく怒鳴りつけているだろう。
押し留めることが常になっている自分にはそれが出来ないのがこんな時ばかりは難に思う。
「そういえばこの逆転ポートレート、確か撮影スタッフさん達にも誰が来るか非公開ですよね?」
「そうそう。おしゃべりな人がいたら困っちゃうからね。目敏いと車で判断する人もいるけど、今日はバレない自信あるわよぉ…!」
倉井に勢いで抱きついた男が得意げに笑うところへ、バチンッと爆ぜる様な音を立てて額を中指で撃ち弾く。
耳元に聞こえた打撃音に目を丸くする娘から跳ね離れ、額を覆いながら部屋角へと逃げた千都世は眼鏡の下の瞳へ涙を溜めながら此方を睨み見て震える。
「疾斗くん何でそんな機嫌悪いの?!」
「うるさい変人、自分の胸に手を当てて聞け。自然な流れで他所のモデルにセクハラするな。やるならやる、さっさと用意しろ」
「い、痛そう…」
†
どこからともなく感じる倦怠感を払うように首を振って、上着をハンガーへ預けた疾斗は深くため息を落とす。
今まで様々な現場に入ってきた自分でも見たことのない調度品やインテリアも置かれ、倉井は目に楽しいのと物珍しさもあるからか、デジタルカメラで撮影するシャッター音が聞こえる。
今いる部屋は新婦控室の一つらしく、そこかしこに旧国時代の西洋文化要素を取り入れられており、本来はブライダルフェアか本当の式でも行わない限り男性は入れない場所らしい。
「あら?思ってたよりもちゃんとスキンケアしてきてくれてるじゃない」
額に赤い弾き痕をつけたままの千都世が白木造のスタンドチェアーを指し示されて促されるままに腰を下ろすと、蒸しタオルが渡され、目に当てる。
「休み潰されたとはいえ仕事だからな」
「え、今日お休みだったんですか?」
倉井の驚きに、ヘアバンドを用いて前髪を上げられるのを感じながら「ああ」と声で頷く。
「社長が[今回ばかりは絶対黙ってろ]って念押すから教えてあげられなかったの。とはいえ、連休奪ったのは事実だし、デコピン何回されても文句言えないけどね。ごめんなさい」
「社長は何でそこまでしてこの企画に出させたがったんだ?俺じゃないといけない理由でも?」
下地となる肌の準備をしている千都世の回答はなかなか返らず、タオルを外され化粧水を含ませたコットンが迷いながらも顎や首を撫で、水分を含ませるようにひたひたと触れていく。
社長自ら他言するなと話していたのであれば他の人間たちも知っていたのだろうと考えていたが、もしかしてこの件を話し忘れていて、たまたま空きだった自分に白羽の矢が立てられただけなのだろうか。
少々矛盾のある自らの想像に顔を顰めると、今だに怒っていると思ったらしい千都世が再度謝罪を口にしつつ当てていたタオルを外す。
顔を見上げてみれば少々気まずそうにするスタイリストの目は、扉と自分の間で交互に忙しなく動き、足でリズムを刻みながら何かを待つ。
様子の異常さに口を開こうとしたその時、ノック音が数回小気味よく響いた。
「千都世さん、ご挨拶周り行ってきました!よろしいですか?」
「えっ?!」
聞こえてきた声の主と同じトーンが室内で弾け飛び、それに驚いて疾斗も振り向いてみれば、それまで落ち着きのなかった千都世が、先ほどとは打って変わって安堵した様子で扉を開く。
「…はじめまして、主」
「いらしてくださったんですね!今日からどうぞよろしくお願いします、主さま!」
「これってもしかして……」
「俺達の複製機体か」
「そ、すごいでしょ?これでもシステム上の仕上がりは6割くらいなんですって」
複製機体とは、実際に生きている人間の外見そのものに似せて作られた人型機体のことだ。
人型機体が普及し始めたのは十五年ほど前で、ここ何年かは如何に実際の人間へ近付けられるかが焦点として当てられ、年々進化してきている。
疾斗と倉井を模して作られた目前の機体は、今秋に販売される最新型を使用して造られた、いわばプロモーション用だ。
撮影スタッフはモデルより先に来るのが基本であり、必要な機材や荷物さえ下ろしてしまえば滅多に駐車場に戻ることはない。
被写体情報の非公開で行う場に自家用車で来いと言ったのは、彼らに挨拶回りをさせることで本来の被写体である自分の存在をカモフラージュするという事だったのだろう。
万一、誰かが車で判断をしたとしても【先に来ている】ということを印象付けておけば、同じ車種のものに乗っている別の人間と勘違いさせることが出来る。
(必要な知恵も要らん悪知恵もよく働くものだな…)
首を戻して鏡を覗けば、精巧に作られた瓜二つの機体達は千都世の指示に従ってそれぞれ動く。声も似ているのは、以前にデータとして採取された音声を解析して話し方共々真似て作られているからだろう。
動作こそ違えど寸分変わらない姿は見事だと思うと同時、生身の人間とは違う無機質さが拭えないせいか薄気味悪さを感じてしまうのは考えすぎだろうか。
「メイちゃん、パーテーションで申し訳ないけど、あっちでもう一人のメイちゃんとお洋服交換してくれる?髪はワタシがやってあげるから。疾斗くんは撮影終わったらこっちの疾斗くんの服と交換ね」
「それはいいが、何故その俺も挨拶に行ったんだ?」
「撮影に参加してもらうからに決まってるでしょ?」
「…………今、なんて言った?」
あっけらかんと返されたとんでもない解に、出さぬよう必死に耐えていた素の言葉が思わず口から飛び出した。




